地上4
不良達の件もあったし、どうせ死ぬんだからと学校を本格的にサボりだして何日か経った夜のことだった。
夢が途切れ、胸が軽くなるのを感じて目を覚ました。
背中に白い翼の生えた少年と、サッちゃんがにらみ合っていた。
そいつは白いズボンに白い革ジャンをはおっていた。裸に革ジャンというスタイルは、踊りばかりが妙に上手い美少年アイドルのようだった。
「不浄なる者よ、少年を解き放ち、地の底に帰りたまえ」
「いやだと言ったらどうするつもりかしら?」
「あなたを消し去らねばなりません」
「できるのかしら? あなたのような下級天使に」
サッちゃんは「やれやれ」と言うように両手を上げて首を振る。
「口をつつしみなさい、不浄なる者よ」
「不浄はあなた達の価値観でしかないわ。我々魔族から言わせれば、その自分こそ善そのものと言わんばかりのおすまし顔こそ、不浄以外の何ものでもない」
「言わせておけば調子に乗って。仕方ありませんね、天の罰を与えます。覚悟なさい!」
『下級天使』の身体が白い光を帯びる。その手のひらに光が集まって、バレーボールくらいの大きさになると、砲丸投げを凶悪にしたようなポーズでかまえた。
「危ない!」
俺はとっさにサッちゃんの前に立ちはだかった。
間一髪のところで下級天使が攻撃の手を止める。
「なにをするのです、少年。わたしはあなたを魔の手から救おうというのに」
「天使だかなんだか知らないけど、一方的すぎるじゃないか! 正義なら女の子に手を上げてもいいってのか?」
下級天使は、わざとらしいため息をついた。
「神の法は絶対なのです。人間の情に流されて道を誤る余地などありません。お退き(おのき)なさい」
「いやだ。よくわからないけど、あんたは間違ってる!」
「神の使いと、けがらわしい小悪魔のどちらを信じるべきか、よく考えなさい」
下級天使は自分のこめかみを突っついて見せる。
「俺は元々無神論者だが、少なくとも問答無用に女の子を襲う奴の言うことなんて信じられないね」
「なんと聞き分けのない……。人間の分際で調子に乗って……。魔族に肩入れする者は魔族と同罪。一緒に消え失せるがいい!」
穏やかだった下級天使の顔がみるみる憤怒の形相になり、白い光が手のひらに集められた。
下級天使が例の砲丸投げポーズをとった瞬間だった。
「調子に乗っているのはおまえのほう。逃げるなら今のうちよ、下級天使」
サッちゃんの赤い瞳が妖しく燃えている。背中からは外が黒に近い深緑で中が赤い色の翼、例えるならドラゴンにでも生えていそうな翼が突き出ていた。サッちゃんをマントのように包みこむ大きな翼の節々には、真っ白な鋭い爪が生えている。
「わ、わたしに逃げろだと? 笑止なことを!」
サッちゃんの周りを血飛沫色の光が包む。続いてサッちゃんは空中になにやら描いた。指先の軌跡が五芒星を上下逆さまにして、真円にはめこんだ形の紋章となって浮かび上がる。水色の光を放つ紋章に手を突っこんだサッちゃんは、龍の干物のような黒い柄と、血で染めたような赤い刀身からなる二振りの剣を取り出した。
サッちゃんはそれらを二刀流でかまえて、上唇をゆっくりといやらしく舐めた。
「おとなしく逃げるなら見逃してあげようと思ったのに、せっかくのチャンスをふいにするなんて、どこまでもお馬鹿さんなのね。望みどおり堕として(おとして)あげるわ」
サッちゃんの迫力に押されて呆気にとられていた下級天使が気を取り直し、サッちゃんに向けて光球を放とうとした。
だが、間に合わなかった。
サッちゃんは下級天使の懐に入りこみ、右手の長剣を下級天使の喉元に突きつけていた。
下級天使の憎々しげに引きつった顔を見て
「あ〜ら、残念」
と、サッちゃんは冷酷な笑顔で言った。
左手の針のような剣がヒュンヒュンとうなり、下級天使の胸に直線が刻まれてゆく。
最後の一本が終わると、下級天使の胸に、光り輝く水色の逆五芒星が浮かび上がった。
勝負あったようだ。
下級天使は胸をかきむしり、野太いうめき声を上げながら、窓からよろよろと飛び立っていった。
「サッちゃん強いな! 格好良かったぜ!」
サッちゃんの両手を握って喜びを示すと、まんざらでもないといった笑顔が返ってきた。
「光希のほうこそ、よくわたしを守ろうとしてくれたわ。よい心がけね」
「なんか、あいつムカついたからさ」
「でも、あの光弾が直撃していたら、あなた消滅していたわよ?」
「なんだって? 天使のくせにそんな危ないもんを出すのかよ。人間には効かないと思ってたのに……」
「ところで、いいのかしら? あなた、神に追われる立場になったんだけど?」
「え、そんな……」
「ふふふ。冗談よ。あれは下級天使の暴走。神はそんなに物分かりの悪い者ではないわ、少なくとも人間に対してはね。安心なさい」
「その前に、お嬢様のお食事はご予約済みのようですけど……」
「何か言ったかしら?」