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《第一話》  腕環の男、レヴン

 排水管が轟轟と音を立てていた。上では雨なのだろう。湿っぽくかび臭い空気が充満している。それに加えて人間の体臭が鼻につく。ここへ初めて訪れたのなら慣れるまでに時間を費やすだろう。路地は途方もない数の人人が、濁流のうねりのごとく行き交っていた。これが「帝都の下」なのである。

 ラム帝國は先の戦争に勝ち残った強大な國だ。周囲の國と比較すると、人口の多さは群を抜いている。富國強兵。その政策は成功した。小國を征服した後に残った問題は、溢れてしまった人間たちだった。

「帝都の下」と呼ばれているのは、身分の低い、または身分のない人間の住処となる貧民街のことだ。乱立した住居の一つ一つに貧民たちは押し込まれるように暮らしていた。人が増えるごとに、建物は上へ上へと増築された。建築法など通用するわけもなく、建物は背を伸ばしていき、ついには上部で隣の建物と繋がった。こうして、つぎはぎだらけの貧民街は天井を持つことになった。天井を持った貧民街は空を失い、代わりに陽光に照らされることのない暗闇を得た。昼も夜もぼんやりとした街灯が不規則に点滅している。たとえ上の天気が悪くても、住人たちは雨に濡れることはない。濡れるのは足もとだ。上で集められた雨水は、排水管を通して「下」の地面へと垂れ流される。

 狭苦しい人の流れの中、ある男が周囲の目を惹いた。並の男より二回りばかり大きい躰をしており、その背中に見合う大きな荷物を背負い、薄汚れた異國の服を纏っていた。帝都の下に慣れているところを見ると、どうやらこの場所に何度かきたことがあるらしい。

 彼は酒場の前で足を止めた。「藍の紫陽花」と書かれた看板の店だ。彼はドアノブに右手を掛けた。

 右手には、手枷のような八角形の腕環がはまっていた。


「帝國学校以来だな、レヴン」

「藍の紫陽花」の店主は客として訪れた旧友を歓迎した。「俺に会いに来てくれたのか」

 レヴン呼ばれた男はカウンター席に腰を下ろした。

「いや、偶然だな。少し酒を入れようと思い、目に入った店を選んだのだが」

「そうか。それにしても三年も経つな。連絡がつかないものだから、とっくに死んでしまったと噂されているぞ」

「どう噂されたって構わないな。もうそいつらとは会うこともない。俺は國の外で暮らしているんだ」

 店主はグラスを磨く手を止めた。

「國を出ているだって?」

「ああ、旅をしているんだ」

 レヴンは垂らした黒髪を指でいじる。よく観察すれば、レヴンは旅人の姿をしていた。擦り切れた衣服に泥の撥ねた靴、リュックの小さなポケットからはみ出ている折りたたまれた紙はこの周囲の地図だろう。そしてレヴンの肌は日焼けして浅黒くなっていた。ラム帝國のような北國にいれば少しも黒くはならない。

 ふと、店主はレヴンの腕環に注目した。薄暗い照明の灯りに鈍く光っている。珍しそうに見ながらも、すぐに視線を外した。

「なあ、レヴン。旅の話を聴かせてくれよ」

「いいだろう。その前に」レヴンは品書きの一番上をつついた。「藍の紫陽花って酒をくれ。ここの名物なんだろう?」

「ああ、そうだ」

 店主はカウンター裏から瓶を取り出そうとしたがどうやら見つからないようで、顔をしかめてレヴンに云った。

「ふむ、ちょうど切れてしまったようだ。在庫を探してくる」店主は店の奥へと消えていった。

 レヴンはすることもなく、右腕の環をさすっていた。鋼鉄の腕環で八角形だ。環が三つ並んでいるのはダイヤル錠とよく似ている。もっとも数字は書いていない。代わりに精緻な紋様が刻まれていた。

 異國の服装は彼を際立たせた。帝都の下では貧民に買える様な安価な服しか出回っておらず、汚れの目立ちにくい黒い服ばかりが売れている。そのためこの街では人さえも薄暗い風景に溶けるのだった。この酒場の客たちも黒い服ばかりであって、ちらちらと彼の方を窺っていた。窺っている人間にとって異國人は好奇心の対象というよりも強奪の標的だった。店で事件が起ころうが、大した問題にはならない。強盗や殺人は街のどこでも見ることができた。

