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6.乱 2

  2



 蒼月闇の城。二の扉前では、半獣族の兵士同志の攻防が繰り返されていた。



「押し返せ!」



 鋭い爪と牙を持ち、全身を氷の刃でかためた猫に似た容貌の女が、緑の髪を逆立てて叫んだ。獣の特徴を持つ男や女たちが、その声に従って敵に向かう。一の扉から退却してきた銀魔狼もその声に従い、連携を組んで敵をほふった。氷のつぶてが宙を舞い、女の腕が一閃されるたび、敵方の兵士の首が飛ぶ。血が飛び散り、怒号と悲鳴がその場を包む。



「『氷のエメラダ』だ! 『炎のロチェフ』に継ぐ第三の手練だぞ!」



 青闇の半獣兵が叫んだ。



「取り囲め! エメラダを討ったとなれば名が上が……」



 男は最後まで言う事ができなかった。そこで首を飛ばされたからだ。エメラダは金の目を光らせると、はね飛ばした男の首をつかみ、その顔に向かって怒鳴った。



「誰が三番目だいッ。ロチェフなんかの下についた覚えはないよッ!」



 首を放り出して足げにすると、彼女は周囲をぐるりと見回し、牙を剥いた。



「あたしがここの守備をしてるのは、あいつより閣下の信任が厚いからさ。ここから先に行く奴はいない。おまえらの暴挙もここまで。ロチェフの出る幕はない。わかったらまとめてかかっておいで!」



 同僚のロチェフが自分より伯爵に近い三の扉の守護を任された事を、よっぽど気にしていたんだなと彼女の部下たちは思った。





「良く戦う」



 思わずという風に華乱男爵雪綺が言った。二の扉前で奮戦するエメラダと彼女の部下、銀魔狼の戦いぶりを見ての言葉だった。青瑪瑙あおめのうの城、蒼炎そうえんの陣営では、炎の鏡に刻々と変化する戦況が映し出されている。



「こちらの手勢は押し戻されそうです。いかがしますか?」


「もっと送り込め」



 騎士の一人の言葉に、不機嫌に蒼炎が言った。雪雅は彼を見上げた。



「もう、かなりの数を送り込んでいます。このままでは、半獣兵が底を尽きます」


「それをあの女一人に阻まれたと? 速やかに城を制圧したかったものを。これでは氷玉の戦ぶり、評判を上げてしまうではないか。出せる騎士はいるか」


いまだ二の扉ですぞ、綺羅月きらづきの。ここは半獣兵が相当。騎士を出せば、弱者じゃくものよと大陸中の魔族に笑い物にされましょう」



 柔らかな口調で緋雨男爵闌火が言う。蒼炎はそちらを睨んだ。



「あの者の評判を上げるなど、我慢ならん。ののしられた方がまだましというもの」


「見事なお覚悟ですが、共に戦う我らの名誉にも関わります。控えていただきたい」



 そこへ煌牙こうがが静かに進み出る。



「お任せを、わが君」



 そう言うと彼は炎の鏡の前に立ち、片手を上げた。その手に魔力が集まる。彼はそのまま、鏡に向かって力を放った。





 突如として宙を走った光に、エメラダは胸を貫かれた。がっと呻いて倒れる。そこへ敵兵が殺到した。


 部下たちがかばおうとしたが果たせず、彼女の体に次々と刃や槍が突き立てられた。エメラダは獣のような吠え声を上げると立ち上がり、全身から氷の刃を繰り出した。吹雪が吹き荒れ、鋭いつぶてが槍を折り、突撃してきた敵兵を切り裂く。だがそこまでだった。再び膝をついた彼女を部下がかばい、別の部下が彼女をつかんでひきずり、激しさを増した戦闘から連れ出そうとする。



