第四章 地獄
とうとう帰ってきた。
魔界の懐かしい闇の中、薄暗い明かりに照らされる住み慣れた我が家も、今はギロチンが待ちかまえる処刑場に見えた。
リビングの扉を開けると、そこには婚約者の留守をいいことに憧れのサタン様を家に引きこみ、逢瀬を重ねるふしだらなサッちゃんの姿が……あるはずもなく、急な婚約者の帰宅に大きな目を見開いて硬直したあと、俺に飛び付き、キスの嵐を浴びせてくるサッちゃんがいた。
俺の頬を涙が伝った。サッちゃんも泣いている。しかし、俺の涙の意味は一つじゃなかった。
会えなかった数ヶ月分を一気に取り戻そうとするかのような熱烈な口付けに、いつ舌を噛み切られるかと怯えながらひたすら耐えていると、背後からにわか眼鏡っ子の咳払いが聞こえた。
「あのー。お気持ちはわかりますが、そういう羨ましいことはあたしが見てないところでやってもらえますか〜?」
なおも吸い付いてくるサッちゃんを引っ剥がしてミカちゃんを紹介する。どうやら、小さなミカちゃんが俺の背中に隠れて見えていなかったらしい。ミカちゃんを発見すると、
「なんて可愛らしい子なの?」
と、奇声を発してミカちゃんに抱き付いた。
ミカちゃんの素性や事件の流れをダイジェスト版で聞かせている間も、サッちゃんはミカちゃんの頭を撫でたり、手を握ったりして、
「かわいそうに、大変だったわね」
と、労をねぎらってみせた。
話しもそこそこに、サッちゃんはミカちゃんを寝室に連れていってしまった。
ソファに座っていた俺の背後で扉が急に開いて、俺は跳び上がった。
「どうしたの? 光希」
「い、いや、あの子は?」
「お風呂に入れて寝かしつけたわ。疲れていたんでしょうね。わたしにあれこれ光希のことを聞きながら、いつのまにか眠ってた」
「あの子とのこと疑ったりしないの?」
「いやだわ、あんな純粋な子に悪戯したの?」
「するわけないじゃないか。俺には君だけだよ」
「あ、そうそう」
サッちゃんが俺の左内ももをギューっとつねった。
「な、なんだよ? 急に」
「どうしてあんなエッチなところに徴を付けたの?」
「あれは、あの子がそうしてくれって言ったから……すまん」
「ミカちゃんって天使というより、男心をくすぐるニンフみたいだものね。きっと自然にそういう悪戯をしてしまう子なんだわ。気を付けてね」
「わかってるって。俺には君しかいないんだ」
「信用しておくわ、ダーリン。わたしが光希だったら、ミカちゃんと内緒のキスぐらいしていたかもしれないけど」
「そ、そんなにあの子を気に入った?」
「ええ、あんな可愛い子、見たことがないわ。ガラスケースに入れて飾っておきたいくらい」
「俺なら君を部屋に飾っておきたいよ。君はセクシーなのに清楚で可愛いし、なんと言っても君のほうが美人だからな。うん、大人の魅力ってやつだよ……あは、あはは」
「ねえ、わたしに会いたかった?」
「もちろんだよ。一瞬たりとも君を忘れたことなんか……」
「嬉しいわ……わたしだって、ずーっと光希に会いたかったんだから」
先ほどミカちゃんに中断された口付けの拷問を再度受ける。
「ねえ、どうしたの?」
「なにが?」
「あなた、キスが下手になったわ。いつもなら放してくれないぐらいなのに」
「ああ、色々とあったからな。ちょっと疲れてるんだ」
「そう。長い旅だったものね。それで、これからどうするつもりなの?」
「さっき話したとおり、あの子を魔界に長居させるのはちょっと危険だと思うんだ。それで地獄にでも潜伏させようかと思うんだけど、どうかな?」
「そうね、地獄は退屈なところだけど、命には代えられないものね。地獄に友達がいるから連絡してみるわ。本当はサタン様に送っていただきたいけど、そんな勿体ないことしたら罰が当たってしまうから」
「サタン様に会いたいなら遠慮することはないって。どういうわけか俺を気に入ってくれてるみたいだから。な、会いたいんだろ?」
サッちゃんは既に電話をプッシュし終わっていた。
久々の会話なのか、大いに盛り上がっているようではあるが、サッちゃんが一方的に話しているようでもある。
相手はいったいどんな人なんだろう? いかつい鬼女とかじゃないといいな。などと考えているとサッちゃんは受話器を置いた。
「部屋は幾らでもあるから、いつでも来るといいって。わたし達も一緒にいってしばらく地獄暮らしでもしましょうか? ミカちゃんも光希がいないと不安がるわ、きっと」
「そうだな。君の友達にあの子が慣れるまでは一緒にいてやったほうがいいかもな」
「じゃあ、ミカちゃんが起きたらデパート巡りに連れていって、一休みしたら出発しましょう」
「デパート巡り?」
「ええ。しばらくミカちゃんはお買い物にこられなくなるのよ? わたしもミカちゃんに付き合って、しばらくお買い物にはこないわ。だから、いっておかなきゃ悔いが残るじゃない。これってわたし達にとっては大問題だわ」
「そうなんだ……あはは」
「あなたも荷物持ち兼護衛として来てくれるでしょう?」
「も、勿論。じゃあ、あの子が起きたら俺も起こしてよ。ちょっと寝ておくから」
「わかったわ。おやすみなさい、ダーリン」
おやすみのキスを受けた俺はシャワーを浴びたあと、うなされながら眠った。いかつい鬼女に八つ裂きにされる夢を見た。