第二試練・候補
調べるといっても第一試練とは違い、目の前に広がる本を読むことはできない。
書物による調べものはできない。……この時点で思うことは一つ。もし何も考えずにクロネアへやって来て、今の現実を知ったなら、きっと相当に落ち込んでいただろう。当たり前すぎて気づかない文字が読めない現実も、事前にしっかりと予行練習していたことで、すんなりと受け止めることができ冷静に頭を次へ切り替えることができる。
思っていた以上に、これが自分を落ち着かせた。
想像はできていても、実際に体験してみなくてはわからなかったことだった。他国で生活するというのは、何度考えてもわからないことだらけだ。百聞は一見にしかずである。
「ルェンさん」
「はい、なんでしょう」
嬉しそうに顔を向ける第六極長。馬鹿正直にクロネア永年図書館の謎を教えてほしいなんて言っても意味がないだろう。理由を説明しないといけないし、最悪危険人物としてマークをつけられる可能性もある。僕が一番やってはいけないことは、『クロネア側にシルディッド・アシュランという不可解な男がいる』のを知られないことである。
もし危険と判断されれば、とてもじゃないがこの一か月間を自由に行動することができなくなる。用心に越したことはない。言葉にも細心の注意を払う必要がある。
「凄い図書館ですね。本当に鯨の中にいるんですか」
「はい。正真正銘、鯨の中ですよ」
「じゃあ、率直な質問もしていいでしょうか」
「改まって言われるとちょっと照れてしまいますね。なんなりと、私で答えられることでよければ」
「大園都を発ってここへ向かう際、峠を越える時に言われた言葉。『魔術史上、最高傑作』についてです」
「あぁ、あぁ! はい、なるほど。当然ですね、“不死なる図書”に関して知りたいのですね」
「回りくどくてすいません」
「いえいえ。もし私がアシュラン様でも同じことを聞いたでしょう。確かに謎だらけですよね。ちょっと話が長くなりますが、よろしいでしょうか」
「もちろんです」
「では、不承ルェンがクロネア永年図書館の成り立ちを、お話しさせていただきます」
* * *
現在、私がいるこの鯨は言うまでもなく魔物です。世界に一頭しかいない、その名も『皇鯨』。
今から一千年前、学園啓都が生まれ様々な機関が入り激動の時期でもありました。何せ学園が始まってまだ間もなく、人と魔物の衝突も相次いで起こっていたのです。最初、一般的な図書館は大園都の東に位置していました。ただ、魔物の方々がこれだけじゃ足りないと、より上の書物を要望したのです。
確かに、学習意欲が豊富な彼らにとって、一般的な書物を揃えた図書館では充分な機能を維持できませんでした。また、学生をクロネア中から強制的に集める以上、未来を担う子たちを育成するため高次元での知識集合施設が必要になったのです。
それならばと、双王の一人であるバクダクト統帥はクロネア随一の図書館を提案しました。
これに反対したのが当時クロネア一の図書館を誇りとしていた王都に住む魔術師の方々です。彼らは学園啓都で実力を出し、結果を残せた有望な者にこそ王都でクロネア一の図書館に足を踏み入れるべきだと主張しました。事実、それまで彼らは王都の図書館に入ることが一つの名誉でもあったのです。
両者の争いは数年たっても決着がつかず、問題はずっと棚上げになるかと思われました。
その時です。学園啓都からクロネア王都へ、緊急伝令が入りました。
……絶滅したと思われていた皇鯨が生きていて、東の山を越えた先に瀕死の状態で倒れていると。
王はすぐさま救助隊を結成し、学園啓都へ向かわせました。その際、双王どちらも現地に向かい、直接皇鯨をこの目で見ようと訪れました。
当時の学園啓都を治めていた王族は二人。双子の兄妹でした。
二人は懸命に皇鯨を助けようとしますがほぼ死に体の状態である鯨に、彼らができることなど何もありませんでした。一生懸命励ましの言葉をかける以外、できることは何もなかったのです。それでも二人は諦めず空の王者たる鯨を励まします。王都から救援が来るまで頑張れと、救援が来れば必ず助かると、昼夜問わず寝ずに励ましました。
何故そこまでして鯨を助けようとしたのか。理由としては、学園啓都で最も問題視されていた人魔差別にあります。言葉通り、人と魔物が互いに相手を差別することです。共存と謳っても実際は相手より自分が上だと潜在的に考えてしまいます。考えは口に出て、次第に行動へと繋がりました。そうして差別は表面化し、社会問題になっていたのです。
