天界9
「仕方ない、俺一人でもやってみるか。離れるなよ」
俺は倒れている看守のホイッスルを吹いた。……ちょっと濡れてて気持ち悪かった。
看守の群れが巣を壊された蜂のようにワラワラ集まってくる。
俺は即座に剣を取り出してミカちゃんを後ろから抱き、喉もとに剣を突きつけた。
「きさま! なにをやっている?」
「ふはははは。天使長殿は我等の戦力としてもらっていく。いや、俺様のハーレムに加えるというのもいいな。どうせ殺すんだろ? こんな器量良しの娘を、ただ殺すなんて勿体ないじゃないか」
俺は自分のシャツを引きちぎった。
「そ、それは、魔界の徴! きさま、日本人なら恥ってやつを知らんのか?」
受付の看守が真っ赤な顔で俺をにらんだ。
「サムライは謀反ってやつを起こすもんなんだ。サムライだって人間ってことさ。よく覚えとけ。それより鍵だ! 手錠の鍵をよこせ!」
「させるか! どうせ、天使長様は処刑を待つ身なのだ、脱獄されるくらいなら……」
俺はオーラを剣で増幅させ、受付の看守のすぐ脇を撃った。
「今宵の虎鉄は血に飢えているぜ? さあ、早く鍵をよこせ」
「なめるな、小僧! 確保だ!」
号令とともに、大勢の看守達が飛びかかってくる。
俺が周囲にオーラを撒き散らすと、看守達は四方八方に弾き飛ばされた。
「そう死に急ぐなって。ほら、鍵をよこせ。さっさとしないと明日のお天道さん拝めなくなるぜ?」
受付の看守がしぶしぶながら鍵を差し出した。俺はそれを引ったくると、ミカちゃんの手錠を外してやった。
「みんな、ごめんな。無事に逃げられればそれでいいんだ。天使長に挑むような真似はやめてくれよ? 命は大事だ」
呆気にとられる看守達をかき分けて、俺達は悠々と出口を抜けた。すると、そこに見慣れた顔があった。まだ傷も完全に癒えていない父様とガブリエル様だった。
驚いたことに二人は戦闘モードになり、俺達に襲いかかる。
「情にほだされ脱獄の手引きをするとは、見損ないましたよ、大沢光樹!」
父様がオーラをこめた拳で殴りかかってきた。パパほど怪力ではないが、スピードとオーラの迫力では父様のほうが上らしい。
将来の義理の父であり、手負いの父様に攻撃を仕掛けるわけにもいかず、防御に徹していると、ガブリエル様がミカちゃんを捕まえようとする。
「この期に及んで脱獄するなんて、そんな子に育てた覚えはないわよ! わたしがこの場で成敗してあげるから覚悟なさい!」
とっさのことにミカちゃんと二人、防戦を強いられるが、なんだか様子が変だ。以前訓練した時と比べて、父様は明らかに手抜きとしか思えない攻撃をしてくる。ガブリエル様にしてもそうだ。まるで当たらない攻撃で派手な爆発ばかり起こしているように見える。
「ミカちゃん、強行突破だ!」
「おっけー」
俺達は全速力で天界の外れを目指した。
二人の追っ手は、
「待てー、脱獄者めー」
と、ふざけたような口調で叫びつつ追いかけてくる。
二人の行動の真意に気付いた俺達は、天界のギリギリ端っこまで来て、着地して待った。その間に黒いシャツを物質化して身に付ける。脱獄の手伝いまでして、いまさら天界のルールに遠慮する必要はないだろう。
すぐに追っ手の二人も到着した。
「よくやってくれたわ。ミカのやったことは確かに許されることじゃないけど、死刑はいきすぎよ」
「昨日から神の声について考えていたのですがね。ミカ、君はお爺ちゃんの声を聞いたと言いましたが、その声は本当にお爺ちゃんでしたか?」
「えと、わかんない。なんかね、最近お爺ちゃんのお顔を見にいくと、お爺ちゃんが喋ってるみたいな声が聞こえてきて、頭がポーっとなっちゃって、凄く気持ち良かったの。だから何度も何度もお爺ちゃんのお顔を見にいったんだけど、いつも気が付くと、自分のオフィスのソファで目が覚めるのよ」
「お爺ちゃんが亡くなった日はどうでした?」
「いつもと一緒だよ。目が覚めたらオフィスにいたから、もう一度お爺ちゃんのお部屋にいったの。そしたら、お爺ちゃんの胸にあたしの剣が刺さってたのよ。同じような夢を見てたから、きっと、あたしがやっちゃったんだなって思って、光希君のところにいったの」
「やはりそうでしたか。これは調査してみなくてはわかりませんが、ミカが手を下したにせよ、そうでないにせよ、何者かがミカを幻覚、幻聴の類で操った可能性が高いですね」
「なんですって? じゃあ、ミカはちっとも悪くないじゃない。なんてことかしら。ミカ、怒ったりしてごめんね。……でもミカほどの子を操るなんて、いったい何者の仕業なのかしら? 気味が悪いわね」
ガブリエル様がミカちゃんの頭を撫でると、ミカちゃんはガブリエル様に甘えるように抱き付いた。姉妹のような外見ながら、その光景は母と娘のようだった。
「ガブちゃん、ごめんね。傷痛む? メッティもごめんなさい」
父様もハグに加わって言った。
「いいんですよ、ミカ。君を信じてやらなかった馬鹿なわたし達を許しておくれ」
この親子みたいな三人の抱擁は、水入らずでさせておくのが一番だろう。
「さて、事件の真相も気になりますが、本物の追っ手が来る前にいくとします。本当にお世話になりました」
「サッちゃんに加えてミカまでお世話になって申し訳ありませんが、二人を頼みます」
「もちろんです。お二人とも、お元気で」
「いくあてはあるの?」
「とりあえず一旦魔界に戻って、地獄にでも潜伏して様子を見ようかと」
「それがいいわね。情報操作して、魔界で仕度していく時間ぐらいは稼いでおくわ。ミカ、光希君の言うことをちゃんと聞くのよ?」
「はーい」
「でもね、もしエッチなことされたら、その時はオーラ付きのビンタでもしてやりなさい」
「うん、そうする」
俺は三人に背を向け、本物の指輪に付け替えた。指輪がきつくなった気がして無理矢理はめた。指輪のくすみが、もはや絶望的な黒に見え、何度も何度も指でこすり続けた。