変わらない
タカミネは慣れた足取りで丘を登る。柊の丘。
彼の背は伸びたが、リリルラは変わらない。
彼の声も男の声になったが、リリルラは変わらない。
変わらず柊の丘も緑を生やしている。
今の季節は冬。
草木は静かに眠っているのに、この柊の葉だけは眠りを知らない。
「うん、タカミネはやっぱり鼻が赤くなるのね」
リリルラは少し馬鹿にしたように笑う。
彼が気にしていることをわざとからかっているのだ。
「しょうがないだろ。
体質なんだから…うちの婆ちゃんなんか顔が真っ赤になるんだぞっ」
むくれるタカミネがおかしいらしく、リリルラの笑いは止まらない。
初めて会ったときはさすがに警戒していたが、リリルラとタカミネはすっかり仲良くなってしまった。
村の人々も、最初に比べればタカミネへの対応が柔らかくなっている。
タカミネが魔と通じたのではと村民会議にもかけられたが、それも過去の話だ。
「…ね、リリルラ。
主の鼓動は相変わらず聞こえるの?」
リリルラが主を待って、かなりの年月が経っていた。
その間リリルラはずっとこの柊の中。
タカミネは彼女が意外と寂しがりやだと気付いたときから、リリルラにできるだけ会いに行くことにしている。
それが好きとかいう気持ちかどうかは、まだ分からなかったが。
「毎日近づいてるよ。
懐かしいなぁ…主の音」
頬を上気させ、うっとりと目を閉じる姿は恋する乙女。
タカミネには不思議に思えた。
「ふぅん。リリルラは主のことが大好きなんだなぁ」
「好きとは違うな、怖い」
予想に反したリリルラの言葉に、首を傾げる。
「主は私にとってなくてはならないけれど、私を支配する怖い存在なの。
たとえば…水はタカミネにとってなくてはならないけど、水はあなたの命を奪うことができる。
…簡単に言うのならそんな感じかしら」
よく分からなかった。
タカミネは曖昧に返事をする。
柊の葉が風に揺れる。寒空に緑の髪が緩くなびいた。
いつもの他愛ない空気。
しかし今日は違った。
「ほう…翠のリリルラとはお前だな」
タカミネが振りかえると、見たことのない男が仁王立ちしていた。
目は充血していて、口は妖しげに釣り上がっている。
背中にはぎらりと光る、柄の短い大剣を背負っていた。
「あなたは…?」
「ああ、こいつがあの坊主か。噂には聞いていたが、術師には見えねえな」
かかかっと大口を開けて笑う男。
身なりからして、村人ではなく旅の人間。眉をひそめているタカミネに対して、リリルラは旅人を見ようともしなかった。
「さて…術師でないなら話は早い。
おい、どいてろ坊主。
こいつを使役すればできねぇことはないぜ。
それに女の形をとってるなら…いろいろ楽しめるしなァ」
タカミネは直感する、リリルラが危ない。
短い柄を手にして、男は軽く剣で風を鳴らした。歩み寄ってくる男の前に、立ちふさがる。
「はン、なんだぁ坊主。
お前が飼われてんじゃねぇかよ」
「違う、友達だ。
リリルラをどうする気だ。
彼女は危害を加えない、ただ待ってるだけだぞ」
タカミネの額にはうっすらと汗がにじんでいる。
緊張のためか、かすれて声が思うように出せない。男は笑っていたが、タカミネのしつこい態度に苛立ちはじめていた。
リリルラは興味がないらしく、瞳を閉じて寝返りを打っている。
「何も知らないガキが生意気な口叩くんじゃねぇ!知らねぇのか?
その『翠のリリルラ』は、一晩で一つ町を消したとんでもねぇ化け物なんだよ」
男は大剣を肩に片手で乗せて、リリルラを指差す。
「そんな化け物の主が来てみろよ。
あの長い戦乱が始まるんだ!
また人が死ぬんだぜ」
タカミネは葛藤していた、ずっと会った時から。
リリルラは確かに今は何もしない。
でも、彼女は主を待っている。
もし主の命令があれば、リリルラはきっとまた町を消すだろう。
主の為ならば、彼女はなんでもやってしまうだろう。
「……ええ、やるわ」
タカミネの心を読んだのか、リリルラはまるで寝言のように呟く。
「その人間は嘘は言ってない。
私は主の牙で、主の足。
主がやれというなら、なんだって喜んでやるわ。
契約じゃないし、約束でもない。
私の運命みたいなものだから」
そらみろ!と男は嬉しそうに叫ぶ。
認めたくなかった。敵対する勢力を、敵対させたくなかった。
「まぁすべては主次第だけどね。
…そこの人間、その剣で私を斬りたいのなら諦めたほうがいいわ。
人間界にある鉱物では、私の肌は傷つかないから」
リリルラの指が空に向けられる。
「…それに、晴れの日に私に立ち向かうのはやめたほうがいいわよ…」
ついと指で線を引くように、直線を描く。
すると、そこから何かが風を切って通り過ぎた。
「私の牙がよく通るから」
男が立っていたすぐ横の地面に、一メートル程の亀裂が走った。
まるで尖った爪先で、地面を削ったように。
リリルラは空を見たまま、声音を落とす。
「もし…私のトモダチに傷を付けたら、あなたはこうなる。
私の言いたいこと、分かるわよね?」