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世界




 まだ朝日が昇る前。

 どうにもならないこの気持ちを抑えるためと、ある用事のため外に出た。夏の朝はほんのり冷たく、肌に触れる風が優しく眠気を吹き飛ばす。まだ空は暗い。対し僕の心は焚火のように暖かく明るいものであった。緊張なのか昂揚なのか、不安なのか興奮なのか。どれにも当てはまらない何かが、身体全体を包み込み、胸の高鳴りだけを聞かせる。不思議なもので少し涙を流したりもした。

 いよいよなのだ。

 王都に来て一年と数か月。激動な年月であったものの、思えば矢のようにあっという間であった。本当に僕がやってきたことなのかと他人が聞けば信じられないもの。クロネアへ一緒に行く皆も、ありえないような面子ばかりである。

 左手を仰向けに広げ、一冊の書物を出す。古代魔法“ビブリオテカ”。特に魔法を発動していない状態では、この本には白紙しか写らない。だが、ひとたび七大魔法の一端を呼び寄せるとそれに関する事項や説明がこと細かく現れる。勝手にパラパラとめくれていく白紙のページを黙って眺め、苦笑した。


 この魔法と出会わなければ、最初から何も起こらなかったなぁ、と。


 前世の記憶と邂逅することもなく、再び夢を追うこともなく、アズールに来ることもなく、彼らと出会うこともなく、何もせずにチェンネルにいただろう。それが嫌なのか、と問われると案外回答に困る。嫌ではない。むしろあの町が好きだ。田舎とはいえ、生まれ育った郷里である。愛着はもちろんのこと、時々故郷を懐かしんで物思いにふけることだってある。

 それでも。

 僕は、夢を諦めきれなかった。

 自分の想いを曲げてまで、将来そのものを決めようとは思えなかった。

 我儘なのだろう。イヴに対して散々言ってきた言葉と同じだ。僕もきっと我儘なのだ。だから、今やっていることを責め立てられても、反論することはできない。苦しい言葉をぶつけられても、ぐっと我慢して耐えるしかない。そう思っていた。一年生の時は、これが僕の戒めなんだと考えていた。

 でも、今は違うのかなと思ったりもしている。少なくとも、ジンやミュウ、モモにリリィの前でこれを言ったなら総攻撃を受ける未来がありありと見える。おそらく途中から血の繋がった姉妹も乱入し、長々とお説教を喰らうだろう。皆が皆、背中を押してくれるだろう……。


『若さの特権は、無鉄砲さにあります。確かに失敗や迷惑が必ず付いてはきますが、それを恐れない若さゆえの勢いは、長い生涯において大変価値あるものになるのです』


 ふと、一年前に言われた言葉を思い出す。言ってくれたのは、アズール試験管理局・第三機関所属の足無し紳士ことロイド・ヴェイグリアさん。当時は、彼の言っている意味が難しくて理解できなかった。無鉄砲さや迷惑が、生涯の役に立つことなんてあるのだろうかと。


 でも今は、ロイドさんの言わんとしていたことがわがる気がする。まだこの世に生を得て十数年しか生きていない若者だからこそ、成功も失敗も経験するためにどんどんチャレンジして人生の糧にする。その際に生ずるであろう周りの目や迷惑は、全部ではないにしても決して囚われてはならない。自分を見失うな、と言いたかったのだ。

 だからこそ行く。

 夢を掴むための第二の試練へ。魔術の国へ。


「早く出て驚かそうと思ったのに、もういるなんて……」

「愚かね。一睡もできなかった私に死角はないわ」

「偉そうに言えることじゃないね」

「いいから行きましょう。“絨布の紺”」


 モモの屋敷に行くと、既に外で待っていた女の子がいて。二人で紺色の絨毯に乗り、雲一つない空へ飛翔する。ぐんぐんと標高は上がっていき、ローゼ島が浮いている地点よりもさらに高くまで上昇する。事前に持ってきた小さ目の毛布をモモに被せて、寒さ対策。


