魔界12
中断されてしまった披露宴だったが、戻ってきた参列者は六十人にも満たなかった。キャンドルは燃え尽き、薄暗い明かりだけが戻った仲間達を照らしていた。サッちゃんは、自分が調子に乗って呼びかけたばかりに参列者から犠牲を出してしまったと泣き崩れた。
犠牲者の家族や友人達は、
「サッちゃんが呼びかけなくてもみんないったさ。死ぬ前に綺麗な花嫁さんを拝めてラッキーだったろう」
と、口々にサッちゃんを慰めてくれた。
サッちゃんを寝室に連れてゆき、寝かしつけると、俺は急遽偲ぶ会に変わったパーティに参加した。
俺の活躍をほめてくれる者もあったが、今は喜ぶ気になれない。誰からともなく早々にパーティは切り上げられ、淡々と片付けを済ませた仲間達が去ってゆく。
「披露宴をやり直す時には是非また呼んでほしい、サッちゃんを慰めてやってくれ」
というような言葉を残して。
――それからしばらくの時が経ち、サッちゃんがリビングに顔を出す機会も増えてきた。だが、まだ表情が晴れない。サッちゃんが満面の笑顔を浮かべた花嫁になるまでには、かなりの時が必要に思えた。
テレビからの情報によると、鬼達の暴走の背後には地獄を管理する者の差し金がありそうだ、とのことだった。ひたすら破壊する以外に考えを持たない地獄の鬼達が、来られるはずのない魔界に入りこんで暴れたのだから、その親分が何らかの形で関わっているのは間違いなさそうだ。
――ある時、チャイムが鳴るのを聞いて、俺は玄関に走った。
扉を開けると、そこには魔界のアイドルが無造作に突っ立っていた。
玄関先のランプに照らし出されるサタン様は、黒い革パンに胸をはだけたフリルブラウスという、サッちゃんの夢を具現化したような格好だった。長く、青い髪を一本の三つ編みにまとめて、肩から垂らしている姿は、見ようによっては女性にも見えるくらい、繊細な顔立ちの美男子だ。
「やあ」
と、気軽な様子で右手を挙げているが、この人は魔界の王様なのだ。『物怖じしない』とパパのお墨付きをもらった俺だが、こればっかりはさすがにビビった。
「こんにちは。じゃなくて、えと、高貴なあなた様のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする」
「あはは、君は人間上がりらしいが地上ではサムライだったのかい? そんなにかしこまらなくたって君をどうこうしたりはしないさ」
「有り難き幸せ。じゃなくて、わかりました。サタン様」
「君は面白い奴だな。ところで僕がここに来たのは、他でもない君に話があるからなんだ」
「わたくしめに、お話と仰られ(おっしゃられ)ますと?」
「まだ硬いぞ、君。光希君と言うんだったね?」
「はい」
「では光希君、本題に入ろう。僕はこの前の君の活躍を惜しくも見逃してしまったが、例の巨人を倒してくれたそうだね?」
「そのとおりです」
「あの巨人もまた普段地獄にいるんだが、なかなか厄介な奴でね。街に出てきたあいつを倒してくれたのは大いに助かったよ。そこでだ、君の活躍に対する褒賞として、僕は君を魔界貴族の一員に加えることにした。異存ないだろ?」
「えと、あの……」
「不服かい? いや、一匹狼であり続けたいって魔族もいるんだ。実力者の中にもね。君がそういう主義なら無理強いするつもりはないんだが」
確かに妙なしがらみは勘弁してもらいたいが、サタン様直々の任命を断ったりしたら俺の誇りが……じゃなくて、愛しい『隠れ拷問フリーク』が許さないことだろう。
「身に余る光栄、是が非でもお受けいたします……」
「何か断れない事情でもあるようだね? ふむ、君には女難の相が出ているようだ」
「ええ、それはもう恐ろしい婚約者が……いえ、失敬しました」
サタン様は俺の目を覗きこむように見つめ、やがてカラカラと笑い出す。ひとしきり笑った後、紋章を描くこともなく、ガラス張りの豪奢な盾を物質化した。
「はい、これ勲章と任命証」
「あ、有難うございます!」
地上でありふれた生徒だった俺は、偉い人に褒められたり、何かに任命されたことなどなかった。いや、一度だけ図画工作の作品で銀賞をもらったことがあったっけ。だが、あれは何の銀賞だっただろう? クラス委員長に任命されたこともあるが、あれは風邪で欠席した学級会選挙で押し付けられただけだ。
「こちらのお宅は実力者ぞろいだから、こんなの珍しくないかもしれないが、一応大事にしてくれよ。こいつはルシファ様か僕がその気にならなけりゃ、どんな根回しをしたって手に入らないものなんだから」
「勿論ですとも」
玄関での会話が騒がしかったのか、サッちゃんが
「お客様?」
と、言いながら顔をのぞかせた。サタン様と目が合うと、サッちゃんはその場にヘナヘナと座りこみ、半べそのような表情を浮かべ、三つ指ついてお辞儀した。
「可愛い子だね。例の彼女?」
「ええ、一応婚約者です」
「おや? あの子はバフォメットの……そうか、サキュバスはあの娘だったか……」
「どうかされましたか? ……サタン様?」
「いや、なんでもないよ。……それにしても残念だ。光希君より先に出会っていたら、后に迎えていただろうに」
サタン様がサッちゃんにウィンクすると、サッちゃんは
「ああ、勿体のうございます」
と、言いかけながら失神して床に崩れ落ちた。
「あはは、君に似合いの面白い彼女だな。大事にしてやるんだぞ。彼女を泣かせたら、君を地獄に送って僕がもらっちゃうからな」
「そ、そんな」
「冗談だよ。まあ、泣かせるつもりはないだろうけどね。じゃあ、またね。気が向いたら城にも遊びに来るといいよ」
肩の上で、後ろの俺に手を振りながら、ぶらぶら歩きでサタン様は帰ってゆく。一応深々とお辞儀をして見送っておいた。想像していたよりナイスガイだったことは認めるが、どうも生理的に受けつけない感じをサタン様から受けた。
ガラスの盾をしばし眺めたあと、床に突っ伏してのびている、サッちゃんの鼻をつまんでやった。
目を覚ましたサッちゃんは
「素敵な夢を見たわ」
と、夢心地の顔で言ったかと思うと、俺の手に握られている盾と俺の顔を交互に見比べ、また気が遠くなったようにふらふらとして、俺の懐にもたれかかった。
「ねえ、光希。サタン様は本気で仰られたのかしら?」
と、サッちゃんは俺の胸に指で『の』の字を書きながら言った。
「なんのこと?」
「……もっと早く出会っていたらって」
「ああ、あれか。サッちゃんさ、その質問する相手間違ってない?」
「え?」
俺の顔をしばらく見つめたあとで、その意味がわかったのか慌てて言った。
「そ、そういうことじゃないのよ。わたしはそんなふしだらな女ではないわ。わたしにはあなたしかいないの。だから許してくれるでしょう? ダーリン。そうよ、サタン様は手の届かない存在というか、憧れというか……」
まあ、いいか。『憧れのサタン様』のおかげで元気も取り戻したようだし。でも、もうちょっとこのまま弁解させておこう。慌てた顔が可愛いから。