終章 エピローグ
やれやれ、いつまで待たせれば気が済むんだ?
俺は本屋で時間をつぶしていた。
しばらくすると待ち焦がれた彼女が、書店の自動ドアを入ってきた。
今日は舌を噛みそうな名前のロリータショップがバーゲンをしているというのでカミさんを乗せてきたはいいが、生身の少女人形達の熱気に押されて、俺は書店に避難していたというわけだ。
大きな紙袋を両手に提げて、愛しい妻がこちらにウィンクしている。
「サッちゃんもいい歳して好きだな、ロリータ」
「あら、まだわたし二十三よ? それに、ロリータは精神が大事なの。永遠に可愛いお人形さんでいたいのよ」
「まあ、君が可愛いのは俺にとっても嬉しいことだけどな」
「そうよ、愛しいダーリンのために、一番素敵な姿でいたいの」
おっと、いかん。書店内で、ただでさえ目立つロリータ娘と大声でこんな会話をしていたら、ただのバカップルだ。
――サッちゃんを促して書店を出ると、駐車場を清算して、しばしのドライブ。
ちょっとした穴場の海浜公園に到着し、ベンチに二人で腰かけた。
服とそろいの黒くてフリフリな日傘を肩に置いたサッちゃんは『不思議の国のアリス』のイラストが施された大きなトートバッグから、二人分にしてはちょっと多すぎるくらいのサンドイッチを取り出した。
「あと六ヶ月か。楽しみだわ」
「名前の候補考えた?」
「うーん。光雄とか光子とか、光を入れるのはどうかしら? あなたから一文字もらって。でも、光希より素敵な名前なんて思い付かないわ」
「君から一字もらって幸を入れるのはどう? 日常の些細な幸せを、幸せだと感じられる子になってほしいから。いっそのこと女の子だったら、その子も幸子にしたいな。君みたいに可愛い子に育って、モデルとかアイドルとかになるよ、きっと。休日には親子でロリータとか着ちゃってさ。あ、でも君には悪いけど、これからの子に幸子っていうのはちょっと古風か」
そんな生まれる前からの親馬鹿っぷりを二人で満喫していると、目の前にデジカメを持った女の子が歩いてきた。
「あのー、シャッター押してもらえますか?」
「うん、いいよ。どれ、貸してみて?」
その女の子は奇遇にも白いロリータを着ていた。同色のヘッドドレスと、健康的な長い黒髪のコントラストが魅力的だった。
これはサッちゃんと話が合いそうだななんて考えながら、指定された、海がよく見えるポイントに駆け足する。
「撮るよ〜」
「おっけー」
写真の撮れ具合をチェックしにきた女の子が、ふいに言った。
「今度こそ幸せになってね、お兄ちゃん。ちょっとだけズルして大サービスしといたから」
お兄ちゃん? この子より年上だからなのかな。
「ありがとう。でも、俺はもう十分幸せだよ。可愛いカミさんがいるし、つかもうと思えば、幸せはそこらじゅうに転がってるみたいだからね。でも、ちょっと尻に敷かれてるかな。なんて言ったら噛み付かれるか」
「ごちそうさま」
「あ、ごめん、そういうつもりじゃ……。そうだ、よかったらうちのカミさんと話していかない? 見てのとおりロリータ仲間なんだけど」
「うん、そうする! ……でも忙しいから、ちょっとだけ」
二人でサッちゃんのいるベンチに戻ると、サッちゃんがサンドイッチを女の子に差し出してすすめた。遠慮がちに一口かじった女の子の笑顔は、まるで天使のようだった。
「そのお洋服ってどちらのショップ様なの? あまり見かけないデザインに見えるけど」
「これはね、たぶん今は売ってないお洋服なの。今は遠いところにいっちゃった、とっても素敵なお友達があたしにくれたのよ」
「そう。残念だわ。可愛いから要チェックと思ったのに」
「お姉さん、ひょっとして赤ちゃんがいる?」
「よくわかったわね。まだそんなに膨らんでいないのに」
「あたし勘が鋭いんだ。触ってもいい?」
「いいわよ」
女の子がサッちゃんの下腹部に手を当てると、なんだかその手が白く輝いた気がした。まあ、真っ白で綺麗な手だからそう思っただけかもしれない。日差しも強いことだし。
「きっと元気な赤ちゃんが生まれるよ」
「そうだといいわね。ありがとう」
「お姉さん、写真撮ってもいい? ロリータ仲間に出会った記念に」
「いいわよ。わたしなんかでよければ」
「じゃあ、お兄ちゃんも並んで、熱々カップルさんの図で」
「俺? まあ、いいけど」
女の子は俺達の写真を念のためと言って数枚撮った。続けて女の子とサッちゃんとのツーショットや、どういうわけか俺とのツーショットなどを撮らせ、最後にデジカメを手すりに置いて、俺が二人に挟まれるという図で撮ることになった。顔を見合わせた白と黒のロリータ娘は、クスクスと悪戯っ子のように笑いながら、俺をギュウギュウ抱き締めた。
「どうもありがとう。あたし、これから外国にいっちゃうから、もう会えないかもしれないけど、写真大切にするね。お幸せに」
「ありがとう。あなたもね」
女の子が立ち去ろうとした時、サッちゃんが呼び止めた。
「あなたのお名前、聞いてもいいかしら?」
「ミカよ。カタカナで、ミカ」
「いい名前ね……」
ミカちゃんはバイバイと手を振って、元気いっぱいのスキップで去っていった。