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大丈夫、信じてる




 火薬をありったけ集めて、マッチ棒をひょいと投げたように。

 球体を模していた雲の塊は、大空を彩る白い花となって咲いた。花は雲であるため薄らと消えていき、青空の色となっていく。残るは咲いた花の欠片雲で、同じく徐々に消えていく。全ての雲がなくなり、いったい何が起こるのか、皆が顔を見合わせた時であった。

 船の横を、大きな影が通る。

 唖然として通り過ぎていった影を見たまま、恐る恐る……周りに目を向けた。


「うわぁ」


 学園啓都の至る所から、宙を舞う魔物が現れ、空めがけて飛行していた。今横を通り過ぎていった魔物は、馬の胴体をしながら羽が生え、龍のような顔つきをしている。船の前方を風のように進んでいき、ひらりと宙返りすると、再びこちらへ向かって駆けてきた。全長は麒麟のように大きく、雄々しい風格を漂わせ、白い息を吐きながらギョロリとこちらに目を向けた。


「朝早くに滞留させてすまなかった。アズール五十七番船だな? 入国を許可する」

「おはようございます、ギアン」

「おぉ、ルェンか。……ということは、この船が例の?」

「えぇ」


 例というのはジンが乗っているということだろう。値踏みするように一人ひとりに目を向けるも、首を横に振りながら欠伸をする。


「わからん。魔獣に人間の違いなどわかるはずもないが」

「そんなことはありませんよ。私はモラトス一族は皆わかります。ギアンが適当すぎるのです」

「そうかもしれんな。まぁどうでもいい」

「もう」


 やれやれとしながら浅く息を吐くルェンさん。どうやらこちらの魔物は人間の区別はあまりわからないようだ。ただ、僕としてもあちら側の区別がつく自信はない。前世でいえばヨーロッパの国々に住む人々の違いがわかるようなものだ。難しいものである。

 ギアンさんは船の番号と船長が持つ許可証を確認すると、進路方向を指定して降下していった。既に空は、学園啓都から飛び立った魔物たちで溢れている。欠伸をしながら飛ぶ大鳥や、ギアンさんに何かを伝えにきた大蛇、朝練のように隊列を組んで飛行する人間ぐらいの蝙蝠に、ふわふわと風船のような真ん丸とした不思議な生物、他にも多種多様な生き物が自由に空を駆け巡る……。


「開宴朝華は、空を飛んでいいという合図でございます。特別な事情がない限り、啓都内での深夜飛行は禁止されておりまして、合図と同時に様々な方々が飛行を開始されます。つい先ほどこちらに来られた方はモラトスという魔獣の一族で、ギアンは代々学園啓都の入国管理をしてくださっている方です。彼のような仕事で飛んだり、単純に飛行が好きな魔獣や、獣叉魔術の練習をする者など、飛行目的がそれぞれ違う色合いをしております」


 船は徐々に下降し始める。ギアンさんが示した航路へ進み始め、港に向かい始めた。

 いよいよ着港になると皆が理解して、眠い目をこすりながら甲板にいた乗客らは部屋へ戻っていく。眠そうでありがならも目は爛々としていて、興奮の色を隠せないのは明白だった。僕も眠くはあるのだが、今ベッドで横になろうとも一睡もできないのは間違いない。ゾクゾクとした身震いが寝かせてくれない。

 段々と減っていく客たちの中、僕らは残って外を見ていた。別段何かしらの理由があるわけではなく、ただ何となく残った。ルェンさんが嬉しそうにお辞儀をして、早歩きでやって来る。


「いかがでしたか」

「そりゃもう、最高ですよ」

「本当ですか!」

「えぇ。想像以上のものでした。感動してます。もうクロネアという国に呑まれちゃいました」

「大変嬉しゅうございます。いろいろと不安もありましたが、そのような感想をいただけて感激の極み。あぁ、本当ならもっと感想を頂戴したいのですが、私も仕事ゆえ、そろそろ行かなくてはなりません」

