2 weeks ago - サンタクロースはかなわぬ恋をしている -
クリスマスの2週間前。
サンタクロースの切ない恋の話。
ややシリアス系、悟り系。
恋には二つの種類がある。
かなう恋とかなわない恋だ。
わたしの恋はかなわない恋だ。
決してかなうことのない恋。
未来永劫かなうことのない恋。
けれどわたしは感謝している。
この恋に心から感謝している。
神様、ありがとうございます。わたしを彼女と出会わせてくれて本当にありがとうございます。わたしにこの仕事を与えてくれてありがとうございます。
わたしをサンタクロースにしてくれてありがとうございます。
*
もう十二月、クリスマスは近い。
神様の恩恵に報いるために、わたしは今日も仕事にまい進する。
トナカイたちにたっぷりと餌を与える。ブラッシングをかけ毛並みを良くする。時間をかけて丹念に蹄を手入れする。赤鼻は闇夜でもピカピカと光り輝くように念入りに磨く。
そりが問題なく動くことを確認する。十二月に入ってからは軽く外で乗ってみることもある。いきなり本番、クリスマスイブの夜に走らせて、途中で動かなくなったら一大事だからだ。
プレゼントは働き者の天使らによって少しずつ集められている。クリスマスイブの夜には、白い袋いっぱいに世界中のすべての子供に与えられるだけのプレゼントが詰め込まれているだろう。
さあ、サンタクロースは身なりも重要だ。髭の手入れは怠ってはならない。これこそがサンタクロースの証だ。赤い衣裳はクローゼットの中で今か今かと出番を待ちわびている。おっと、黒いベルトと黒いブーツも忘れてはいけない。穴は開いていないか、みっともなくほつれていないか、艶はあるか、あとでよくよく見ておこう。
年に一度の大仕事のため、わたしは一年の残りの日々を過ごす。何もさみしいことはない。一年に一度であったとしても、これほど実り多い仕事はない。わたしにとっては、この責務を果たすことができる喜びこそが報酬なのだ。
そしてわたしには、毎年クリスマスイブの夜にだけ会うことのできる彼女がいる。
彼女に出会ってから、わたしの心に彩りが増えた。赤や白や緑だけではない世界を、わたしは彼女に与えてもらった。
わたしはそのことがとてもうれしかった。だからこれからも、わたしは彼女に恋することをやめないだろう。
*
孤独な仕事を終えた夜、暖炉の前に座り、指折り数えるのが日課となっている。
そうか、あと半月ほどで彼女に会えるのか。そう気がつくと一人の夜でも笑みが浮かぶ。
彼女に会える。
もうすぐ会える。
まるで温めたワインを飲んだかのように、胸の奥から喜びが湧き上がってくる。甘くて、けれどいくつかのスパイスをきかせたワインそのものの感情。
暖炉にくべられた木の上で、ぱちっと小さく火花が散った。
*
わたしが彼女と出会ったのは、とある年のクリスマスイブの夜、彼女の寝室でのことだった。当然だろう、なんといってもわたしはサンタクロースなのだから。
わたしはクリスマスイブの夜、時を止めて世界中を駆け巡る。そうしなければすべての子供にプレゼントを配ることができないからだ。それは神様がわたしに与えた特別な力の一つだった。
その夜、わたしは彼女の寝室に足を踏み入れ、その瞬間、天啓のように一つを悟った。ああ、わたしはこの部屋の主のことを好きになる、と。おかしなことなんて何もない。わたしはその唐突にも思える啓示をごくごく自然に受け入れていた。
部屋にあるすべてがわたしの好みと一致していた。人形、机、カーテン、壁紙。部屋の形、家具の配置、ほんのりと部屋を灯すランプ。その小さなランプの中にある炎のささやかさにすら愛おしさを感じた。
もしかしたら、部屋にあるどれか一つくらいはわたしの気に入らない物があったかもしれない。だがそんなことはどうでもよかった。なぜならこの場を占める全てのものが一体化してわたしに語りかけてきたからだ。「あなたは私たちを好きになる」と。わたしは当然イエスと答えた。もちろんそうだとも。運命にあらがうことは決してできない。たとえわたしがサンタクロースだとしても。
ベッドに眠る彼女は――そう、女性だった――やはりこの部屋から受ける印象そのままの人だった。だからわたしは、やはり彼女を一目で好きになった。恋をした。
真夜中であったから、彼女は当然よく寝ていた。ぐっすりと深い眠りについていた。わたしが寝室に侵入する前によくよく起きないように魔法をかけていたせいでもある。そう、これもサンタクロースの持つ特別な力の一つである。
