天界4
数日経ったある日、リビングのソファでくつろいでいると、ガブリエル様が俺の上体を起こし、形の良い右手で背中をさすってきた。
「あ、あの〜。お気持ちは嬉しいんですが……俺には婚約者が……」
「何か言った?」
「い、いえ……なんでも……」
ガブリエル様は大して気にした様子もなく、腕組みして、しげしげと俺の背中を見つめている。
「やっぱり、天界であの翼はまずいわね」
「と、言いますと?」
「魔界には堕天使もいることだし、人種がどうこう言う人も少ないでしょうけど、天界にはミカみたいな偏見を持った人も結構いるのよ」
「なるほど。でも、そう簡単に付け替えたりもできないだろうし」
「そうね。簡単ではないわね。少なくとも光希君にとっては」
「俺にとって?」
「ひどい苦痛を伴う方法ならできないこともないけど、我慢できる?」
「痛いのはいやだけど、ミカちゃんにあんな目で見られるのはつらいし、我慢してみますか」
「あの子を気に入ったの? だめよ? 変な気起こしちゃ」
「いや、そういうんじゃなくて、なんかこう憎めないというか」
「まあいいわ。ちょっと待っててね」
――少しして、父様を連れて戻ってきたガブリエル様の手には、タオルを巻いた『すりこぎ』のような木の棒が。
「光希君、翼を出して、これ噛んでちょうだい」
言われるままにすると、二人は俺の背後に並ぶ。
「覚悟はいい? 泣いちゃっても笑わないから、息を止めないように気を付けて。歯が折れると面倒だから、まずいなと思ったら意識して叫んだほうがいいかもしれないわ。あと、オーラは出さないでね」
物凄くいやな予感がしたが、男に二言はない。タオル棒の噛み具合を確かめ、親指を上げて示す。片方ずつ翼を持った二人は、
「せーの」
と、かけ声をかけ、俺の背中に片脚を踏ん張って、容赦ない力で翼を引っ張った。
「ん、んんん、んがああああ!」
バリバリという音と心臓を吐き出しそうになる痛みに腹一杯の叫び声を発し、タオル棒を床に落っことしたところで、背後から茶碗やら何やらの割れる音がした。
「よし、取れたわ」
二人は翼をもいだ拍子に勢い余って突っこんだ食器棚を気にしつつ、もげた翼を俺に手渡してくれた。記念にとっておくというのも気持ち悪いなと思っていると、翼は砂のように崩れ、消え去った。
「さあ、次は引っ張り出すわよ。さっきほど痛くないとは思うけど、準備はいい?」
「はい」
「よし、男の子だ!」
ガブリエル様の長い爪が俺の背中に十字架を刻み、手を突っこむ。いくら美人の手でも、背中から入りこんでモゾモゾやっているのは、あまり気持ちのいいものではなかった。まあ、ごついパパの手より百倍はましだが。なんて考えているうちに、ググッと引っ張られる痛みを感じて、翼の換装が終了した。
「よく頑張ったわ。メタトロン見て、わたし達の翼とそっくり。むしろ、ミカと同じぐらい?」
「確かに。膨張色の白になったとはいえ、これだけ大きな翼は……色々あって成長したせいかもしれませんね」
父様が頭を撫でてくれて、なんだか気恥ずかしかった。
「光希君、あなたやっぱりただ者じゃないわね」
渡された手鏡を見ると、背中に大天使の皆さんと同じような、白くて大きな鳥のような翼が生えていた。試しに出したり引っこめたりしてみても、元の翼と使い勝手は変わらないようだった。
「翼って引っ張り出してくれた人に似るんじゃないんですか? ガブリエル様に引っ張ってもらったから大天使級になったのかも」
「いいえ、それだけじゃないわ。確かに翼の属性は継承するけど、大きさや性能は持ち主の潜在能力で決まるのよ」
と、いうことは、『彼』こと大天使ウリエルをも超えられたのだろうか? あの日、指一本触れることすらできなかった『彼』よりも……。いや、潜在能力ってことだし、まだまだだよな。
「そういえば、ミカの翼を出した時は、大泣きした上に爪を立てられて大変でしたね。ガブリエル」
「そうそう。オーラ全開で暴れたから、ひどい目にあったわよね」
「ミカちゃんの翼を引きちぎったんですか?」
「いいえ、十字架を引っかいただけで泣き出したんですよ。ミカは痛がりですからね」
ミカちゃんの思い出話を聞きながら、左手を眺めて、婚約指輪を外したくないなと考えていると、ガブリエル様が言った。
「その指輪ね。見なかったことにするから、十字架入りのフェイク(にせもの)でも作ってしてるといいわ」
俺は早速、逆五芒星を描くと、指輪を取り出した。我ながら、サッちゃんが作ったものとそっくりなデザインだ。上手いこと十字架をほどこした指輪を作れて満足し、指輪を付け替えた。ついでに物質化した小箱にサッちゃんの指輪をしまい、静かに蓋を閉める。
――その晩、ガブリエル様の手料理と、父様自慢の自家製ぶどう酒による「光希の改心(仮)記念パーティ」がささやかに行われた。そこにはミカちゃんも急遽呼び出されて参加した。
「とうとう改心してくれたのね。おめでとう光希君。それでこそあたしが見込んだ、いい人の光希君だわ」
ミカちゃんは俺に抱き付いた。見た目だけの改心も、こう無邪気に喜んでもらえると、痛みに耐えた甲斐があるというものだ。
――ミカちゃんは人が変わったように俺にベタベタと甘え、たまに教育係のお二人から咳払いとにらみのセットを受けていた。それが百パーセント、ミカちゃんだけに向けられたものでないというのは、明らかだった。
――たまににらまれながらの楽しいパーティだったが、俺の肩にちょこんと頭を乗せてウトウトし始めたミカちゃんに、
「そろそろ帰って寝ないと明日起きられないわよ」
と、ガブリエル様が忠告して、お開きになった。ミカちゃんが名残惜しげに飛び去ったあと、すれ違いざまにガブリエル様が俺の二の腕をギュッとつねった。ベッドに入った俺は、未来の恐妻に逆さ吊りにされる夢を見た。