友への心情
四日後。夜。
どこまでも広がっていく天空の海を、船は順調に進んでいる。クロネアまで二日と迫り、緊張が日に日に増していくのがわかる。結局、未だにかの国の情報をほとんど掴めていないのが現状だ。ステラさんより、クロネアの大地を踏むまでは不可抗力でない限り、情報収集の一切を禁じられている。幸い、モモがやんわりと聞いてくれたりもして、内政状態や人口比率、地理といったものは知ることができた。
内政は言わずもがな実力社会でかつ絶対王政の仕様だ。王様がいることはアズールやカイゼンと一緒。ただ、絶対的な権力はクロネアが随一であり、次点でカイゼン、アズールとなる。また、人口はおおよそ七億人。世界地図を広げれば北東に位置し、大陸の北半分は寒帯・亜熱帯気候で南半分は温帯・熱帯雨林気候とセルロー大陸だけで四季折々の気候が展開している。
情報収集を基本的に禁じられていることもあり、あまり深くは追及していない。後の楽しみにとっておこうと思う。
「あと二日かぁ」
「不安か?」
「そりゃ多少は。レノンは不安にならないの? アズールと一か月お別れなのに」
「俺はシルドの付き人として来ているだけだ。無事に母国へ送り届けるまで、不安が消えることはない」
「仕事熱心だね」
「性分と言え」
船の自室で僕がベッドの上に、レノンが椅子に座り足を組みながら話す。喉が乾いたので近くにあった水をグビグビ飲む。水にしては変な味がするけど美味しいな。
ジンは今頃ミュウとピッチェスさんに監視されながら国務をしている。朝から夕方までは自由にさせてもらえるものの、夜はずっと事務処理に追われているのだ。何でも、他国にお忍びで渡るにはそれ相応の書類を片付けなくてはならないようで、本来の彼なら有無を言わさず逃亡するのをコルケット兄妹が目を光らせてやらせている。到着までに終われば、クロネア滞在は自由ということで、珍しく白帝児もやる気を出して取り組んでいた。脱走するけど。
足を組み、顔を少し傾けて本を読んでいるレノン。彼の部屋は隣にあり、読んだ本を語り合うため夜は決まって僕の部屋にいる。本来ならば貴族と部屋が隣同士ということは執事としてあるまじき行為だ。けれど、付き人という身分である以上に、彼は友達である。友を隔離する道理などこの世にはないだろう。リュネさんにいたってはモモと同室だ。最初は嫌がっていたレノンも、ようやく折れてくれた。
改めて彼の顔を見れば、紛うことなきイケメン。
ウェーブがきいた黒髪。肌は男とは思えないほど綺麗で、鼻筋が通り顎も小さい。輪郭もすっきりしていて黒目は時に鋭く、時に優しい眼差しをしている。寡黙で口下手でありながら困っていればそっと助けてくれ、お礼を言う前に去る。あまり自分からは話さず、受け身になることが多いものの決して相手の話を聞いていないわけではなく、要所を的確に把握している。
以前、一匹狼がかっこ悪いと姉妹に言われ、考えを改めたことがあったが、レノンに関しては姉妹曰く「彼みたいな人は特別で、個性だから良い」とのこと。理不尽にも程があるだろう。これだからウチの姉妹は。
「ところで、だが。ずっとシルドに聞いてみたいことがあったんだ」
「へぇ、改まってどうしたの」
「ジン王子についてだ」
「あいつの?」
レノンはリュネさんについてどう思っているのかな、と考えながら見つめていると、意を決したような面持ちでレノンが本を閉じた。
「シルドは、彼のことをどう思っているんだ」
「え。あ、あの、レノン?」
「何だ」
「別に、僕はジンのことをそういう目で見てるんじゃなくて。あくまで友達っていうか、そもそも男に興味は」
「お前は何を言ってるんだ」
「違うの?」
「誤魔化すな。あのお方に、ジン・フォン・ティック・アズールに対し一年以上も付き合っているシルドに……俺は疑いの念を捨てきれない。正直、正気の沙汰じゃない」
