魔法の館
「ラメガは、のんびり屋であまり考えない魔物です。元々は野生の魔物だったのですが、食物連鎖により絶滅の危機にありました。そこで我々が契約を申し込み、大衆運搬の仕事をしてくれる代わりに彼らを保護することになったのです。ラメガの唯一好きなことが空をのんびりと飛ぶことだったので、二つ返事で了解してくれました。今では、クロネアで欠かすことのできない存在になっております」
家へ入り、扉のすぐ横にあった窓から外を眺める。多種多様な木で作られた家々がずらりと並んでいて、ひとつの芸術作品のようであった。窓に引っ付いてずっと景色を見ていると、後ろからルェンさんがくすりと笑い、そろそろ出発しますよと教えてくれた。数秒後、ゆっくりと家が持ち上がるような、空を家が飛んでいるような錯覚に陥る。
絶妙な飛び加減で、家内にある皿や食器はほとんど動かず誰も倒れない。にも関わらず、結構な速さで飛行している。のんびり屋とは思えないものであった。
「既にご存じかと思いますが、学園啓都は様々な標高差があり場所によっては全く違う景色になります」
高低差のある大地が至る所にある。通常ならありふれたもので、むしろ当たり前のこと。故郷チェンネルから海と空の憩い場ジョングラスへ向かう途中も、標高が上から下へ目まぐるしく変わる道を進んだものだ。それは我々が大地の上を進む以上絶対に生じるものであり、もしないならば逆に全ての大地が平らを意味する。
ただ、ここは人工的(魔物工的が正しいか)に造られた浮き島である。わざわざ標高差まで再現する必要はないだろう。けれど、大自然を再現しようと考えた当時の神然魔術師たちは、より完璧な再現を追及した。たかが標高差、されどあるなしでは全然違う。空に浮かぶ島を造るという発想だけでも凄いのに、ほとほと驚かされるばかりである。
「リリィ。自然魔法で浮き島を造ることはできる?」
「うーん。やったことないからなんとも言えないけど、ここまで大きいものになると時間と労力が必要かなぁ」
コロコロと笑いながら景色を眺める征服少女。こと大自然を目の当たりにしているため、彼女自身、感じるものがあるのだろう。時折、手がピクピク動いたりと身体が反応している。
先ほどいた標高が高めの大地もあれば、階段を降りるように奥へ進むにつれ勾配が緩やかになっているものもある。また、当然これは大地のみの話であり、そこには森や川、盛り上がった岩に湖などが加えられ、多様な景色をみせている。
わかりやすく言うなら、表面積が大きい本を二百冊ほど用意する。床に平面に置くことと、置いた本を全て引っ付けることの二つの要件を満たせば自由に配置していいとする。
一冊の本を床にペタリと置き、横に二冊重ねた本を置く。当然高低差が生まれ、五冊重ねれば高い場所となり、そこから斜めに本を置けば傾斜となる。一冊だけ置いた本を周囲に集め真っ平らにすることだってできる。そうして各所様々な高低差が存在し、まるで本物の大地のような……いや、もはや本物と何ら変わらないものが誕生した。もちろん実際は本でなく、変幻自在の陸雲である。
この学園啓都の五分の四は森や湖、川に草原など自然がありふれている。
魔物と共存する以上、人間の生活と彼らの生活に配慮せねばなるまい。人叉魔術を会得しているから人間と同じ家に住むことは可能だろうが、いつもは自然の中で生きている彼ら。クロネアに住む人間たちからしてみれば、毎日獣叉魔術で生活してくれと言われるようなものだ。無理からぬことだろう。双方の要望を平等に叶えるためには、こういった基盤となったのも頷ける。
「お茶が入りました。クロネア原産のプワン茶です」
「甘っ!」
「あ、美味しい!」
ジンと一緒にリアクションしながらプワン茶を楽しむ。ジンは甘い飲み物が苦手なので、すぐさま渋めのお茶を要望していた。ミュウが彼の持っていた余ったプワン茶をご満悦の表情を浮かべながら飲む。
しばし談笑した後、改めて窓からの景色を見て。
先ほどいた港町は小さくなり、辺り一帯、緑豊かな森林が広がっていた。とても雲の上にある世界とは思えない風景である。ただ、時々温泉が湧き出たように雲の柱が陸より伸び、薄らと消えていく。ルェンさんの解説によればああやって余計な雲を吐き出し均衡を保っているそうだ。