「そうですか。この後ご予定でも?」

「いいえ、ちょっと先に港へ行き、確認したいことがあるのです。ですので、皆様、恐縮ではありますが」


 トン、と船の手すりに乗って。


「お先に、失礼致します」


 ルェン・ジャスキリー。

 クロネア学園啓都より、シェリナ王女が派遣してきた使者。第六極長。『穿人』。

 第六極長とは何か。穿人とは何か。クロネアの大地を踏めば、すぐさま学園啓都における治安組織の概要を聞きたかった。そうすればきっと彼女の役職にも触れ、先の質問の回答も得られると思っていた。けれど、尋ねる前にルェンさんはここで一旦離脱ということに。

 本当に残念だ。ただ、幸運なことに、僕が求めていた回答の一つを彼女は示してくれた。


 『穿人』。穿つとは「穴を開ける、掘る、貫く」という意味である。意味は知っているものの、どこからそのような別称がきているのか、知る手立ては何もなかった。

 立つ。

 緑色のレギオンを着こなす、ポニーテールの女の子が船の手すりに佇む。風が彼女の黒髪を靡かせ、薄らと目を細めながら享受しているルェンさんの姿は、大変絵になる美しさで凛とした輝きがあった。そして目を開き……手すりを静かに進みながら髪留めを取り、告げた。

 

「獣叉魔術、“一黒槍馬”」


 この世界において、馬は前世の馬と極めて似ているものの、毛が異常に長いことで知られている。そのため世話をする馬丁と呼ばれる方々は、毛の処理に毎日一時間ほど使っているという。

 ……時間にして、五秒ぐらいだった。

 目の前の女性は、まず姿勢を前へ屈めた。屈めながら両腕をピンと伸ばし、四足歩行の姿勢となる。まるで早送りするかのように、彼女が来ていた緑のレギオンの色が漆黒へと変わった。かと思うと、服が一瞬で長い黒毛が覆う体躯へと変わる。僕より小さかった身体は三倍となり、彼女は……光を反射しながら一切の濁りなく輝く、美しい黒馬へと成った。


 そして、最も目を釘付けにされたのが、頭部の眉間より生え、天高く突き出した……一本の角であろう。槍のように長く先端が鋭く光るそれは、思わず見上げてしまうほどの存在感を生み出して。呆気にとられる僕らをよそに、彼女は手すりを蹴って空へ降下していった。すぐさま下を見ると、所々より浮いていた雲へ『着地』しながら降りていく。そして陸雲へ無事降り立つと、目にも留まらぬ速さで消えてしまった。


 ジンが横で、わなわなと震えながら何かを言おうとしている。

 そう、彼女が今やったのは『変』化する『身』体であった。まさに──


「変態……だと」

「変身な」

「一緒だろ」

「全然違ぇよ」


 やれやれとして辺りを見渡す。モモとミュウが楽しそうに雑談していた。先ほどのルェンさんの魔術を見て、モモも魔術に興味を持ったのかミュウに質問しているようだ。楽しそうに答えるミュウは太陽のように明るい。二人を見ていると、突然ジンが視界いっぱいに入り込んでくる。


「ところでだが、シルドくん!」

「……何?」

「俺としては一つ言いたいことがあるのだよ」

「へぇ」

「言いたいことっつーか言わねばならんことだな。さてシルド。お前はここへ何をしに来た?」

「え、と。アズール図書館の第二試練を受けに」

「おうおう、偉いねぇ。自分の夢のため、邁進する姿は実にいいもんだ」

「ま、まぁね。改めて言われると照れるな」

「んで、他には?」

「え……」


 他には、と聞かれて。言葉に詰まる。


「おいおい。おいおいシルド。まさかとは思うが、それだけなんてことは、ねーよな?」

「だ、だって僕は」

「人間ってのは縛られる生き物だ。人によって縛られる媒介は様々だが、何かしらに縛られることに変わりはない。そうだろ? お前はがっつりアズール図書館の司書に縛られている。別にいいことだ。自分の人生、好きに生きるべきで、どう生きるかは自分が決めるものさ。だからお前は正解だ。実に正解だ」