「すごい言われようだ」
「当然だろ。聞けばジン王子は今まで自分勝手に行動し、他者を顧みず我が道を突き進むお方だった。常に一人で行動して、周りに誰も寄せ付けない人物だったそうじゃないか。しかし一年前より、一人の貴族と毎日つるむようになったという。俺もシルドと出会いシルディッド・アシュランを知る機会が多分にあった。貴族にしてはかなりの変わり者だとも思う。だからこそ、今回の付き人の件を二つ返事で了解した」
組んでいた足を解き、真っ直ぐ見つめられる。
「それでもだ。シルドがジン王子とずっといる必要はないのではないか。一週間前の件にしても、何故ジン王子の味方をしたんだ。あそこで密偵四十人の味方もしくはジン王子に加担しなければ、今頃あのお方は船内にいなかっただろう。俺はジン王子が嫌いというわけではない。むしろ尊敬している。アズールの王子として、一人の男としてもだ。けれども……こと一緒にいる必要はないと思うのだ。一緒にい続ければ、シルドの夢に関わる可能性もある。クロネアに行ったとしても、ジン王子の暴走が原因で充分な行動が出来ない場合もあるのではないか。本当の貴族ならば、彼と親しい間柄になろうとも、一線を画すべきだと俺は思っている」
「……」
「シルドがアズール図書館の司書を目指しているのならば、ここらではっきりさせておくべきだ」
「却下だ」
「何故だ」
「そもそも、僕の夢にジンは関係ない。というか、レノン。キミは勘違いをしている」
ベッドから立ち上がり、彼と反対の位置にある椅子に座った。やけに美味しい水を一気に飲みほす。
……あいつは、僕にとってアズールで初めてできた友達だった。夢を追うため、例え一人になろうとも頑張るぞと意気込んでいたあの時にふっと現れた、男だった。
友達なんて、安っぽい言葉かもしれないけど。当時の僕は、表向きは強がっていたものだ。そうしなければ自分を保っていられなかったし、弱音を吐くことは許されないとさえ思っていた。もっというなら、友達なんて作らずに一人でやりぬいてやると考えていた。そんな時だ、あいつと出会ったのは。
思い出すは一年前の入学の儀。グヴォング家を蹴り飛ばし、颯爽と現れた銀髪の男。
派手な登場をしたと思えば僕を野次っていた彼らに対し制裁を下そうとした。慌てて止めに入りジンの注意を自分に向けようと動いたものの、それを見抜かれ昼の廊下で、二人きりの問答をした。結果として白帝児に気に入られ、互いに握手をした。
あの時。
握手をされて、少し驚いた。王子様がいち貴族風情に握手を求めてきたのだ。普通ならありえない。畏れ多く、膝をついて頭を下げる場面だ。だから、呆気にとられて見つめていると、あいつは催促してきた。握手も知らないのかと。慌てて彼に言う。僕はジンの求めている男じゃないのに、それでいいのか。対して、あの覗き大好き王子は少し照れくさそうに、でも真っ直ぐ僕を見つめて告げたのだ。
『知ってるわそんなこと。けどな、それ以上に俺に……王族の俺に偽りなく真っ直ぐに答えてくれたの、すっげー嬉しくてさ』
今でも、鮮明に覚えている。
「ジンという男はかなり特殊な人間だ。覗きが趣味の阿呆だし、自己中の塊だ。でもね、彼を見る人たちの目は、いつも『王族のジン』だった。名前だけでいいのに、そこには必ず“王族の”が頭に付く。『ジン』として見てくれる人は……本当に数えるぐらいしかいない」
「よくある、安いおとぎ話だ」
「厳しいね。その通りさ。でもね、どんなに安っぽい話でも彼にとっては重大な問題だった。知ってるかい? ジンの許嫁はミュウだけど、本来、アズール家の妻を選ぶ権利は誰にあるのか」
「夫本人だな」
「そう。だからジンが本気になれば、とっくの昔にミュウを許嫁から外している。でもしない。きっとこれからもあいつはしないだろう。何故か、答えは決まってるさ」
