地獄10
社に着くと、玉砂利の庭にサタンが立っていた。
「お目覚めになられたようで何よりです。ルシファ様」
「アーリマン、よく俺を目覚めさせた。苦労をかけたな」
これはいったいなんだ? こいつはサタンだ。俺は何を言っている? なぜサタンは俺をルシファと呼ぶ? そう考えると頭が割れそうになって、俺は再び欲望に従うだけの傍観者になった。
「滅相も(めっそうも)ない。わたしのシナリオはご堪能いただけましたかな?」
「ふん、まわりくどいことを。おまえらしいな」
「例の娘を召し上がって力も回復なされたようで。味はいかがでしたかな?」
「ああ、美味かった。愛した娘というのは、なかなかの魔味だった。まだまだ食い足りないが、とりあえずは十分だ。それより、いつまでそんな格好をしている?」
「そうでしたな。そうそう、このサタンや閻魔大王もなかなかの美味でしたぞ」
サタンの身体が、深緑色のグロテスクなトカゲ人間に変身した。
「なぜ俺に残しておかなかった!」
「シナリオに必要でしたのでね、奴等の力と姿が。あなたを捜し出し、成長をお助けした苦労の前払いとしてお許し下さい」
「まあいい。ところでアーリマン、ミカはいるか?」
「はい。ここにお連れしております」
どうやら、このサタンだった奴はアーリマンというのが本当の名前らしい。さらには、俺がルシファということのようだ。
アーリマンは社の奥に入っていくと、しばらくしてミカちゃんを連れて戻ってきた。
ミカちゃんは、なんだか焦点の合っていないような目でこちらを見ている。
「ミカエル様、兄上様が戻られましたぞ」
「光希君がルシファ兄様だったのね。ずっと、ずっと会いたかったわ。兄様」
「これで役者はそろいましたな。さて、早速ですが世界の再構築に出かけるとしませんか? さあ、冥府へ参りましょう」
「まだだ。俺は娘を抱きたい。ミカを抱くからベッドの用意をしろ」
「ルシファ様、今なんと?」
「ミカを抱くと言ったんだ、早くしろ」
アーリマンが当惑顔で何やら考えこんでいる。
「なぜだ? なぜルシファ様がそんなことを……」
「待ちきれない! ミカ、こっちへおいで。兄様と仲良くしよう」
「はい、兄様」
ミカちゃんが白いブラウスのボタンを一つずつ外しながら、こちらに向かってくる。
「なりません! あなた達兄妹ほどの大きすぎる力が交わって子でも宿せば、手の付けられない何かが生まれるやもしれません。おやめください」
アーリマンがミカちゃんの腕をつかんで引き止める。
「アーリマン、放して。あたしは兄様に抱かれたいの!」
「なりません! それだけは我慢なさってください」
「ゴチャゴチャうるさいぞ、アーリマン。邪魔をするならおまえは用済みだ。運動前の飯にしてやろうか?」
「な、なぜなんだ? なぜわたしの操作が効かない?」
「操作? また何かくだらないことを企んでるな? おまえ」
「い、いえ、なんでもありません」
「まあいい。おまえは指をくわえてミカが踊る姿でも見てろ」
「アーリマン。あなたはよく働いたから、そこにいてもいいわよ。ごほうびとして、あたしを見せてあ・げ・る」
アーリマンは額を押さえて、何やら考えこんでいる。
「さあ、おいで。ミカ」
「はい、兄様」
ミカちゃんを抱擁し、キスをしようと顔を近付けた時だった。
背中に焼けた鉄でも押し当てられたような熱さが感じられた。
アーリマンだった。
大ぶりの曲刀をかまえたアーリマンが、オーラをたくわえて斬りかかってくる。
「血迷ったか? アーリマン。よほど死にたいらしいな。いいものを見られるチャンスを逃しやがって、馬鹿な奴だ」
「なぜだ? どこで計算を間違った? なぜおまえは言うことを聞かない?」
「ごちゃごちゃうるさい! 死ね!」
アーリマンに向けて指先からオーラを放つと、今までの俺とは比べものにならないほどの大火力がアーリマンに命中する。特大の光弾をまともに受けたアーリマンは、社の塀を突き破ってどこか遠くへ吹き飛ばされていった。
俺はミカちゃんとのキスを再開しようと顔を近付ける。ミカちゃんの顔を両手ではさみ、口付けると、ミカちゃんが俺の顔を押し返して真っ赤な顔で言った。
「ちょっと光希君、どさくさに紛れてチューしないでよ! サッちゃんに絶交されちゃう!」
「え?」
身体が言うことを聞くようになっていた。
嵐のような欲望が消え去り、試しにげんこつで自分の頭を殴ってみたりしたが、ちゃんと動く。
「ミカちゃん、俺達いったい……」
「これがアーリマンの力みたい。あたしがお爺ちゃんを死なせた時も、こんな風に身体が言うことを聞かなかったの。湧き上がってくる気持ち良さに逆らうと、だる〜く、頭がいた〜くなるのよ」
「なんてことだ。俺はサッちゃんの亡骸を……食っちまった」
「サッちゃん……死んじゃったの……?」
「サッちゃんも操られていて、戦ってる最中に……。その時俺は操られてなかったんだ……たぶん。でも、ああするしか……ちくしょう!」
「仕方がなかったのよ。みんなあいつに仕組まれていたんだから。サッちゃんだって、きっとわかってくれてるわ」
しばらく抱き合って静かに泣いたあと、ミカちゃんが言った。
「あたし達兄妹だったのよ? たぶん、アーリマンが言ってたことは嘘じゃないわ。光希君、凄く強かったもん。光希君はルシファ兄様なんだよ?」
「そうなのかもな。でも、サッちゃんがいなくなった今、俺には力なんてもう必要ない。早くサッちゃんに会って謝りたいんだ」
「だめよ、光希君。そんな卑怯なこと考えてたらサッちゃん悲しむよ? きっと振られちゃうんだから。そんな弱虫言ってたら」
「そうだ! 俺がルシファなら、冥府にいってサッちゃんを呼び戻せるんじゃないか? 魔界の家にサッちゃんを復活させればいいだけのことじゃないか。ベッドの中で生き返らせれば夢だったとか言ってごまかせるさ。ミカちゃん、冥府にいく方法って教わってないか?」
「だめ! そんなことしたらアーリマンと変わらないじゃない。私利私欲のために死者を復活させるなんて、それこそサッちゃんに怒られるわ。もうお爺ちゃんも、閻魔大王も、サタンもいないのよ? あたし達がしっかりしないと世界がめちゃくちゃになっちゃうわ。だから、頑張ろう?」
「ああ……」
「恐ろしいことだけど、結局サッちゃんは光希君に食べられて光希君の一部になったのよ? 恋人と一つの身体を分け合って生きるなんて素敵……でもないか。でも、サッちゃんならきっと許してくれるわ」
「そうだといいけど……」
「光希! あなた、わたしを食べるなんて大それた真似をしてくれたんだから、良い世界を作るために活躍しないと折檻よ!」
うなだれていた俺は、慌てて顔を上げた。
「冗談きついよ、ミカちゃん」
「でも、サッちゃんなら、あんなふうに言ったと思うの。ねえ、頑張ろう? お兄ちゃん」
「え?」
「お・に・い・ちゃ・ん」
ミカちゃんが俺の鼻をそっと突っついた。
「お兄ちゃんか……」
「そうよ。これからはミカって呼んでね? 元気を出して。あたしの頼もしいお兄ちゃん」