「……ジ、ジン?」

「だがなぁシルド! 本当にそれでいいのか? んん? いいのかよそれで。人生というたかが百年にも満たないちっぽけな間を、夢だけに使う青春でいいのか? 本当に? お前はそれで本当にいいと思っているのか? 何か一つのことだけに集中し、もしかしたら手を伸ばせば届いたかもしれない無限の何かを、見ず触らず知らず選ばず、延々とのうのうと、淡々とつらつらと、アホのように一本道を歩くだけの人生は、本当にお前が望んでいることなのかぃ? かぃいいいいいい? シルド」

「……」


 マズい。これはマズい。

 ジンの興奮が限界突破している。先日の夜、レノンのせいで酒を飲まされジンと初めて出会った日を語ったことで、容易に今、あの日のジンのテンションを思い出すことができた。

 今、まったく一緒の状態にある彼がいる。

 テンションが上がり過ぎて誰も止められないほど危険な領域に突入しているジンになっている……! マズいぞ、この状態を続けさせてしまえば、絶対にこいつは暴走する!


「クロネアだ、魔術の国だ、魔物の国だ、自然の国だ。おぉう、随分とまぁ常軌を逸した国じゃねーか。なぁおい。こんな国、本や知識だけじゃ全然意味ねーよ。やっぱ実際に来て見て感じなきゃ微塵も価値がねぇ。カカカ、最高だ」

「ジン、落ち着け。ここはクロネアだ。お前が暴走したらどうしようもないってわかってるだろ」

「暴走? 誰が、いつ、どこで暴走してるんだ。俺は単にシルド、お前に話しているだけだぜ? 別に物を壊しちゃいないし誰も殴ってない。演説もしてないし喚いてすらいない。何もしてない。ただシルドに話しているだけ。そう、話しているだけさ」

「その状態がマズいって言ってるんだ。な、とりあえず」

「そうだな、とりあえず部屋に行こう」


 この時、僕は判断を誤った。とにかくジンが言ったことをしてはならないと天邪鬼の精神で行動してしまった。既に、ジンはそこまで計算済みで、つまりは僕が彼の言った言葉と別の行動をすると織り込み済みで、「部屋に行こう」と言ったのだ。

 そうなれば、僕は部屋に行っては駄目だと理由もないのに判断し、後ずさりしながら手すりの近くにいく。そここそが、ジン・フォン・ティック・アズールが真に狙っていた場所であるとも知らずに……。


「ジン、部屋は駄目だ。ここで聞こう」

「んんん? シルド、お前は部屋に行っちゃ駄目な理由なんてあるのか?」

「理由はないさ。ただ僕がなんとなくここがいいだけ」


 にちゃり……と笑う。


「あぁ、あぁそうだ。シルド。ここクロネアは直感が全てだ。第二試練は直感が鍵だ」

「以前も聞いたな」

「おうよ、直感なのさ。人生は縛られるもの、だが同時に解き放つものでもある。縛られる人生なんてまっぴら御免だ。やっぱ自分で道を切り開き、何人にも囚われない確固たる意志の下、縦横無尽に走り行くのが人生だ」

「うんうん、そうだね」

「だろう。だがなぁシルド。今の話が正しいとすると、俺らはクロネアで死んじまうことになる」

「え?」


 よくぞ、言ってくれた! と顔にありありと書いてある銀髪がいて。ゾッとするほどの笑み。


「囚われちゃ駄目なのさ。俺らは自由だ。自由に生きるものだ。魔法を携え、己が信念に従い歩く!」

「何が、言いたい」

「クロネアに着いちまったらさぁ。自由であるはずの魔法より、あいつらが誇りとしている魔術の方が大事になっちまうだろう……? なぁ」

「ッ!?」


 ジンにとって、魔法は自由に不可欠なもの。魔法を制約されることは、自由を縛られることになる。

 ジンは生きる。制約されない。縛られない。魔法を自由に使い、自分の好きなように歩く。

 けれど、クロネアで生活するのなら、どうしても魔術に苛まれる。他国を尊重する以上、魔法を使用しては相手側に不快感を与える可能性がある。ならばどうするか。どうすればこの制約から逃れられるのか。魔術という縛りから解き放たれるのか。