「王族としての自分ではなく、一人の人間として見てくれる相手だから、か」
「うん。生まれた時から王様になると宿命づけられた王子ならではの気持ちだ。僕らには決してわからないことさ。でも、ジンにとってはミュウという女性は世界中どこを探してもいない人だと思うよ。だからミュウも、彼がいない時は自分の考えを一切話さず和を全面に押し出す。ジンがいるのなら自分の考えを素直に、直球で向ける。ジンが求めている人が、自分だから」
一息。
「ジンにとって僕は、あいつを王族として見る人間じゃなく、友達として見る貴重な相手なんじゃないかな。はっきりと断言できるわけじゃないけど、僕はそう思っている。邪魔な垣根を越えて対等に話し合える関係を、ずっとジンは望んでいたんだと思うよ」
「だから、傍にいると?」
「あいつが望む限り、僕はジンと付き合っていきたいと考えてる。また、僕自身としても、あいつと一人の人間として、付き合っていきたいと考えている。そりゃ最初は大変だったさ。王族相手に毎日四苦八苦してた。でも、日数を重ねる内に段々と見えてきたものがあった。王子である彼の、辛さを」
照れ隠しなのか、自分でもよくわからず頭をかいて視線を窓に向ける。今日の僕はなんか変だ。いやに饒舌である。
「だから、僕にとってジンは友達だ。いつかあいつが嫌がっても友達だ。もうなっちゃったから、仕方ないのさ。もしジンが世界中から嫌われようと、孤立しようと、横に立って支えてやると、決めている。田舎貴族風情が、ね」
「……」
「それに、一年前にある女の子と戦う際に心の中でだけど、ジンに誓ってしまったんだ」
「何を?」
「貴方のために、命を懸けよう──と」
「そうか」
「あぁ。仮にこの命捨てようとも、ジンを、あいつを、僕の親友を、必ず助けてみせるって……決めたんだ」
我ながら死ぬほど恥ずかしい心情を吐露してしまった。
おかしいな、こんなに自分の想いをベラベラと語ることはないんだけど。何故だろう。姉妹が王都にやって来て、僕を助けてくれたあの日以来、それまで背負っていた重たい何かがふっ……と落ちたような気がする。家族以外の人に自分の心情を語ることが、嫌ではなくなった。
自覚できない自分の変化というやつなのか。ちょっと不思議だ。
……ん?
あれこれ考えていると、今更ながら自分が飲んでいるコップに目を向ける。あれ? これ。
「お酒じゃねーか!」
「遅いな。気付くまでに貴公は三百回死んでいた」
「何殺し屋みてーなこと言ってんだ! いつ入れた!?」
「シルドが『あと二日かぁ』と言った直後だな」
「最初からじゃねーかぁあああああ!」
「何はともあれ、珍しくシルドの本音が聞けてなによりだ。いい酒のつまみになった」
「未成年が飲酒して……! あ、そっか。十七からだっけ。アズールでは」
「王に対する忠義、しかと見届けたぞ」
「……この恥辱、必ず返すからな」
「それは怖いな。肝に銘じておくよ。我が主」
その後、あれこれイケメン野郎と飲んだり喧嘩したりして一夜を明かす。油断も隙もない男である。何が口下手で寡黙だよ、全然違うじゃないか。みてろ、いつか万倍にして返すからな。
また、この時。
閉めていたはずの扉が……少しだけ、開いていることに、僕とレノンは気付かなかった。
扉の前で、一人の男が立っていることもまた、気づかなかった。
後に、これが大きな意味をなし、覚悟となって、大輪の花を咲かすことになるのだが……。
酒に溺れる阿呆二人は、そんなこと露知らず、全力で互いを酔い潰すため奮闘していたのであった。
「主人命令、一気飲みをしろ」
「下剋上を発動する」
「発動してんじゃねーよ!」
「あと、つまみはないのか」
「お前僕の付き人だよな?」
クロネアまで、残り二日。