シェリナ王女
クロネア滞在二日目は、ぐっすりと眠れて気持ちのいい朝を迎えた。ちょっと早起きしてしまったかな、と寝癖をいじりながら玄関広間に行けば、モモが一人、本を読みながらソファでくつろいでいた。
「おはようシルドくん。すごい髪ね。フフッ」
ボサボサの蒼髪が面白いのか、クスクスと口に手を当てて笑う。
「今日は大事な一日になるでしょうから、気を引き締めてね」
「もちろんだ。王女との謁見も大切だけど、それ以上に」
「えぇ。図書館が大事よ」
互いに頷く。ゆっくりと行動に移すことは大局を見定める上で重要なことである。しかしゆっくりし過ぎれば、動かねばならぬ時すらもわからず、後の祭りになる場合だってある。何事も緩急が大切だ。
アズール図書館の第二試練は、とにかく早めの行動が鍵となる。今回は時間制限もあるのだ。滞在期間は約一ヶ月と見積もっているものの、帰りの空旅六日間を考慮すれば三週間と少しなのだ。そのため、今の段階において最も必要なことは、限りある時間を無駄にしないことに他ならない。
「昨日以上に、大変そうだなぁ」
「フフ、でも大丈夫。第一試練とは明らかに違うことがあるでしょう?」
「え、何?」
「皆が……いることよ」
* * *
現在、巨亀は大空をゆらりと泳ぎながら目的地へ向かっている。
眼下の景色は大園都。学園啓都の中で最も栄えた街であり、学園の中枢機関が集中する場所でもある。中心部には大きな塔があって、雲が巻き上げられるように周囲を囲んでいた。ただ、濃い雲ではなく薄くぼんやりとしたもので、悠々と聳える演出のようにも見えた。
街は大変にぎわっており、それは空にも通じる。獣叉魔術によって空飛ぶ魔物に変身している者もいれば、本来の姿に戻り飛行する者もいる。こと空を飛ぶ事柄に関して、クロネアほど身近な国はないだろう。街については、午前の用事が終わってからのんびり歩いて観光するのもいいな。
「そろそろ着きます。皆様、ご準備のほど、よろしくお願い致します」
今日は黒のレギオンを着たルェンさん。胸元を少し開けて光り輝くネックレスをしている。とても似合っていて、イヴから散々褒められていた。あまり褒められ慣れしていないようで、顔を真っ赤にしながら下を向く。彼女曰く、シェリナ王女にもらった大事なものだという。
ラメガは街を進みながらグングンと上昇を始めた。次第に小さくなっていく街並み。そして塔の最上階まで上昇し、僕らは扉を開けて塔へ降りる。てっきり一階から登っていくと思っていたので、少し面食らった。
「下へ降りられますと謁見の間です。そこでシェリナ王女が皆様をお待ちしております」
規律正しく、はきはきとした話し方。昨日とは少し違う雰囲気のルェンさん。さすがに、昨日のようなあたふたポニーテールは見られないようで。つい先ほどまでイヴに遊ばれていたけど今は仕事モードになっている。最上階には下へ降りるための階段があるだけであり、僕らはぞろぞろとルェンさんに続いていく。
ちらりと横を見れば、面倒そうな顔をして歩くジン。
今、彼の頭の中には何が描かれているのか。シェリナ王女がどんな人かは知らない。だが、個人至上主義者にして天上天下唯我独尊の奴を相手とするならば、相応の器でなければ務まらないだろう。後ろにはミュウとピッチェスさんもいる。また、他国の王二人が直接会って話をするのだ。お忍びとはいえ、これがどれくらいの意味をもつのか、わからないジンでもないだろう。
……だからこそ、ぶち壊すと考えそうな男でもある。
できるだけ穏便に済ませるのが一番だ。相手側も同じはず。そしてシェリナ王女はまさに王に相応しい人格者であるとルェンさんが言っていた。冷静に考えて、ジンが形式通りの王子を演じれば、問題なく終わる……はず。
「僕らは、信じて見守るしかないか」
「安心しろよシルド。今回だけは俺の方から絶対喧嘩は売らない。約束する。面倒事は俺も御免だ」
「本当かよ」
「ただ、相手がアレな感じできたら、話は別になるだろうがなぁ」
アレとは、おそらく挑発もしくは見下すといったこちらにとって不義な行動をしてきた時。
聞こえていたのか、階段を下りながらルェンが笑顔でこちらに顔を向けた。
「大丈夫ですよ。シェリナ王女は偉大なお方です。いきなり失礼な言葉をかけるなど、ありえません」
「だといいんだがねぇ」
「きっと、皆様にも分け隔てなく接してくださいますよ」
「……」
ジンは何とも表現しがたい顔をしていた。冷たく醒めている、ニヒルな笑み。ルェンさんが思い描いている女性と、ジンの考える女性は、同じ人物なれどまったく別人のようだ。
階段を下り終わると、扉が前に。第六極長が今一度僕らに一礼した。
何故だろう、不思議と緊張してきた。
ここに来るまでただの付き添いのような感覚であったのが、いざ目の前にしてみると、強い圧迫感を覚える。……そうか、いよいよだからだ。ジンとここ最近ほとんど一緒にいたから感覚が麻痺していた。僕らがこれより会う人は──紛うことなき、王なのだ。
「シェリナ様。ジン王子並びに御学友の方々をお連れしました」
「入りなさい」
美声な麗しい一声を聞き、謁見の扉が……開かれた。
そして────。