 答えは──


「何だと思う? シルド」

「ジン、待て! 落ちつい」


 既に、僕の言葉は手すり付近に置かれてしまった。

 寂しくも、悲しくも、落ち着いて話そうと言える前に、空船から降りることになってしまった。

 むんずと掴まれて、ぐるんと横へ引きずり込まれる。もしこれが船内のどこかであったなら、二人一緒に頭から床へ叩きつけられ悶絶していただろう。しかし、床はなく、頭の行く先は……無限に広がる、空の世界へ。

 空中へ、二人一緒に落下した。



   * * *



「どういうつもりだジンンンンンンンンン!」

「風にーなりーたいー」

「貴様だけなっとけ馬鹿野郎ぉおおおおお!」


 下から吹き荒れる風圧により、バタバタと服が乱れつつ空から落下していく二人。

 普通ならパニックになるものだ。ただ、この一年間で様々な修羅場をくぐり抜けてきたことで、冷静に判断できる自分へと成長した。嬉しくない成長だ。

 このままでは地面に激突することは必至。魔物の方々が助けてくれるかもしれないけれど、ジンに何かあったら一大事である。救助を待つべきではない、自分らで助からねば。中級・自然魔法──


「“六千氷柔”」


 現れるは、僕らの真下にずらりと並ぶ六千枚の柔らかい氷の板。

 触るとすぐに砕ける氷板を、二人揃って割りながら落下していく。六千枚となっているが、実際は魔法師が必要と思うだけ延々と続く仕様になっており、徐々に落下速度を落としながら僕らは落ちていく。魔法で作られた特殊な氷板であるため、痛みはなく時間はかかるけれど確実に速度を落として降下可能。

 パリン、パリンと何千回と弾ける氷の音を聞きながら、ジンを見る。

 心より嬉しそうな顔をしていた。

 そして六千枚を超えるか超えないかぐらいの時に、ようやく止まって。

 氷の強度を強くすることはできないので、隙間なく氷板を下に敷く。むくりと起き上がりジンを睨みつけた。


「何のつもりだ!」

「カカカ、最高だぜ」

「たまたま僕がいたから何とかなったけど、下手したら死んでたんだぞ!」

「死んでねーじゃん」

「お前……!」


 グイッと顔を近づけられ、鼻と鼻がくっつく距離に向かい合う。


「シルド、さっきの質問の回答を、聞かせてもおうか?」

「……魔法師ってのを彼らに魅せつけることだろ」

「正解だ」


 クロネア王国で生活する以上、彼らの魔術に対し積極的に受け入れることが必要である。その際、ジンがいう人生の縛りがこれでもかとつくことになるだろう。クロネアでは魔術が第一だ。他国で生活することは相手国の文化や文明に合わせる必要がある。だから、僕らは魔法をあまり行使せずに生活することが賢明である。


 しかし、ジンはそんな生活を拒否した。

 今更ながら、こいつの考えはやはりおかしい。狂っている。自分が第一であるため、たとえ他国であろうとも、相手に合わせるのではなく自分に合わせようとする。そのためならば、どんな方法もいとわない。今僕と一緒に大空へ舞い、無理矢理魔法を発動させたのも、所謂『俺らは魔法師だ』というアピールに他ならない。


