5 weeks ago - クリスマスプレゼントは絶望 -
クリスマスの5週間前。
イルミネーションが点灯したとき、神様と語るわたしが気づいたこととは?
ダーク系。
神様、クリスマスはあなたの子を祝う日なのですよね。
教えてください。
なぜあなたの子だけをこうも盛大に祝う必要があるのでしょうか。
あなたの子だけがこの世にとって特別な存在なのでしょうか。
たとえば、わたしは祝われる価値のない存在なのでしょうか。
*
駅前の広場に来ています。
いえ、ここには来たくて来たわけではありません。この駅はただの経由地です。この駅を介して別の地へと移動する必要があったのです。それだけのことです。
と、いいますか。今の今まで知りませんでした。
今日はクリスマスイルミネーションに点灯する日だということを。
ほら、ごらんください。
あなたの子を祝うために、いえ、あなたの子を祝うという理由にこじつけて、たくさんの人がここに集まっています。今か今かと、カラフルな灯りであたりが色づくのを皆が待っています。
ですがちょっと滑稽ではありませんか。街路樹に飾られたイルミネーションの小さな電球は、その命の源であるエネルギーが満ちていないと、なんともみっともなく見えます。つたい垂れる電線の群れはいかにも人工物といった感じで不自然ですし、灯りがともらない状態だと、かえって木々の美しさを損なうだけです。
神様、あなたはそこまでしてクリスマスを祝いたいのですか。
何かの美を損なってまで祝いたいのですか。
冷たい風が吹き付けてきます。
それも当然です。
もう空の大半は夜に染まり、小さいですが星々を確認できます。
この時期、いくら昼が暖かくても、夜が訪れればこんなふうにとたんに寒々しくなります。
まるで同じ日に夏と冬が交互に訪れるかのように。
ええ、わたしは当然薄手のコート一枚しか着ていません。
なぜかって?
完全に夜が訪れるまでに帰宅できれば、この格好で十分だからです。厚手のコートなど昼日中には邪魔にしかなりません。それが秋というものです。
けれど周囲の人たち、イルミネーションの点灯を心待ちにしているであろう人たちは、皆が思い思いのコートにくるまれています。冬の格好をしています。
まるでわたしだけが季節を勘違いした愚か者のように思えてきました。ストールの一枚くらい、かばんに入れておけばよかったのでしょう。
せめてもと、コートのポケットに両手を突っ込みます。薄手のポリエステルの生地は、荒れた手肌にはまったくもって優しくありません。温もりは期待するほどには感じられません。
ああ、でも。
あそこの恋人のように、もしくはあそこの家族のように。今ここに手をつなぐことのできる相手がいれば、この格好でも寒さを感じないのかもしれません。
わたしは今、一人でここにいます。
なぜかって?
一人で行動する必要があったから一人でいただけです。
ああいえ、小さな嘘がありました。
わたしには手をつなぐような関係にある人はいません。
一人もいません。
ああ、あそこのベンチに一人だけならば座れるスペースがあります。
わたしは座ることにしました。
なんだかもう少しここにいたくなったのです。
いえ、疲れていたわけではありません。
そりゃあ少しは疲れていますよ。足は歩き疲れてむくんでいますし。
ですが座った理由はほかにあります。
イルミネーションが点灯する瞬間に立ち会いたくなったのです。
寒いです。風が強いです。けれどわたしは大人ですし、こうしてコートのポケットに両手を突っ込んでいればまだしばらくは平気です。しばらくであれば耐えられます。
わたしの前では、わたしに背を向けた大勢の人が、そのまた向こうのステージに注目しています。耳をそばだてています。
そのステージでは、二十名くらいでしょうか、同じような黒い衣裳に身を包んで、同じように口をパクパクさせて、クリスマスカロルを歌っています。あの衣裳は、そう、神様、あなたの教会にいる修道士を模倣したもののようですね。そしてあの歌はあなたのための歌……。
クリスマスカロルを歌うあの人たちの一体どれだけが、神様、あなたのことを信じているのでしょうね。心から信じているのでしょうね。