「まだ戦えるッ!」



 血にまみれ、深い傷を負いながらもまだ、彼女の闘志は健在だった。暴れ出そうとする彼女を、部下たちは必死で押さえつけた。



「なりません! ここは退くのが」


「閣下のお顔に泥を塗れるかいっ! ここは護り通すッ!」



 体に刺さった槍を引き抜き、投げ捨てるとエメラダはなおも戦闘に戻ろうとする。部下数名がそれに取りすがった。



「『氷のエメラダ』がこんな所で討たれたとあっては、それこそが閣下の恥となります!」


「誰が討たれるか! ぐ、」



 胸に走った痛みに女は顔をしかめた。撃ち抜かれた所はまだ傷が塞がらず、焼け焦げたようになっている。そこからじわじわと自身の魔力が流れだし、失われてゆくのを彼女は感じた。これは半獣族の魔力ではない。そう直感した。貴族の仕業だ。


 半獣兵の戦いの場で、なぜ。



「隊長ッ!」



 彼女を討とうと、敵が殺到する。それを防いだのは、彼女の副官を長年つとめてきた半獣兵、ダレスだった。



「第一部隊、前へ! 第二部隊、こちらを援護しろ!」



 生き残った部下に命じると、彼はその場にいた数名に「扉を開け」と命じた。



「隊長にはさがっていただく。ロチェフどのの所へお連れしろ」



 エメラダは、きっとした顔を彼に向けた。



「ダレス! 何を勝手な」


「その傷ではもはや戦えますまい。そこの。隊長が退くと同時に扉を閉めろ」



 ダレスはふ、と笑みを浮かべた。



「ここは聞いていただきますぞ。指揮官として采配をふるう、こんな好機は逃せませんのでな。敵兵はできる限り減らしますので、後はよろしく頼みます。連れて行け!」



 エメラダはなおも暴れようとしたが、部下たちがそれを許さなかった。扉が開かれ、引きずり出されるように彼女は連れ出された。それを確認してから、扉は再び閉じられた。



「ここを開けろ! あたしは隊長だぞ……」



 体に力が入らない。めまいがする。もたれた扉の向こう側では、突撃を命じるダレスの声がした。


 兵士たちのときの声。



「ダレスどのが時間を稼ぎます。ロチェフどのの所へ参りましょう」



 部下が彼女に肩を貸そうと進み出る。エメラダは歯噛はがみをしてそれを断った。



「自分で歩ける。ダレスめ。無様な死に方をしてみろ、許さんぞ!」





「何の真似だ、煌牙。半獣の戦いに介入するなど。わたしの顔に泥を塗るつもりか」



 蒼炎は力を放った闇魔族の若者を見やった。口調はしかし、楽しげだ。煌牙は一礼した。



「失礼を致しました。しかしわが君のお顔に泥を塗る事にはなりますまい。介入などは、なかったのですから」



 煌牙は微笑んだ。



僭称者せんしょうしゃの配下など、裏切りを働いたも同然。皆殺しにするのが順当でしょう。何か言い立てる者がいたとしても、所詮しょせんは負け犬の言う事。誰が耳を貸しましょうか。勝利するのはわが君に違いないのですから」


「言いおる。介入はなかったと言うのだな」



 楽しげに蒼炎は言い、煌牙は「はい」と答えた。



「あれらも死ねば黙ります」


「なるほど。これが貴族同志の戦いであれば、さすがにわたしも一言はあるが。しかし所詮は半獣。消耗品しょうもうひんに過ぎぬ。そう、介入は確かになかった……そうであったな、方々」



 視線を向けられた二人の男爵、雪綺と闌火は苦笑した。



「われらに尋ねられても困りますな」


「何もなかった事を言われても。しかし」



 闌火は煌牙にちら、と目をやった。



「若い者にあまり、勝手をさせるのもどうかとは思います」


「それもそうだ。煌牙。そなたの位を騎士に下げる」



 蒼炎の言葉に闇魔族の若者は、一礼した。蒼炎は続けた。



「次の戦闘には、他の者を率いて出るが良い。働き如何いかんに関しては、爵位しゃくい考慮こうりょしよう」


「ありがたき幸せにございます」



 微笑んで、煌牙は言った。


 雪雅せつがは眉をひそめ、その様子を見ていた。





「震えていますか」



 三の扉前で、ロチェフは水の民の若者に言った。尖った耳と金色の瞳を持つ男はのっぺりとした顔をして、表情に乏しい。しかし彼はこの城でも一、二を争うごうの者だった。



「慣れないからね。この鎧も実は、重くて」



 帷子を着込んだグウェンは、気弱な笑みを見せた。彼は矢のない弓を携えていた。水の民の武器である。彼以外にも十数名の水の民の若者が、戦闘の始まる時を待っていた。


 蒼月闇の城には現在、騎士がいない。月牙一族自体に若者が少ない為だ。


 氷玉が爵位を継いだ際、著名な貴族のほとんどが討ち果たされた。その際には多くの騎士も滅ぼされ、月牙は一時、若者がほとんどいない状態になった。子を作る権利を持つのは男爵以上の身分の貴族に限られる。その為月牙領では、どこの城でも騎士が不足する状態が続いていた。