 二人の男がレヴンを観察していた。垢まみれで痩せこけた青年と中肉中背で髭を伸ばした中年だ。彼らは聞き取られないようにこっそりと計画を進めている。

「後ろから殴ってやろうぜ、旦那」

「莫迦め、そんなことして失敗したらお前はあいつに殺されちまう。見てみろ、やつはただ躰がでけえだけじゃねえ、きっと戦士だ」

「じゃあこのナイフで一突きしてやるってのはどうだ?」青年は手のひらくらいある刃渡りのナイフを取り出した。「後ろから気づかれないよう近づいて、こいつで首をズブって刺すんだよ。そうすりゃ荷物は俺らのもんだ」

 青年の提案に対して中年男は慎重だった。

「そいつをやるならここを出た後がいい。やつと店主のやり取りを見たか? 店主の様子を見る限り、親しい仲なのだろう。俺らが異國の野郎を殺したあと、報復されるのが怖いな」

「旦那はびびってるのか? 店主ごと殺しちまえばいいだろうに」

 青年はへらへらと笑いながらナイフの切っ先を中年男に向けた。

「それこそ報復されちまう。ここの店主、いろんな人間と繋がりがあるからな。今でこそ貧乏になって『下』に住んでいるけどな、昔は大金持ちで学校にまで通っていたらしい。学校だぞ、学校。あいつの友人たちだったら、俺たちを探し出し、吊るし首にするなんてお茶の子さいさいだ」

「権力ってやつか。そんなもん俺は怖かねえよ」

 中年男は鼻で嗤った。

「そう云って死ぬんだ。世間を知らない小僧どもは」

 半人前扱いが気に食わなかったようで、青年は顔を真っ赤にして抗議した。だが中年の方は相手にせず、確実で安全な殺しの方法を考えていた。

「成功するには焦らないことだ。あいつが店を出た後、俺らも追ってここを出る。それで少し離れてから殺すんだ。俺が殺すからお前は他のやつらを追っ払っていろよ? 殺した時に横取りされたらたまらねえからな」

「……ふん、わかったよ。俺が他の奴を寄せつけねえでおくから、旦那は手際よく金品を盗めよな」

「任せろ。……ん?」中年男はレヴンを凝視した。腕環の存在に気づいたのだ。次第に中年男はげんなりとして、肩を落とした。「……止めだ。殺しは止めだ」

「は? 殺しは止めってどういうことだ」

 青年は突然の計画の断念に不服を示した。外から来た人間ほど、都合のいいカモはいないというのに。青年の頭の中は盗って得た金の使い道でいっぱいだったのだ。それが白紙になる。青年は自分だけでも計画を実行しようと決心していた。

 一方で、中年男はいつにない真剣な声色で問いかけるのだった。

「お前は『腕環の男』を知っているか」

「なんだ、腕環だって?」

 中年男はレヴンの方向へ目配せした。

「あの腕環だ。鋼鉄の八角形の腕環。あれをはめた男には近づかねえほうがいい。そんな噂、聞いたことあるだろう?」

 聞いたことがなかったのか、興味がないから忘れたのか、いずれにしても青年は「腕環の男」という言葉にぴんとくるものがなかった。「それがどうしたんだ」

「奴は関わっちゃあいけねえ人種なんだよ。店主がカウンターに戻ってきたらさっさと支払ってここから出るぞ」

「おいおい、金を目の前に見逃せって云うのか?」

「そうだ。命は金よりも重い。とにかく奴は危ないんだ」

 青年は反論しようとしたが、中年男がそれを制した。店主が店の奥から帰ってきたのだ。

「タイミングを見計らって出るぞ。いいな?」

 青年は心の中で舌打ちしながらも、小さく頷いた。

 レヴンは顔を上げて、腕環から店主へと視線を移し、彼が酒瓶を持ってきてないことに気づいた。それから、店主がどういうわけかやや緊張していることも察した。

「酒を持ってきていないようだが」

「ああ、探しながら気づいたんだが、カウンター裏にもう一本予備の瓶があったのを思いだしたんだ。ほらな」

 店主は後ろから瓶を取ってレヴンに見せた。瓶は半分ほど減っていた。それからグラスに注ぐとカウンターに置いた。

「藍の紫陽花って酒だ。もっとも、紫陽花は入っていないのだが」

「いただこう」

 レヴンは藍く澄んだ酒に口をつけた。それほど美味くない安酒だった。しかし透き通る藍が紫陽花を想起させ、実際よりも美味に感じた。

「うまい」

「そうか。お前の口に合ったのならよかった。さて、そろそろ旅の土産話でも聴こうか」

「……ふうん」レヴンは急に目を細め、探るように彼を眺めた。「本当に聴きたいのは、この腕環の話じゃないのか?」

「う、腕環? ……そういえば、妙な腕環をしているんだな。気づかなかったよ」

 とぼけつつも、店主は一気に青ざめた。レヴンはそれを見逃さなかった。彼には人のちょっとした身振り素振りから感情を見通す技術を持っていた。そして店主の緊張やそれを糊塗しようと平然を繕っていることまで知った。

