1-1『カルロの村』
森と共に静かに時を生きるカルロの村。村の東をずっと進めばイシェレ王国の王都セイルへと続いており、西には一面の天緑の森が存在する恵みの村だ。
カルロの村の者達は赤子の頃から森の恵みに育まれ、森の厳しさに鍛えられて生きる糧を得る。そして、今までに得た恵みを返す為にも、森に抱かれて、その人生を終える。
この村に生まれて五年目の春を迎えたジルフォードは、母に案じられながらも村の子供達と共に、薪にする為の枝を拾う為に家を出る。
「…甘えて、休むべきだったか…?」
息子である自身を案ずる母を、尊敬してもいるし育ててくれている事にも感謝している。しかし、ジルフォードは前世の隼人の記憶が素直に子供らしくなれずにいた。
森へと向かう途中にジルフォードがそっと家を振り返れば、母が玄関に立ってジルフォートと目が合うと手を振った。
「…薪、やっぱ必要だよな」
心配する母の表情を思い浮かべて、ジルフォードも母に向けて手を振ると顔を前に戻して。ポツリと、呟いた。
やはり、自分は子供らしくは出来ないみたいだ。
5歳の子供には少し大きな籠を森の入口まで、何度か背負い直して歩いて向かう。森の入口に辿り着いたジルフォードを迎えたのは、小さな女の子の声であった。
「遅い!」
「ごめん、タニア」
ジルフォードと同じく籠を背負った、栗色の髪を腰まで伸ばして青い髪紐で頭の側面で高く結び。勝ち気な琥珀色の瞳を吊り上げて、タニアは仁王立ちで謝ったジルフォードを睨む。
「もうライカンも、ナラディクも先に行っちゃったのよ!」
「タニアも先に行っても良かったんだよ」
「私は年上のお姉ちゃんだから!」
腕を組んで誇らしく言うタニアに、チクリとジルフォードの胸に小さな針が刺さる痛みを覚えた。ジルフォードにとっての姉は、過去も未来もたった一人しかいないから。
タニアの母親は妊婦であり、近い時期に子供が生まれるとタニア自身がここ数日の間。何かがある度に興奮を隠さずに耳にタコが出来る程、話していた。
その為にタニアの中で姉としての自覚が、目覚めてきているだけ。ジルフォードはそう心の中で呟いて森へと歩きだした。
「ジル?どうしたの?」
「何でもないよ」
「本当に?」
歩き始めたジルフォードに、タニアが隣まで駆けて顔を覗き込む。この村の人は、苦しい位に優しい。
「ダイジョブダイジョブ…ほら、行こう」
ジルフォードはタニアに声の口調に気を付けて言う。タニアは眉を寄せたが、大きく頷いてジルフォードの手を掴むと、足幅を広げてずんずんと地面を踏みしめて歩き。
「しょうがないわね!私はお姉ちゃんだもの、ジルの手を引いてあげる!」
高い位置に結んだタニアの髪が力強く歩き出す度に、まるで嬉しそうにしている犬の尻尾に見えた。ジルフォードは少しだけ、肩の力を抜いてタニアに手を引かれるままに身を委ねる。
「ありがと…う、タニア」
「良いのよ。だって、お姉ちゃんなんだから」
自身の想いをはっきりと口に出し、堂々と行動する事が出来るタニア。そんな彼女をジルフォードは尊敬すると同時に、羨ましいと感じている。
ジルフォードがまだ隼人であった頃、そしてタニア達と同じ年の頃に彼女の様に動いていれば。だからこそ、ジルフォードはタニアが羨ましいとタニアの背中を瞳を細めて眩しそうに見つめた。
「そういえば、ジルは聞いた?」
「何を?」
「聞いていないのね…良いわ、教えてあげる!」
「…何を?」
森の中を歩きながらもタニアは怪訝な表情のジルフォードに振り返る。
「近くにね、騎士様が村に来るらしいの!きっと、とっても強くて。とっても素敵なのよ!」
「何で?」
「知らない!お母さんが、ふのこーしんの確認とか?」
前へと顔を戻して首を傾げるタニアに対し、ジルフォードは苦笑した。さっぱり、訳が解らない。
