天界2
――九時始業、十七時終業という、古き良き時代のサラリーマンみたいな毎日を繰り返しながら数ヶ月が経った。魔界のゆったりした時に慣れつつあった俺には、時間の概念がある生活というのが随分と駆け足のように感じられた。もちろん、愛しの我が婚約者にも時折父様に付き添ってもらい電話していたが、長話が過ぎるとガブリエル様に二人仲良く首根っこをつかまれて、持ち場へと引きずり戻されるのであった。
――とある安息日、地上で言う日曜日に、ガブリエル様が、
「たまに息抜きでもしましょう。とは言っても、あなた達はしょっちゅう息抜きしてるみたいだけど」
と、笑いながらピクニックを提案した。
ガブリエル様がサンドイッチを作っている間、居候の俺達男衆は、物置からパラソルやレジャーシートを引っ張り出して出かける準備をする。天界では非常時以外の安易な物質化が禁じられているため、手間がかかるのは致し方なかった。続いて俺達はまとめた荷物を手に、ガレージへと向かう。そういえば、ここに来てから一度もガレージの中を見たことがなかったなと考えていると、父様がシャッターを上げた。そこにはタンクにハーレーダビッドソンと英文字で書かれた大きなバイクがあった。サイドカー付きのハーレーの荷台に荷物を括り(くくり)付けていると、時折へそをのぞかせるピタッとしたオレンジのタンクトップに、デニムのホットパンツという美味しそうな格好の美女が、つまりガブリエル様がバスケット片手に現れた。
「光希さん、ガブリエルに鼻の下を伸ばしていると、サッちゃんに言っちゃいますよ?」
と、父様が悪戯っ子のような顔をして言った。
運転するガブリエル様の後ろで彼女の腰に手をまわしている父様と、サイドカーにちょこんと乗っている俺という図で三十分ほど走ると、山道に入った。しばらく、馬の蹄のような乾いた排気音とともに山道を登っていくと、街を一望できる野原に出た。
雲の上に浮かぶ天動説の地球、もしくは巨大な島のような天界は、いつでもカラッとした青空だった。遠くに見える俺達の住む街『エンジェルタウン』は、パンデモニウムほどの規模ではないが、そこそこの大都市である。エンジェルタウンでは勤勉な天界人によって産業が発達しているので、物質化に頼らずとも大抵のものは手に入った。のんびりと空になど浮かんでいては、NASAか空軍にでも発見されるんじゃないかと心配したが、カムフラージュがしっかりとされているらしい。要するに、空に浮かぶ楽園的島国。それが天界だ。
「着いたわよ」
その声を合図に父様は荷をほどき、俺は「ウーン」と伸びをした。
山の中腹に広がる青々とした原っぱは、草刈りなどの手入れも行き届いていて、炊事場などの設備もあった。どうやらここは、眺めのよいキャンプ場のようだ。こんなに気持ちのいい場所が安息日に貸し切り状態なのは、街に近代的な娯楽施設が増えてきたせいだという。
父様がレジャーシートを広げると、早速その真ん中にガブリエル様が横になり、日光浴を始めた。俺はガブリエル様から少しだけ距離を置いて腰かけた。ガブリエル様のココナッツのような、アーモンドのような甘ったるい香りが届いてしまうと、父様やサッちゃんに申し訳ない不埒な妄想をしてしまいそうだったから。
パラソルを立て終えた父様は、ガブリエル様の向こう側に来て座った。
「あのハーレーって、地上のものじゃないんですか?」
「そうよ、地上のものを買って持ってくるのは特に問題ないから」
「そうなんですか。てっきり、ハーレーとダビッドソンがこっちに来てからもバイク屋を始めたのかと思いましたよ」
「そうか、その手があったわね! 今度捜し出して、店を出す気がないか聞いてみるわ!」
目を輝かせて答えるガブリエル様の様子からして、本当に彼等を捜し出しそうな気がする。
「光希君もバイクが好き?」
「ええ、まあ。地上にいた頃は丁度バイクに憧れる年齢でしたからね。学校にばれないように免許を取ろうかと考えてました」
「そうだったの。じゃあ、そのうち免許を取ったら一緒にツーリングしましょうか? あ、でもあなたには魔界に可愛いフィアンセが待っているんだったわね」
「まあ、そうです。バイクか……。魔界に戻ったら物質化してみるかな」
「あっちはいつも暗いから天界ほど爽快感はなさそうだけど、彼女とタンデム(二人乗り)するといいかもね。その時は写真でも送ってね?」
父様に限って嫉妬なんてしないだろうが、やはりカップルの邪魔をしちゃ悪いだろうと思い立ち、俺は散歩に出ることにした。
「あら、お昼食べないの? せっかく作ったのに」
父様が退屈している旨を視線で伝える。
「そっか、ありがとう。じゃあ、これ持っていって。木陰にでも入って食べるといいわ」
そう言うと、小分けされたサンドイッチの包みと、エンジェル印のペットボトル入りウーロン茶を手渡してくれた。ぶらぶら歩きながら後ろを振り返ると、ガブリエル様が父様の脚にちょこんと頭を乗せて、時折笑い声を上げているのが見えた。
散歩もそろそろ飽きてきたので、木陰に入ってサンドイッチを頬張っていると、俺が歩いて来た木々に囲まれた小道を誰かが歩いて来る。見るともなしに眺めていると、近付いてくるのが女の子だとわかった。
日の光を浴びて輝くショートカットの黒髪を黄色いカチューシャで押さえた、あどけない顔の女の子。サッちゃんや俺より少し年下に見えるから、地上人で言うなら中学生か高校に通い始めたぐらいの年齢といったところか。白いキャミソールに白いミニスカートの姿は、元気なテニス部員みたいな印象だった。




