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永き夜の大陸 〜光の姫 闇の王〜  作者: ゆずはらしの
第五章 上がる火の手
10/22

5.上がる火の手 1

区切ってみました。少しは、読者さまに優しい小説になったでしょうか。

 闇魔族やみまぞくの城には通常、彼ら以外にも、多くの者が詰めている。


 低位の魔族。半獣族の兵士。魔獣まじゅう


 そして城で生き、城で死ぬ、子飼いの人族などである。


 彼らは城主に仕え、城の警護と管理を行う。専任の仕事を持つ者もおり、そうした者は城主が代替わりしてもそのまま据え置かれた。新たな城主が誕生すると、彼らはその城主に忠誠を誓う。


 しかし中には、他の貴族に通じて情報を漏らす者もいる。




 図書室の管理を一任されているアロンは、水の民出身だった。低位魔族と呼ばれる種族である。


 彼らは水に関する魔力に長け、三、四百年ほどで老いて死ぬ。三百を過ぎて老いた男は、ゆっくりと図書室に入った。先代のころから書物の管理を任されている彼にとって、図書室はわが家同然の場所だった。


 中に入った彼は、やはり水の民である、助手のサネンの姿が見当たらないのに気づいた。



「サネン?」



 名を呼ぶが、返事はない。彼には軽薄な所があり、野心も多かった。図書室で一生を過ごすのは嫌だと、一度ならず口にした。アロンはそれを案じていた。野心のある者は、貴族の方々の遊戯ゆうぎの駒にされやすい。妙な事に巻き込まれたのでなければ良いが。



「サネン。どこにいる?」



 もう一度呼ぶが、若者は現れなかった。室内の灯が、書物をただ照らしていた。




*  *  *




 その知らせを受けた時、青闇(あおやみ)男爵蒼炎(そうえん)は狂喜した。



「まことか、蒼華そうか!」



 青白く燃える炎の鏡に映った女性は、朱唇しゅしんをつり上げて笑った。



『まことです。氷玉もこれで終わり。あの『名無し』はついに馬脚ばきゃくあらわしました』


「一族への裏切りだ。人ごときに礼を取り、名を呼ぶ権利を与えたとなれば。愚かなるわが甥は、粛清しゅくせいの理由を自ら渡してくれた。こうしてはおられぬ。配下全てに号令をかけ、蒼月闇の城へ向かわねば」


『お待ちを、綺羅月きらづきの兄上。あの者はそれでも相当なる力を持っております。勝利は確実にしておかねば』



 冷静ともいえる蒼華の言葉に、蒼炎は眉を上げた。



「わたしがあれに劣ると思うてか」


『兄上は尊き血を引く闇魔族。劣るわけがございません。しかしあれは、どのような策をろうするかわかりませぬ。品性を持たぬ者は、戦の崇高すうこうさも理解せぬのですから』


「では、どうする」


『あれの力を封じれば良いのです』



 蒼華はうっすらと笑った。



『名を呼ぶ権利を与えたほどの娘であれば、しちに取る価値はありましょう。娘を捕らえ、その苦しむ様を見せつけてやるのです。そうして娘の命が惜しくば、反撃せずにいよと言えば良い。後はいかようにもなぶれましょう』


「しかし所詮しょせんは人族であろう。聞き分けずにあれが反撃すればどうするのだ」


『その時には娘の首を落とし、誓い一つ守れぬ魔族として弾劾だんがいしてやればよろしい。ひざまずいたという事は、娘を守る誓いを立てたに等しいのですから。それにたとえ反撃を受けたとしても、兄上にはあれを上回る魔力がありましょう。ではありませぬか?』


「うむ。あれごときに遅れは取らぬ。それでそなたはどうする?」


『娘を捕らえに参ります。配下の者では心もとなく思いますので。あれをなぶれぬのは、いかにも口惜しい。ですがその役目は、正当なる月牙当主にお任せいたします』


「正当なる月牙当主か」



 まんざらではなさそうに蒼炎は言った。



「そちらの手配はそなたに任せよう。わたしはあの甥の首を取りに行く」






 氷刃(ひょうじん)男爵蒼華(そうか)は兄との会話を終えると、手を振って魔力の鏡を消した。振り向くと、そこには若い男が立っていた。青白い肌に緑の髪と目。水の民である。彼は彼女の前にひざまずいた。