「なかなか似合っているだろう?」レヴンは腕を掲げて見せた。「この腕環は武器なんだよ。特注品でね、結構な値段したんだ」

「ふうん……武器には見えないな。腕環が武器だなんて聞いたことがない」

「だからこそ作ったんだよ。武器に見えないのなら、丸腰だと思って相手は油断するだろう? 油断したのなら殺しやすいもんだ」

「莫迦な。その腕環で殺すのか?」

「もちろん、この腕環で殺すのさ」

 腕環が人を殺すなど冗談だ。店主はレヴンの話を信じられなかった。腕環を鈍器代わりに殴りつけるのなら、殺しは可能だろう。レヴンの腕環は大きくて重量もあるので、使い方次第では凶器となるかもしれない。だが、腕環にこだわる必要はないはずだ。ナイフや金棒の方が殺傷能力は高い。手ぶらだと見せかけるにはうまくいくだろうが、武器を持った相手と闘うならば分が悪い。結論からして腕環は武器には不向きだ。

 レヴンがもう一度グラスに口をつける。手首が動くたびに八角の腕環は鈍く照った。

「学生時代からお前を変なやつだとは思っていたが、本当に人とは変わっているんだな」

「どうも」

「云っておくが褒めていないぞ」

「俺にとっては最大の褒め言葉だ」

 レヴンはグラスの氷をカラカラと揺らした。

「でもそんな物をつけていて、重くはないのか? 鉄なんだろう?」

「なかなか重いぞ。といっても、今となっては重さを感じないけどな。躰の一部なんだ。食事のときも風呂に浸かるときも、寝る時だってずっとついたままだからな」

 レヴンは腕を軽く振り回した。風を切る音がする。腕環の重量によって遠心力は大きくなっているようだ。

「人を殺すときはその腕環で殴るのか?」

「いいや、そうじゃない。……今に見ることになるさ」

 レヴンは腕を組んで両目を閉じる。店主は生唾を飲んだ。

「……レヴン、まさか気づいていたのか?」

 彼は沈黙した。

 その瞬間、店の入り口が蹴破られた。外から五人の屈強な男たちが侵入してきたのだ。店の奥からも二人の男が出てきた。裏口からやってきたのだ。出口は塞がれた。

「よっしゃあ、ぶっ殺してやる!」

 応、と侵入者たちは気合いを入れた。普通、自分の店が襲撃されれば店主は少なからず驚くものなのだが、彼は落ち着いていた。襲撃者よりも、むしろレヴンの挙動に警戒していた。依然としてレヴンは腕を組んで瞳を閉じている。突然の乱入とは反対に、どこまでも静的であった。

「よし、てめえら、こいつをぶっ殺せ!」

 リーダー格の坊主頭の男が云った。だが、意外にも店主がそれを止めた。

「お前たち、もう少しだけ喋らせてくれ。一応こいつとは学友だったんだ」

 すると店主の一声だけで襲撃者は動きを止めた。なんと店主は襲撃者たちに命令できる立場だったのだ。

 彼はレヴンを見下ろした。

「レヴン、すまない。お前には死んでもらう」

 店主は冷徹に云い放った。わずかに語尾が震えていたが、その意志は確かなものだった。「腕環の男――それはお前のことだろう、レヴン」

 腕環の男。この酒場にいる二人の客が話していたように、関わってはいけない人物。それがレヴンだ。

 レヴンは観念したかのように溜息をついた。

「まあ、気づかないわけがないよな」それから片目だけ開いた。「俺を殺して賞金が欲しいんだろう?」

 店主はわずかに狼狽したが、次の瞬間には開き直っていた。その通りだ、金が欲しい。レヴンになんの悪びれもなく云った。

「レヴン、お前の首はとんでもなく価値があるんだよ。だから、俺は必ずお前を殺してやる。大金があればもう『下』とはおさらばだ。そのためならどんな残酷なことでもできる。俺には幸せになる権利があるのだ! 友達を殺してまでな」

「紫陽花の酒の在庫を確認しに行ったのは、助っ人を呼ぶためだったか。どうりで様子が変だと思った」

「伝令を飛ばしたのさ。お前は知らないだろうが、『下』には襲い屋という便利な殺しのプロがいるんだ。雇い主が金さえ払えば、すぐに現場に駆け付けて標的を殺してくれる。普段は一人雇うだけで十分だが、念を入れて七人も雇った」

