一つ言っておこう
「此度の失態。すまなかった」
次の日。神妙な面持ちで現れたルェン・ヴァルキリーと共に、大園都中心部にある塔『王芯』へ向かった。着いて早々、シェリナ王女がいる謁見の間に誘導され、すり鉢のようなホールに入り、中心に浮かぶ机へ全員が案内されて……。
シェリナ・モントール・クローネリが、僕らに謝罪した。
一国の女王になるであろう女性が、他国の王族に謝意を示す。これが世に知られれば前代未聞の不祥事になるであろう。ジンと二人だけの密会ならまだしも、僕らにも見せたということは、彼女がどれだけリスクを背負った行動にでたかが伺える。それだけのことをしたということは、尾行者に情報を漏らした失態はクロネアにあったということにもなる。
普通なら絶対に認めないはずだ。個人の問題ではない。後々の国益にも関係する。
「お互いに面倒なことになってきたのは事実だなぁ」
「そうだな」
ジンがぽつりと言った。シェリナ王女もまた頷く。
彼女が頭を下げたということは、犯人の目星はついているものの、僕らには『言えない』ということ。そんなクロネアの対応に当然こちらは問い詰めることができる。しかし、一国の次期女王が頭を下げたとなれば、堂々と言えなくなってしまった。それほど王族の謝罪は意味を成す。これはただの口喧嘩ではない。レベルが違う。
「こちらとしては、魔法の館ではなくクロネアが用意した住居に移転して欲しいと言うところだが、無理であろう?」
「おう。アズールの立場から言えば魔法の館に住んでいる理由として、衣食住全てでクロネアに染まらないという意思表示になっているからな。迎撃用に仕込んでおいた魔法すら発動するまでもなく沈めたし、正直な話、移転する意味も価値もない」
「言うではないか」
「事実だし」
「まぁいい。と、なればクロネアとアズール双方の妥協案としては一つしかなかろう」
「話が早いな。書類は出来てるぞ」
「こちらも既に作っている」
呼応するようにピッチェスさんとシェリナ王女の後ろにいる忍者のような男が書類を卓上に出した。
現れるは双方一枚の書類。素人の僕でも上質な紙であることは一目でわかった。けれど、シェリナ王女が出した紙はクロネア語で何と書かれているのかわからない。対し、ジンが出した書類にはこう書かれていた。……許諾証。さらりとした後頭部左側の髪をかきわけ、学園啓都の統治者が口を開く。
「ことアズール側はこちらに来る前から住まいに関する要望が強かった。我々としても貴国の趣きを理解しており、承諾した」
「あぁ」
「しかし、こうなった以上こちら側としては何かしらの対策を打たねば面目が立たん。それでも住まいに関して譲る気はないのだな?」
「無論だ。一人の魔法師によって二分で終わらせた実績がこちらにはある」
「うむ。戦力が極めて高いのは言うまでもなかろう。こちらとしても五分あれば救援を出せる。住まいにおいて我々が介入する余地はないと解する」
「感謝する」
「しかし、館を出たとなれば話は別だ」
慧眼であり金色の瞳が鋭く射貫く。
「ジン・フォン・ティック・アズール。貴殿が外出する際、こちらが用意した護衛を付けさせてもらう」
「詳細事項は?」
「館外における全てだ。我々は、貴殿の安全を保障しなければならない」
「条件を提示する」
「おおよそ呑もう」
「俺に護衛をつけることに異議はない。そちら側の配慮を突っぱねる気もない。だが、俺以外の者に、護衛もしくは尾行者を付けることを一切禁じる」
「……」
「これを一度でも破った際は、貴国の今回における不祥事の全てを国際上の問題とする」
「理解した」
僕とモモを尾行した奴は、ジンを狙っていたにせよ彼ではなく標的を僕らに移した。ジン個人の怒りとしてそれを表明することはごく自然であり、当然のものといえる。これにより、学園啓都の者らはジン以外の僕らに一方的な接触をすることが難しくなった。
「しかし、そうなれば彼らの安全をこちらで保障することはできなくなり、仮に危険が生じた場合でも一切の賠償はできないとするが、いいか」
「構わんさ。そうなったらそいつの責任だ。自分で考え自分で行動し自分で招いた結果なのだから、当然だろ?」
最初からジンはこのつもりだったのだろう。シェリナ王女も今回の非がクロネア側にあると認めているのでジンの要件を呑む他ない。これに異を唱えれば、クロネア側が尾行者の詳細を隠したいという要望をアズール側が無条件で承諾したという姿勢を無視していることになる。つまりは、不義に当たるのだ。
