天界11
気が付くと日は沈み、夜になっていた。晴天の空には大きな満月が浮かんでいて、オーラで照らさなくとも視界に困ることはなかった。
「光希君、もう夜中になったみたいだよ? 街も真っ暗だった」
俺が寝ている間に偵察してきてくれたらしい。無謀を叱りたい気もしたが、俺だって寝てしまったのだ。
「じゃあ、そろそろいってみるか」
「ねえ、何か気付かない?」
女の子がこう言う時は……。
「あ、服替えた? うん、似合うよ」
さっきまで着ていたのと大して違わない気がしたが、他には髪も靴も変わっていないし、アクセサリーもしていない。つまり、服を替えたに違いないのである。
「正解! 物質化してみたの。おかしなところ、無い?」
ミカちゃんはゆっくりと一回転して、俺に白いワンピースをチェックさせる。
「大丈夫。でも、その薄い服で大丈夫かな? 例の大穴に入って濡れたら透けちゃうかも。まあ、それはそれで……」
薄手のワンピースは、地底探検用としてはちょっと頼りなく思えた。
「あ、それってセクハラ発言!」
ミカちゃんが手にオーラをためてニヤニヤしている。とはいえ、本気でビンタする気はないようだ。
「よし、じゃあいくか」
俺が飛び立つと、ミカちゃんが「まてーエロ魔族ー」と叫びながら追い付いてきた。
大西洋をしばらく東に飛んだ俺達は、海水が流れこむ巨大な滝に飛びこんだ。予想どおり、テレビクルーや軍のヘリは見当たらなかった。途中の海上に幾らかの船はいたが、真っ暗闇を音も無く高速で飛ぶ二つの人影など、まず見付けようがなかっただろう。
――真っ暗な垂直の洞穴に、海水が流れこむ轟音だけが響いている。
暗闇を落下する恐怖からか俺の腕にしがみ付いてきたミカちゃんのために、オーラで周りを照らす。俺達は自由落下に更なる速度を加えた。深度が深まるにつれ、気温がどんどん高くなってゆく。大量の海水も沸騰しているのか、水蒸気で視界が埋め尽くされる。この穴まではサタンの力も及んでいないらしい。
俺達の身体に限って自然現象で回復不能な負傷をすることなどありえないのだが、好き好んで熱湯の滝に触れたいとも思わなかった。そこで、オーラを楕円形のバリアにして二人の周りに張り巡らせ、更に下を目指した。
古代兵器で増幅したミカちゃんのオーラ砲といえども、ここまで来るとだいぶ減衰していたようで、洞穴が徐々に狭くなってゆく。
最深部に到着すると、そこに暴力的な滝はなく、せいぜい打たせ湯のような無数の熱湯の筋が、直径数メートルの池に流れこんでいるだけだった。池の水面にサタンのものらしきオーラの気配を感じる。のぞきこむと、池の直径そのままの、黒い金属の壁が見えた。サタンが建設を命じた『海水供給路』とは、この池からつながったパイプのことなのだろう。
「この先はもう魔界らしい。このオーラって水の中でもいけるかな?」
「平気だよ。前にガブちゃんと二人で海底を歩いたことがあるけど、なんともなかったもん。お魚さんがとっても綺麗だったよ〜」
「へぇ〜。そんな使い道は思いつかなかったよ。でも、それならいけそうだな。そうそう、君に徴をあげなくては」
「魔族の? そういえば光希君、まだ魔族だったのね」
「ああ、気持ち悪いかもしれないが、我慢してくれ」
「もう平気よ。あたし、なんであんなに魔族を毛嫌いしてたのかな?」
「父様が言ってた幻覚と何か関係があるのかもな」
「そうよね。今思うと、お爺ちゃんがあんな意地悪なこと言うわけないもん。ねね、徴って痛い?」
「今の君なら大丈夫。受け入れる気持ちがあれば痛くないよ」
「よかった。じゃあ、ここにお願い」
ミカちゃんは、悪びれもせずにスカートを捲り(めくり)上げ、左内ももの付け根辺りを指差す。
「そ、そんなところに?」
「ここのほうがセクシーで格好いいでしょ?」
「好みにもよると思うけど、君がそう言うなら」