「良く知らせた」



 蒼華は艶冶えんやな笑みを浮かべ、彼に言った。若者の頬が染まる。



「お役に立てましたでしょうか」


「そなたからの知らせで勝機が見えた。今一度確認するが、まことに氷玉はそう言ったのか」


「は、はい。わたくしが勤めます図書室に、伯爵閣下の信任厚い水の民の者がおります。アロンと言いますが。その者に話されているのを漏れ聞きました。


 閣下は人族の娘に与える本をお探しで。何冊かお選びになった後、薬草に関する書籍を現代語に訳し、新たな本を作れとお命じになられました。その際に、『名を捧げた』と」



 若者はサネンだった。彼はかなり以前から、蒼華と通じて情報を流していた。



「アロンが驚いて尋ね返しましたから、確かです。本は、下働きの人族が、馬車を使ってその娘の所に運びました。閣下が名を捧げた相手は、人族の娘です」


「良くやった」



 蒼華はサネンの側に歩み寄った。



褒美ほうびをやらねばな」



 そう言うと身を屈め、若者の顎に手をかけた。仰向かせ、その唇に自身のそれを重ねる。唇を離すと彼女は、夢見心地の若者に微笑みかけた。そのまま彼の首を折る。


 若者は、悲鳴を上げる間もなく絶命した。ぐたりとなった彼の体を床に落とすと、蒼華はふふ、と笑った。



「最後に良い夢が見れたであろう? この氷魅ひょうみの口づけを得たのだから。褒美はやった。われらは約束は違えぬ。良くやってくれた。それは言っておくよ」



 美しく冷酷な女性はそうして、その場を去った。後には野心を持ったがゆえに貴族の思惑に巻き込まれ、命を失った若者が残された。





  1





 紫忌しきの帰りが遅い事をユーラが心配しだしたのは、太陽が西に傾き、空が赤く染まり出した頃だった。夕食の支度が終わっても、紫忌は戻って来なかった。



「今日中には帰ると言っていたのに。何かあったのかしら……」



 ゆでた芋をつつきながら、ユーラは言った。ガイリスがなだめるように言う。



「友だちと話がはずんで泊まる事にしたんですよ。明日には帰ってきますって」


「それなら良いのだけれど」


「ロ、ロークさんは、腕の良い剣士ですよ。何もありはしませんよ」


「そうね……ねえ、ガイリス。どうしていつもロークの名前を言う時につっかえるの?」



 少女に言われ、ガイリスは詰まった。



「い、言いにくくて。人族の名前って、言いづらいのが多いんですよ、その、おれには」


「半獣族の名前って、どんな風なの」


「あー、えー、子どもの頃は特にないんですよ。何番目に生まれたとか、髪や目の色で呼ばれます。成人すると名前がついて」


「では、あなたはもう成人しているのね」


「え、はい。でも役立たずでしたから」



 汗をかきつつ説明していたガイリスだったが、そこでふと言葉を止め、緊張した顔になった。立ち上がり、戸口の方を見やる。



「どうしたの?」


「ご主人さま。外套がいとうを着て下さい。いつでも逃げられるように」


「気づくのが遅いよ、小僧」



 その声と共に、扉が開いた。褐色の肌に赤い髪の、大柄な女戦士が入って来る。ガイリスは少女をかばう位置に立った。女はしかし彼を無視すると、少女の前に膝をついた。



「失礼いたします、姫。わたくしは白男爵はくだんしゃくの配下、アルシナ。半獣の民にございます。閣下のめいを受け、陰ながらお見守りして参りましたが、危急の時ゆえ姿を現しました。お許しを」