水面下で互いの出方を伺いつつ、要望を交錯させる。それは巻き付きながら昇華していき一つの形となった。
「では、今日より貴殿の外出において護衛をつける。同時に貴殿以外への護衛または尾行者を禁じる。これに意義は?」
「ない。許諾証を提示する」
「こちらも申請証を提示する」
まるでお芝居のような。ひとつの劇を見ているかのようだった。感情は入っておらず、冷静に、淡々と言葉を交わすだけ。そこに心情の行き来などなく、業務をこなすだけの王族二人。彼らはこのようなことを常日頃行っているのだろうか。
だとすれば。
なんと、悲しく寂しいのだろう。ただ、外交というものはこうでなければ成立しない世界なのかもしれない。僕が見たのはその一片だ。時間にして数分であり、本物はこれの何倍もの労力と時間、心の削り合いをすることになる。確かシャルロッティア家次女のサーニャさんは外交官だったはずだ。彼女は常にこのような舞台で戦っているのか。
一つの区切りとして二人は大きく息を吐き、ジンがからかうようにシェリナ王女へ笑みを向ける。
「ちなみにだが虫女」
「あ? 何だゴミ男」
「俺の護衛は誰になるんだ?」
「……言いたくない」
「何でだよ」
「言いたくない」
「子供かお前」
「直にわかる。正直なところ、私はあいつを貴様の護衛につけるのは反対だ。あらゆる意味でクロネアの恥部をさらすことになる。だが、こと護衛に関して奴以上の者は他にいない。血涙に耐えて、差し出すのだ」
「……会いたくないんだけど」
「嫌でも会うさ。楽しみにしていろ。本当なら既に到着しているはずだが行方をくらましていてな。ただ、連絡鳥は送っているので届いてはいるはずだ。今日はルェンと観光しつつ、護衛の到着を待つといい」
「そうかぃ。なら、行くとするか」
「あぁ。私の配下の中でも飛び切りの猛者が、貴様の安全を保障しよう」
* * *
シェリナ王女との謁見が終わって、一時間が過ぎた。
今いる場所は、クロネアの名だたる芸術家たちが生涯をかけて生み出した芸術品を展示している『クロネア美術博物館』である。三階建て、主に絵画と彫刻品が展示されていて、アズールとはまったく違う作品に、皆興味津々で周っている。特に一番テンションが上がっているのが、同じ芸術家の類に入る桃髪の女性であった。
「リュネ、リュネ、次はあっちに行きましょ!」
「ま、待ってください。少し休憩を」
「駄目。時間は有限なの。こうしている間にも世界が終わるかもしれないのよ」
「物騒なこと言わないでくだ」
「行くわよ」
「引っ張らないで! 荷物が、服がぁぉお嬢、様ぁ!」
「レノン。リュネさんを助けて来て」
「了解した」
真剣な顔つきで頷いた助っ人が早歩きで二人を追っていく。ウチの姉妹とリリィは一階の飲食店でクロネア料理を満喫中。ミュウは魔術の国伝統の建造物をミニチュアや絵画で展示しているエリアへすっ飛んで行った。ピッチェスさんは先ほどのジンとシェリナ王女との会談の処理に追われていて王芯に留まっている。
ここクロネア美術博物館はシェリナ王女が推薦した場所で、セキュリティは相当なものだという。あの王女が太鼓判を押す場所なのだから安心だ。人や魔物も少なく、静かな空気が穏やかに館内を満たしていた。前を見ると、大きな絵画が壁に吸い取られるように飾られている。絵の左に人々が雄叫びを上げているような姿が描かれていて、反対の右に魔物たちが咆哮しているような姿が描かれている。どちらも、今にも絵から飛び出してきそうな迫力があった。ジンと一緒にしみじみと観覧する。
「面白いよね、これ」
「色がアズールと全然違うぜ」
「うん。基本的に色は自然界から取れるものを使っているらしいね」
「花から抽出できるだけで何百とあるだろうからな。セルロー大陸の恵みを活かしたやり方だ」
「魔物が今にも動き出しそうな感じだよ。アズールと比べて人物画・魔物画が凄く現実に近い。画家独特の世界観を表現しているというより、毛先の一本まで完璧に再現している技法が面白いよ」
同じ気持ちなのか、ジンも僕の言葉に続く。
「アズールじゃ魔法が根底にあるから想像を掻き立てる絵画が多い。画家の内なる力を絵に叩きつけ、見る者を魅了させるのが第一だ。そのためわけのわからん色彩を用いた絵に何だこれ状態の絵も結構ある」
「逆に、クロネアは僕らが見ているものと瓜二つのものを追及しているね」
「魔物がいる以上、奴らがどんな形態なのか克明に描く必要があったのかもしれねーな。確か、その魔物自身が描いた作品が三階に展示されているはずだ」
「見に行ってみよう」