ここにいるどれだけの聴衆があなたのことを信じているのでしょうね。この歌の意味を理解しているのでしょうね。
わたしには歌詞がさっぱり理解できません。英語ですし、早口ですし、よくてあなたの子の名前くらいしか聞き取れません。
わたしの目の前にいる二人は恋人同士でしょうか。肩を寄せ合い、顔を寄せ合い、何か話しています。くすくす笑っています。何が楽しいんでしょう。こんなに寒いというのに。もう少しでイルミネーションが点灯するからでしょうか。それとも二人そばにいること自体が楽しいのでしょうか。
神様、クリスマスは恋人や家族と過ごすものだというのはなぜでしょうか。
どれだけ目を凝らしても、この人だかりの中にわたしのように独りでいる者は見当たりません。
いえ、いることにはいるのですよ。でも誰もがせっかくのステージを通り過ぎていきます。中には残念そうに、物惜しそうに、後ろ髪ひかれるように、ステージのほうに視線をやりながら歩いていく人もいます。ですがわたしのようにここに残ることを誰もしません。誰もが通り過ぎていきます。
なぜでしょうか。
クリスマスが独りでいる人間にとって辛く感じられるのは、なぜでしょうか。
独りでいることが不幸であったり良くないことのように捉えられるのはなぜでしょうか。
それはこの国だけの風習なのでしょうか。
世界中のどこでも、クリスマスといえばそういうものなのでしょうか。
誰にも喜ばしいその日が独り者にとっては苦行のごとき一日となるのはなぜでしょうか。
あなたがそう定めたのですか。
それとも人間が自らそう定めたのですか。
ああ、歌がやみました。
代わりに司会者らしき人がステージにあがりました。
何事か語り、やがて片手をあげ、大きな声でカウントダウンを始めました。
ステージを囲む人々も同じように片手をあげ、同じようにカウントダウンを始めます。
もうマイクなどなくても、司会者などいなくても、カウントダウンは止まらないでしょう。ゼロと唱えられるまで必ず実行されるでしょう。
わたしの隣に座る老夫婦らしき二人はさすがに黙って事の成り行きを見守っています。そうです、カウントダウンを実行するのは、元気を有し、愛を有し、手をつなぐことのできる人を持つ者だけの権利なのです。
わたしにはその権利はありません。隣の老夫婦にもありません。ただゼロになるのをじっと待つだけです。
今のうちにと、闇色の空を眺めます。
青白い小さな星々を目に焼き付けます。
「ゼロ!」
数拍おいてイルミネーションが点灯されました。端から端へ、徐々にエネルギーが伝ぱされ、そのたびにカラフルなライトが灯っていきます。赤、青、緑、黄色、白、ピンク……。ああ、いったいどれだけの色が使われているのか。眩しさに一瞬瞼を閉じました。
閉じた瞼をそっと開くと、だいぶ目はこの華やかな景色に慣れてきたようです。もう大丈夫です。
ああ、でも。もう空にどのような星があったのか分からなくなってしまいました。小さくても美しく光り輝いていた星々のことが分からなくなってしまいました。わたしはそのことが残念で、罪深いことのように突然思えました。
神様、わたしはあなたのクリスマスのために夜空の美しさを忘れてしまいました。そのことが罪なのか、それともクリスマスをそのようなものとして捉えたことこそが罪なのか。わたしには分かりません。ですがわたしの心に芽生えたこの二つの思考の内の一つは罪なのではないでしょうか。
そっと横を見ると、老夫婦は輝くイルミネーションにほほ笑みを浮かべていました。
その瞬間、私は思い知らされたのです。
この老夫婦はわたしと同じ立ち位置にいるとさっきまで思っていたけれど違うのだ、と。
彼らはカウントダウンなどしなくても、この場にいるにふさわしい存在だったのです。
そうです、ここはクリスマスを祝う人々が集う場だったのです。星々の輝きが駆逐されたことを嘆くような者がいてはならない場所だったのです。純粋にイルミネーションを楽しみ、クリスマスの訪れを喜べる者だけが集う場所だったのです。そしてそれらの楽しみや喜びを分かち合える相手を有する者だけが集える場所だったのです。
