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第一章 地上

「あ……車だ」

 車道に差しかかった時だった。

 微妙な距離だったが渡れる気がして、かまわず横切った。

 車は思ったより速かった。

 タイヤが悲鳴を上げる。

 窓を下ろした主婦っぽいおばさんが、なんかわめいてる。

 道行く人達が振り返る。

 関係ない。

 さっさとやってくれればよかったのに。

 おばさんの家庭が、俺なんかのせいでメチャクチャになるのは気の毒だがな。

 重苦しい曇り空の下、灰色にたたずむ学校へと俺は吸い込まれてゆく。


 三学期の授業も今日から通常どおり。やっと一息ついた昼休み。

 弁当なんて作ってくれる人もいない俺は、コンビニの玉子パンで昼食を済ませた。午後の授業中に腹が鳴らなきゃそれでいい。

 クラスには椅子を寄せ合う女子グループと数人が残っているだけだ。この薄暗い天気の中、他の連中はどこで飯を食っているのか。

「大沢、ユリの脚見んなって」

 女子グループから非難の声が上がる。対象は俺だ。暇をもてあまし、短いスカートからのびた太ももを眺めていたのがばれたらしい。

「大沢、最悪。ちょーキモイんだけど」

 クラスで一、二を争う美脚の持ち主、ユリがだるそうに言った。

 言い争いも面倒だから、ここは謝っておいたほうがお互いのためってもんだ。

「はいはい、ごめんなさいよ」

 そんな俺の気も知らず、まだブツブツ言ってる女子達に言ってやった。

「だいたい、そんな短いスカート履いてくるから悪いんだろ」

「うわ、何こいつ。エロオヤジじゃん。有り得なくね?」

 過去にこんなやりとりが何度かあったが、それでも女子全員から総スカン食らったりしてるわけじゃない。こいつらも暇で、誰かに怒ってみせたいだけなんだろう。俺は格好のまと、イジラレキャラってことだ。

 俺がモテモテハンサム君で特筆すべき才能でもあれば

「大沢君、恥ずかしいよ……」

 とか

「このスカートどう? ちょっと短いかな?」

 なんて顔を赤らめて言ってくれたりするんだろうな、こいつらも。

 誰か俺と人生取り替えてくれないかな。誰でもかまわない。たぶんそいつは俺なんかより多く幸せってやつを持っているだろうから。


 放課後。

 いつもどおり『鏡を見る度にため息をつく習性がある』友人四人が、俺のアパートに集まった。『それなら見なきゃいいのに鏡ばかり気にしてしまう習性』もまた、俺達の特徴である。

 俺の両親は転勤で東京にいる。そのおかげで俺は気ままな一人暮らし。高校生の誰もがうらやむ一人住まいも、野郎の巣窟そうくつになっていては浮かばれないってもんだ。

 錆びた鉄の階段が歴史を物語る、地方都市ゆえに家賃三万という安くてボロっちいアパート。だだっ広い長方形のワンルームでは、野郎五人がゆったりと座ったり寝そべったりできる。

 短い一辺に玄関があり、上がりこんですぐに薄っぺらいベニヤ板張りのドア。それを抜けて正面の一辺に数えるほどしか開けたこともない窓。その下にはベッド。中心にコタツ。左手の長い一辺にキッチン。その横に全自動洗濯機がある。右手の一辺にはカラーボックスに載った液晶モニター。自作したパソコンに積んだチューナーでテレビも見られる。カラーボックスの脇にある冷蔵庫は飲み物と食べ残し以外の用途に使った試しがない。

 靴を脱ぎ散らかして我先にと上がりこむと、家主に特権があるわけでもなくコタツの争奪戦が繰り広げられ、あぶれた一人はベッドにゴロ寝する。この日、俺は首尾良くコタツに入ることができた。しかもテレビを正面から見られる特等席である。

 席次が決まるとモテナイ軍団による定例会議が始まる。会議なんて言っても議題があって進行されているわけでもなく、ゲームをやりながら絵空事えそらごとの女心論なんぞ喋ってるだけだったが。

 結局、晩飯時になって

「あー女ほしい」

 という、身も蓋もない結論をため息とともに吐き出し、会議が終わる。これが俺達のルーティンワークなのだ。

 そして、勤めを終えた我が同胞達は、交換し合ったエロ動画のディスクなど手に帰っていった。


 翌朝。

 目が覚めると即座に洗濯機をまわした。トランクスに不祥事ふしょうじを起こしてしまったからだ。さすがに小便など漏らしてはいない。

 それにしても、妙にリアルな夢だったな。細かく震える洗濯機を眺めながら、しばらく夢に出てきた女の子を思い浮かべていた。

 ゴスロリっていうんだっけ? 真っ黒でフリフリのドレスを着た女の子が、口に出すのも恥ずかしいような『あんなことやこんなこと』をしてくれた。宝石みたいな真っ赤な瞳を輝かせ、ピンクの髪をサラサラ俺の身体にからませて。

 頭に服とそろいの飾りっぽい布を結んであったのが、不思議と魅力的に感じた。女の子には、犬歯をちょっとだけ長くしたような、白くて鋭い牙があった。

 おっかない女子達に飼い慣らされた俺は、とうとう夢の中にまで恐ろしげな美少女を作りだし、都合のいいことをしちまったってことらしい。

 それにしても綺麗な子だったな。俺の夢に出てくるんだから、俺のタイプにピッタリ当てはまるのは当然かもしれないが。

「おっと、いけね」

 目覚まし兼用の埃にまみれた時計が遅刻警報を発令していた。


「大沢……。大沢! おまえどこ見てんだ。俺の授業はそんなにつまらんか?」

 先生の声だった。今は日本史の時間。板書をノートに写すだけの授業のどこが面白いのか、こちらが質問してやりたいぐらいだったが、俺にそんなガッツはなかった。

「すんません。ちょっと考え事を」

「授業より大事な考え事か? あとで職員室な」

 ――放課後。

 職員室に出向いた俺はありがたいお説教を頂戴した。

「来年からは三年だぞ? 気を引き締めてかからないと、受験やばいぞ?」

 話しは五分もかからなかった。次からは教室で言ってほしいものだ。

 大学なんてモラトリアム(就業猶予)な四年間を過ごせるなら、どこだっていい。間違って女子学生と大恋愛でもすれば俺の人生変わるかもしれないが、それにしたってガリ勉して一流大学にいく必要なんてない。

 鞄を取りに教室に戻ると、モテナイ軍団の面々が俺を待っていた。

光希みつき、今日ちょっとパソコン使わして?」

 光希こと俺のパソコンはこいつらのエロ動画収集マシンになっていた。親と共用のパソコンでエロ動画収集などするといろいろ不都合が起こるから、俺のパソコンで焼いたDVDを持ち帰ってゲーム機で読みこめば、『ガサ入れ』にでも遭わない限り安全ってことだ。

 今日もモテナイ会議開催決定である。

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