地上10
無我夢中で飛び出して捜しまわったはいいが、見当たらなかった。サッちゃんがその凄まじいスピードを活かして飛び去ったとしたなら、もう俺の手の届く場所にはいないのかもしれない。それでも地上にいる限りは、天使達にあっさりと見つかってしまうのだろう。
「まったく、どこにいったんだ」
サッちゃんとは家にいるばかりで、ほとんど一緒に出かけたことなどなかったから、TVドラマのように都合よく思い出の場所があるわけでもない。
「……ん? 待てよ」
サッちゃんはそこにいた。俺が不良に連れこまれた空き地だった。
サッちゃんは、かつて工場に出入りするために使われていたと思しき(おぼしき)コンクリート階段の残骸に座っていた。手に持ったどら焼きを大事そうに眺めている。
俺はポケットに入っていた五百円玉を取り出すと、近くの自販機で温かい緑茶を二本買い、サッちゃんに歩み寄った。
着ていたコートを脱ぎ、サッちゃんの肩にかけてやった。
「こんなところにいたのか。捜したよ」
俺に気付いたサッちゃんは慌てて顔を拭った。
緑茶を一本サッちゃんに手渡した俺は、並んで腰かけた。
「緑茶とどら焼きはとてもいいコンビだよ。眺めてないで食べたら?」
「そんな気分じゃないわ」
「悔いが残るぜ。大天使と戦って無事で済むとは思えない。お茶、貸してみなよ」
俺が緑茶の缶を開けてやると、サッちゃんはのろのろと一口飲んで言った。
「逃げろと言いにきたんじゃないの?」
俺も自分の緑茶を開けて、一口すすってから答えた。
「言っても聞かないだろう? それなら俺も何か手伝えないかなと思ってね」
「足手まといよ。帰って」
「無理するなよ、心細いくせに」
「人間に手出しできる問題じゃないわ。思い上がるなと言ったはずよ」
「わかったよ。でも、天使は人間に手出しできないんだろ? それなら、黙って見ているぶんには俺に危険は起こらない。そうだろ?」
「そうね」
「サッちゃんが消し去られる哀れな姿を見届けてやるよ。どうせ勝てないんだから」
「やっぱり、あなた生意気だわ。天使を片付けたら美味しくいただいてあげるから、覚悟を決めておきなさいね」
サッちゃんは、少し腫れ(はれ)ぼったくなっている目で、突き刺すように俺をにらんだ。
「よし、元気になったな。サッちゃんに泣き顔は似合わない。天使に勝って、俺を食って、無事に魔界に帰れるといいな。きっとパパも待ってる。だけど、痛くしたら遠慮なく悲鳴を上げさせてもらうからな。楽しみだろう? だから、絶対負けるなよ」
一瞬驚いたような顔をしたサッちゃんは、せっかく泣きやませてやったのに、とうとう一粒の涙を見せた。
「光希は本当に身のほど知らずだわ。誘惑するのは悪魔の仕事よ?」
サッちゃんが俺にそっと口付ける。
悪魔の口付け。
たしかに、誘惑するのは悪魔の仕事のようだ。
――二人の手を離れた緑茶が、土の地面に水溜まりを作っていた。
照れくさい顔を見合わせて、なんとなく笑った。