プロローグ
コッテコテのラブコメがどうしても書きたくて始めちゃいました。『世の中ね、顔かお金かなのよ』の方とどちらかを毎日更新していきたいと思います。そちらの方も、どうぞよろしくお願いします。
千五百八十二年、本能寺にて。
轟々と踊る炎の中で、織田信長はその生涯を終えようとしていた。
彼は今、酷く失望していた。それは自分を裏切った明智光秀に――ではない。己自身に対してである。一度天下を目指してからは、何時死んでも良いよう生きてきた。そのつもりだった。しかし、いざ死ぬとなると、家族に何も残せない自分が情けなくて仕方が無い。織田信長、生涯で最初の後悔であった。
失意に顔を歪める。
「織田信長よ」
不意に頭上から声が聞こえた。
振り向くと、身の丈二メートルほどもある大男が、宙に直立していた。赤い武装に身を包み、腰には日本刀を下げている。戦国時代ではよく見られた姿だったが、体から溢れでる威圧感は、大名たちのそれとは一線を画していた。
――――数多の死線を潜り抜けた信長でさえ、恐怖せずにはいられぬほどに。
「何者だ?」
信長が問う。
男は軋む音が聞こえそうなほどにゆっくりと口を開いた。
「我は戦の神、毘沙門天なり。そなたの生き様、実に楽しませてもらった。礼に願いを一つ叶えてやろう。何でも申してみるが良い」
その言葉――否、その男の存在自体が、信長には信じがたいものであった。男は自分が、七福神の長『毘沙門天』であると謳うのだ。己の夢のみを眺めてきた信長にとって、人の語る神話など、ただの絵空事でしかなかった。ましてその神が眼前に現れるなど、思いもしない。
だが、彼の直感は告げる。
――--こやつ、人ではないな。
「信長よ。貴様の願いは、何ぞ?」
神が再度問うた。
この瞬間、天下に最も近かった男は、高速で頭を巡らす。そして結論に辿りつくと、口を開いた。愛する子孫たちのために。あるいは、悔いなく逝ける、自分のために。
「もしもこの先、神が人を見捨てることがあったなら、一度だけで良い。人間を量る機会をやってくれ」
「ほう……」
神は一瞬驚くそぶりを見せる。が、すぐに面白いものでも見るかのような表情になった。獅子の如き真っ白な顎鬚が、炎を反射してきらりと輝いた。
「お前を此処から逃がさんでも良いのか? 明智に復讐をせぬまま、死んでしまうのだぞ?」
「貴様は先ほど儂の生き様を楽しんだと申しておった。復讐などのつまらぬ願いなら、どうせ聞く耳持たぬのだろう?」
返答はない。だが、沈黙は是なりである。さらには神の上がりきった口角が、信長に確信をもたらしていた。
「そして今、貴様の存在自体が神の存在を証明している。人の語る神話が正しいとすれば、神が森羅万象を創造した。ならそのまた逆も然り。神が人に飽きれば、人は消されてしまうのだろうな」
「なるほどのう。それで?」
満面の笑みで続きを促す。それはまるで、お気に入りの玩具で無邪気に遊ぶ、子供のようであった。
「儂の身体此処で朽ちようとも、儂の血は、意志は、子供たちに受け継がれていく。故に、儂は生き続ける。だが、貴様らが人を滅ぼせばそれまでよ。一度だけで良いのだ。奴らに機会をやってくれ。儂の血を受け継いだ者が、貴様に一泡吹かせてくれようぞ」
そう言って信長は、不敵な笑みを浮かべた。縦横無尽かつ唯我独尊。彼の人となりを表した、自身に満ちた表情だった。
神は満足気に頷く。
「良かろう。貴様の願い、確かに聞き届けた」
……そして、
「時に信長よ。お前が目指したこととは――お前の夢とは、結局何だったのだ。天下を統一し、己が物とすることか?」
と、続けた。それは天から信長を見続けて、神ですら終ぞ分からないことであった。
