それ
「それでは皆様、私たちはこれで」
「待ってルェンちゃん!」
「ちゃ、ちゃん?」
今日の仕事を無事完了させ、帰ろうとする第六極長のもとにアシュラン家の次女が走り寄る。ちゃん付けで呼ばれたことに狼狽する彼女の両手を優しく握り、にっこり笑う。
「あっちに見える街ってシェリナ王女がいる『大園都』だよね!?」
「は、はい。皆様には明日、大園都でお待ちになっているシェリナ王女にお会いしていただく予定となっております。……といっても、ミュウ様にユミリアーナ様、イヴキュール様は既にご存じのはずでは? お三方が留学で生活されているのも大園都のはずですが……」
「うん、そうだよ! 一応確認しときたかったんだ。でね、ルェンちゃんはこの後予定ある?」
「あ、ありませんが」
緑のスーツを着た黒髪女性の両肩を後ろからそっと触れるユミ姉。おろおろするルェンさんの周りに、笑顔のモモとリュネさんも加わって。四人による怒涛のお誘いが始まった。
「あたしたち、これから大園都でお買い物する予定なんだ」
「是非とも、ルェンさんも一緒に」
「わ、私のような者がそんな!」
「でも今日はこの後何もないんでしょ?」
「確かに用事はありませんが身分不相応です!」
「あら、私もモモお嬢様の付き人ですが一緒に行きますよ」
「それは当たり前の……!」
「あぁせっかくルェンちゃんと仲良くなれる機会だと思ったのに! 黒髪綺麗だよねー、触っていい?」
「手入れはどうしているのですか? いち貴族の令嬢として是非とも知りたいです」
「シャ、シャルロッティア様は充分お綺麗です!」
「まぁ嬉しい。でも年齢を重ねれば肌や髪は痛むもの。是非ともクロネアの美容を教えていただきたく」
多勢に無勢であった。
あたふたするルェンさんの後ろで部下数人がどうやって上司を助けようか悩んでいると、聞き上手にして和を第一とするミュウと、誰に対しても分け隔てなく接するリリィがそっと入り込む。二分もたたないうちに懐柔され、キャアキャアと黄色い声で囲む女性陣の攻めに第六極長が折れるまで、そう長くはかからなかった。
結果として、女子全員が大園都でお買い物をすることに。ピッチェスさんも大園都に右大臣補佐としての仕事があるそうで一緒に行くという。残りものである男子三人はお留守番という形になったが、ここで素晴らしい閃きが浮かんだ。
「レノン」
「はっ」
「彼女たちでは買った物を持つのが大変だ。荷物運びとして同行しなさい」
「んぁッ!?」
「あ、それ助かるよ兄貴。レノンくん超かっこいいし一緒に歩くだけでも楽しそう。いいよね姉ちゃん!」
「えぇ、ならお願いしましょう。ありがとうシルド」
「いえいえ。レノンもすごく喜んでいるよ……なぁ?」
「シ・ル・ドォ!」
数日前の酒の一件を返す時がこんなにも早くこようとは。我ながら神がかった閃きである。レノンも加え、女性陣の士気はうなぎ上りだ。残りはジンとの二人だけになる。
「いいじゃねーの。買い物ならお前らで行ってこい。俺はのんびり」
「何言ってんの。ジンもだよ」
「はぁ!? 何で俺が!」
「ジン一人にしちゃ危ないじゃん」
「だったら俺の行動に従うのが普通だろうが! 俺は館で」
「“バラドキュウム──懺悔の板張り”」
箱に詰められ五等分、ハンマーで殴られラメガ甲羅頂上にある店内へ華麗にゴール。お一人様ご案内。モモが僕の前に手を差し出して。
「シルドくんも一緒に」
「いや、僕はいいよ」
「えっ?」
「ちょっと……考え事をしたいんだ」
目をパチパチさせ、数秒何かを考えるような顔をして、優しい笑みを向けてくれた。そして「ゆっくりまとめるといいわ」とフォローも付け加えて、皆のところへ戻っていく。僕の不参加についてはきっと彼女が説明してくれるだろう。蒼髪貴族を除いた全員が、空を泳ぐ亀に乗って大園都へ出発した。