彼女の容貌についてはここでは詳しくは語らない。語る必要もない。
一つ言っておこう。わたしは彼女がどのような容貌であったとしても、彼女に恋していただろう。なぜなら、彼女が彼女自身であるからだ。彼女の外見がたとえ醜くても、幼くても老いていてもかまわない。彼女が彼女自身であればかまわない。
もっと言おう。わたしは彼女がたとえ彼だとしてもかまわなかった。
*
それからわたしは毎年、クリスマスイブの夜、彼女の寝室で人の感覚でいうところの長い時を過ごすようになった。わたしは彼女をうっとりと見つめ、そして神様に尽きることなく感謝する。
神様、ありがとうございます。わたしをサンタクロースに選んでくれてありがとうございます。わたしがサンタクロースであるから、わたしはこうして彼女に出会えた。そしてこうやって長い時間を彼女と過ごすことができるのです。
わたしは彼女とともにいるだけで幸福だった。彼女とともにいられる時間こそが、神様がわたしに与えたクリスマスプレゼントだと思っていた。今でもそう信じている。疑う余地などどこにもない。
わたしは神様と約束をしている。決して起きている人間にこの姿を見せないことを。故意にその約束を破ったら、わたしはサンタクロースの任をはく奪される。過去にもそういった前任者がいたそうだ。サンタクロースでいられなくなった者の末路をわたしは知らない。
だから、わたしは彼女が寝ている姿しか見たことがない。その瞼の下に隠れる瞳を見たことがない。何色なのか、大きいのか小さいのか、感情の起伏によってどんなふうに変化するか、わたしはまったく知らない。
わたしは彼女の声を聞いたこともない。高い声だろうか、低い声だろうか。彼女はささやくように話すのだろうか、それとも気高さをもって語るのだろうか。わたしにはまったく分からない。
サンタクロースは、サンタクロースとなった瞬間、世界にあるすべての言葉を理解できなくなる。プレゼントを運ぶ仕事において、寝ているだけの人の言葉を理解する必要はないからだ。その代わりにサンタクロースは神様や天使と会話ができる。これもサンタクロース特有の能力だ。
だから、たとえわたしが彼女の話す言葉を聞くことができたとしても、わたしにはもはや彼女が何を言っているのか理解することはできない。
それでもいい。それでもいいから声を聞きたい。わたしはいつからかそう願っていた。
わたしの名をその愛らしい唇に乗せてもらえたら。彼女はどのような発音で私の名を呼んでくれるだろうか。そこには少しくらいの愛しさはみつけられるだろうか。
わたしには人であったころの記憶は残されていない。サンタクロースには不要だからだ。だからわたしは名前を持っていない。サンタクロースという呼称しか有していない。
それでも、少しくらいは夢を見てもいいではないか。サンタクロースだって恋をすれば夢も見たくなる。
*
ある年のクリスマスイブの夜、まさに聖夜にふさわしい奇跡が起こった。わたしはその年のことをけっして忘れることはないだろう。今でもすべてを逐一覚えている。
わたしはその夜も神様から与えられたクリスマスプレゼントを堪能していた。彼女とともにいられることを心から感謝しながら。
わたしが傍にいるとき、彼女が動くことはない。わたしが時を止めているからだ。だから呼吸をするために胸が上下することもないし、頬の産毛すら揺れることはない。わたしの魔法はもはやわたしの意志など関係なく発動するまでになっていた。
なのだが、なぜかそのとき、わたしの魔力が弱まった。あってはならないことにわたしがうろたえ己の内から力を引き出そうとしたその時、彼女が小さくうなった。
わたしがぱっと彼女の顔を見ると、彼女はなにやら夢を見ていたようで、眉をひそめ顔をしかめていた。彼女の声を聞けたことと、また、一年のうちに複数の彼女の表情を見られたことに、わたしは思わず感動し、そして打ち震えた。
唐突に、わたしの中に強い欲望が沸き起こった。
もっと彼女の声を聞きたい。もっと彼女の違う表情を見てみたい。彼女の瞳を見てみたい。彼女の瞳にわたしを映してもらいたい。――わたしのことを知ってほしい。
その時、彼女がわたしを呼んだ。
そして彼女は笑った。眠りながら、花開くような満面の笑みを浮かべた。
わたしが放心していると、やがてその顔から笑みは消え、そのまま先ほどまでと同じように、彼女は心地よさげな眠りの世界へと静かに戻っていった。