 今回の戦で采配さいはいを任された半獣兵の長グロフが最も頭を痛めた問題は何かと言うと、三の扉の警護を誰に任せるか、だった。三の扉の警護は騎士と、伝統的に決まっている。しかし城に騎士はいない。結果、低位の魔族をその代わりにし、周囲を半獣族で固めるという苦肉の策が取られたのだった。



「方々には、おんれい申し上げます。わが君の城主としての体面はこれで、保たれます」



 ロチェフは軽く頭を下げると言った。



「しかし戦闘に不慣れなのは明らか。前には出ず、合図があれば退いて下さりませ」


「ここには貴族の騎士たちが来ると聞いた。君たちには刃を向けられない相手だろう」



 グウェンが言うと、ロチェフは答えた。



「貴族の戦いは、まずは配下の者同志でつぶし合いをさせる。戦闘があらかた終わった頃に、騎士の方々は来られます。確かにわれらには、闇魔族の方々に歯向かう事はできませぬ。そのようにできている。騎士の方々が来られたなら、お通しするより他はない」


「最初から、敵方の貴族がここを通る事は決まっているのだね。そうであるなら、なぜ、何の為に君たちは戦うのだ」


「わが君の名誉の為に」



 ロチェフは金の目を光らせた。



「抵抗もせず城を明け渡したなどという、風評を立てられるわけには参りませぬ。結果は決まっております。しかしそこに至るまでにどのように戦ったか。それが重要なのです」


「そこに至るまでにどのように戦ったか……」


「その為にわれらは命をかけるのです」



 グウェンは息をつくと首を振った。



「わたしにはわからない。それに何の意味があるのか。だが責務は果たす。向かって来る者がいれば、力の限り弓を引くよ」


「十分です」



 そこへ伝令役の半獣族が駆けて来る。



「申し上げます! エメラダさま、負傷! 配下の者がもたせておりますが、じきに二の扉も破られます!」



 ロチェフの額から頭にかけて、真紅の鶏冠とさかが立ち上がる。体のあちこちから炎に似た羽毛が生じ、腕や足にうろこが生じる。



「出番が来たぞ。加勢に行って、エメラダの悔しがる顔を見てやろう!」



 彼が言うと、部下たちは拳を上げて「おお!」と叫んだ。






「わが君。図書の長が、目通りを願っております」



 グロフが氷玉に向かって言った。



「会おう」



 氷玉は炎の鏡を眺めながら言った。そこには奮戦ふんせんするエメラダの姿が映し出されていた。グロフは一礼すると、部下に「通せ」と命じた。了解した半獣兵が扉に向かって走る。


 やがてやって来たアロンは氷玉の前に出ると、一礼した。月牙伯爵はそちらを見もしなかった。側についているグロフが、「用向きを話すが良い」と声をかける。



「このような時に御身おんみをわずらわせ、申し訳ありません。お願いの儀がございまして」



 アロンは視線を向けようともしない伯爵を見つめ、少しためらってから言った。



「三の扉に、騎士の代わりに水の民の者が詰めています。何とぞ、彼らの命を散らす事、ご容赦ようしゃ願いたく」


「図書の長。閣下に戦の采配を指示するおつもりか」



 グロフが目を光らせた。アロンは答えた。



滅相めっそうもない。闇魔族は全ての頂点に立つ方々。指示できる者が、この世におりましょうか。わしは、ただ、……惜しむのです。あそこにはわが孫がいる。血族の若者たちが。わしは老いた。先は短い。けれどあれらには未来があります。その未来をわしは、惜しむ。愚かな事を言っている、それはわかっているのですが……」