出発する前に、ルェンさんから学園関係者がここへ来る際は、必ずレギオンを着用する決まりになっていることを教えてもらった。確かに、彼女の部下数人もレギオンを着用している。もし見知らぬ者がここを訪れた際はそれで判断して欲しいとのことだ。
どんどん小さくなっていく亀に手を振りながら、深呼吸。左手に“ビブリオテカ”を開く。
「“土造”」
下級・創造魔法“土造”。文字通り土を使って簡単なものを造る魔法である。足を伸ばせる肘掛けベッドを造り、ゆったりと座る。背もたれに体重を乗せれば壮大な景色をのんびりと一望できた。
考え事は二つある。一つは今朝から目まぐるしく展開していくクロネアについてだ。今日の夜、寝る前にすればいいと言われそうだが、きっと疲れ果ててそれどころではないと思う。また、皆とは違い、事前にほとんどの情報をなしにクロネアへ来た自分にとって……いろいろとまとめる時間が必要だった。
そしてもう一つが、言わずもがなアズール図書館の司書、第二試練のことだ。他国へ旅行をしに来たのではない。司書になるための試練へ合格するために来たのだ。二つ目はまだ何をすればいいのか予定も立てることすらできないので、まずは一つ目について考えよう。
「クロネア王国。学園啓都。魔術の国……」
思えば、あれだけ『共存』について考えを巡らしていた頃がひどく懐かしく、恥ずかしい。まさか魔物と共存しているなんて思いもしなかった。しかも文字通りの共存だ。共に生存している。双方とも一緒に生活し、クロネアという国を作り上げてきた。
言うなれば、クロネアは歴史そのものが国自体の基盤のようなものになっている。他国とは違い、長い年月を一つの国が統治してきた実績は、深く価値を見出して今に繋がっている。歴史はどの国にとっても重要なことだ。ただ、こと魔術の国においては、価値観や倫理観、思想にすら特別な意味をもたらしている。おそらく、彼らほど自国の歴史に対し敏感で、誇りとしている方々はいないだろう。
「服装も随分と違ってたな」
服は、色彩豊かな実に面白いものだった。ルェンさんが来ていたレギオンも、緑色はどちらかという葉の色に近い。おそらく成分は葉からとっているのだろう。また、女性の身体をより鮮明に見せるためか、直接肌にフィットするようなアズールと違う服の様式だった。ルェンさんはスタイルがよく、女性のラインをより濃く映していた。また、部下数人の方々も同様で周りからの目をはっきりと意識した服装であった。
質感は、正直初めて触った時は驚いた。
服は布でできている。当然だ。なら布は何でできているのか。糸である。では糸はそもそも何なのか。
一般的には動物の毛からきていることがほとんどだ。恵み豊かなセルロー大陸ならば動物もたくさんいるだろう。しかし、ここはクロネア王国。魔物の国である。……そう、彼らは、布を造るため魔物の毛も使用している。
これが実に興味深かった。触り心地が声を上げるほど違うのだ。空船に乗っていた時、ルェンさんから柔らかい布ですよと言われ触れば、柔らかいを通り越して溶けるような感触だった。触った手がどこまでも落ちていきそうなとろんとした『布』。また、魔物だけなくセルロー大陸で独自に進化した蜘蛛の糸や極めて細い樹木や草を素材としたものもある。ルェンさんが来ているレギオンもまた、何を隠そう樹木と草の糸を繋いで生まれた特注のものである。
触り心地は少し硬い。しかし防寒に優れ熱を外に決して逃さない特殊な構造をしており、寒い季節でも厚手の衣類をわざわざ着ることなくファッションを楽しめるという。
これが我らがアズール女子陣の心を鷲掴みにした。
事実、留学経験のあるミュウとウチの姉妹も、既にクロネアの服を今日着ていた。そんな彼女らを羨ましそうに見ていたモモ、リリィ、リュネさん。きっと楽しいお買い物をしてくるに違いない。
「自然もすごいや」