「なるほど。良い判断だろう」

 レヴンが自信満満に答えるので、店主は少しばかり苛ついた。怒りの籠った声で襲い屋たちに命令した。

「お前たち、こいつは賞金首だ! 顔は傷つけるんじゃないぞ! その代わり、報酬は五倍まで弾ませてやる!」

 七人の男たちは狂喜した。店主は知らなかったのだが、襲い屋たちが本当に喜んだ理由は、標的が高額の賞金首だったからだ。契約しているとはいえ治安の悪い「下」の人間、標的を殺した後、雇い主に首を渡すはずがなかった。第二の標的は雇い主である店主に定まる予定だろう。

「レヴン=ギストン、通称『腕環の男』。諸國を旅しながらいくつもの悪事に手を染めてきた大罪人だ。いくら友人の俺だとはいえ、この悪人を赦すわけにはいかない! 死んで罪を償い、俺の生活の糧となれ!」

 束の間、静寂が場を支配した。襲い屋たちは交戦の構えを解かないままで、店主はレヴンがどう出るかを窺っている。レヴンはというと沈黙を続けていたが、堰を切ったように嗤い始めた。

「こいつは面白い!」

 嗤いは止まらず、店主は気味が悪くなってきた。

「な、なにがおかしいんだ。お前は今窮地に立たされているんだぞ!」

 店主の動揺は酷かった。今まで隠し続けてきた友人を殺すことへの緊張と恐怖が、一気に表に出てしまった。レヴンはそれを面白そうに鑑賞していた。

「今のお前の言葉は九割方正しい。俺は『腕環の男』だ。各地でたくさんの恨みを買った覚えはある。犯罪者、この世の悪だと俺も認めよう。死んだ後はのんびりと罪も償ってやってもいい。それと、金のために友人さえも殺してしまうことは正当だと俺も思う。俺がお前なら、同じことをやっていたさ。こんな小さい店で、まずい安酒を提供して、ちまちまと稼いでこの汚い街の有象無象の一部になる……そりゃあごめんだろうな。それが、人を殺すだけで覆される。賞金が手に入れば、一気に金持ちのなれるのだ。それならばやってしまえ。罪悪を感じる必要はない。当たり前のことだ。こうした利己的な感情は、人間が本来持っているものだからな。それでいいのだ、それで」

 ただ一つ、間違っていることがあるとするならば――とレヴンは人差し指を立てた。「俺はお前の友人じゃあないぜ」

「な、なんだと……」

「お前はどう思ったか知らないが、俺はお前のことを友達だと思わない。何度か中身のない会話をしただけで友達と認定するな。自意識過剰なんだよ、お前」

 レヴンはくつくつと嗤い続けた。店主は恥じ入り、青筋を立てた。

「この……、よくも俺を莫迦にしやがって!」

「殺したいのなら、命令して殺させろよ。さあ、早く」

 レヴンの煽りは店主の怒りを爆発させた。店主は外まで聞こえるほど乱暴に怒鳴りつけた。

「お前たち、このいかれ野郎をぶっ殺すんだ!」

 襲い屋たちは凶器を手にしてレヴンへと向かった。そこでレヴンはやっと席を立った。逃げる意思はないようで、むしろ立ち向かう様子だった。しかし手に武器を持っていない。手ぶらのまま、最初に突っ込んできた男と相対した。

 レヴンを襲った最初の男はナイフを持っていた。小さいが人を殺すには十分であった。あと一歩でレヴンに届く。男はにやりと犬歯を剥き出しにした。

「死ねい!」

「ふん、死ぬのはお前だ」

 レヴンも攻撃に出るようだ。彼は右手首の表を差し出した。右手首には腕環がついている。腕環は八角形の三つの環が重なってくっついているのだが、左手で腕環を掴むと、ダイヤル錠を開けるように三つの腕環を回した。八角形の腕環はかちかちと音を立てた。三つの面が特定の組み合わせになり、レヴンはにやりと笑ってみせた。ナイフはすぐ目の前に迫っていた。

「――血墳目眩まし」

 腕環から真紅の霧が噴き出した。襲い屋はそれに気づいて顔を背けようとしたが間に合わなかった。噴出した紅い霧は彼の顔面に直撃し、目を眩ませた。

 作った隙を利用しないわけがなかった。レヴンは襲い屋の顎めがけて蹴り上げる。足の甲に骨を砕く感触が伝わった。それだけで致命傷になったが、レヴンはさらに一発、腹に蹴りを加えた。脚力は尋常ではなく、襲い屋の男は店の外まで吹き飛ばされてしまった。