「三の扉を警護する者は騎士。それがしきたりだ。城に騎士の方々はおられぬゆえ、水の民の方々に任せた。それを取りやめよと?あの場を開け放し、閣下に敵対する方々の、好きに振る舞うに任せよと言われるのか」


「やめよ、グロフ」



 それまで黙っていた氷玉がそこで、口をはさんだ。半獣族の兵士は「は」と言うと直立不動になった。月牙伯爵は炎の鏡を眺めながら、物憂げに言った。



「未来を惜しむ。それはあの者たちの命を惜しむという事か。したが、警備を裸にするわけにはゆかぬぞ」


「わかっております。それゆえお願いに上がりました。わしをお使い下さい」



 アロンは言った。



「貴族の方々がやって来られれば、いずれにせよ水の民は倒されます。であるならば、わが君。若者ではなく、わしをお使い下さい」



 氷玉の目が、初めてアロンの方を見た。何の感情も秘めてはいない紅玉の瞳に、水の民の老人は背筋が寒くなるのを覚えた。



「なにゆえに」



 静かに月牙伯爵は尋ねた。老人は何を尋ねられたのかわからず、まばたいた。



「な、何がでございますか」


「なにゆえ、そなたは若者の身代わりを望む。死に急ぎたいのか」


「いいえ、閣下。死は、……恐ろしゅうございます。魔族とは言え、われら水の民には寿命があり、老いがある。閣下たち闇魔族とは違います。そうしてわれらは、家族との絆を愛する。そういう種族です。人族の感覚に近いのではと、そう思う事もございます」



 アロンは答えた。



「わしは、孫がかわいい。あれを大切に思っております。水の民の若者たちをと先ほど言いましたが、……わしは、孫の為だけにここに来たのです。あれを助けたいと願って。浅はかな事です。愚かでもあります。お許しを、閣下。