森しかないと思っていた数分前の自分。余裕をもって見れば、いくつか大きな岩石が生え、そこから小さな滝が流れる場所もあった。時折、上空を魔物が通過していく。風は弱めで日差しも穏やか、ちょっと寒いけど震えるほどでもない。比較的過ごしやすいと思う。
空気は、アズールより良い。言いづらいけど、強いて言うなら『深み』があるのだ。
深呼吸すれば自然の活力ともいうべきエネルギーが肺の奥まで向こうから入り込んでくれるような、頭から爪先まで全身を循環してくれるような……生きる力をもらえる気がした。樹木がこれでもかと生い茂る理由がわかった気がする。人間の僕でさえ、感じ取ることができたのだから。
クロネア王国は、僕がまだ知らないことがたくさんがある。ありすぎる。……普通ならわからない事柄に対して不安を抱くことが多い。でも、今はちっとも不安を感じることはない。
嬉しい。
これほどまでに楽しく、心が躍り出しそうな気持ちになろうとは。まったく知らない状態で踏み入れたことが、逆にどれだけの衝撃が待ち受けているのかという期待感を増大させている。そんな不思議な感覚を、僕はきっと喜んでいるのだ。思い出すは、ステラさんが情報収集を禁じると言い何故だと質問した時の言葉。
『行けばわかる。何も知らずに行くという素晴らしさと感動を、身体の芯から感じられるはずだよ』
……ははっ。ステラさん、今頃貴方は何をしていますか。のんびり本でも読んでいるのですか。
僕は大自然に囲まれたこの天空の学園啓都で、身体の芯から感動しています。精一杯の力をもって、第二試練に臨みます。ただ、第二試練となれば、いよいよあの命題を解くことになる。
他国の図書館の謎を一つ解明しろ。
さて、となれば向かう先は一つか。明日、ジンの国務が終わった後にルェンさんに聞こう。学園啓都にある中で、一番大きな図書館はどこですか……と。時間は限られている。のんびりしている余裕はないと思った方がいい。クロネアを充分楽しみつつ、本来の目的を達成せねば。
「そろそろ風も強くなってきたかも。館に入るか」
昼を少し過ぎ、日の光が眩しいものの場所が場所だ、風を塞ぐ樹木がない裸の大地。一枚岩。ちょっと前は涼しいと思っていたけど、やっぱり長時間は厳しいかもしれない。館に入ればいろいろあるだろう。一足先に、館内を探検するのもいいかもしれないな。どこに罠があっても不思議ではないので充分注意せねば。なんともおかしな館だと、ちょっと笑ってしまった。
立ち上がり、館へ向かうため歩き出す。どんな内観をしているのだろう。ちょっとワクワクす
「────キヒ」
反射的に振り返った。
考えるよりも先に動いた。
足が動く。
目が動く。
ぞくりと、冷や汗が背中を伝う。
人間の本能が、何かを告げる。
「…………」
機械的に歩き、立ち止まる。先ほどまで座っていた場所から数歩前。下を向けば崖がある。
目を、血走った野獣のように上下左右あらゆる方向へ向けた。
左一メートル先に寂しく立っていた案山子が静かに震えだす。最初は小刻みだったそれも、徐々に大きく、激しくなっていく。イヴはこの案山子を生み出す際『“偽らざる図表”連携接続、“震え案山子”』と言った。
ならば、この案山子は魔力を感知する図表と連携した案山子である。一言で言えば、館を拠点にして周囲に展開する魔力を帯びた何かに反応する人形だ。つい先ほど上空を通っていった魔物にも反応していたが、微弱な魔力であったのか、すぐに元に戻っていた。
今、案山子はバラバラに砕けそうなぐらい激しく震えている。頭はグルグルと周り、手は痙攣しているような動き。
反応したのは、僕も同じだった。
ただの人間である僕でさえ、反応してしまうものだった。
そして反応してしまった答えは、すぐに見つけることができた。
「何だ……あれ」
眼下に広がる森。きっと下まで降りれば、真上に顔を向けなければならないほど高い樹木が地より生えていることだろう。太さも一本いっぽんが申し分なく、陸雲とはいえ、大地のエネルギーを十二分に享受している。