 俺はお前らには合わせない。自由に生きる。魔術がどうした。魔法に酔いしれろ。束縛なんて死んでも御免だ。


「そう、言いたいんだろ」

「おうよ」

「はぁ。ジンはなんでこう、あぁ」

「よっしゃシルド。そこまでわかってるなら話が早い」

「もういいよ」

「いやいや、これからだろ。あのなシルド、俺らはアズール国民だ」

「知ってるわ馬鹿」

「だけどな、ここはクロネア王国、魔術の国だ」

「だから知ってるわ」

「ならよぉ。お前、この国じゃ魔法を使わないって無意識に決めてなかったか?」

「……」


 魔法、僕らアズールが誇りし文明の結晶。魔術、彼らクロネアが誇りし歴史の結晶。

 どちらも一言じゃ語れないほど価値があり、重みがあり、意味がある。だから、田舎貴族の僕は二つの眩しすぎる結晶に、尊敬の念を抱かざるをえない。そしてここがクロネアならば、魔法は他国の文明のはず。あまり僕らの文明を出しても、いい気はしないだろう。

 そう──ジンが言うまで、僕はクロネアで生活する以上、魔法を極力使わないと無意識に決めていたのかもしれない。彼らの文化や文明を尊重することが第一だからだ。


「確かにクロネアで生活するなら、あいつらに譲歩するのは当然かもな。だが、全部が全部譲歩する必要は果たしてあるのかどうか。俺はないと思うぜ? 何から何まであいつらに合わせちまったら、気づけば一文無し、何も残らないのが道理になろうよ」

「そ、そんなことは」

「おうよ、将来のことなんざ誰にもわからない。だがな、クロネアの国だからクロネアに染まる必要はどこにもない。自分は自分。俺らは、アズール国民だ」


 ケラケラと笑いながら、僕の肩に手を置くジン。


「どこかで、はっきりとした線引きをしとく必要があるんだよ。じゃねーとあっという間に引きずり込まれるぞ。他国で生活するってのはそういうことだ。あっちのいろいろを受け入れつつ、されど自分を見失わない。流される人間は、どこにいっても流されるだけ流されて、最後は捨てられるもんだ。シルド、お前はそうなったら駄目だ。自分を強くもて。誇りを忘れるな。俺らはアズールから来た……」

「魔法師だってんだろ」


 立ち上がる。イライラしながらも、どこか忘れていた自分を取り戻した感覚がありながら、前を見た。

 横を振り向けば、計画通りと楽しそうにニヤついている男がいて。

 再び前を見ると、魔物が空を舞いながら興味深そうに僕らを見ていた。きっと後ろにも何事だろうと眺めている魔物か獣叉魔術で変身した人間らがいることだろう。


 正直に言おう。僕は彼らに圧倒された。

 当たり前じゃないか。誰が見てもこんなの、呆気にとられるに決まっているじゃないか。

 その証拠に、僕はどうだったかと尋ねてきたルェンさんにこう答えた。


『えぇ。想像以上のものでした。感動してます。もうクロネアという国に呑まれちゃいました』


 呑まれたのだ。丸呑みされた。悪いことじゃないさ、良いことだ。他国の文化や文明を見て感動し、興奮するのは誰もが感じること。けれど、ジンはそんな僕に釘を刺した。太く鋭い、大きなやつを。

 ……悔しいが、ジンに言われなかったら、ドンドンとクロネア王国に呑まれていっただろう。本来なら譲れない部分も、いつしか全部相手側に譲歩してしまうような、情けない男になっていただろう。それほどこの国は壮大で、圧倒的で、凄い。

 だからこそ、奮い立たせる必要があろう。

 何てことはない、自分の軸を再確認して線引きをすればいいだけのことだ。譲れるものはもちろん譲り、引けないものははっきりと示す。それだけさ。それだけのことだ。でも、とっても難しく、時間と共に薄れてしまうもの。


 だから。


「“サンタリア──謁見なる王宮”」


 上級・自然魔法“サンタリア──謁見なる王宮”。

 その昔、クローデリア大陸の北を治めていた国があった。まだクローデリア大陸全土が統一されていない時代、この国は寒い土地であったため遠征を何度も行い支配地を徐々に広げていった。その際、王自身も戦場に赴くことが何度もあり、行く先々で王の謁見広間を作るのは毎回一苦労であっという。