 けれどどうか、お聞き届け下さい。この老いぼれを哀れとおぼしめして、なにとぞ孫の代わりにわしを三の扉に」



 氷玉は珍しいものを見るような目で老人を見た。



「人族に近い、とは。魔族の言う事ではないぞ、アロン」



 アロンは頭を垂れた。氷玉は続けた。



「が、面白い。闇魔族での血族は、殺し合いの相手という意味しかないゆえな。水の民はみな、そなたのような考え方をするのか」


「わかりませぬ。様々な者がおりますゆえ」


「そうか」



 そこで氷玉は炎の鏡に目をやり、眉をしかめた。グロフが低くうめく。



「エメラダが……」


「介入した者がいるな。半獣兵の戦いに」



 目線を鋭くして氷玉は炎の鏡を見つめていたが、またアロンの方を見た。



「そなたの蔵書ぞうしょに関する知識と情熱、他に代わる者はおらぬ。その意味ではわたしは、そなたを惜しむ。三の扉に行く事、まかりならぬ」



 老人は絶望のまなざしを向けた。



「わが君……」


「したが、気に入らぬ展開になった。エメラダは良くやっていた。その戦いに水を差すとは、いささか無粋ぶすい……」



 玉座から立ち上がると、彼は段を降りた。グロフが慌てて後に続く。アロンは呆気に取られて立ち尽くした。



「わが君! いずれに行かれます」



 グロフの言葉に氷玉は答えた。



「待つにも飽きた。三の扉まで出向き、戦う者たちをねぎらって来よう。その際にあちらの騎士と出会えば、それも一興」


「しきたりにはございません。当主はこの場にて、やって来る者を待つのが古来よりの」



 氷玉は立ち止まると、冷然としたまなざしを半獣族の男に注いだ。



「グロフ。わたしは何者か」



 グロフはその場に膝をつき、頭を垂れた。



「誇り高き月牙の当主にして伯爵。この大陸に君臨する闇王の一人、銀の闇王にございます」


「その通りだ。わたしは闇王の一人。何をなすかはわたしが決める」



 そう言い放ってから彼は、立ち尽くすアロンに目をやった。



「さがっておれ。確約はできぬが、無駄に命を散らしはせぬ」


「は……、あ、ありがたき事にて……」



 氷玉は皮肉な笑みを浮かべた。



「礼ならばわが姫に言うが良い」


「姫君、に」


「命が散る事を嘆かれるのだ、姫は。わたしには未だに良くわからぬがな。救った所で何の益にもならぬ命を、何ゆえに惜しむのか」



 そう言うと伯爵はマントをひるがえし、扉に向かった。グロフが後に従う。


 残されたアロンはその後ろ姿に向かって、深々と頭を下げた。





「らしからぬ失態だな、エメラダ」



 傷だらけの女兵士を見てロチェフが言った。エメラダは青ざめた顔で膝をつき、胸を抑えている。先ほどより状態は悪くなっていた。もはや立つ事もできない。胸の傷がふさがらず、それが彼女を弱らせていた。


 閉ざされた二の扉の向こうでは、まだ戦いの音が響いている。



「あたしはちゃんとやってたさ」


「傷がふさがらんか」


「魔力が漏れる。多分、貴族だ」



 この言葉にロチェフは状況を理解した。貴族が半獣兵の戦いに介入し、エメラダを討たせようとしたのだ。こうした正式な戦の場で、低位の者の戦いに高位の者が介入する事は、してはならないとされているのに。



「さすがは閣下に楯突たてつく方々」



 それに対しては何も言わず、この言葉で終わらせたロチェフは、うずくまるエメラダを見下ろして言った。



「で、戦えるか」


「石にかじりついてでも、戦ってみせる」



 蒼白な顔の中、目だけをぎらつかせてエメラダは言った。



虚仮こけにされて黙ってるほど、おとなしい女じゃないよ、あたしは」


「それは知っている。足手まといにさえならなければ、おれは別に構わない。だが立てるのか。立てねば戦えんぞ」



 ロチェフの言葉にエメラダはぎりぎりと歯噛みをした。そこにグウェンが近づく。



「貴族に何かされたのか」


「水の民の坊ちゃんかい。悪いがあんたの機嫌を取れる状態じゃないんだ」



 エメラダはうなるようにそう言った。彼が手を差し伸べて来たので身をそらす。



「何だい!」


「傷を癒す事はできないけど、ましにはできる。水の民の持つ能力の一つに、そういうものがあってね。良ければ」


「お情けをかけてくれるってわけかい? 馬鹿にするんじゃないよ!」


「どうして馬鹿にできるんだい、エメラダ。君のような兵士を」



 グウェンは穏やかに言った。



「わたしたち水の民は戦闘には不慣れだ。君の方がよほど戦い慣れしている。情けをかけているわけでも、馬鹿にしているわけでもないよ。君が元気に戦ってくれる方が、わたしたちは助かるんだ」



 エメラダは眉をしかめたが、黙った。グウェンは手を差し伸べた。



「触れても構わないかな」


「何をするんだい」


「わたしの魔力を君の中に注ぐ。立てるぐらいには回復すると思うよ。ただし、一時的なものだ。この傷がえない限り、君の中から力は流れ出て行くだろう……相手をじわじわと弱らせ続けるなんて、嫌な感じの術だ」


「闇魔族の貴族さまで性格のよろしい方がどこにいるよ。やっとくれ」



 エメラダは言った。



「お情けでもなんでももらう。戦えるようにしてくれるんなら」



 グウェンは手を、彼女の傷口にかざした。




*  *  *




 絶叫が上がった。少年の体を青雅せいがの腕が貫き、燐華りんかは血を吐いた。飾りが砕け、破片が涼やかな音を立てて地面に落ちる。



「お……まえ、ごと、きに」



 引き裂かんばかりの力で青雅の肩をつかむと、燐華はうなるように言った。



「おまえ、ごときに、この、わたしが……」



 言えたのはそこまでだった。がくりとうなだれたかと思うと、彼の体は黒い粒子になり、崩れ去った。中身を失った衣服がはらりと落ち、金銀の鎖や宝石が地面を転がる。


 青雅は腕にまとわりつく布地を眺めると、それを地面に落とした。息をつく。疲れた様子だった。そのまましばらく動かない。



「危なくなったら手を出そうと思ってたんだけどな」



 ゆっくりと近づくと、紫忌しきは言った。



「出番がなかった」



 青雅が振り向く。どことなく頼りなげな顔をしていた。紫忌は足を止めた。



「大丈夫か」


「何がですか」


「つらそうだ」



 青雅は目を伏せた。首を振る。



「色々と、考えてしまっただけです。われらはしかばねを残さない。何なのでしょうね、闇魔族という存在は。戦いにかれ、ひたすら敵をほふり続け、最後には何も残さず消滅する」