館内は美術博物館というだけあって、とにかく広い。
横幅は百メートルで博物館としては普通だと思っていた。だが、一たび中に入れば奥行きが信じられないほどあり、三百メートルにも及ぶ。前世でよく体育の時間に五十メートル走をやっていたが、あれの六倍の距離だ。そのため(途中に隔たりがないと仮定して)展示品を見ながら奥にただ歩いて行くだけでもかなりの時間を要するだろう。
「気合入ってるよなぁ」
そんな奥行きのある館内はエリア毎に迷路のような構造となっていて入り口も全十八箇所あり、こんなにも広い建物を造るくらいなら博物館をジャンル別に分散させた方がよっぽど効率的だと思った。ただし、そうなると人と魔物の展示品を分けることになり、派生して差別問題が起きる可能性があって、あまり賢い案ではないという。アズール人には中々理解できない問題だ。
「それにしても長すぎだろ」
「……うん」
三階に上がれば、もう誰もいなかった。二階で既にポツポツとしかいなかったので当然だ。
ここは三階でも途中隔たりや壁がない最も奥行きがあるエリアで、正直に言うと奥の奥がよく見えない……。目を凝らせば微妙に見える、そんな距離であった。右を見れば、等間隔で飾られている絵があり、左を見れば丸い窓枠が絵と同じように等間隔に配置されていた。
その窓も僕らが知る一般的な窓ではなく、薄い膜が丸く張られていた。『透樹液』と呼ばれる樹液を用いており、館内からは外が綺麗に見え、外からは館内が靄がかっているようにしか見えないという。ここまでくると、もはや魔法だ。
途中、階段が右にあってそこから一階まで降りていけば出口がある。見て回るだけでも結構な体力を使うであろう。十数分歩いた後、そろそろモモが「ここに住む」と言い出すと思うので事前にレノンに対し発動しておいた初級・創造魔法“子戻り”で作った三角形の石を見る。子供が迷子になった際、親が子を見つけるのに重宝する魔法で、石が指し示す方向に発動した相手がいる。プルプルと石は下を指す。二階か一階だ。
「それじゃ、そろそろ行こうかジン」
「…………」
誰もいない長い長い廊下で、ジンを見ると。
棒のように立ち止まっている彼がいた。
目を大きく開き、何度も閉じて開いてを繰り返している。
身体が微妙に揺れていて、口も僅かに震えている。
「ジン?」
「…………」
もう一度言っても何も返さない。
ただただ目を真っ直ぐ向けて動かない。
不動の王子。
無視されたことに少しだけ嫌悪感を抱いたものの、何を見ているんだと僕も視線の先を見た。
そして────
「…………」
嫌悪感など無限の彼方に飛んでいくほどの衝撃に襲われる。
二人で黙る。
見つめて黙る。
次第に僕の身体も揺れてきて、口が僅かに震えだす。
目は瞳孔が広いてるんじゃないかと思えるほどぐわぁっと開き、見続ける。見てしまう。見ざるをえない。見るしかない。見る他ない。……見たくない。でも見てしまう。心の底から──見たくないのに……!
「いやぁ、やっと見つけたよ。姫君からの緊急連絡とはいえ、舞う時間はかかせられなくてね。どうか許してほしい。私から舞いを取ってしまえば、存在そのものがなくなってしまうのだ。むふ」
コツン、コツンと靴音を響かせて。
その者は奥からやって来る。
僕たちが来た方向から……やって来る。
「けれど、これにより私の肉体は最高潮に研ぎ澄まされた。ソナタの安全は、この私が全身全霊を懸けて……お守りしよう」
僕らの前で、ピタリと止まり。
「さて。まずは挨拶が肝心だね。あぁいや、その前に、言っておくことがあるだろう」
ブーメランパンツ。股から腰にかけ極めて細く薄い生地が逆三角形の形態となった下着。身体への密着性が極めて高く、着用した者の下半身美を徹底的に魅せつける。
下半身で着けている服はそれだけ。
上半身は白のレギオンを着用。ただ、両脇の部分はぽっかりと切断されており前と後ろがひらひら揺れている。胸元には大きな花が添えられていて、真紅の色。
上半身で着けている服はそれだけ。
髪は重力を超越したかのような逆立ち。焚き火の如く右へ左へ揺れている。
化粧をしており頬は紫。左耳には大量のピアスを付けていて。
悠々と彼はそこにいて。
ただただ静かに立っていて。
はぁんと吐息を漏らしながら一回転。
あぁんと溜息を漏らしながら身体をよじり。
ふぅんと鼻息を漏らしながら僕らを舐めるように見定めた後。
腰を上下にクイッ、クイッと動かしながら。
最後に深々と一礼。
極上スマイルで……一歩出る。
「一つ言っておこう。私は紳士だ」
脱兎の如く。




