魔界5
サッちゃんから事情を聞かされたパパは愉快そうに、
「サッちゃんに夜這いなんざ、十年早い」
と、俺にげんこつをはった。
とはいえサッちゃんがいなくなった途端、サッちゃんの部屋のトラップ攻略法など密かに教えてくれるあたり、いったい俺に何をしろと言っているのか。まあ、このパパでさえ逆さ吊りにされたことがあるというのだから、当分夜這いはやめておこう。命が幾つあっても足りない。
と、冗談はさておき、早速トレーニングを開始することになった。丁度例のスポーツ観戦が終わって退屈していたところだったらしい。サッちゃんと父様はデパートに買い物にいくと言って出掛けた。俺もサッちゃんとデパート探検にいきたかったのだが、
「逃げられると思ってるのか?」
と、パパがニヤニヤしていたので、おとなしく二人を見送るしかなかった。
「サッちゃんは買い物にいくと言ったけど、魔界にはお金の概念とかあるんですか?」
「まあ、一応はあるさ。かっぱらいをやったって捕まるわけじゃねえが、多くの魔界人は盗みを恥だと思っているからな。魔界人は名誉と恥を行動の基準にしてるってわけだ」
「みんなどうやってお金を稼ぐんですか?」
「おまえにもあとで教えてやるが、悪魔や天使ってのは必要なものを『物質化』することができるんだ。ちょっとした高等技術だがな。だから、需要の多いものを作って店に売りつけてやれば幾らでも金は手に入る」
「お二人やサッちゃんは当然物質化だってできるんでしょ? 買い物にいく必要なんてあるんですか?」
「サッちゃんに言わせれば、センスのいいデザイナーとかいう野郎が物質化した洋服やらアクセサリーやらが欲しいんだとよ。あの無駄に布の多い服は自分で作っても、なかなか上手くいかないらしいぜ。前に自分で作って、何も着ないより恥ずかしいような服を作って以来、あんまり難しい服は作ってないようだ。試着してみて気付いた時の真っ赤な顔ったらなかったぜ。可愛いのなんのって」
「それは見てみたかった。なるほど、それで買い物なんですね」
「今頃旦那はサッちゃんのおねだりにあってるだろうさ。サッちゃんと買い物にいったが最後、サッちゃんのおねだりにあうと、さすがの俺様でさえどうしても断われねえんだよな〜。小さい娘っこみたいに目をウルウルさせてよ、首をちょこっと傾げてジーっと黙ってこっちを見てるんだ。そうなったらもう、わかったわかったって言うしかないだろ? いや、金なんざなんとでもなるんだ。だがな、サッちゃんもわかってて、こう、甘えてくるんだよな……」
俺は聞こえよがしに咳払いをして続けた。
「じゃあ物質化ができない人達が店員やサービス業についてるってことなんですね」
「それと酔狂な奴等がな。堕天使や人間出身の奴等は真面目なのが多いから、仕事もしないで遊んだり、だらだらしているのが性に合わんらしい。まあ、地上のよくできた経済システムとは違うが、それなりに機能してるようだぜ」
「なるほど」
「よし、お喋りはこのくらいにしようぜ。頭使うのもいいが、今はおまえの戦闘能力を鍛えるのが先だ。いくぞ」
庭に出ると、パパは屋敷の外壁にあるスイッチをひねって庭のライトを最大にした。サッカーでも野球でもできそうな広々とした芝生の庭が、全貌を現わした。
いかついパパのトレーニングといえば、腕立てや腹筋を何千回もやらされるのだろうなとげんなりしていたが、そのトレーニングは意外なものだった。
「おまえまだ飛べないんだったな」
「はい」
「よし、ちょっと痛いが我慢しろよ」
俺が返事をするよりも早く、パパは爪で俺の背中に逆五芒星を刻む。背中に差しこまれた手がモゾモゾする痛みに耐えていると、背中に今までと違った感触が芽生えてくる。
「よし、翼を引っ張り出したぜ。これでおまえも練習すれば空を飛べる」
「おお、すげー!」
振り返って見てみると、俺の背中に身の丈ほどの、カラスによく似た翼があった。パパの背中にも同じようなのがあるところを見ると、サッちゃんに引っ張ってもらえばドラゴンみたいな翼になっていたのだろうか?
