地獄3
さて、どうやって地獄にいくのかなと思っていると、サッちゃんが、
「ちょっと待ってて」
と、電話に向かう。
「今から来てもらえるかしら? ええ、もう準備はできているわ」
などと話して受話器を置いた。電話の相手について詮索してみようかと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「いくわよ」
サッちゃんに促され、女性陣のトランクを幾つも手伝って玄関に向かう。
玄関先では、まったくと言っていいほど生気の感じられない青白い顔の女の子が、サッちゃんの熱烈なハグを受けていた。彼女もまた真っ黒なロリータを着ているが、サッちゃんとは少し傾向や着こなしが違うようだ。なんだか病的というか、恐ろしげというか……退廃? なるほど、こういう雰囲気を持っているのが『ゴスロリ(ゴシックアンドロリータ)』なのだろう。
頭にかぶったボンネットから淡い水色の髪をのぞかせるその子は、にらまれただけで凍りついてしまいそうな冷たい感じの美人だが、サッちゃんの肩越しに黙礼してきたところを見れば悪い人ではなさそうだった。見た目の年齢はサッちゃんや俺と同じくらい、つまり十六、七歳といったところか。なんだか一気にロリータ祭りだな。
「この子はタナトスちゃん。冥府からの指示で命を刈り取ってきたりする係の地獄人なの。主に地上人の寿命調節をする実行部隊というところかしら。任務の関係でタナトスちゃんのように魔界の徴を持った地獄人は、魔界と地獄をいったり来たりできるのよ」
「こんにちは。よろしく」
ザ・無口といった印象の黒い口紅を塗られた薄い唇が、必要最低限の言葉を発した。続いてサッちゃんが俺達を紹介する。
「こっちの可愛い子はミカちゃん。天使長ミカエルといえば、あなたも知っているでしょう? それと、そこで荷物持ちしているのが、わたしのダーリンよ。もう何度も話したから名前は知っているわよね?」
「大沢光希。彼は初対面ではない。リスト入りして、何度か機会をうかがったことがある」
「なんだって? その時は、俺を殺しにきたのか?」
「そう。サキュバスやパパ達がいたから手を出せなかった」
「今もその、リストに?」
「だいぶ前にリストから除くよう指示された。それ以前に魔界人を一方的に刈り取ることなどできない。だから、もう大丈夫」
「もう、どうしてそんな大事なことを教えてくれなかったのよ?」
「聞かれなかったから」
「そう。まあいいわ。じゃあ、そろそろお願い」
タナトスちゃんは、なんらかの紋章を描くこともなく右手に身長よりも長い大鎌を発生させた。そのまま室内でも遠慮することなく大きくバックスイングして、表情一つ変えずに空間を切り裂いた。
チラっと俺達を振り向いて、
「こっち」
と、つぶやいたタナトスちゃんに従い、俺達は空間の裂け目に入ってゆく。
裂け目を抜けると、城と呼んでもいいような石造りの洋館の前に出た。『多少の歴史がある』程度ならサッちゃんの好みにピッタリだろうが、『朽ち果てる寸前』で地下に拷問部屋を想像してしまうぐらいだから、いくらサッちゃんでも……いや、好きかも。
地獄の空は相変わらず赤い陽炎に覆われていて薄暗かったが、電灯なしでも視界があるのは、やはり便利なものだ。
いくら地獄に住む死神少女の屋敷とは言っても、中に入ってみれば……。やはり、外観のイメージを裏切らない廃墟のような空間だった。
黒一色の高級そうな調度品がそろっているものの、血塗られたいわくや呪いがかかっていてもおかしくない雰囲気があった。石の床では砂埃が吹きすさび、高い天井には今にも落ちてきそうな壊れたシャンデリアが下がっていた。石が剥きだしの壁には、巨人が姿見に使えそうなサイズの割れた鏡がある。遠慮なく鎌を振りまわして割ってしまったのかもしれない。
ミカちゃんは恐れをなしてサッちゃんの手をつかみ、俺の顔を振り返っている。
「な、なんだかお化け屋敷みたいなところだね」
と、引きつった顔でミカちゃんは言った。
「し、失礼だって。そんなこと言っちゃ」
俺が注意すると、サッちゃんは手をヒラヒラさせて言う。
