地獄5
サッちゃんとの間に平和が戻り、しばらく経ったある時のこと。
玄関の扉の下に封筒が滑りこまされていた。俺宛の手紙だった。ミカちゃんを脱獄させた日のことを思い出しながら封を切ってみると、精鋭隊慰労パーティの招待状だった。サタンのサインが文末にほどこされている。
天界に飛ばされたあと、父様と二人で精鋭隊の任務や閻魔大王、サタンについて話したことはあったが、結局すべては憶測にすぎず、スマートな解答を導き出すまでには至らなかった。
さて、この招待状はどうしたものだろう。時間は大安売りするほどたっぷりと余っているから、閻魔との一件や、サタンの不可解な点などを説明して議論してみてもいい。だが、サタンと聞いて目を輝かせる我が婚約者を目にするのはちょっと癪だ。
――いろいろ考えた末、召集がかかったとだけ伝えてパーティにいってみることにした。
タナトスちゃんに送ってもらって魔界入りした俺は我が家に立ち寄り、パパが帰っていないか確かめた。帰った痕跡は見当たらなかった。
――城には他界に飛ばされた者以外の精鋭隊がちらほらと集まりだしていた。兵士向けのパーティということで、残酷な何かがふるまわれるのではと心配していたが、いわゆる普通のご馳走と酒がじゃんじゃん出てくるだけの集まりだった。
サタンのお出ましを心待ちにする者もあったが、サタンは天界との停戦交渉会談が長引き、出席できなくなったと使いの者がアナウンスした。地獄にいて知らなかったが、つい最近、ミカちゃんの砲撃に怒った過激派の一群が天界にテロを仕掛け、それがきっかけで小競り合いになったのだとか。お互いのトップは開戦を望んでいなかったので、サタンが出向いて大天使の誰かと話しをしているというわけだ。
――結局パーティにパパは現れなかった。
隊員から聞いた噂によると、パパは閻魔の言ったとおり、サッちゃんによく似た女の子ばかりを集めたハーレムで、享楽の日々を過ごしているそうだ。
ハーレムの場所を聞いたので一目会ってから帰ってもよかったが、魔界の父として尊敬し始めていたパパが堕落している姿など見たくなかった。だから「無事らしい」とだけ、サッちゃんには知らせることにした。
見知った隊員の「街に出て飲み直そう」という誘いを断り、タナトスちゃんに電話をかけた。
地獄の屋敷に戻ると、俺の目の保養所……ではなくて、女性陣二人がいなかった。
「あれ? 二人は?」
「さっきサタンが来て連れていった」
「なんだって?」
「パーティに華が欲しいから、美しい君達を是非にと。わたしも誘われたが、サタンに義理はないので断わった」
「それで二人はほいほいついていったのか?」
「ミカは退屈していたし、サキュバスはサタンの誘いを断われない」
「なんてこった。あの尻軽娘!」
「そうではない。サキュバスはサタンを崇拝している。愛しているのは光希だけ」
「そうなのか。友達の君がそう判断するなら今のは取り消そう。だが、サタンは天界に停戦交渉にいっていると聞いたのに……影武者でもいるのか?」
「サタンは本人に間違いなかった。ただし、そもそものサタンがサタンであるかどうか、わたしにはわからない」
「それはいったい……?」
「ここに来たサタンは魔族に崇拝されているサタンに間違いなかった。でも、わたしには元々彼がサタンだとは思えない。別人がサタンを名乗っている可能性がある」
「やっぱり奴には何かあるってことか。そのことはサッちゃんに言ってないのか?」
「説明しようとしたが、噛み付かれた」
「やれやれ。でも、なぜ君はサタンが偽者だと?」
「魔界人は自力で地獄への出入りなどできない。地獄人が導かない限り。でも、サタンは自らの力で地獄を出入りする。サタンは地獄人の力を持っている」
「ってことは地獄人が魔界に入りこんで王をやってるのか?」
「断言はできない。でも、単純な魔族の王ではないと思う。魔界人はサタンを盲信しすぎている。だから疑いを持つことすらしない。二人を止められなくて、残念」
「いや、奴ほどの力なら、用があれば無理にでも連れていっただろう。それより二人の行方だ」
それから俺は魔界を、タナトスちゃんは地獄を捜しまわったが、二人の消息をつかめぬまま気持ちばかりが焦って時が流れた。
タナトスちゃんは、その無愛想に似合わず、美味い手料理など作って慰めようとしてくれたが、俺の気分が晴れることなどなかった。俺は俺自身の本拠地を魔界の我が家に戻すことにした。
父様からたまに電話がかかってくるのだが、心配をかけるだけかけても仕方ないと思い、二人のことは伏せておいた。大天使会は神殺害と魔界砲撃事件の真相が不明なものの、ミカちゃんが自分の意思で行った犯行ではないという結論に達したそうだ。いずれ神の後継者として天界に戻る必要があるので、伝えておいてほしいとのことだった。
受話器を置いて、誰も帰ってこないリビングで一人泣いた。
「ミカちゃん、どこいった? もう天界に帰れるんだぞ……。サッちゃん、いつまでお預け食わせるんだよ……。帰ってきて、キスしてくれよ……」
――俺は誰の目をはばかることもなく、溢れる涙を拭いもせずに泣き暮らした。一度堰を切った涙を止める方法がわからなくなっていた。
そんなある時、玄関にまた一通の手紙が届いているのを発見した。見覚えのある封筒には、やはりサタンからの手紙が入っていた。
「君の可愛いお姫様達は僕が預かってるよ。なに、心配するな。まだ手は付けていないさ。閻魔の社まで来るんだ。早くしないと彼女達を誘惑しないとも限らないよ。特に君の婚約者は僕に夢中のようだからね。急げよ、光希君」
俺は手紙を破り捨てるとオーラを込めた足で踏みにじり、手紙を灰にした。
「サタン、おまえが何者であろうと俺は決して許さん!」
タナトスちゃんに連絡して地獄に着くと、俺は戦闘モード全開で飛び出す。しかし、翼を持たないタナトスちゃんが身体一つでスーっと追いついてきて、俺の手をつかむ。
「待って。わたしもいく」
「君を巻きこむわけには……」
「あの時止められなかったわたしには責任がある。それに二人は友達。光希も友達。一人ではいかせない」
「……わかった。君がいてくれると心強い。いこう!」
再び飛び出しかけた俺の手をタナトスちゃんが引っ張る。
「そっちじゃない。ついてきて」
結局、タナトスちゃんに先導してもらって、閻魔の社を目指すことになった。