 唖然。客も店主も、襲い屋でさえも驚愕した。

「おいレヴン、今のは一体……」

「俺の鮮血だ」レヴンは腕環を回しながら答えた。腕環は血まみれになっていて、回すたびに血が滴った。「腕環は俺の手首と同化している。三つの環の組み合わせによって仕掛けが働くのだ。今のは目眩ましの仕掛け、鮮血を手首から噴かせただろう? 腕環の穴を大動脈に繋げたんだ。あまり使いたくない技なのだが」

 レヴンはもう一度血を噴出させた。店主の頬に数滴の血が飛び散る。

「気味が悪いか? 最初は俺も思ったさ。手首から血を噴かせるなんてぞっとするよな。けれどいざ使ってみると便利な機能なんだ。これは」

 皆絶句していた。この状況をうまく飲み込めなかったからだ。レヴンは残る敵を見渡して云った。

「お前たち襲い屋ってのはただの素人集団のようだな。まったくもって弱い。……不服があるやつは勇ましく立ち向かってこい」

 襲い屋たちはレヴンの言葉に我に返った。商売として面子は潰されるわけにはいかない。六本の刃を向けて腕環の男に突撃した。

 どんなに勇ましい戦士でも、六対一の闘いには怖気づいてしまうだろう。だがレヴンの場合、それは違った。

「次は、もっと簡単に殺してやる」

 またも腕環をかちりといじった。それから腕を振りかぶって四人の襲い屋がいる前方へ一振り、それから後方二人の敵に向かってもう一振りした。――それだけで彼の敵は崩れていき、永遠に目を覚ますことはなくなった。

「随分とあっけなかった……つまらん」

 死んだ襲い屋の一人からナイフをもぎ取り、入り口の外で倒れている男にも止めをさした。店主は恐怖で立てなくなっている。

「どうして……そんな、触れてもいないのに、襲い屋を瞬殺できるなんて……嘘だ、おかしいだろ……なぜだ!」

「死んだ奴の躰を見ればわかるぜ」

 レヴンは店主の側に倒れていた死体を指さした。死体にちかりと光る物があった。店主は近づいてよく見てみると、彼らを死に至らしめた物の正体を知った。針だ。死体には針が突き刺さっていたのだ。銀色に光る短い針で、ちょうど腕環の幅くらいの長さである。

「……これは、毒針だな」

「ご名答。腕環に仕込んだ毒針を飛ばしたのだ。人枯らしという植物を知っているか? その根は人間を瞬殺できる毒を含有している。この猛毒を俺は用いているのだ。そしてこの毒で一番恐ろしいのは……」

 男たちの死体は真っ赤に濡れ始めた。穴という穴から、栓の開いた水袋のように滔滔と血液が流れ出ているのだ。体内の水分は抜けていき、次第に被害者たちは骨と皮だけになってしまった。

「こうして体液が搾られてしまうことだ。気持ち悪いが証拠は残らないので愛用している」

「ひ、ひいっ……!」

「腕環は重いから遠心力が大きくなってね、腕を振るうとよく針が飛ぶんだ」レヴンは腕を軽く振った。すると毒の付いた細い針が腕環から射出され、店主のすぐそばの床に当たった。

「う、腕環が本当に武器になるなんて……」

「お前がカウンターに戻ってきたとき、俺を殺したがっていたのが顔に出ていたぜ。だから敢えて手の内を明かしたのだ。その方がフェアプレイだろう?」

 その時、レヴンは足早に立ち去ろうとする二人の足音を聞いた。酒場にいる客が逃げようとしていたのだ。非情にもレヴンはそれを見逃さない。音速の針が二人に突き刺さって、すぐに血だまりができた。

 店主は震える人差し指でレヴンをさして咎めた。

「い、今のは関係ない人間だろう」

「関係はある。俺の腕環の秘密を知ってしまったのだからな。口止めは死によって行わなければならない」

 あまりにも残酷なレヴンに、店主はなにも云い返せなかった。その後、レヴンは残っていた客と従業員を皆殺しにした後、最後に店主を殺した。店主の懇願で、殺しはナイフによって行われた。


 血塗られた店に一人残るレヴン。彼には「下」に目的があった。リュックの外ポケットから地図を取り出すと目的の場所を探した。ここからだとまだ遠い。「下」の大きさはこの上なく広く、そして細かい。

「さて、そろそろ行くか」

 レヴンは地図を折りたたむと店を後にした。学生時代浅い関係だった、うわべだけの友人の死体を残して。


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