次の瞬間、わたしは自分がサンタクロースであることを痛烈に自覚した。だからわたしは自分の意志で新しく目覚めたばかりの欲望をすべて抹殺した。
わたしには冷静さが戻っており、それゆえ無意識に時の流れも止め直していた。だからもう彼女は動くことはなかったし、その唇が開かれることもなかった。
わたしは彼女の寝室を後にし、そりへと戻った。トナカイたちはおとなしくわたしが戻るのを待っていてくれた。赤い鼻が嬉し気にぴかぴかと光った。
わたしはそりに座り、手綱をとり、けれどもうどうしようもなくなって両手で顔を覆った。涙があふれて止まらなかった。サンタクロースとなってから初めて流す涙だった。
一匹のトナカイが心配そうにわたしを振り返ったけれど、わたしはどうしても涙を止めることができず、ただただ顔を覆って涙を流し続けた。
ああ、神様。
わたしはもう彼女にとって特別な存在だったのですね。
彼女はわたしを知っているし、わたしの存在を理解している。わたしは彼女にプレゼントを贈り、彼女はわたしに喜びを与えてくれている。わたしがいて、彼女がいる。彼女がいて、わたしがいる。
なぜなら、わたしはサンタクロースだから。
わたしがいなくなっても、きっと誰か別の人間が次のサンタクロースになるだろう。長い悠久とも言える時の流れの中で、サンタクロースは幾人もの手によって引き継がれてきた。これからもそれが変わることはない。けれど、クリスマスという特別な日に彼女を喜ばせるのはわたしがいい。わたしこそが彼女にとっての特別でありたい……。
一年に一度訪れるクリスマスを思って、彼女はきっとだいぶ前からわたしのことを思い出してくれている。風が冷たくなればクリスマスを思い出し、わたしを思い出す。クリスマスツリーにオーナメントを飾り付け、クリスマスを想像し、わたしを想像する。そうやって彼女の中にわたしが息づき存在するのだ。なぜなら今、この世でサンタクロースはわたしだけだから。わたしこそが彼女のサンタクロースなのだから。
それでいい。それでいいのだ。
ああ、神様、ありがとうございます。
わたしはようやく、本当の意味で身も心もサンタクロースになれました。
それも神様、あなたがわたしと彼女を出会わせてくれたからです。わたしにクリスマスの一翼を担わせてくれたからです……。
わたしはようやく顔を上げて涙をぬぐった。サンタクロースに涙は似合わない。いつでもにこにこと笑いながら幸せを配らなくてはいけない。
ずっとわたしを心配げに見つめていたトナカイの頭をなで、それから笑顔で手綱をふるった。トナカイたちは足並みを揃えて駆け出し、やがてそりは空高く駆けあがっていった。
さあ、残りのプレゼントを配ってしまおう。愛をもって、心をこめて配ってしまおう。そして家に帰ったら、まずは髪を切ろう。わたしのかぶる赤い帽子の中には、まだ人だったころの名残がある。長く伸ばした髪がある。
まだ人であったころ、わたしの髪を美しいと褒めてくれた人がいた。もう顔も名前も思い出せないあの人が褒めてくれた長い髪。わたしの中に、それだけが人であった頃の記憶として残っていた。だから髪を捨てることは、わたしがこの世界で唯一の存在であったころの象徴だった。髪を捨てれば、わたしは本当にサンタクロースになってしまう。サンタクロースを名乗った数ある人間の一人となってしまう。
でもそれでいい。それでいいのだ。
*
そしてわたしは今年も暖炉の前で次のクリスマスイブを指折り数えて待つ。彼女にまた会うために。神様にあらためて感謝をするために。彼女の喜ぶサンタクロースであるために。
そう、恋には二つの種類がある。
かなう恋とかなわない恋だ。
わたしの恋はかなわない恋。けっしてかなうことのない恋だ。同じ時を刻めない二人が心をかわす未来などない。あの夜の出来事はたった一度の奇跡だった。そして同じことは二度と起こらない。もう一度同じことが起これば、わたしはサンタクロースではいられなくなるだろう。
けれどこの恋がかなわなくてもかまわないのだ。
わたしがいて、彼女がいる。
彼女がいて、わたしがいる。
わたしは彼女の特別で、彼女はわたしの特別なのだから。
わたしは彼女を想って、彼女はわたしを想って。
そしてともに喜びに胸を膨らませる。
そうやってクリスマスの日が訪れるのを待つ。これからもずっと。
それでいい。それでいいのだ。
それ以上のことを、何を望む必要がある?