謁見の間と言われて、何を想像するだろうか。学園啓都へ到着した時、僕はジンと一緒に落下した。“六千氷柔”を発動してなんとか生き延び、銀髪を叱責……しようとしたら何故か懐柔され“サンタリア──謁見なる王宮”という氷の宮殿を作り出した。謁見の氷宮。
僕の想像する謁見の広間とはそれであり、他にあるか考えよと問われてもすぐには出てこない。王に対する謁見のイメージが固まってしまっていた。
「どうぞ、中へ」
そこは、巨大な『すり鉢』のような場所だった。
塔が円柱の形をしていたので、僕がいるこの広間も円形をしている。360度ぐるりと周りを壁が囲んでいて、クロネア語で文字が書いてあったり風景画や人・魔物の絵も描かれている。天井は無数に散りばめられた光り輝く石があり、謁見の間を優しく照らしていた。
そして、広間の中心に行けば行くほど下りの段差があって、中心部には丸い床がぽつんとあるだけ。
本当に、あのゴマをする際に使うすり鉢を広間にしたような、実にユニークな場所であった。段差は全十一段あり、段差があるごとにぐるりと椅子が等間隔に配置されている。椅子の数はゆうに三百はあろうか。今僕らがいる場所が一番高い場所にあり、すり鉢状の広間を悠々と見渡せた。
「何やってんだ、行くぞ。つってもお前らはそこら辺で座っときな」
そう、この広間だけでも充分驚いたが、もう一つ目を見開くものがあった。
ここが謁見の間ならば、ある疑問が生じる。謁見と総称されている以上、王族と相手が話す場所が必要なのに、それがないのである。もちろん椅子は何百とある。ただ、謁見は二人だけの時もあるはずだ。大物である二人だけの謁見の際、こんな大げさな広間を使う意味はないのではないか。
答えは、広間中心部の上空にあった。
空中に、円型の雲が……浮いていた。
雲の上には縦長の机があり、僕ら側に椅子が一つ、反対側に椅子が一つ用意されていた。
そして反対側の椅子の後ろには、静かにこちらを見据える……女性がいて。
「んじゃ、行ってくるわ」
ちょっと遊び行ってくる、みたいな口調で僕らの王子は歩み出る。ミュウに促され、適当に空いている席へ座り、威風堂々と階段を降りていく彼の後ろ姿を黙って見送った。遅れてピッチェスさんが後ろから行き、残りのメンバーは座るだけである。もちろん、ミュウも洩れず。
ジンが段々と中心部に近づいていくと、空中に浮いていた雲の一部分が階段状となって彼の前へ出てきた。それを当たり前のように登っていき数秒で謁見の間に浮かぶ雲へ登る。ピッチェスさんも登り終えると雲の階段は消えて、辺りは静まり返った。いつの間にかルェンさんは向こうにいて、僕らと同じように座っている。彼女の目はずっと一人の女性に熱く注がれており、僕もまた、再度クロネアの次期女王になられる方を見た。ミュウがそっと口を開く。
「あれが学園啓都を総べる王女。シェリナ・モントール・クローネリだよ」
金色。
もはや、髪なのか疑わしいほどに美しい月の雫。ここからでもわかる一本いっぽんが生きているような、活力ある神々しい輝き。長い彼女の金髪は後頭部の左右でそれぞれまとめられ、腰までゆらりと垂れていた。彼女が息をするたびに髪は輝き、影を照らす。
顔は細く洗練された肌。化粧っ気はまるでなく、瑞々しい潤いを保っている。鼻はやや高くまつ毛は長い。目は髪と同じ金色をしており、全てを見抜く慧眼をもっているような覇気のある瞳。ただそこにいるだけで誰もが振り返り、誰もが見惚れてしまう……仙女と呼ばれても差し支えない、完璧な王女。
クロネアの王女。
ジンと同じ、国の帝。
「……」
誰も話さない、誰も口にしない。二人は黙って見つめるだけ。互いをただただ見続ける。終始無言の謁見の間。
シェリナ王女の服装は、王族に相応しい白と金で統一された豪華なものだ。それも動きにくいものでは断じてなく、余計な装飾品は何もついていない。スーツとドレスを上手く融合させたような、優雅で上品な服。彼女に着こなせない服など、この世にはないだろうが。
対し、ジンはというと。
いつも愛用している襟の尖った白シャツにグレーのズボンを着ている。それだけ。とても王族とは言い難い質素なものだ。一応王城に務める衣服師と呼ばれる方々がせっせと彼のために作ってくれたので、質素な服なれど見た目はいい。一級品のシャツとズボンだ。
「ハハハ」
「カカッ」
そんなことを考えていたら、二人が突然、視線を交差させたまま笑い出した。
何の意味があるのか見当もつかないけど、見た感じ楽しそうだ。しかし、あのジンだからなぁ。何を言い出すかわかったものではない。こちらは彼が何を言っても堂々と平常心を保てるよう、ドンと構えておかねばなるまい。皆の様子を見ても、同じなようだ。
すぅ、とシェリナ王女が軽く息を吸った。呼応するようにジンも。とりあえずは挨拶だ。そして形式的な会話。できたら笑顔も。別れの言も当然だ。理想はこれである。たったこれだけだ。シェリナ王女はまだしも、ジンよ、頼むから真面目にやってくれよ……。
少なくとも、クロネアの姫はそう思っているはずだぞ……!
双国の王族が。
顔を見据え。
感動の挨拶を──
「会いたかったぞ、ゴミ男」
「久しぶりじゃん? 虫女」
終了した。