俺は小さな純白の布きれからできるだけ意識を切り離しながらも、指先にオーラを込め、瑞々しい(みずみずしい)太ももに放った。
「これでミカちゃんも魔族の仲間入りだ」
「ありがとう、光希君。じゃあいこっか」
俺はミカちゃんに手を握られたまま、もう一度バリアに気合いを込め直す。
「せーの」とかけ声をかけて、パイプの中に飛びこんだ。
――パイプに詰まらないように、俺達は抱き合ってオーラの潜水艦に揺られていた。母親の胎内ってこんなだったのかな? なんて気持ちがいいんだろう。それに、ミカちゃんが華奢なくせして柔らかい……。ミカちゃんの、甘酸っぱい柑橘を思わせる心地よい香りにクラクラしながら、揺れの心地よさにウトウトしながらしばらくの時が過ぎ、俺達はパイプから吐き出された。
「やあ、誰かと思えば光希君じゃないか。よく魔界に戻ってきたね」
闇の中、パイプの出口近くの空中に、緑のオーラを懐中電灯代わりにしてサタンが立っていた。
「サ、サタン様……」
嬉しそうに俺の肩を叩くサタンだったが、ミカちゃんに気付いて驚きの表情を見せる。
「これはこれは、天使長ミカエル殿ではありませんか。ということは、光希君が堕としてきてくれたんだね? 大手柄だぞ、光希君」
「そ、そんなことは……」
「どうした? 浮かない顔をして。僕に目を合わせられないようだけど、何かやましいところでもあるのかい?」
「いえ、決してそのような……」
サタンが俺の耳元に顔を寄せ、ヒソヒソ話をする。
「ひょっとして、例の砲撃は天使長殿の仕業なのか? あれは天界の最終兵器の一つだからな。神が眠っている今、あれを使えるのは天使長殿か、一部の大天使ということになるよな? さては、天使長殿と逃避行してきたな?」
「いえ、その……」
「心配するな。天使長殿の責任は追及しない。歓迎の意味を込めて特赦としてあげよう。こうして、海も生まれつつあるしな」
「ありがとうございます!」
サタンがミカちゃんの手を取って口付けする。
「魔界へようこそ。天使長殿」
「よ、よろしくお願いします、サタン様。こうしてお目にかかれて光栄です」
「あはは、堅苦しい挨拶は抜きにして、魔界の自由を満喫されるといい」
「サタン様のお許しを得られれば、もう安心だ。よかったな、ミカちゃん」
……サタンは信用ならない。後でミカちゃんには説明しよう。
「だが、僕が許しても、一部の過激な民衆には通用しないかもしれないよ。魔界人は自由が売りだからね。地獄にでも隠れて様子を見るというのはどうだい? 可愛い婚約者を差し置いて天使長殿とキスの一つでもすれば、この場で送ってやってもいいよ。随分と仲良しみたいだから」
サタンは大声で笑った。
「まあ、冗談はいいとして、婚約者ちゃんに会ってしばらく羽を伸ばしていけよ。天使長殿を連れ帰ったほうびとして、マスコミはしばらく黙らせておいてやるから。テレビで天使長殿の名前が出るまでは安心してていいよ。それから、地獄行きのあてがなかったら城に来いよ。それともあてがあるのかい?」
「ありがとうございます。あてが見つからなかったら、お手数をおかけするかもしれません」
「遠慮なく言ってくれ。じゃあ、海の溜まり具合もチェックしたし、先に失礼するよ」
俺達は、頭を下げて見送った。
つながれた手の中に、二人の冷や汗が混じり合っていた。こちらの計画も、ミカちゃんとの仲もお見通しというわけか。それにしても、ミカちゃんの特赦やマスコミの件は、きちんと実行してくれるんだろう。
天界の姫君とも言えるミカちゃんは、魔界人に顔を知られている可能性もあると考え、だて眼鏡など物質化してミカちゃんに着けさせた。ガブリエル様とサタンの情報操作が失敗するはずもなく、まだ過激派に襲われることなどないだろうが、これで有名人見たさに人が集まることも少しは防げるはずだ。
俺達は、とりあえず懐かしの我が家に向かうことにした。