 少女は女戦士を驚いたように見ていたが、この言葉にまばたいた。



「男爵がなぜわたしを……いえ、それは良いわ。アルシナと言ったわね。立ってもらえるかしら」



 言われてアルシナは、立ち上がった。背の高い、たくましい女をユーラは見上げた。



「危急の時とは何? 何が起きているの」


不遜ふそんにも姫君に害を与えんとするやからが、ここを目指しております。姫君には、しばらくここを動かれませんように」



 アルシナの言葉にユーラは息を飲んだ。そこでガイリスが緊張した口ぶりで言った。



「人がたくさんこっちに来る。それに、この気配。仲間? いや違う……」



 アルシナは軽蔑のまなざしでガイリスを見やると、ぞんざいな口調で言った。



「人族のまじない師だ。妖獣を使っているつもりだが、実際は乗っ取られ、操られている。あんなものと我々の気配を混同するな」



 ガイリスはしゅんとなった。ユーラは二人を見比べた。



「たくさんの人って、この辺りの村人?」


「おそらく。ひどく興奮しています」



 アルシナが答える。



「ラスティたちを隠した方が良いかしら」



 ユーラはロバの名を口にした。山羊も鶏も、外にある小屋の中だ。多くの村人が興奮してやって来るのだとしたら、動物に危害が加えられるかもしれない。



「家畜が心配ですか?」



 アルシナの言葉にユーラはうなずいた。アルシナは顔を上げると「イリリア!」と呼びかけた。



『聞こえているわよ、アルシナ。声だけで失礼いたします、姫君。わたくしはイリリア。そこの粗忽者そこつものと共に、御身おんみをお守りしに参りました。ご安心を。姫君の動物たちのいる辺りには、今、結界を張りました』



 不意に女性の声が響き、ユーラは驚いて周囲を見回した。声は甘くかすれて艶があり、持ち主はさぞ美しい女性だろうと思わせた。



「どこにいるの?」


『わたくしは、外に。声をそちらに飛ばしております。申し訳ありませんが、姿はお見せできません。本性ほんしょうに戻っておりますので』


「本性?」


『わたくしたち半獣の民は、魔獣まじゅう妖獣ようじゅうに近い資質を持ちます。普段は抑えておりますが、戦闘の際にはそのさがあらわになります。


 ですが、それを戦闘でもない日常の場で人目にさらす事は、はしたないとされております』


「あのう……人族の感覚からしたら、服を脱いで裸になってるみたいな感じです」



 ガイリスがそっと言い、ユーラは慌てた。



「あ、あの、ごめんなさい」


『よろしいのですよ。姫君にはご存知ない事でしたから。それより、その場所から動かれませんように。姫君のお住まいにも結界を張っております』



 その時ユーラの耳にも、何かがかすかに聞こえた。人々の声のようだ。声を合わせて何か歌っている。



不遜ふそんもはなはだしいッ」



 アルシナが歯噛はがみした。彼女にははっきりと聞こえているらしい。その唇から尖った牙がのぞき、彼女の髪がざわざわと逆立つのをユーラは驚いて見つめた。



『牙が見えているわよ、アルシナ。姫君が驚いておられるじゃない』



 アルシナは牙を収めた。髪が元に戻る。



「失礼を。つい、我を忘れました」


「彼らは何を言っているの」



 ユーラの言葉にアルシナは困った顔になり、口をつぐんだ。少女は重ねて問うた。



「わたしに関した事でしょう。教えて。村人たちと言ったわね。エニ村の人もいるの」



 そう言うと、ため息が聞こえた。イリリアのものらしい。



『アルシナ。送るから受けてちょうだい』



 そういう声がし、唐突に多くの人々の姿が少女の目の前に現れた。

  



 彼らは声をそろえて歌っていた。土をふみしめて歩く足音。ぱちぱちと、松明が炎を上げる音がする。


 荷車が押され、積まれたたきぎわらが見える。


 ごく当たり前の服装の、ごく当たり前の農民たちが、炎に照らされ、目をぎらぎらとさせつつ足並みをそろえて歩き、声をそろえて歌っていた。ほとんどが男だが、女や子どももいる。


 その内の何人かには、見覚えがあった。ユーラが怪我や病をいやし、時には笑って冗談を言い合い、親しくつきあった事もある人々だ。しかし彼らは今、多くの人々と共にかれたような顔で歌っていた。