それを間近で見ていた二人は、どうにかしてこれを乗り越えたいと常日頃から考えていました。
その時です。皇鯨が瀕死の状態で倒れている姿を前にしたのは。
『必ず助ける。絶対にだ』
『種族なんて関係ない。命の危機に、隔たりなんて存在しない』
繰り返しますが、二人には何もできることなんてありません。ただ励ますだけです。それでも、自分にできることを懸命に、魔物相手に全てを投げ打ってでも助けようと奮闘する姿は……。彼らを見る人と魔物には、共に生きる命の価値を学ぶのに充分なものでした。
救助隊が到着した時。
双王の目には、信じられない光景が飛び込んできます。
皇鯨を囲む何千、何万、何億という学生が人・魔物問わず一丸となって鯨を助けるため……励ましのさらに上の上をゆく、『神然魔術』を発動させた瞬間だったのです。
* * *
「神然魔術?」
最後のルェンさんの言葉に、思わず声が出た。
「神然魔術は、魔物の方が自然界へ干渉できる力をもった魔術だと聞いていましたけど」
「はい。また、魔術とは本来『自分が自分に魔力を施す術』のことをいいます。この定義が正しいのなら、何から何までおかしいということになりますね。『他者から施された術』なのですから。ちなみに魔術名は“永年不死”。未来永劫、死ぬことがない魔術です。そしてこの魔術の発動条件が本当に面白くて。ふふっ」
「ど、どんな条件なんですか?」
「わからないそうです」
≪…………え?≫
僕だけでなく、その場にいたモモにリュネさん、レノンまでも同じ言葉を口にした。
全員がどういうことかと目を丸くしてポニーテールの女の子を見る。それが彼女の予想通りなのか、嬉しそうにクスクス笑い、慌てて謝辞をされた。
「も、申し訳ありません。皆様が私の思った通りの反応をしてもらえたので、ちょっと嬉しくてつい。ええと、ですね。答えとしましては、魔術は先ほど言った定義に他ならず、誰かの手によって受けるものではない。また、神然魔術も自然界に干渉はできるものの、自然そのものになることは不可能。さらに、この魔術……永年不死になる術ですが、この鯨自身が魔術を解けば死にます」
何から何までわけのわからないことをいっぺんに言われた気がする。
ただでさえ魔術のことに関して知識がなく疎い僕には、混乱するだけのものだった。わかりやすくまとめるように、ルェンさんが一つひとつ説明してくれた。いや、説明というよりもわからないのだから事実を述べただけであった。
当時を記した書物によると、何億という学生が一つになり奇跡の魔術を『発動』したそうだ。
その結果、不死なる鯨が生まれた。
何故発動できたのかは解明できていないため、奇跡という表現を使ったという。不死の代償として鯨は半透明になり、中身をくり抜いてもまったく命に別状がない摩訶不思議な肉体を手に入れてしまった。加えて不死になる直前に、双子の王族にこう言ったそうだ。
『自分を、人と魔物の架け橋となる存在にしてほしい』と。
不死となった後は話すことができず、ただただそこに浮遊する不死の鯨となった。双子の王族は彼の意図を汲み取り、魔術が発動され半透明な鯨になった直後、迅速に行動へ移し莫大な時間の末……今の図書館を造った。スラスラ話している自分に照れているのか、やや照れくさそうにするルェンさん。
「残念ながら不死となった今では目をパチパチさせるだけで、意思伝達ができないのが悔しいところですね。ハハハ」
「…………」
おかしい。
この話は、おかしい。
明らかに理屈が通らない点がある。しかし、今それを指摘すべきではない。横を見ればモモも気付いたのか、一瞬だけ表情が変わるもすぐに戻し涼しげに目線を僕に向ける。できるだけ平常心を保ちつつ、穏やかにルェンさんへ笑みを向けた。
「それが、クロネア永年図書館の成り立ちなんですね」
「はい。奇跡の魔術がどうして生まれたのか。今もなお謎とされています」
「謎、ですか」
「左様です。魔術研究員にとって大願とされる謎の一つでしょう。今になっても時々研究員が学園啓都を訪れ、この難題に取り組んでいます」
謎。
まさか、さっそくその言葉を耳にするとは思わなかった。幸先がいいのか悪いのか難しいところであろう。ただ、一つの問題として、一千年以上解き明かされていない問題として、眼前に提示された。
アズール図書館の司書、第二試練・候補①『いかにして奇跡の魔術が発動したか、解明せよ』。
ははっ。解けるかっ!
