もしかして
タカミネは時計を確認する。
時刻は昼、ようやく休憩かと大きく伸びをする。
鐘が鳴った後、すぐさまデスクに散った郵便物をファイルに入れ、弁当を抱えた。
彼が弁当を食べる場所はいつもの丘――あの柊の丘だ。
タカミネはお世話になっている兄夫婦の家計を助けるため、郵便局に勤めはじめていた。
あれから十数年――もはや昔の戦いのことなど、話題にも上らない。
亡き祖母との約束から、タカミネはリリルラのことを誰かに話すのをやめた。
世界はただの伝説として、リリルラのことを忘れていった。
丘に登るタカミネ。
と、柊の中に入り込んでいる男がいた。
「もう諦めて、僕のところに来なさいよ。
伝説の獣の名折れよ、あなた」
かん高い男の声、滑らかすぎる発音。
服装は派手、無駄なレースをちりばめている騎士の服装。
タカミネは、それが宮廷人の服装という認識しかないが、
かん高い声の男は、宮廷直属の騎士団員の一人だった。
しかしあの柊には結界の術が施してあると祖母が言っていて、タカミネ以外にも今まで誰も入れたことがなかった。
一方のリリルラも仰向けではなく、少し警戒したように男を見上げている。
「僕はわりと強いわよ、
まぁ陣に入れるくらいだから分かると思うけど。
昔の魔術を研究しててね、あなたの力を参考にしたいのよ」
自慢げに話す男。
リリルラはうんざりして、明らかな嫌悪を込めてため息を吐く。
「…何度も言ったはずよ。
私はあの人を」
「だから来ないって言ってんでしょっ!!」
男は急に声を荒げて、リリルラの頬を叩いた。
「リリルラっ!」
タカミネはたまらず駆け出し、柊に足を踏み入れた。
再び振り上げられた男の手を取る。
「…へぇ、こんな可愛い子に育ったのね。
魔に愛でられし幼子て、君なの?」
「どうでもいいだろ!
俺の友達に謝れ!」
握った手首に力を込める。
男は目を見開いて、タカミネに驚く。
「……君、名前は?
今何してるの?
まさか町で普通に働いてたりしないわよね?」
突然変わった男の態度に警戒してか、タカミネは握られた手首を振りほどく。
「…働いてる…けど。
なんだよ、急に」
その隙にリリルラは、タカミネの傍に身を寄せた。
叩かれたはずのその頬は赤くなってない。
「貧しい暮らしをしているようね。
見ての通り、僕は宮廷の人間よ。
宮廷直属騎士団てやつ。
ここの給与は町の雑用と比べものにならないわ。
悪いこと言わないから、今働いている所をすぐに辞めて、騎士団に来なさい。
僕が口聞いてあげるから」
侮辱されたと思い、にらみつける。
リリルラは男のことばに口を挟まなかった。
「あんたがどこの偉い人だろうと、リリルラに手をあげた奴の言うことなど、絶対にきかない。
もう二度と来ないでくれ」
リリルラはタカミネの後ろに寄り添っている。
その目にか弱さはない。
子を守る母のような、強い眼差し。
男は二人を眺めるように、目を細めてから、リリルラに目をやった。
「リリルラ、ね。
名前を主に渡す契約…。
……今日のところは君に免じて引き返すわ。
でも、」
男は背を向けて、続けた。
タカミネを突き刺すような冷たい声で。
「君はいつか町にいられなくなるわよ。
『それ』に気付かないうちはね」
最後まで男の意図が読めなかった。
男が見えなくなったのを確認してから、座って弁当を広げる。
リリルラもタカミネの前に座り、じっとその様を眺める。
「……そうね、タカミネは…あの家の子供なのよね。」
タカミネはまばたきする。
「あなたのお母さんが、
どれ程の使い手だったかなんて、知らないんでしょう」
タカミネは母を知らない。
物心つく頃から家族は祖母しかいなかった。
いつも機織りをして、布地を男たちに売り買いして生計をたてていた。
「タカミネの一族が使う術は誰にも解けなかった。
…私が証拠よ。
その術者は、強力な力と不思議な性質を持ってるのよ」
リリルラは空を指差した。タカミネは首を傾げる。
「あなた、今まで『雨』を見たことがある?」