地上11
その時はすぐに訪れた。
二人の神々しさを感じさせる男達が俺達の前に降り立った。サッちゃんの父様ともう一人、こちらも位の高い天使なのだろう。父様の様子からすると、父様よりも格上のようだ。
その格上風の天使はレスラーのような逞しい(たくましい)身体つきだが、大ざっぱな顔には、それでも品性が感じられた。白いスーツは偉い天使のユニフォームなのだろうか? 父様と違って、窮屈そうではあるが。
父様が俺に走り寄って、そっと耳打ちする。
「なぜ逃がしてくれなかったのです? 光希さん」
「すみません、でも約束より早いじゃないですか」
父様は面目なさそうに頭をかく。
「上の天使にばれてしまって……。わたしとしたことが」
「大丈夫なんですか? あなた自身は」
「彼女を仕留めて(しとめて)帰れば『彼』の胸の内にしまっておいてくれると。でも、わたしだってそんなのいやなんです。しかし『彼』には逆らえない。だから、隙を見て彼女と逃げて下さいね。お願いします」
『彼』がいぶかしげな顔でこちらを見ている。
「どうしたのです? その少年は知り合いですか?」
「はい、いえ以前見かけた良い行いをする少年に似ていたものですから」
「職務中です、始めますよ」
「はい」
『彼』はサッちゃんに宣告する。
「魔族の娘よ、覚悟はできていますね?」
「誰にものを言っているのかしら? このわたしに覚悟しろですって? 笑わせてくれるわね」
「あなただって力の差くらいわかっているでしょう? 抵抗してはいけません。苦しまぬように消し去ってあげましょう。それが神の使いの慈悲というもの」
「わたし達魔族に、天使の慈悲を受け入れるような卑怯者などいないわ!」
サッちゃんの身体から、不吉な赤い光と翼が現れ、力をたくわえてゆく。
サッちゃんは空中に逆五芒星を描き、取り出した二つの剣をかまえた。
「無駄ですよ」
『彼』はため息混じりに呟いた。
サッちゃんは『彼』に向けて目くらましのような、まぶしく赤い閃光を浴びせると、次の瞬間、『彼』の背後にまわりこみ、四方八方から斬りつけた。……らしい。
俺の目にはサッちゃんの腕が残像によって千手観音の腕のように見え、一本一本が何をしているのか、よくわからなかった。
サッちゃんが、とどめとばかりに遥か空中に舞い上がる。空中に立ち止まったサッちゃんが渾身の光をこめた両手の剣で空を斬る。巨大なカマイタチが通りすぎたかのように『彼』の周囲の地面はズタズタに切り裂かれ、『彼』を爆心地とした赤い光の大爆発が起こった。
視界一面が真紅に染まり、さすがの『彼』もただでは済まないだろうと思われた。
――『彼』は微動だにせずその場に立ち、まとわりつくやぶ蚊を追い払って清々したとでも言うような顔をしていた。
「もう思い残すところはありませんか?」
ふらふらと地上に降りてきて『彼』の顔を忌々しげ(いまいましげ)ににらんだサッちゃんだったが、やがて観念したように、その場に力なく座りこんでしまった。もうサッちゃんに力は残されていないようだった。
俺はサッちゃんのもとに走った。
「サッちゃん、今すぐ俺を食え! 諦めるな!」
「無茶を言わないで。いくら魔族でもそんなに素早く人間を食べることなんてできないわ、それにわたしはもう……」
サッちゃんは、ゆっくりとため息をついた。
「諦めるのか? それでいいのか? 君は誇り高い魔族だろう!」
「もう、いいのよ。あなたに会えてよかった。わがままばかり言ってごめんなさいね。光希」
「だめだ! 俺はそんなの認めない!」
そこへ『彼』が口をはさんだ。
「少年、そこをお退きなさい。かわいそうですが、その娘を見逃すわけにはいかないのです」
「うるさい! サッちゃんをおまえらの勝手な都合で裁くことなど俺が許さない!」
俺は『彼』に向かって猛然と走り、その顔面に拳を叩きつける。
しかし、白い光の皮膜に阻まれて触れることすらできなかった。
「許す、許さないという権限は人間には与えられていません。わきまえなさい、少年」
俺の身体は弾き飛ばされるように宙を舞い、空き地を囲む塀にぶつかると地面に落ちた。だが、俺の身体には痛みはおろか、かすり傷一つつけられていない。
「そこでおとなしく彼女の最期を見守ってあげなさい。耐えられなければ、目を閉じていなさい。少年」
俺は必死に立ち上がろうとするが、身体がまったく言うことを聞かない。
「ちくしょう!」
『彼』が、サッちゃんを消し去るための力を指先にたくわえる。
「やめろ! 腐れ天使! 一生呪ってやる! いつか必ず『堕として』やるからな!」
「いいのよ、光希。わたしは……もういいの。あなたは人間として幸福をつかむのよ。天使を敵にまわすなんて考えてはいけないわ。さようなら、光希。あなたとすごせて楽しかったわ」
斬首の瞬間を甘んじて受け入れる死刑囚のように、サッちゃんはうつむいて目をつむり、穏やかな表情を浮かべている。
光をたくわえた『彼』の指先がサッちゃんを指差した。
光の大洪水が視界を奪った。鼓膜が振動を受けてギシギシと不快感を訴える。息ができない。
自分の無力さをこんなにも悔やんだことはなかった。今まで守りたいものなんてなかったから。守ってやりたい存在ができた時には、もう手遅れだった。神だか魔王だか知らないが、俺の運命を握るそいつは、いつも俺にこんな仕打ちばかりして嘲笑って(あざわらって)いるに違いない。
「さようなら、サッちゃん。俺は忘れない。高すぎるプライドを健気に守り抜き、散り急いだ素敵な女の子のことを」