「この後の予定は僕らのおよそ一ヶ月滞在する屋敷へ向かうことでしたよね?」
「はい。今日はクロネア到着初日ですので、皆様が住まわれる場所へ送り届けることが私の今日最後の仕事です」
「場所……ですか? 屋敷じゃなくて?」
「左様です。なんでも、アズール側から『大園都』から近く、極力誰も寄り付かない場所を提供してくれるだけでいいと承ったそうです。昨日ピッチェス様にもご確認させていただきました」
「はい。問題ありません」
にっこりとほほ笑むピッチェスさんに、ルェンさんと同じ表情になりながらプワン茶を飲む。横ではジンがやっぱりな、という顔をしている。モモとリュネさんはなるほど、と何かを悟ったようだ。後ろではレノンが静かに佇み、残りの女性陣は何やらウキウキしていた。あまりいい予感はしないなぁ。
大きな滝と河が流れるエリアを抜けて、巨亀は高度を落とす。ルェンさんがそろそろ見えてくる頃合いですね、と窓を見ながら言い、観光客丸出しで窓に群がる僕ら。恥ずかしいものの、どうしてもそういう行動に出てしまうのは仕方ないと思う。
森の向こう側に……大きな街が見えた。雲の渦が薄らと上空を旋回して囲んでいる。
また、空を飛行する僕らのすぐ真下に、一つの塔があった。周りが森であるため異様に目立っていて、つい目を向けてしまう。とても頑丈そうで光沢を放つ美しい塔である。そんな塔をゆったりと通過して数分。街が比較的鮮明に見え始めた頃合いになると、さらに巨亀は高度を下げる。
森の中に、盛り上がっている大地があった。
いや、大地というよりも、巨大な一枚岩であろうか。
寂しい荒地が裸身を露わとしている。火山のように地面から突出した小さな山を、スプーンで横からそっとすくったような、緩やかな平らに近い面をしていて。巨亀ラメガは一枚岩の側端に静かに降下して止まった。ちょうど、扉を開いて数歩進めば盛り上がった大地に足を運べるように。
「え。もしかして……ここですか?」
「私としても大変謎なのですが、こちらの場所をご指定されまして」
「さぁ行こう。ドンドン行こう!」
ルェンさんと再度頭上に疑問符を浮かべていると、ミュウを筆頭にぞろぞろと進軍する一行。荒れた地には本当に何もなく、広さもそこそこ、五分あれば両端を歩いて移動できるものだ。形はやや不均衡なれど、おおよそ丸い円をしている。
僕らが今いる場所を中心にすれば、北西に先ほど通過した塔があって、南東に街がある。地図を広げれば街とこの場所と塔は一本の線で結ぶことができるだろう。塔が見える場所から反対を向けば街並みがはっきりと見える。
さらに、街の北から南東にかけては険しい山々がぐるりと聳えていて、向こう側を見ることができなかった。それ以外は特に語るべきものはない。円の中心まで歩くと、ピッチェスさんが公爵家らしい優雅な一礼をする。
「ルェンさん。我々をここまで連れてきていただき、誠にありがとうございました」
「そんな。クロネアの民として、第六極長として当然のことをしたまでです」
「それでも、貴方のご助力がなければ我々はここまで来れませんでした。アズールのいち代表として、深くお礼申し上げます」
「恐縮の極み」
ピッチェスさんの一礼に対し、こちらは規律正しく凛とした一礼。ポニーテールの女の子は、一礼を終えるとずっと思っていたのだろう疑問を眼前の貴公子に投げかけた。
「あの、その、差し支えなければ、そろそろ教えていただけませんでしょうか」
「何故我々がここを指定したのかですね」
「はい」
「答えとしましては、彼女らが見せてくれるでしょう」
穏やかに右大臣補佐は言葉を繋ぎ、視線を前へ向ける。ルェンさんと彼女の部下数人、僕とジンにレノン、モモとリュネさん、リリィも彼の視線の先を見る。
ミュウ・コルケット。
ユミリアーナ・アシュラン。
イヴキュール・アシュラン。
公爵・貴族令嬢の三人が並んで立っていた。三人の姿を見て、僕はようやくピッチェスさんが言った意味を理解する。あぁそうか、こちらには大事なジン王子がいるのだ。クロネアを信用にするにしても、住まいまでは譲れないものがあったのだろう。また、少し前にジンが言った言葉。
