第二章 魔界
パパが空中に描いた逆五芒星を抜けると、そこは山の中腹のようだった。
今が夜なのか、それとも魔界はいつでも暗いのか、眼下に美しい夜景が広がっている。魔界にも電気があるらしい。大粒、小粒の電灯が、見渡す限り広がっていた。たぶん地平線の向こうまで。
「綺麗でしょう、光希さん。魔界はこの山以外のほとんどが平地らしいのですが、街の明かりがどこまでも続いているのが見えるように、魔界イコール一つの巨大都市のようなものらしいですよ。ちなみに市街地の外は、何もない荒野なんだそうです」
「お、旦那、早速この前説明してやったことを受け売りしてるな?」
「これは失敬」
「なに、説明する手間が省けるってもんだ。旦那ほどの人なら、もう教えた事くらい全部きっちり覚えてるんだろうから、光希に色々教えてやってくれ。案内係は飽きちまったぜ」
「パパさんにはお世話になりっぱなしですからね。では、わたしにわかる範囲のことは光希さんに伝えておくとしましょう」
俺達は螺旋状にくるくると曲がった不気味な木々や、紫やピンクの毒々しい草むらからなる、いかにも魔界といった感じの山道を下りながら話した。
「今は夜なんですか? それとも魔界はいつでも夜?」
「そうですね。魔界はいつでも夜という言いかたもできると思います。ここは人間界のあらゆる技術を駆使しても掘削不可能な地層の遥か下。つまり、地底なので太陽の光が届かないのです」
「そんなに深い地底にしては、ここは涼しいですね。たしか、地底は物凄く温度が高いと聞いたんですが」
「たしかに。本来ならここは灼熱地獄で、魔族といえども生活するのは困難なのですが、サタン様の強大な魔力によって快適な居住空間を確保されているのです」
「なるほど、サタン様ですか。本当にそんなおかたがいらっしゃるとは」
「まぁ、今の時代には魔界の正統なる王ルシファ様が不在だからな。サタン様が代理として王を務めていらっしゃるってわけよ」
パパはなんだか誇らしげにそう言った。きっとルシファ様やサタン様は魔界人にとても愛されているのだろう。
俺が空を飛べないので、しばらくの間山道を歩きで下ってきているわけだが、もう三十分ほど歩いただろうか?
「そういえば魔界には時計というか、時間というかはあるんですか?」
「時が流れているのは確かでしょうが、魔界には時計がありません。気にする必要がないのでしょうね。光希さんもすぐに慣れますよ」
「遊びたい時に遊び、寝たい時に寝りゃあいい。魔界には法律も規則もなんにもないからな。おまえも好きなように楽しめばいいさ。だがな、あんまりにも恥さらしなことをして、サタン様のご不興を買っちまうと地獄に送られるから気をつけろよ」
「地獄……ですか。そこは魔界とはまた別なんですか?」
「同じ地底には変わりないんですが、人間界で言うところの刑務所というか、島流し的な場所だそうです。地獄で生まれ育った地獄人というのもいるんですがね。ごく少数らしいですよ。ちなみに針の山とか血の池のような拷問は現在行われていないみたいです」
「俺達魔族は退屈とか暇が大嫌いだからな。荒れ果てた地獄の何もねえ大地に放っぽり出されるのは、ある意味一番の拷問ってわけだ」
「なるほど。ところで魔族や天使は死ぬとどうなるんですか?」
「魔族も天使も地上人も、死ねば一緒くたに冥府ってところに送られてだな。それぞれの界からの代表者による評議にかけられて、生まれ変わり先を決められるってことらしい。まあ、評議員ってのは各界のトップで、冥府の情報は極秘事項らしいからな。どこまでが本当の話かはわからん」
「なんだか恐ろしいような、生まれ変われるなら安心のような……」
「生まれ変わり先が地獄だったら目も当てられねえがな。他に俺達の知らない恐ろしい世界があるかもしれんし。それに、記憶もきれいさっぱりなくなるって話だから、俺達にとっても死が今回の生で認識してる自分という存在の終わりってことには違いねえ。まあ魔族や天使、地獄人は殺されない限り死なねえから、せいぜい強くなれってこった」
そんなことを話しつつ、俺達は山を下り終えて市街地へと入った。目の前に広がる魔界の街は地上の現代的大都市とあまり変わらないように見えた。
地上では見かけたことのない、それでいて特に奇抜でもない車やバイクが走りまわり、ビルが森のように茂る街並み。ネオンサインの煌めく(きらめく)歓楽街。娯楽施設やデパートなどが多いのは、遊び好きの魔界人の特徴を映し出しているようだった。なんだか、俺の目には街全体が活き活きと笑っているように見えた。
「ようこそ、魔界都市『パンデモニウム』へ。だな、光希。地上の東京やらニューヨークなんかとそう変わりがなくて驚いたろう。ここへ初めて来た奴はみんな、おまえみたいな間抜け面をするんだ。もっとこう、おっかねえ場所を想像して来るんだろうな」
よく目をこらすと、そこらに歩いている人達は人間の姿をしている人もいれば、山羊や牛のような顔をした人もいて、半魚人みたいな人や、トカゲ人間のようなミュータントっぽい人もいる。中には父様と同様、白い翼の堕天使もいた。空を見上げると、そこにもごちゃごちゃと人が飛んでいたり、歩いていたりするのが地上と少し違うところか。
にぎやかなパンデモニウム中心街から少し外れた辺りに出ると、アメリカ映画で見たような広々とした住宅街に着いた。
どの家も庭に常夜灯を点して(ともして)いるので、街灯が無くても困らないらしい。たまにナイター営業のレジャー施設みたいに煌々と(こうこうと)明かりを点けている家もあった。庭で何かする時だけ明るくするのだろう。
こうして眺めていると、魔界の住宅事情はなかなか良好のようだ。広い土地にゆったりとした平屋や二階建てが悠々と建てられていた。日も当たらないのに、青々と茂っている芝生の庭は、映画スターでも住んでいそうな高級住宅街を思わせた。
その中の一軒、常夜灯に照らされて真っ白く浮かび上がる、横に長い直方体のモダンな大邸宅。そこに続く私道を歩きながらパパが言った。
「着いたぜ。ここが俺達の家だ」
「凄い家ですね。やっぱりパパほどの人になると違うな〜」
「まあ、俺様が作った家だからな。サッちゃんはもっとこう、尖塔とか門に跳ね橋のある城みたいな家を建てようって言うんだが、どうにも街並みに合わねえだろ? ちょっと前にもそのことで引っかかれたぜ」
パパほどの人でも、愛しいわがまま姫には手を焼いているらしい。