「他に、謎として有名なものはないのでしょうか」
「そうですね。私はそこまで“不死なる図書”について詳しくありません。専門分野として研究している学生ならよいのでしょうが」
「そうですか。ルェンさんは『今お話しいただいた中で疑問に思ったこと』はありましたか?」
「うーん、ないですね。とても素敵なことだとは思いますよ。奇跡の魔術なんて、幻想的じゃありませんか」
「確かに、素敵な魔術ですね」
「でしょう? 私も教えてもらったことを今話しましたが、改めて考えても感動的なお話だと思います」
……やはり、彼女は気づいていない。
“不死なる図書”の話の中に、明らかにおかしな点が二つ存在していることに、気づいていない。
いや、もしかするとクロネア人にとってはおとぎ話に近いもので、話の中に紛れ込んでいる不可解な点には、無意識に気付かないようすり込まれているのかもしれない。
不可解な点とは。
一つが、何故奇跡の魔術が不死とわかったのか、である。
奇跡といわれている以上、どういう魔術なのか最初は誰もわからないはずである。目の前の半透明な鯨が出現したとしても、それがイコール不死だと誰が思いつこうか。
ゆっくりと時間をかけて調べて出した結論ならば理解できる。普通なら、最初はどのような魔術なのか、双子の王族は丁寧に慎重に調べたと記録されるべきであろう。なのにルェンさんによれば、発動し半透明な鯨となった『直後』に中身をくり抜いている。まるで……最初から不死だとわかっていたかのように。
皇鯨は、何億という生徒が集まり奇跡の魔術が発動する直前、双子の王族に『自分を、人と魔物の架け橋となる存在にしてほしい』と言ったそうだ。これは、自分が不死になるとわかって言った言葉とも取れる。しかし、何億という生徒が集まり、過去に例がない“第三者により発動された奇跡の魔術”がどんな魔術なのか……発動する前に知ることなど絶対に不可能であろう。
そう、皇鯨が言った言葉は、何の魔術かわからない状態でありながら、それでも未来に託す遺言として、双子の王族に伝えたものであると考えるべきだ。以上により、不死の魔術とわかっていない状態でありながら、双子の王族は即座に奇跡の魔術を“永年不死”と理解できたことは、大きな矛盾である。簡潔に言えば、ありえないことなのだ。
「もう一つも変だ」
二つ目が、奇跡の魔術が完成した後、鯨は話せなくなったのに、どうして鯨自身が魔術を解けば死ねるとわかったのか。
奇跡の魔術は何億という学生の力によって生まれた魔術だという。本来、魔術は自分が自分に魔力を用いて術を施すことをさす。対し奇跡の魔術は外側から魔術をかけられた。ならば、内側の者が解除できるかどうかは……『わからない』はずだ。
魔術を解除できるかもしれない。できないかもしれない。
確かにどちらかは正しいのだろうが、はっきりとは……わからないはずなのだ。断言できないはずであろう。なのに、ルェンさんは堂々と言い放った。この鯨が魔術を解けば、死ぬと。
鯨が教えてくれたのか? いや、鯨はあれから言葉を話せず、目をパチパチするだけで意思伝達ができなくなったという。つまり、これも最初からわかっていたことになる。
候補②『如何にして双子の王族はクロネア永年図書館が不死とわかったのか、解明せよ』
候補③『どうして、魔術定義の例外とされる外から受けた魔術であるのに、内から魔術が解除できることを断言できるのか、解明せよ』
「一気に三つ……か」
「三つ?」
「いえ、あーっと、一つがシェリナ王女。一つが飛獣。そしてもう一つがクロネア永年図書館。今日は三つも驚くことがあったなぁって」
「そうですね。もっともっと驚きと感動を味わっていただければ、幸いの極みに存じます」
はてさて、これは随分と面白い収穫があったものだ。
そろそろね、とモモが合いの手を差し伸べてくれた。気づけば時間はここへ来て二時間以上経過している。既に飛獣の方々にはお帰りいただいて、僕らは巨亀ラメガに乗って帰る予定だ。
立ち上がり、ルェンさんに連れられ歩く。
まだ彼女の付き添いで四階に直行しここで少しだけ雑談しただけのことだ。館内をほんの少しだけ歩いただけ。まだまだやるべきことは山積みで、むしろこれからである。
「モモ」
「えぇ、わかってるわ」
「かなり難易度は高そうだね」
「何せ一千年以上解かれていない謎よ。どれを選ぶにしてもね。候補はまだ増えるでしょうし、ゆっくりいくのが賢明ね」
「あぁ」
小声でモモと会話しながら歩く。さて、今日のところは帰るとしよう。行き方はわかった。手がかりもあった。やるべきことも見つかった。……あとは、動くのみ。
夕方になるだろう一時間ちょっと前。
大園都『王芯』に向かうため僕らは帰る。
“不死なる図書”の大きな瞳が、変わらず地平線を見つめていた。