『確かにクロネアで生活するなら、あいつらに譲歩するのは当然かもな。だが、全部が全部譲歩する必要は果たしてあるのかどうか。俺はないと思うぜ? 何から何まであいつらに合わせちまったら、気づけば一文無し、何も残らないのが道理になろうよ』
なるほど。
ジンだけなく、アズールとしても同じ考えのようだ。譲るものは譲るものの、こちら側にも面子というものがあろう。それを今、魅せるのだ。住まいに関しては……我々の領分であると。
「“代替え建館”」
まず最初に地より出現したのは何も装飾されていない、レンガの館であった。館といっても窓もなければ扉すらない、手つかずの塊のようなもの。されど、聳えるだけでも威厳を感じさせる独特の雰囲気を匂わせる。横を見ると、ルェンさん含め部下数人が目を見開き口をあんぐり開けていた。
彼女らにとって、魔法を見るのは初めてではないはずだ。
ただ、これより始まる魔法の絢爛は、今までの経験を大きく上回るものとなる。
「二階建て、コの字、左右対称、窓はモントリ様式を採用、扉は霧目細工」
バシュッと刃物でコンクリートを斬ったような音がなり、館の中間真横に切れ目がぐるりと入る。同時に直方体であった館の前方中心部分が地に沈み、上空から見れば『コの字』になった形へと変わる。僕らは沈んだ部分の前にいたので、今見える景色は奥行きのある横長の建物の両端から、こちらに向かって縦に伸びる建物となっている。宮殿の原型のようなものだろうか。
続いてバタタタタ……と窓が至る所から浮きだし、建物の左右と奥に一つずつ大きな扉が出現する。窓は最初一般的なものであったのが徐々に装飾をこらした豪華な様式へ変わった。モントリ様式と呼ばれる、網目の線を複数入れ込みながら強度は通常の三倍を誇るとされるアズール伝統の形式美である。
また、扉も真っ平らなものに取っ手がついた普通の状態から、表面は全体が黒で統一しつつ金と白の色彩を描き、取っ手も動物の形を模した可愛らしいアレンジを加え、霧のように薄らと見え隠れする独特の文様を散りばめた、モモの屋敷にもあった極めて高価な扉へと変貌した。
「天井及び床、並びに壁一面はコズリア歴史天覧王館と同様のものを採用。ただし階段と大広間には紅色のワリビナ絨毯を敷くこと。また、各部屋ごとに関しては逐次列挙するものとする」
……すごい。すごすぎる。
建築魔法は創造魔法の一端である。そして、創造魔法の中で最も難易度が高い魔法として知られている。建築魔法には魔法を会得するための理解・練習だけでなく空間把握能力と建築工学も大きく関係してくる。建物内に何が入っているのか、どの資材を投入しているのか、形状の問題はないか、全て頭の中で展開させながら魔法を発動させる必要があるとされる。
また、装飾品や芸術作品も建築物に投影できることは、一種の才能に他ならない。本来ならばそれらは購入するか職人に任せるのが一般的であり、とてもじゃないが建築魔法の範囲外であるからだ。実際それまで建築魔法で作れたのなら、匠の方々が不要になってしまう。実際はやろうと思ってもできないのだが……。
そんな、建築魔法の常識を破った人物が目の前に。アズール内でも数えるぐらいしか存在していないだろう。若くしてあれほどの才能があるミュウは、魔法研究機関から局長自ら頭を下げに来たほどであったそうだ。しかし、彼女は首を縦に振らなかった。集団至上主義者でありながらだ。こと建築魔法に関して彼女は『ジンが関係している時にしか使わない』のである。
何故それほどまでジンに拘るのか定かではない。異常かもしれない。ただ、間違いなくそれには大きな原因があるに違いないだろう。
……ミュウ・コルケット。公爵家令嬢として有名だけでなく、極めて上位の魔法師としても名の知れた超人であった。
「“詫びし足裏”」
ミュウが各部屋ごとの形式を列挙している横で、イヴが十六枚のカードを宙に投げた。
カードは館を中心にして十六方位に展開、縦の向きで地に突き刺さり沈んでいった。カードが沈んだことを確認すると、先ほど投げたカードと同じ陣が描かれている一枚のカードを取り出して、館の真上へ投げた。カードは館上空へ移動しピタリと止まる。
「対象人物、ジン・フォン・ティック・アズール。ピッチェス・コルケット。ミュウ・コルケット……」