見れば、誰もが顔を輝かせ、彩られた街路樹に見入っています。子供は隠し切れない喜びの声をあげています。駆けまわっている子供もいます。そんな子供をたしなめながら、親らしき人の顔にも笑みが浮かんでいます。
クリスマスを誰もが喜んでいます。
寒さにも負けず喜んでいます。
あと一ヶ月もすれば、ここにいる人々は、今手を取り合っている相手とクリスマスを楽しむのでしょう。御馳走を食べ、どこかにでかけ、会話を楽しみ、夜を楽しみ、贈り物を贈り、贈り物をもらい――そういった近い未来のことを想像するだけでも、皆が楽しくなるのは当然です。
当然です。
当然です――。
わたしにはそのような甘く温もりに満ちた未来などありません。
神様、わたしはあなたではないし、超能力者でも預言者でもありません。
でもわたしには分かります。
それくらい分かります。
分からないほうが馬鹿げている。
だってわたしには手をつなぐことのできる人はいないのだから。
わたしはクリスマスをいつもどおりに過ごすでしょう。
夜は独り、自分で作った簡素な料理を食すでしょう。
少しくらいお酒を飲むかもしれません。
少しくらい甘いものを口に入れるかもしれません。
何か少し良い物を自分のために買い与えるかもしれません。
クリスマスソングを部屋に流すかもしれません。
ちょっといい入浴剤を使うかもしれません。
いつもは観ないような映画をセレクトし、いつもよりは夜更かしするかもしれません。
文庫本を棚の奥から引っ張り出してスクルージの奇怪な一夜を共有してみるかもしれません。
でも、それだけです。
それだけなのです。
わたしは独りでクリスマスを過ごすでしょう。誰からも何も贈り物をもらうことはないでしょう。クリスマスの喧騒ただよう街中を急ぎ帰路につくことでしょう。独りでいる自分に罪悪感をもち、そんな自分を部屋に隠すために急ぐでしょう――。
ああ、わたしはもう家に帰ったほうがいいのかもしれません。
まだクリスマス前だというのに、もうすでにこの場にわたしが存在していては良くないように思えてきました。
重い腰をあげます。しかし隣の老夫婦はいまだ微動だにせずイルミネーションを見つめています。イルミネーションに集った人々の様子を温かく見つめています……。
わたしはおかしいのでしょうか。
たかがイルミネーションに、クリスマスに、このようなことを考えておかしいのでしょうか。
通りすぎる人々はこんなに幸せそうなのに、楽しそうなのに、わたしだけが狂っているのでしょうか。
老夫婦のように彼らを温かいまなざしで見つめることができないのはなぜでしょうか。
ですが神様、ひどいではありませんか。
なぜクリスマスはわたしのような者には冷たく感じられるのでしょうか。
わたしの何がいけないというのですか。
独りでいるからですか。
誰の手もとることのなかった、これまでの怠惰を責められるのですか。
ですがわたしは生まれたときから一人でした。
そして誰もわたしの手をとろうとはしませんでした。
わたしも誰かの手をとる方法を知りませんでした。
手をとるべきなのかどうかが、どうしてもわたしには分かりませんでした。
誰もわたしに教えてくれませんでした。
今も、こうして周囲を見ても、わたしにはさっぱり分かりません。
どうすれば手をつなぐことができるのか、さっぱり分かりません。
分かりません――。
もしかして、神様。
あなたはわたしに絶望を贈り物として用意したのではないですか。
そうですね、きっとそうです。
ですが神様。
あなたは一つ勘違いをしています。
わたしは絶望しません。
独りでいることに絶望はしません。
なぜならわたしはいつも独りでした。
そしてこれからも独りです。
だから絶望することはありません。
ただ少し寂しさを感じるだけです。
いつも独りでいることに、平気であることに、少しの寂しさと罪悪感を覚えるだけです。
それだけです。
ですがうれしかったですよ。
クリスマスプレゼントをもらったのは初めてですから。
初めてのことはうれしいものです。
ですが、神様。
よければ、クリスマス当日にもう一度贈ってくださいませんか。
そのほうがうれしいです。
なぜかって?
クリスマスプレゼントは、クリスマスに贈るものだからですよ。
贈り物は同じものでかまいません。
全くかまいません。