地上3
翌日。
学校帰りに図書館や本屋をまわって悪魔に関する書物を探していた。
しかし、それは間違った行動だったと確信しつつあった。
実際に悪魔に出会った人など多くはないらしい。悪魔と出会って無事だった人というべきか。
サキュバスという名前はラテン語のSuccubo(下に寝る)からきているとあったが、サッちゃんはどちらかというとIncuboのイメージだ。
Incuboが語源となっている男の夢魔インキュバスと同一視されることもあるようだが、男に変身するようなことがあったら陰陽師でも呼んで退治してやろう。俺にそういう趣味はないからな。
結局どの本も主要な悪魔の名前程度までは合っているが、サッちゃんから聞いた仲間達の情報と比べても、遠くかけ離れたことばかりが書いてあるようだった。
――などと考えながらボケーッと歩いていると、誰かに肩がぶつかった。
ガムをクチャクチャ噛み、道路に唾を吐く、多少見覚えのある面々。ガラの悪さで名が通っている、同じ高校の先輩グループだ。
「おい、おまえどこ見て歩いてんだ?」
昔のマンガでしか見たことがない髪型。これはリーゼントってやつなんだろうか? いまだにこんな古典的な不良っているんだ。などと妙に関心してしまう。ブレザーではあるが、ズボンはマッチョマンの太ももみたいにダボダボだ。
「すんません、ちょっと考えごとをしてて」
「おいおい、弱っちい野郎だな。男が簡単に謝ってんじゃねえよ」
不良が俺の胸を小突く。
「そういうもんですかね?」
馴れ馴れしく肩を組んできた不良の一人が顔を寄せる。
「兄貴よ〜、俺達に小遣いくれや。どうせ余ってんだろ?」
「余ってるというほどはないっす」
「こういう時は余ってなくてもよこすんだ、ボケ! それとも、今月は萌え萌えフィギュアちゃんでも買っちゃったってか? 兄貴はオタクちゃんでちゅからね〜」
不良達がゲヘラゲヘラと薄汚い笑い声を上げる。
俺は実際弱っちい奴だ。細っこい悪魔の女の子に狙われるほどの哀れな子羊ちゃんなのだ。だから暴力沙汰などごめんだし、財布には高いであろう悪魔関連の本を買うために、小遣いの大半が入っている。
葛藤に揺れる頭の中の天秤をひっくり返した俺は、逃げるという結論に達した。顔を覚えられていたら学校で会った時にまずいことにはなるが……。
「おい、こら待て!」
人通りの多いところまで出れば下手なことはできないだろう。そう考えて商店街に向けて走った。しかし、俺は運動神経もあまり良くないのだ。体育は五段階評価でいえば、いつも二と決まっている。
――しめた、工事現場にガードマンが立っている……と、思ったら安全太郎君(旗振りロボット)だった。他に人影は……入れそうな店は……。
シャッターの降りたスナック風の店と、マダム御用達といった感じの古めかしい美容院。この際、美容院でもなんでもかまうもんか。おばちゃん達に言い付けてやる。情けなく泣きついてやるのさ。タクシーを呼ばせてもらって、家に帰れば一件落着ってわけだ。
近寄ってみると『理・美容うぃんど』の文字が。あぁ、ここは床屋さんもやっているんだ。そういえば、ねじねじのサインポールもあるしな。
ガラス張りのドアを開けると、店の奥から「いらっしゃいませ」と熟年夫婦らしき声が。助かった……。
呼吸を整えようとソファに座る俺。ドアに付けられた鈴がカランコロンと音を立てる。振り返って見ると、不良グループの一人が入ってくる。
「そんなに伸びてねえのに切るのか? いつからそんなオシャレさんになったんだよ?」
腕をつかまれ、心臓が飛び跳ねる。声が出ない……。
「あれ? お客さん達二人連れ?」
理容担当と思しきおじさんが出てきた。
もう後先のことなど考えていられない。
「この人が俺を……人さらいなんです!」
きょとんとした顔のおじさん。
不良がすかさず言う。
「先輩に迎えにこさせて、人さらいはねぇ〜べ。部活がきついからって、他人様に迷惑かけんなや」
おじさんは懐かしそうに遠くを見る笑顔を浮かべた。
「サボりはよくないぞ。しっかり先輩の言うことを聞いて、ビシッとしごいてもらいなさい。石の上にも三年。今時の若いもんは我慢ってものを知らないからな」
おじさんは背を向けて顔剃り中の客に戻る。
顔から血の気が引いてゆく。もう、どうでもいい気分になって『先輩』に連行される俺。
店を出て少し歩くと連中が俺を取り囲む。
「兄貴よ〜、そういう態度は良くないな〜。教育か? 教育されたいのか? みなさ〜ん兄貴とボクシングの時間ですよ〜? 俺達K-1ファイターだから、蹴りも入れちゃいますよ〜」
『先輩』役の不良は仲間に目をやり、ニヤニヤしている。仲間達はといえば、腕まくりしたり、拳をポキポキならして準備運動中。
工場跡地のような、ブロック塀に囲まれた空き地に連れこまれ、早速腹に一発もらった。
うめきながら俺は言った。
「ごめんなさい、お金ならあげますから」