「……何よ」

「いや、僕が言いたいところだよ。何でじっと睨むの?」

「私だけ毛布があって、シルドくんにはないってどういうことなの」

「あぁ、えと、忘れてさ。だって今日は出発の日だろ? ちょっと普段とは違うんだよね、いろいろと。あんまり考えが回らなくて」

「だからって私の分はあるのにシルドくんのがないっておかしいでしょ!」


 そう言われ、毛布を力尽くで被せられる。二人で一枚の毛布を着ることになったけど、やはり小さすぎるのか、互いに半分ほど身体が出た。一枚の毛布を有効に使うには、僕とモモの距離を……今より狭めなければならない。

 互いにちらっと見て。

 すぐ様、視線を外す。

 数秒後、またちらっと見て外す、を何度か繰り返し、無言で少しずつ間を詰めて。

 ピタリと。

 触れた。


「……あったかいな」

「……そうね」

「もう少しでお目見えだ」

「えぇ」

「ところで、どうして今日これをやろうって思ったの?」

「もうすぐわかるわ」

「そっか」

  

 二人、無言になって大空を揺蕩たゆたう。幸いにも風は弱く、曇もない。真下には王都の町並みが広がり、地平線まで続いている。けれど今はほとんど見えない。生物にとって必要不可欠な明かりがないから。まだ空は暗い。

 一枚の毛布を寄り添うように着て、ずっと眼前にある風景を見続ける。交わす言葉はもうなかった。二人でぐっとそれが来るまで耐えながら、ひたすら待つ。今までの人生でこれほど意識して待つことがなかったそれに、ややもどかしくなりながら、けれど頼もしくもありながら。

 日の出を……待つ。

 焦がれるように。

 普段は何とも思わず享受していたことを改めて迎えるということは感慨深いものがあった。

 何とも言えぬ、興奮を併せ持った我慢。

 そして、そよそよと流れていた風が……ふっと消えた時。

 ────。

 彼方まであろうかという王都の奥より、煌めきが生まれた。

 生まれたというよりは昇るが正しいのだろう。けれど布一枚に包まってひたすら『彼』を切望していた僕とモモからすれば、まさしく誕生した新たな息吹を垣間見たような──神秘的な世界が満ちていく。


「うわぁ」

「ん……」


 素っ頓狂な声を上げる僕に。

 目を瞑り感じ入るモモ。

 ──世界が、始まった──

 そう思えるほどの景色だった。


「毎日、これが起きてるんだね」

「えぇ、一度も休むことなく、起きている」


 光は、最奥の向こうより生まれ、指の上に乗る程度の大きさ。でも、ゆっくりと、勿体付けるように姿を露わとしていく。そして、ひょっこりと頭を出した時。

 一陣の風と共に大地全てを……駆けた。

 駆ける速度は瞬きよりも速く、迅く。呼び叫ぶ天を、泣き喚く地を、平等に包み込んだ。天は生き還り、灰色だった無限な海を心躍る青空へ変えていく。地は躍動し、母から子らへ光の恩恵を万遍なく分け与える。

 日が昇る。

 生活の始まりを告げる。

 平等に、優しく、いつまでも、どこまでも。


「さっきシルドくんが質問した、どうしてこれを今日見せたのかはね」

「うん」

「国を渡っても変わらないものがあるってことを、伝えたかったの」

「……」

「アズールは私たちの国。魔法の国。クローデリア大陸を治める王国。数えきれない人たちがいて、文化があって、ここだけの世界がある。世界は果てしなく広がって、とても一回の人生では足りないものがたくさんある」

「そうだね」

「でも、世界は一つじゃないのかもしれないわ。いくつもの世界があって、繋がって、意味があり、形を成していく。ほんの少し足を延ばすだけで世界は簡単に越えられて、また未知なる何かが待っている」


 布をそっと掴みながら、二人で一緒に彼方を見る。


「それでも、日は昇ってくれるの」

「空も青いかな」

「惑わされることや残酷な現実もあるけれど」

「うん。綺麗で楽しく、幸せなことだってたくさんある。今のように」

「アズールとはちょっとさよなら。でも」

「笑ってまた、帰ってきたい」


 また会おう。

 自然と、口から漏れた。相手は人間じゃない。アズールという名の僕らが住まう世界に対してだ。国を世界に例え、世界を人に見立てるとは突拍子もない考えだ。

 でも、前世と現世の記憶を繋いだ身からすると、まさしくその通りだと思えた。魔法と魔術、それぞれを国の代名詞として独自の文化・文明・歴史・思考・国を築いてきた両国は、ひとたび越えれば別世界のような光景が飛び込んでくるだろう。