 歌は、この辺りの者なら誰でも知っている民謡だった。少なくとも旋律は。しかし歌詞は違っていた。『魔女をつかまえろ』『ひきずりだせ』『火あぶりにしろ』『燃やせ』という言葉を彼らはくり返している。




「魔女をつかまえろ!」



 しわがれた男の声がした。先頭に立つ老人が叫んだのだ。破れた衣をまとう彼は、蛙のような異相をしていた。異様に大きく迫り出した目に、とがった口。その目はいずれも、ぎょろぎょろと動いて別の方を向いている。枯れ木のようにやせ細った腕を振ると、全員が「オオ!」と声をそろえ、拳を突き上げた。



けがれを焼き尽くせ!」


「あの女は闇魔族に関わった、世の穢れ! 正義は下されなければならん!」


「災いは全て、あの女のせいだ!」


「火あぶりにしろ!」


「火あぶりだ!」



 人々の声は興奮で割れ、正しい事を行うのだと信じきった愉悦に満ちていた。


 そうして唐突に、その光景は消える。暖炉でたきぎぜる音がした。





「今のは」



 少女が呆然としてつぶやくと、『姿と声をそちらに届けました』というイリリアの声がした。彼女の魔術だったらしい。


「魔女って……わたしのこと?」


不埒者ふらちものらの造言ぞうげんです」



 吐き捨てるようにアルシナが言い、気づかわしげにユーラを見た。



「火の側へ。震えておいでだ」


「ご主人さま、こちらへ」



 ガイリスが少女をうながし、暖炉の側へ連れて行く。ユーラは自分の体が冷たくなっているのに気づいた。少年は彼女を椅子に座らせると、ショールで体を包んだ。自分は衝撃を受けているらしい。そう彼女は思った。



「わたし……、あの人たちに何かした?」


「ご主人さまがなさった事は、いつもきわざばかりでした」



 つぶやくように言った少女に、ガイリスが答える。外から人々の声が聞こえた。さっきより近い。村の中に入ったのだ。



「ジムがいたわ。マイラやケリも。三巡月前に来たばかりだったのに。ケイもいた。破傷風を治してあげた事があるわ。アディは、子どもの熱が出た時に薬草を渡して……」



 先ほど見た光景を思い起こし、ユーラはつぶやいた。無意識のしぐさでショールをかきよせる。手が震えていた。



「わたし火あぶりにされるほど、あの人たちに悪い事をしたの……?」



 ガイリスは少女の前にひざまずいた。



「ご主人さまは彼らの為に力を尽くしておいででした。傷を手当てし、病を癒した。感謝されこそすれ、侮辱を受けるいわれはどこにもありません」



 外で怒鳴り声が上がった。何か怒りに満ちた言葉が叫ばれている。人々が走り回る気配がし、うろたえたような叫びが上がる。



「何の騒ぎ?」



 少女がつぶやくと、『ここを探しているようです』とイリリアの声がした。



『見つからないのでいらだっています。確かに家があったはずだと言っている』


「イリリアの術は確かです。ここにいる限り、あの愚か者どもに姫を見つける事はできません。では、そろそろ行って参ります」



 アルシナが言い、少女はそちらを見た。



「何をするの」


「あの不遜ふそんやから蹴散けちらして参ります」


「蹴散らす? 傷つけるの? 駄目よ」



 驚いてそう言った少女に、アルシナは眉をひそめた。



「御身に逆らう者どもですぞ。受けた恩すら仇にする、見下げ果てた輩」


「それでも駄目よ。人族は弱いの。傷つけばすぐに死んでしまう。殺さないで」


「見せしめを一人二人見せねば、つけあがって同じ事をくり返します」


「あれは、村の人たちなのよ。親しく話した事もあるわ。今は確かに、わたしを殺そうとしているけれど……、困っていた時に古着やチーズを持って来てくれたのも、同じあの人たちなのよ。傷つけては駄目。殺さないで」