そんな森の中で、揺れる樹木がある。
まるで草原の下を蛇が通る際、草が動いてどこにいるのかわかるように。
今、森を構成しているはずの樹木のいくつかが、揺れ動いている。揺れ動いた樹木は数秒揺れた後静止する。はっきりと、何かが通過したという証拠を残して。
「蛇行しながら、こっちに向かってきてる……」
揺れる樹木を順番に見ると、どうみても下に何かが蛇行しながら動いているようにしか見えない。
ただ、揺れているのは草原にある草ではない。大きな樹木である。つまり、あの森の下にいて樹木に当たりながら徐々にこちらへ向かってきてる『それ』は、当たった衝撃で太い木を揺らす力をもっており、同時に当たっても本人は草に触れた程度の感触しかないだろう常人ならざる身体の持ち主だということだ。
それだけで、森をぐにゃぐにゃと動きながら進行してくるそれの異常さがはっきりと理解できた。
──敵か。
わからない。
ただ、こちらの想定外の何かだということは明白だ。
「“ビブリオテカ”」
左手に本を出す。古代魔法の、本を出す。
幸い皆はここにいない。強襲してきても、対象となる人物は僕一人だ。ならば、ここで迎撃するか、足止めをして館内に逃げ込むことが有効だろう。少しでもこちらへ来れば、イヴとユミ姉の魔法が発動するはず。未知数の敵に対しこちらの手を複数みせるのは愚策である。
ただ、もし、敵が予想以上の難敵であった場合。
長期戦になってしまえば、ジンたちが戻ってきてしまう。そうなってしまえば、皆が危険に晒される可能性も否定できない……! だったら僕が今すべきことは、やはり一つしかないようだ。
「デタラメな魔力だ」
大地が揺れているような錯覚。本当は身体が武者震いしているだけだ、しかしこの桁外れの魔力は何なのか……! ゴクリと唾を飲み込んでもすぐに喉が渇く。辺りの空気が沈黙したような無音なる圧迫感。勝てるかどうかわからない。でも、逃げるわけにもいかないだろう。
僕は貴族だ。夢を追う田舎貴族と同時に、あの銀髪を守る民でもある。使命だ。
「くる!」
『それ』は、森を蛇行しながら崖の下まで到達すると、崖を大地と同じぐらいの速度で……いや、大地を走る以上の速度でこちらへ向かってきた。速いなんてものじゃない、目で追うのがやっとだ。くそっ。
瞬間、横にいた案山子が崖へ一歩飛んでバラバラに砕け散り、かと思うと破片が組み合わさっていくつかの円錐になる。鋭く光るトゲを相手に向け一斉に突っ込んだ……が、突っ込もうと数センチ下へ進んだか進まないかの間に。
既に僕のいる場所まで到達したそれの身体へぶつかって、木端微塵に消し飛んだ。速すぎる相手の動きにまったく反応できず、僕と案山子は簡単にそれを……この場所へ許してしまう。侵入されてしまった。
「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! キヒ!」
それが通り過ぎた後、遅れたように風が荒ぶ。
目を細めて、ようやく眼前に現れた正体を視界に捉えて……唖然としてしまった。開いた口が一生塞がらないと思えてしまうほどの、衝撃で。
こちらが予想していたものとは、かすりもしない相手だったから。
「どうもどうも、こんにちぃは!」
「……こん、にちは」
水のように透き通る頬。しかし眼光は黒炎の如き燻り。
まるで、一年と数か月前。
星が綺麗な夜、空船の甲板で、一人の征服少女と出会った時のように。
見下ろす彼女と、見上げる僕。何とも奇妙で不思議な立ち位置。
それすら同じで何かの必然かと思えるほどの衝撃の中……。空中に何も出さずに飄々と浮かぶ彼女を見つめて。
「ちょいと、人探しにやって来やした」
額の両端から小さくも細長い角を生やした虹髪少女と──
僕は出会った。