 モモは言った。世界は一つじゃないかもしれない。

 正解だ。実際に別の世界を知っている者として、彼女の言葉に頷こう。


「それじゃ、戻りましょう」

「あぁ。だけどモモ、帰りは“絨布の紺”じゃないよ」

「え?」

「“女神の階段”」


 中級・自然魔法“女神の階段”。

 この魔法が生まれた由来は雑技団が催しを盛り上げるために作った魔法だとされている。ただ、その美しさと利便性は多くの魔法師から賞賛を受け、今では様々な場所で活用されている。

 光が、僕らに向かって四方より集まった。

 集まった光は目の前で形を成していき、薄く輝き無限に続く階段へと姿を変えていく。階段は絨毯が浮いている場所から始まり、ゆったりと曲がりくねりながら……モモの屋敷へと続いている。


「さぁ」


 一歩前に出て、階段のスタート地点に立つ。

 階段は触れるたびに少しだけ光る濃度が増し、フォロン、と癒しの音を響かせる。

 振り返り、目を大きく開きながらこちらを見ている彼女にそっと手を差し伸べて。

 一緒に行こうと、笑顔を向けた。


「ずるいわ」

「そうかい?」

「ずるい」

「ずるくてもいいさ」


 キミが喜んでくれるなら、それでいい。


「あまり図に乗らないことね」

「はいはい」

「……」

「行くよ」

「うん」


 差し伸べた手に彼女の手も重なって。僕が先行し彼女が後方から歩く。

 降りるたびに光る階段。

 触れるたびに響く光音。

 外は徐々に晴れていき、世界は優しさに包まれる。

 風はそよそよと流れいき、僕らは“女神の階段”を降りていく。

 気付けば、白い鳥が横一列に並んで僕とモモを挟みながら飛んでいた。二人で顔を合わせ、一緒に笑う。

 歩く歩く、空中の散歩。

 

「ねぇ」

「何だい?」

「貴方にとって、アズール図書館の司書とは……何?」

「クハッ!」


 それを今言うのかい。

 僕に向かって、言うのかい。

 半年以上前、アズール図書館の下にある深い空洞が支配する本湖へ飛び込む直前に彼女が僕に言った言葉。実に面白く、率直で、大したことはないそんな質問。僕にとって、司書とは何か。


「そうだな」


 歩きながら、左右を見た。鳥が心地よさそうに空を泳いでいる。僕らと同じ速度でのんびりと。

 真下を向いた。朝早くから起きて仕事の準備に取り掛かっている人や元気に走り回っている子供もいた。皆、今を生きている。当たり前のことさ。

 そう。彼らもまた、僕と同じものを持っている。

 時折こちらに気付き、ちょっとにやけながらも手を振ってくれている。それに応えながら後ろにいる彼女の手を離さず、優しく握りながら降りていく。

 同じもの。

 一緒のもの。


「夢だ。それ以外に、ない」


 だから、あの時と同じように、同じ言葉で、彼女に返した。

 モモは目を細め、何かを思いながら外を見る。青空がどこまでも広がる王都の風景。雲はなく、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように、命の尊さを教えてくれる美しさ。僕らにとっての一生は世界にとってみれば一秒にも満たないだろう。

 満たないからこそ、生きる意味を見つけたい。

 見つけたいからこそ、夢を叶えたい。

 叶えたいからこそ、進みたい。


「そう。では一緒に行きましょう、シルドくん」

「あぁ」


 あの時とは違う返し方で、モモは微笑んだ。

 あの時はいってらっしゃいと言ってくれた。そして今は、一緒に行こうと言ってくれた。降りる階段は残り僅か。モモの屋敷ではリュネさんや使用人の方々、ユミ姉にイヴが皆で待ってくれているだろう。モモの人生にとって、僕はどんな存在なのか。僕の人生にとって、モモはどんな存在なのか。

 行こう。

 もう迷いはない。活力を身体の芯から燃え上がらせ、進もう。いっぱい苦しんだ。ならば次は喜びをもらおう。世界すら味方に変えてやるさ。何故なら──


「出発だ」


 動いた人間によって……世界が動くのだから。




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