試しに動かしてみると、不思議と翼を動かす感覚に違和感はなかった。俺はパパに教わりながら、翼を出したりしまったりする練習をしたあと、ホバリングのように空中に止まる練習をし、ついにはゆっくりだが自由に飛びまわれるようになっていた。
「いいか、光希。この翼は飛び上がるきっかけと、高度を維持するためのものでしかねえ。主な推進力にはオーラのパワーを使うんだ。このオーラの活用法ってのは他にも色々使う基本だから、しっかり鍛えろよ」
「鍛えたら俺もサッちゃんみたいなスピードで飛んだりできますかね?」
「まあ、それはおまえの素質次第だ。あの子はまどろっこしい喋りかたに似合わず、異様にすばしっこいからな。才能ってやつだ。オーラを動作に乗せるのが並外れて上手いってことなんだろう。時にはこの俺様よりもな。よし、次は武器の物質化だな」
そう言ったパパは、いつのまにか右手に巨大な斧を支え持っていた。二メートルを超える身長のパパよりも長い持ち手の斧は、両側に突き出る刃の部分まで入れたら三メートル近くはあるだろうか。黒曜石のやじりのように黒くて痛々しい無骨なフォルムを、紫のオーラが包んでいた。パパは顔こそ山羊っぽいものの、巨大斧を携えた姿は図鑑で見たミノタウロスとかいうのとそっくりだ。あっちは牛の顔だったっけ? あまりに似合うので俺は笑いを噛み殺すのに苦労した。
「俺がこいつを取り出したのが見えたか?」
「いいえ、全然」
「そうか。物質化は俺の得意分野だからな。それなら、サッちゃんが剣を取り出すのを見たことはあるか?」
「はい、何度か」
「じゃあ、同じように逆五芒星を描いてみろ」
いつかサッちゃんがやっていたのを真似て空中に逆五芒星を刻む。だが、何も起こらない。
「おまえ、何やってんだ? なんだ、そのへっぴり腰は。それにまるで図形がでたらめじゃねえか」
パパはしゃがみこんで地面を盛大に叩きながら笑っている。体感震度四といったところか。
ようやく地震笑いが収まると、パパはテニスのコーチみたいに俺の背後から腕をつかんで、何度も図形の描きかたを反復させた。
ああ、これもサッちゃんに教わりたかった。きっとこの体勢なら背中に柔らか〜い……。
「こら、真面目にやんねえと、やべえものを呼び出しちまうぞ。いいか、ここはこう、真っ直ぐだ」
いいかげん身体に紋章の描きかたが染み付いたところで、パパの手を離れて素早く空中に逆五芒星を描く。指先の軌跡が光を放ち、サッちゃんが描いたのと同じ紋章が現れた。
「よし、武器を念じて手を突っこんでみろ。何かないか?」
言われたとおりにすると、そこに何かあるのがわかる。握ってみると剣の柄のようだった。一気に引きずり出してみると予想外に巨大なものが出てきて、思わずそいつを落っことした。
地面に横たわっているのは、俺の百七十センチの身長を超えそうなほどの巨大な剣だった。相対的にはスマートに見える刀身もかなりの幅広で、俺なんかが使うより騎士の銅像が持っているほうが似合いそうなぐらいだ。使い勝手が良さそうには見えないが、銀色の刀身に青いオーラをまとっている姿は純粋に美しい。柄と鍔が一体になった部分が龍の干物みたいな気味の悪い形をしているのは、サッちゃんのものと似ている気がした。
「ほほう、こりゃまた大物だ。この逆五芒星には知ってのとおり色々な使い道があるが、武器を念じた場合には、その持ち主に最も適したものが出現すると言われている。おまえの体格にはちょっくらでかすぎるようにも見えるが、まあ使えば馴染む(なじむ)だろ」
俺に最も適した剣とやらを担ぎ(かつぎ)上げようと腰に力を入れて、よっこらせと持ち上げると、勢い余って尻餅をついた。取り出した時には驚いていて気がつかなかったが、予想に反して剣が軽かったせいだ。パパが腹を抱えて笑っている。
「これ見た目よりも全然軽いや。こんなに長くてごついのに」
「地上人だった頃のおまえだったら持ち上げるどころか、一ミリも動かせなかっただろうな。魔族の身体に感謝しろよ。ところで、今はまだオーラ武器は使わねえから、しまっとけ」
再び空中に紋章を描き、剣をしまった。
がさつそうな見た目に反して教えかたが上手いパパのおかげで、俺は魔族の身体とオーラの活用法を色々と学び、ひととおりの戦いかたを覚えることができた。あとは実戦だと言うパパに従って組み手をしていると、サッちゃんと父様が帰ってきた。父様は両手にたくさんの紙袋を提げて(さげて)いた。
「やあ、やってますね。光希さん頑張って」
「パパ、あんまり光希をいじめないでね」
二人は満足げに談笑しながら、邸内へと引っこんでいった。