 外で歓声が上がった。笑い声も聞こえる。



「人族め」



 アルシナが怒ったように言う。



「何があったの?」


『手当たり次第に家を打ち壊し、火を放っています。ここが見つからない腹いせでしょう。村を完全に廃墟はいきょにするつもりでしょうか』



 イリリアの声が静かに言った。



『花を踏みにじり、姫君の畑を荒しています。倉庫から、食料を運び出している者も……』



 また歓声が上がる。がらがらと何かが崩れる音がした。どこかで家が崩れたのだろうか。村人たちは本気で自分を殺そうとしているのだと、少女は改めて思った。彼女が守り、平和であれと願い、愛してきた村の人々が。



「あなたは良くして下さっているわ、イリリア。食料は欲しい人にあげましょう。燃えてしまうよりは良いもの」



 体の芯が冷えている感じはなくならない。自分が傷ついているのがわかったが、少女は震えを必死でこらえた。無様は見せられない。見せたくない。



「起きている事を教えて。薬草畑は無事?」


『まだ無事ですが、わたくしの能力ではそこまで覆えません。動物の小屋を離れれば』


「いいえ、動物たちの方を守って。あの子たちは大丈夫? 怯えているのではない?」


『今の所は大丈夫です。不安は感じているようですが、おとなしくしています』


「では、そのまま守って。薬草は惜しいけれど……あきらめましょう」


「わたしがおります。姫のお心を傷つけるような輩、八つ裂きにしても飽き足らぬ」



 そこでアルシナがもう一度言った。ユーラは強い口調で言った。



「駄目よ」



 アルシナはいらだった顔になった。



「略奪されるに任せるという事ですか。一言お命じ下されば、わたしはいかようにも動ける。あれらを何百人と殺すに足る力を持っている。なぜお命じ下さらない!」


「命は失われれば、取り戻せないからよ。わたしにも、誰にもできない。あの人たちは、自分が何をしているのかわかっていないの。お願い、アルシナ。殺さないで」



 アルシナは困惑した顔つきになった。



「わたしにはわかりません」


『わたくしにもわからないわ。でも命令は下ったのよ、アルシナ。姫君が殺すなと仰せなら、わたくしたち、従わねばならないわ』



 イリリアの声が言った。アルシナがいらだったように言う。



「しかしそれでは、ここに籠もっているだけか。人族ごときに良いようにされるなど!」


「わたしも人族よ」



 ユーラの言葉にアルシナは、少女の方を向いた。少女はうなだれていた。



「ごめんなさい」


「姫君は違います。あのような輩とはまるで違う」


「同じよ。どこも変わらないわ」



 外で大きく歓声が上がった。『柱を立てろ』『火あぶりに』という声が聞こえた。



「何があったの、イリリア?」


『女を一人、焼き殺すようです』



 ユーラは顔色を変えた。



「どういう事?」


『ご覧になりますか』


「お願い」





 ユーラがそう言った途端、目の前の風景が変わった。人々が歌いながら杭を立てる。柴や薪が積まれ、そこへやつれた女が引きずられてゆく。


 見覚えがある、と少女は思った。アディ。夫をなくして子どもと暮らす、エニ村の女性だ。子どもは側にいない。まだ小さいので置いてきたのだろう。



「この女は、裏切り者だ!」



 蛙のような風体の老人が叫んだ。



「闇魔族と通じた女の治療を受け、けがれたのだ! 穢れは焼かれねばならん!」


「そうだ! 焼いてしまえ」


「火あぶりだ!」



 狂気めいて人々が叫ぶ。老人は言った。



「この女は魔女を逃がした。その罪をつぐなわせるのだ! くくりつけろ!」



 女は悲鳴を上げて逃げようとするが、誰もそれを許さなかった。男たちは髪を振り乱して足をろうとする女を殴ると、腕をつかみ、乱暴に引きずり始めた。


 その光景はまた、不意に消えた。






 イリリアの声がした。



『あの男、まじなです。群衆を煽動せんどうしているのはあの男……権威けんいたもとうとしているのでしょう。姫が見つからなかったので、代わりの者を殺す。良くある策略です』