「タナトスちゃんはそんなこと気にしないわ。とっても大らかな人だから」
「気にしない。久しぶりのご馳走を連れ帰って、わたしは機嫌がいい」
ミカちゃんは不安そうだった顔を、とうとう蒼白にして、サッちゃんの腕にしがみ付いた。
「冗談。わたしは人を食べない」
そのままタナトスちゃんの案内でしばらく屋敷内を探検した。
「この部屋には入らないほうがいい。ミカは特に気を付けて」
「な、なにがあるの?」
ミカちゃんが必死に訊ねたが、タナトスちゃんはクスクス笑うだけだった。
「また冗談よ。タナトスちゃんもミカちゃんを気に入ったんでしょう? こんなに上機嫌なタナトスちゃんって久しぶりだわ」
タナトスちゃんはこっくりうなずいて、ミカちゃんにウィンクする。壊れた人形の瞬き(まばたき)みたいなぎこちないウィンクが、さらにミカちゃんを震え上がらせた。
続いて、
「この部屋には暗闇の呪いがかかっている。サキュバスは入らないほうがいい」
と、タナトスちゃん。
「わ、わかってるわよ、もう!」
ミカちゃんが興味津々の顔で訊ねる。
「サッちゃんは暗闇が怖いの?」
「う、うるさいわね! お化け出すわよ!」
「暗闇を怖がるお化けなんて、怖くないもん」
ミカちゃんがケラケラ笑いながら駆け出すと、サッちゃんが追いかける。
「待って」
と、タナトスちゃんが制するより早く、二人は突き当たりの部屋に入った。
「あの部屋には何があるの?」
「わたしの宝物。だから、最も恐ろしい罠を仕掛けてある」
「最も恐ろしい罠って……」
「入った者が一番恥ずかしいと感じる記憶の映像が現れる。多くの場合、恥ずかしすぎて記憶の奥底に封印した、忘れたつもりになっている羞恥の対象」
「それはまた悪趣味な……でも、理にかなってるな」
「お上手ね。でも、あなたにはサキュバスがいるから、だめよ」
断じてほめてないし、口説いてもいない。この子はいったい、どういう思考回路をしてるんだろう? と、いささか無遠慮な視線をタナトスちゃんに投げかけていたらしい。
「だめ。観察されるのは嫌いじゃないけど、サキュバスを裏切れない」
口角が毎秒数ミリずつ持ち上がるとでも言ったらいいのだろうか。微笑んでいるというよりは、何か重大なことを企んでいそうな表情。だが、なんとなくわかる。彼女は照れているのだ。……たぶん。
「……二人を助けに入ったほうがいいかな?」
「サキュバスを妻にしたいなら……」
「そ、そうだよな。ちょっといってくるよ」
と、扉のノブに手をかける。
「……やめておいたほうがいい」
「え? それはつまり、サッちゃんを妻にしたいならやめておいたほうがいいってこと?」
「そう。本人が見れば深いトラウマに。同性に見られれば、殺し合うか、生涯の親友に。異性に見られれば……それが、大事な人なら……生きてはいられない。そういうパターンが多かったように思う」
「……ってことは、過去に犠牲者が?」
タナトスちゃんは、ふと目をそらした。
「ごめん。余計なこと聞いちゃったかな?」
タナトスちゃんはフフフフフと笑うだけだった。正確に五回『フ』の音をカウントした感じの笑いが、まるで屋敷全体に木霊したようだった。
やがて二人が引きつった赤い顔で出てきて、抱き合って座りこんだ。泣き出しそうなほどの涙目が、罠の恐ろしさを物語っている。
「い、いまのは、な、な、内緒よ?」
「う、うん。あ、あた、あたし達、おと、おと、お友達だもんね〜。……あは……あはは……あはははは」
何を見たのか知りたいが、知ったら終わりな気がする。知らんぷりしてあげるのが二人のため、いや、俺のためにもなるだろう。
その部屋を最後に探検を打ち切り、部屋割りを決めることになった。快適で安全な部屋がきちんと人数分あるのだが、
「あたしはサッちゃんと一緒がいい! ね、いいでしょ? サッちゃん!」
「そうしましょう! わたし達親友だもの!」
と、いうことで二人は相部屋になった。お互いを監視して他言を防ぐか、傷をなめ合うか、どちらにしろ、どうしても一緒にいたいらしい。『仲良きことは美しきかな』である。