「でも、多分ね!森の探検だと思うの!お母さんが何か言っていたから」
「あー…森の試練か」
国に仕える騎士は騎士になる為に、まず三年の間は王都で剣を習い鍛練を積む。そして、正式に試練を受ける事が出来るのだ。
その際に試練の一つとしてこの天緑の森が選ばれる。この森は試練として、丁度良いのだとジルフォードは去年の春に教えてくれた。新人を纏める隊長の一人のディアランという名の熊みたいな大男を思い出す。
「坊主ももうちょい大きくなったら、もっと奥まで行く事になるな。奥は木々の葉が太陽の日差しを遮って段々と暗くなり、昼間でも松明が無いと何も見えないんだぞ」
二年前に結婚して可愛い男の子が生まれたディアランは、ジルフォードの事も実の子の様に滞在中は可愛がった。彼の父親がジルフォードが2歳の頃に森に返った事も関係していたのだろう。
「森は奥へ行けば、貴重な薬草や獣が居るが…同時に魔獣も存在する。生と死が寄り添う恐ろしい森だ。最奥になんかとてもいけねぇ」
「ま、じゅう?」
「魔の毒を持っている人間…いや、生きる存在の敵だ」
魔の毒とは、魔獣が持っている邪悪な力の事である。生きている存在が魔の毒に侵されると、生きたた肉が腐って痛みと苦しみが襲い。最後には魔獣の様に生きた存在に見境なく攻撃し、大人の男でも気が狂い生き物に襲いかかる。
侵食され始めたばかりであれば、治療は可能ではあるだが。治療するには気術と呼ばれる、世界に存在する霊気を扱う熟練の者でなくばならない。
「だから、良いか。魔獣には気をつけろ」
そう、ジルフォードに告げたディアランは真剣な表情で。けれども、太い指では考えられない程に優しい手付きで彼の頭を撫でた。
もし、自身に父が生きていたのなら。
彼の様な人であったのだろうか。
あまり、覚えていない。
前世も、今も。
森の中の木の枝に結ばれた黄色のリボンと、点々と地面に突き立てられた火の付けられていない松明の道を頼りに進むと。森の中に佇む一軒のカルロの村の家よりも一回り大きめな木造建築へと辿り着く。
建物の近くでは一人の男が使い古された長剣を握り締めて、鍛錬をしている。革の鎧を身に纏う30代前半の男が、ジルフォードとタニアに気付いてニヤリと楽しそうに笑った。
「よぉ、二人共。遅刻だぞ」
「ジルが寝坊したの」
「だから、ごめんってば」
からかわれたタニアが恨めしげにジルフォードを見て、彼が吐き出しそうになった息を飲み込んで肩を落として項垂れた。こればかりは、仕方がないだろう。彼の前ではタニアもこうなるのは仕方ない。
タニアがジルフォードの手を離して男の元へと駆けて、飛びついた。男は慌てた様子で剣を持った手を持ち上げて、もう片方の手で抱きつくタニアの腰に回して眉を寄せる。
「おいこら、危ないだろう」
「危なくないわ!だって、大丈夫だったじゃない!」
「…まったく、誰に似たんだか…」
剣を地面に刺して、タニアを抱きかかえなおすと男と同じ栗色のタニアの髪を掴んで男は瞳を細めて笑う。
「んじゃぁ、ライカンとナヤディクには伝えておくから。さっさと拾いに行くか」
「今日はね、私が一杯拾うの!お姉ちゃんになるんだもの!」
「そうかそうか」
青い瞳を閉じて愛しそうにタニアを撫でた男が、彼女を地面に下ろして剣を腰のベルトに吊り下げた鞘に仕舞う。二人の様子を見つめていたジルフォードに男は、少しだけ照れたのか鼻の頭を掻いて笑った。
「終ったら、まぁ…ちょっとは、お前ものんびりしていけ」
「…うん、ありがとう。アイシおじさん」
アイシは元々、このカルロで生まれ育った人間では無い。彼は、元々は東に存在する砂漠の大陸の国『フィア・ラン』という名の国の生まれ。彼の生まれた国とは正反対のこのカルロの村で生きる事を決めたタニアの父親であり、元冒険者である。
後、二話…か、三話で大きくなります