「わたしの代わりに、アディが?」



 少女は立ち上がった。青ざめていたが、その目には強い光があった。



「させたりしないわ、そんな事は……」


「ご主人さま、いけません!」



 扉に向かって歩きだしたユーラに気づき、ガイリスが慌てて言った。アルシナはわけがわからないという顔をした。



「姫君。一体どう、」


「結界を解いて、イリリア。外に出ます」



 ユーラの言葉にアルシナは絶句し、イリリアが息を飲む気配がした。ガイリスは扉に向かって走ると、腕を広げてその前に立った。



「いけません。ご自分でも言われたではありませんか。あいつらは、何をしているのか自分でもわかっていない。危険すぎます!」


「このままでは、身代わりにされた人が死ぬわ」


自業じごう自得じとくです。ここへ来た時点であの女は、ご主人さまを殺す事に同意していたんですから。放っておけばいいんだ」


「そこをどきなさい、ガイリス!」



 そう命じたユーラに少年は、はっと身をすくませた。少年だけではない。アルシナもびくりと身を震わせた。おそらくは、イリリアも。厳しい顔をして立つ少女には威厳があった。その細い体の奥から、何かの力が光のようにあふれ出ている。それは闇魔族の圧倒的な存在感とはまるで違っていたが、それでも彼らはひざまずき、その言葉に従いたいという衝動にかられた。


 しかし少年は、その言葉に歯向かった。何年も共に暮らしていた彼には、少女の気質がわかっていた。誰かが自分の身代わりに死のうとしているのなら、危険を承知でこの少女は身をさらす。あの暴徒の前に。そんな真似をさせるわけにはいかない。



「いやです……、動きません……」


「ガイリス」


「嫌です!」



 彼は青ざめ、震えながらも首を振った。



「追放されてもかまいません。おれをどこへでもやって下さい。でもここは譲れません。


 あなたは、自分がどれだけ傷ついてもかまわないと思っておられる。でもおれは嫌です。


 あの女には、あなたにかばってもらえるだけの価値なんてない。あそこにいるやつらの誰一人、あなたにかばわれる価値のある奴なんていない! あんなやつらに、好きにさせたりなんかさせるものか。あなたを見せるのだって嫌だ。ここは動きません!」



 真っ青になりつつそう言った少年を、ユーラは不思議なものを見る目で見た。



「わたしにも、あなたがたにかばわれる価値はないわ。外にいる人たちとわたしは、どこも何も変わらないのよ」



 静かにそう言うと、「ついていらっしゃい」と言った。



「ご主人さま……」


「無茶はしないわ。側にいて。アルシナ。イリリアも。あなたたちはわたしを助ける為に来ているのね?」


「はい」


『ええ、姫君』



 二人の言葉を聞いて、ユーラは言った。



「では、二人に頼みます。この家の結界を解いて、わたしと一緒に来て」


「仰せの通りに」


『お供を仰せつかり、光栄にございます』



 外から驚きの声が上がった。群衆に、この家が見えるようになったようだ。



「さっきも言ったように、人は傷つけないで。二人には不本意な事を頼む事になるわ。彼らの前で、半獣の民としてのあなたがたの姿を現して欲しいの。あの人たちを脅かして。そうすれば彼らも頭が冷えるわ。あなたがたには……申し訳ないけれど」



 先ほどの会話から、半獣族としての本性を見せる事は、彼女たちにとっては恥ずかしい事なのだとユーラは理解していた。それでもあえてそう頼んだ。それが一番、この状況を乗り切るのに良い方法に思えたから。


 アルシナが酢を飲んだような顔になる。イリリアの笑い声が響いた。



『存分におどしてやりますわ。きっと人族の間で、何代にも渡って語り継がれる事になりますわね。ほほほ!』



 アルシナは、さらに嫌そうな顔になった。



「人を傷つけてはならないのですね?」


「ええ」


「わかりました。開けろ、小僧」



 八つ当たり気味の口調で彼女は、ガイリスを睨むと言った。少年は扉に手をかけ、ユーラの方を見た。少女はうなずいて見せた。




 蝶番ちょうつがいがきしんだ音を立てる。夜の闇と炎、そして狂気に満ちた群衆に向かい、扉が開かれた。


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