ここにいるアズール出身者を全員告げ、最後に「以上」と結ぶ。カードは館の真上で飛散し消えていった。何をしたのか聞く前に、さらにカードを複数持ち出す妹。
「“偽らざる図表”連携接続、“震え案山子”……んー、八体でいいや」
人間には常に微力ながら魔力が通っており、“偽らざる図表”は人間の魔力を感知する魔法だ。密偵四十人と相対した時、イヴが使った魔法。連携接続ということは、魔力を感じ取る図表の上に何かしらの魔法を重ねるということ。
僕らのいる一枚岩は陸雲の大地から盛り上がったところにある。端に行けば傾斜のある崖になっており、そこから森を見渡すことができる。高さは約百五十メートルほどで、前世でいえばビル四十から五十階建てに相当する。落ちたら難なく死ぬだろう。
ボコン、と土から何かが湧き出たような音がした。何事かと後ろを振り返ると、端のところに何体かの土で作られた人形が見えて、八方位に出現した。両腕を平行にして一本足で立っている。畑などでよく見かける、案山子であった。
「“弦間の指針”」
さらにカードを持ち出して編隊を組んでいるイヴの横で、今度はユミ姉が呟きながらペタリと土に手を置いた。魔法名が告げられた瞬間、彼女の下よりぬめりとした半透明な靄のようなものが波のように周囲へ広がっていく。波は僕ら全員を通過してすやすやと寝ている巨亀ラメガまで達した。波の様子を最後まで確認し、姉は手をそっと握る。「対象外」と小さく言って、次の魔法の詠唱に入った。
……結果。
ミュウは建造した館の細かい情報を淡々と言う。イヴは全五つの魔法を発動させ、カードをバンバン投げていた。ユミ姉にいたっては何をしているのかさっぱりわからない行動をいろいろやって、おそらくであるが全七つの魔法を発動させていた。
僕の姉妹の魔法は、全て一度発動させるための魔力を使えばあとは自動的に発動する、迎撃用の魔法である。それだけはわかるものの、こと内容においてはまるで見当がつかなかった。十数分した頃だろうか。満足気な表情で戻ってくる三人に恐る恐る聞く。
「あの、ちょっといいユミ姉」
「何、シルド」
「端的に聞くけど、三人で何をしたの?」
何を今更、という顔で。
「私は見ての通りこれから約一か月間住む館を建造したの。かなり前から考えてた館だから、それはもうすっごいよ! 期待していい!」
「あたしは主に敵を探知して皆に知らせる魔法と、もし館内に侵入された時の足止め用の魔法かな」
「専ら呪う魔法よ」
最後の姉の発言が明らかにおかしいが、どうにも、彼女ら三人によって世にも恐ろしい館が完成したようだ。見た目は豪華な美しい館である。ただ、素人目に見てもどこか怖く、不安を感じてしまうのは……気のせいではないだろう。
「ちなみに、イヴ。最初に言ってた“侘びし足裏”って何なの」
「一度館に踏み込めば強制的に足と床を接着させる魔法。あぁ、接着すると一日そこで待機するか皮膚ごと削らない限り取れないよ」
「えと、ユミ姉。“弦間の指針”って何かな」
「この場所に立ち入った際、相手側の指と爪の間に針を突き刺す程度の痛みを与える魔法だけど?」
「……ちなみに、他の魔法も同じ感じ?」
「「いや、今言ったのが一番易しい魔法」」
ルェンさんと部下数人の顔が真っ青になっていき、小さく輪になって緊急会議を開く。小声で部下が「頭おかしい」「怖い」「キチガイ」と言っているのが聞こえて、レノンと一緒に苦笑いしてしまう。
確かに、王子を守る上で住まいに用心するのは当然だ。ただ、まさか自分らで作り上げ、こんな末恐ろしい館を完成させようとは……誰も思わなかったのだろう。クロネア側も住まいに関してあれこれ考えてくれていたはずだ。が、目の前の館以上かと問われれば、肯定しにくいものだった。
アズール流の防衛だ。
魔法を全面に押し出しての主張だ。
国際間の見栄は、どうにも面倒なようである。
* * *
──この時。
僕らが館に対してあれこれ談義をしている最中、南東に位置する街からある生き物が出陣した。
風のように颯爽と、嵐のように荒ぼう『それ』は、極上の笑みをほころばせ。
「キヒ、キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
虹色の髪を靡かせて、向かう先は魔法の館。