「それだけいさぎよいって事なんじゃないか。けどおれの屍は残るかもな。半分人だし」


「わたくしの体も……残るかもしれません」



 地面に転がる装身具の残骸ざんがいに目をやって、青雅は言った。紫忌は肩をすくめた。



「どうせその時には死んでるんだから、気にする事もないさ」


「ぞっとします」



 吐き捨てるように言った青雅を紫忌はしばらく見つめていたが、やがて尋ねた。



「おまえ、叔父君に何をされた。そこまで自分を……自分の体を嫌がるのは、何かされたからじゃないのか」



 青雅は何も答えない。紫忌はしかし、彼の表情で何となく、見当をつけた。あの叔父の事だ。兄に似たこの少年を、虐待ぎゃくたいして悦に入っていたのだろう。何を言うべきかわからず、紫忌はしばらく青雅を見つめた。言えたのは結局、「なら、燃やしてやるよ」という言葉だった。



「おまえがおれより先に死んで、おれが生き残ってたら」



 青雅は顔を上げると、紫忌の方を見た。紫忌は繰り返した。



「おまえの体がもし残ってたら、燃やしてやる。何も残らないように。それでいいか?」


「なぜ……」


「気まぐれ。一人で戦わせちゃったしね」



 紫忌は武器を背負うと、青雅に近づいた。



「で、疲れてる所悪いんだけど。移動できる?」


「はい。妨害はもうありませんので、すぐに。閣下……」


「なに」


「ありがとうございます」



 紫忌は肩をすくめた。



「礼を言われるほどの事じゃないさ。気まぐれって言ったろ。おれの方が先に死ぬって事もあり得るし……」


「それはあり得ません」



 青雅が言い、紫忌は眉を上げた。



「なんで」


「わたくしより先には死なせません。死ぬ時にはたとえ一瞬でも、閣下より先にわたくしが死にます」



 思い詰めたような表情の青雅を、紫忌は見つめた。



「おまえ、真面目すぎ。も少し力抜け」



 小さく笑うと彼は言った。



「そんな風に言われるほどの事、おれはしてないぞ」


「閣下は覚えておいででない」


「なに?」


「わたくしは以前、閣下に恩を受けました」



 紫忌は眉を上げた。青雅を見つめる。



「いつの話よ」


「百年ほど前の事になります」



 眉をしかめて紫忌は考え込んだが、思い出せないようだった。



「何やったんだ、おれ? それでおれの配下になろうなんて気を起こしたのか、ひょっとして?」



 首をひねってぶつぶつ言ってから、彼は青雅に目をやった。



「まあいいや。あのさ。何やったか覚えてないけど、あんま気にしなくていいから……だからと言って、いきなり裏切られたりしたら困るんだけどな」


「裏切ったりは……」


「ああ、うん。おまえが真面目なのは良くわかったし、覚悟も見せてもらった。でな。おれの希望を言ってもいいかな」



 紫忌の言葉に青雅は居住まいを正した。紫忌は彼に顔をよせると、内緒話のように声をひそめて言った。



「おれさ。大陸中の魔族から、ごうごうと非難されるぐらいの長生きがしたいんだよ。毎日をそれで、明るく楽しく生きるの。どうよ、これ」


「閣下がそれをお望みなら、わたくしはいかようにも尽力する所存にございます」


「だから堅いって、おまえ。付き合う気、あるのね?」


「もちろんです」


「だったら」



 紫忌は手を伸ばすと、青雅の肩をぽんぽんと叩いた。



「おまえも肩の力抜いて、明るく楽しく生きる練習しとけ。で、とりあえず」


「はい」


「最初の目的地に急ごうや」





 魔力による道が開かれる。二人の姿はその場から消えた。


 風が吹いた。持ち主を失った衣服は風にあおられて、どことも知れぬ所へ飛ばされてゆく。かつて闇魔族であった塵もまた。


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