 悩んだ魔法師たちは、寒い土地で暮らす彼らならではの魔法を発明する。それは、どこでも王の謁見に相応しい氷の王宮を作り出すことであった。広々とした謁見広間に五十段の階段。その先にある玉座で王が堂々と腰を下ろす。周りには装飾が施された柱や壁があり、発明当時の王は大層喜んだそうだ。

 この魔法は、どこの戦場でも使われた。

 野原であろうとも荒れた大地であろうとも山であろうとも河であろうとも……王宮が作れない、断崖絶壁の場所であろうとも。何故なら、空中で展開させるからだ。


「気分は?」

「重畳!」

  

 眼前に広がるは、王のために用意された謁見の間。

 ジンの真後ろには玉座があり、眼下には五十段の階段が並び、広々とした広間が続く。左右には等間隔に円柱があって、壺や剣、盾に絵画など豪華な品々が点在している。そしてこれら全てが、美しくも輝かしい……氷の芸術であった。


 広間の先には廊下が伸びて、僕らが乗っていた空船が着港する予定だった港へと続いている。

 今や学園啓都で飛行していた魔物という魔物の視線が、空に浮かぶ摩訶不思議な宮殿へと注がれている。

 その視線に極上のワインのように酔いながら、ジンは歩き出す。カツ、カツと氷階段ならではの小気味よい音を響かせながら、歩き出す。

 僕らが、魔法師だということを知らしめるように。


「どうよ、この訝しくも見ずにはいられないっつー視線の味は」

「胃が痛い」

「シルドもこれに慣れたらなー。たまんねーぞぉ?」

「身分不相応さ。ただ、まぁ、一言だけ言うとだな、うん」

「いいねいいね、言ってみな」


 これだけの視線、今までに味わったことのないものだ。はっきり言って、怖い。ちらりと横を見れば、憤怒の表情で睨んでいる大蛇が見えて、思わず前を見てしまう。ただ、中には興味深そうに氷の王宮を見て、僕らと王宮を見比べている魔物もいた。おそらく、これを彼らがやったのか……! と思っているのだろう。


 魔術が僕らにとって未知のものであるならば、魔法もまた、彼らにとって未知なのだ。

 それを、堂々と魅せつけることができた自分に……何とも形容しがたい、心情が生まれる。うぅ、何だこれは。身体中から鳥肌が立ち、さっきから一向に収まる気配がない。でも、同時に何故か……誇らしいとも思ってしまって。


「悪い気はしない」

「おうよ! 胸を張れ、堂々としろ!」


 ジンに背中を叩かれながらひたすら歩く。背中から走る痛みがやけに強い。

 ……あぁもう。ジンの馬鹿野郎。

 まったく想像もしてなかったこの興奮をどうすればいいのだ。廊下を歩きながら思うのは心にうごめくもやもやを打ち消す案なれど、全然浮かばない。


「なら、もう進むしかないか」

「そうだ、俺らは誇り高きアズール国民!」


 いそいそと歩いていたのを、ジンの言うとおり堂々と歩く。

 やっちまったことはもう取り返しがきかない。十中八九、ジンの巧みな話術に引っかかってしまったのだが、魔法を発動してしまった以上、僕もまた同罪だ。

 何、大丈夫さ。ちょっと羽目を外してしまった馬鹿の二人ってことで片付けてもらえるかもしれない。きっとそうだ。若気の至りってこともある。それにジンが言うことも決して間違っちゃいない。自分を見失わず、我を通すことも、他国で生活する上で重要なことだ。


「大丈夫だよな、ジン」

「もちろんだ。興奮し過ぎてやっちゃった……てな感じさ」

「少し怒られる程度だろ!」

「むしろ褒められるかも!」

「僕らはアズール国民!」

「元気いっぱい、魔法師二人!」

「「大丈夫、信じてる!」」


 こうして、僕らはクロネアの地を踏んだ。



   * * *



 しこたま怒られました。





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