「だから謝るなって、付くモノ付いてんのか? おい?」
腹にもう一発食らった。ありがたくないことに、こいつら見た目だけじゃないらしい。俺は腹を押さえてうずくまった。
でも、こういう場合は男も女も関係ないよな。一方的に殴られて、やめてほしいから謝るっていうことにはさ。などと考えながら、不良達が飽きて金だけ持ち去るのを待つ覚悟を決めた。
いよいよ不良達の円陣が狭まり、これはそうとう痛い目に遭いそうだと我が身に起こる不幸を予想していると、不良の一人が首筋を押さえて地面をのたうちまわった。
「痛え(いてえ)、痛えよー!」
「おい、どうした?」
そう問いかけた不良もまた同じように。そして一人、また一人と次々に転げまわり、全員気を失ったようだ。
いつのまにか、サッちゃんがだらしなく寝そべる不良達を見下ろしていた。
「低俗な人間どもがわたしの貴重な食料を穢す(けがす)ことなど許さない。そうだわ、おまえ達もわたしのお食事にしてあげましょう」
地べたにペタッと座りこむサッちゃん。不良の腕をつかんで微笑む。
「わたしの糧になれることを誇りに思って死ぬがいいわ。ふふふ。いただきまーす」
俺はとっさにサッちゃんの肩をつかみ、食事の邪魔をした。
「なに? あなたも欲しいの? 光希になら特別にわけてあげてもいいわよ? はい、お・す・そ・わ・け」
サッちゃんはブレザーの袖を鋭い牙で引き裂くと、露わ(あらわ)になった不良の腕を俺に差し出す。
「はい、あ〜んして? ちゃんと食べてブクブク太らないと。脂の乗った悪〜いおじさんになってね?」
「いらん! 俺に食人の趣味はない!」
「好き嫌いはだめよ?」
「そういう問題か?」
「まあいいわ。復讐してあげるから黙って見てて」
俺の手を「めっ!」と払いのけて食事に戻ろうとするサッちゃんを、もう一度引き止めた。
「なによ? この者達はあなたにとっても敵なのでしょう? 邪魔をしないでちょうだい」
「だけど……」
「だけど、なに?」
「そう簡単に人を食うなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」
「あら、良い心がけね。わたしをほめるなんて」
喜んでいるようだが、それでも食事を諦める気はないようで、もう一度不良の腕をとった。
「だから、やめろってば!」
「うるさいわね。あなたが今、代わりにわたしの糧になるというの? わたしはそれでもかまわないわよ?」
「それはいやだけどさ……。ちょっと待ってくれよ。……頼むよサッちゃん」
俺が拝むように手を合わせて言うと、サッちゃんは腕組みして何やら考えこんだ。
「気分が削がれた(そがれた)わ。悪い男は美味しいけど、悪ガキはまずいし……や〜めた」
倒れている連中に蹴りの一つも入れてやりたかったが、それは卑怯者のすることだ。卑怯なことは悪いこと。つまり……自らの美味しさに彩りを加えてしまうことなのだ。
――サッちゃんと俺は優しい夕方の日差しに包まれて帰り道を歩いた。最近はだいぶ日が長くなってきた。どこかの家からタマネギの焼けるいい匂いが漂ってくる。
サッちゃんを横目で見ると、邪魔されて怒っているかと思ったのに、ファラオのミイラでも呼び出しそうな不気味なメロディーなど口ずさんでいた。これは魔界の歌なのだろうか?
「助けてくれてありがとう、サッちゃん」
「光希のためじゃないわ。あなたを今失っては困るから助けただけよ」
「おおげさだな。でも、俺がいなくなったらそんなに困るのか?」
「ええ、わたしはあなたに目星をつけて人間界に来たのよ。あなたは普通の人間より遙か(はるか)に栄養価が高い種類の人間とでも言えばわかりやすいかしら?」
「いやな言いかただな。でも、それくらいのことで?」
「誇り高き魔族にとって、一度目標として定めた獲物を諦めて帰ることなど恥ずかしくてできないし、死んだ人間を食べるのもタブーとされているの。それに、目標として選ばれる人間から得られる力は決して小さくないわ。力の使いかたにもよるけど、百年はもつかしら」
「へぇ、そうなんだ。でも結局その牙で食べられるのか。痛そうだな。あの不良達、気絶してたし」
「そうね。夢魔の牙は特別に痛いわよ? 怖い?」
「ああ、怖いよ。痛いのは嫌いだ」
「正直なのね」
「悪いか?」
「いいえ。でも、悪くないのは問題だわ。もっと虚勢を張って、嘘をつきなさい。泥棒とか詐欺とか、悪行の限りを尽くしてもらわないと困るわ」
「悪い男は美味い……か」
「そうよ。『悲鳴こそ最高のスパイス』という名言が魔界にはあるんだけど、あなたがブクブク太った大悪党に育ってくれたら、苦痛の少ない方法を考えてあげなくもないわ。努力することね」
「美味しく食べられるための努力かよ……。それだけのためにわざわざ悪党にって……」
「よい子でいれば食べられないかも、などと考えてはだめよ? その時はた〜っぷり拷問して『殺してくれ!』って絶叫させちゃうんだから」
「やれやれ……」