「いや」
信長は首を横に振った。そのまま揺れる炎に視点を合わせると、思わず目を細める。走馬灯というのだろうか。熱情のままに夢を追った在りし日が、脳内を鮮明に駆け巡った。その記憶は死に際の信長にとって、少し、眩いものであった。
「儂はただ、守りたかったのだ。この世の全てを。儂の愛する家族と、家族が住む世界を」
「この世の全てを守る、か……。お前の人生は常に戦火を広げるものであった。お前がしたことこそが、お前の大切なものを壊すことなのではないか?」
「そうなのかもしれんな。夢半ばで終わったならば、儂が残したのは戦火の火種だけだ。恐らく猿は明智を許さぬだろう。戦乱は尚も続く」
初めて耳にした信長の弱音に、神は思わず首を振る。天下を騒がせ、また天上の神々さえも賑わせた男も、終わりはあっけないものだろ僅かに失望した。
しかし信長はそれで終わらず「だがの」と続けた。見れば彼の眼は爛々と輝いていて、そこには些かの絶望の感情も読み取れなかった。
「まずは日本を統一する。その後は海外じゃ。全ての国と交友関係を持ち、互いの知恵、知識を交換する。そうすれば、世界は安寧となる。そしてそれは、儂の家族たちが為すであろう」
カッカッカと、神の高笑い声が響いた。
「無駄じゃ。人間とは争いの絶えぬ生き物。そういう風に出来ておる。分かりあうなど、絵空事じゃ。世界中の和解となれば、それこそまさに神の領域。いや神ですら至難。ただの人間には到底不可能なことじゃろうて」
「なめてくれるな神様よ。いや、自称神と謳う者よ」
「なんじゃと」
嫌味な笑みを浮かべる信長の言葉に、神の眉がピクリ動く。神が初めて機嫌を悪くした瞬間だった。圧倒的な威圧感があふれ出す。途端に世界は神の機嫌を取るべく動き出した。突風が、あたりの灼熱が、重力が、信長を襲った。けれど信長が屈することは無い。彼は終ぞ笑みを崩すことはなかった。
「世界を作った神だというのなら、高々人間の和解ごときで尻込みする出ないわ。それくらい人間だけでも為して見せる。……ふふ、初めて己の夢を語ったが、これは血がたぎるな。神よ、あまり儂を過小評価してくれるなよ。たとえ儂一人では無理だとしても、儂の血を甘く見ていると、火傷することになるぞ?」
その言葉の一言一句に、嘘や虚勢は無い。本気でそう思っているのだ。信長は、その身果てる最期の瞬間まで、己の命を燃やしていた。いや、神から見れば、信長は今が最も輝いているように思えた。死を目前としながら笑う男など、見たことがなかったのだ。
一瞬の沈黙。
そして、神は先ほどよりも大きな声で笑った。その拍子に柱の一本が折れ、建物が揺れた。崩壊までもう幾何も無い。
「そうか、そうか」
首をぶんぶんと縦に振る。
「やはりお前は、死なすには惜しい男よのう」
「だから死なぬと言っておろうが。儂の血は受け継がれてゆく。そしていつの日か儂の夢をかなえるのじゃ」
「そうだったのう。では、楽しみにしておるぞ。お前と志同じくする者が現れるのを」
言い終ると神は姿を消した。
一人になった信長は、頬を緩める。満ち足りた気分だった。死の間際、唯一の心残りが今消えたのだ。もう思い残すことは無い。これから自分を燃やすであろう赤々とした炎さえ、美しいと思える。
天井を見上げて思い切り叫ぶ。自分を観察していたという傍観者に、聞かせてやりたかったのかもしれない。
「良い人生であった!」
「真に」と、聞こえたような気がして、信長はニカッと笑った。
――--本能寺は激しく燃え上がり、巨大な炎の塔を作り上げる。それはまるで彼を祝福するかのように、天へと続いていた。
織田信長、死去。




