恋にモネモネ
『魔法書の定義。
魔法書とは、魔法を記した書物を指す。
一つの魔法を会得するために書かれた書物で、それぞれ初級魔法なら一冊、中級魔法なら三冊、上級魔法なら十五冊、特級魔法なら三十冊が平均的な冊数とされている。
一つの魔法につき一冊ではない。
一つの魔法の質や度合によって冊数が変化する。
つまり、初級魔法ならば一冊の書物に収まる程度の質であるが、特級魔法ならば三十冊の冊数でないと収まらない。書かれる内容としては魔法名、発現した者の名前、発現するまでに至った経緯、想い、会得するための心構え、要所など様々である。
しかし、これらのどれも魔法書にとって必要事項であるか、と問われれば否となる。
魔法書とは、魔法を記した書物にすぎない。
特級魔法であっても一冊に収まる場合もある。
魔法名が書かれていない書物もある。
ただ魔法について自分の見解を書き殴っただけの論文が、魔法書として化けることも過去にあった。
大切なのは、魔法書に対し魔法を会得するための道具として捉えるのではなく、魔法を知るため、学ぶための書物とすることだ。
魔法は、クローデリア大陸を生きてきた我らの結晶である。
忘れてはならない。魔法書は、読む人間によって無限の可能性があることを。
忘れてはならない。魔法書は、読む人間によって只の本でも魔法書になりうることを。
忘れてはならない。魔法書は……読んだ貴方の人生と、一生関わり続けるということを』
翌日、占い師から渡された魔法の入門を読みながら考える。
何度読んでも、只の本だ。魔法について簡単な説明、七大魔法を図表で紹介、魔法書の定義、魔法師としての心構え、魔法歴史、歴代の有名な魔法師と魔法……。今読んでいたのは魔法書の定義で、やはり普通のことしか書いていない。
付属魔法によって何か特殊な仕掛けがあるかと思っていたが、特になかった。癒呪魔法によって不吉な呪いが仕掛けられているわけでもなかった。正真正銘、書店に置いてあるだろう一冊の本である。
「うーん」
「考えすぎても無駄だと思うわよ」
「けどなぁ、気になるんだよね」
「もうすぐジン王子とミュウが来るんだから」
「そうだね。ところで、ユミ姉とイヴは?」
「飲食店と服、観光におみやげ巡り」
「一日でやるつもりなのか」
「すごく張り切ってたし、あの二人なら大丈夫でしょう」
ロギリアで僕とモモの二人は、もうすぐ来るだろう銀髪王子と公爵令嬢を待っていた。モモが事前にミュウ・コルケットに手紙を送ってくれていて、今日の昼前に会う約束となっている。
てっきり僕は当日会いに行けばいいと思っていた。いつもジンから会いに来るので僕からでも大丈夫だろうと安易な発想であったのだ。
実際は、王族に会うだけでもかなり大変なことらしい。それを見越したモモが昨晩手配してくれた……のをつい今しがた知った。情けない。
「なんか、その、ありがとう」
「お礼なんていいわ。私が勝手にやったことだし」
「それでもだよ。あと、昨日はユミ姉とイヴ、迷惑かけなかったかな。よくしゃべる二人だからさ」
「全然。素敵な二人で本当に楽しかった。仲がいい姉妹なのね」
「そこそこかなー。イヴがユミ姉に怒られてるのも結構ある。反抗して喧嘩もたびたび」
「最終的にはどうなるの?」
「そりゃユミ姉が勝つよ。お姉ちゃんだし」
母さんからの手ほどきも一番受けていた。
モモが後ろを振り返り、やや溜め息をつく。いつも傍にいるリュネさんがいないためだ。最近アズールでは流行り病が蔓延していて、昨日の晩から寝込んでいるそうで。風邪といった比較的軽度の症状は癒呪魔法でも効果がある。しかし、構造や詳細な病状がわかっていない状態では、癒呪魔法の効果は薄い。
「リュネも多少は扱えるけど、あんなに高位まで癒呪魔法を使いこなす人は滅多に見なかった。本当に凄い人なのね」
「昔から才能あったしね。小さい頃、よく三人で寝てたんだけどさ、寝言で癒呪魔法を発動させられた時はさすがにイヴと一緒に死ぬかと思ったよ」
「結婚相手はいないの?」
「いる。でもいない」
「……?」
「父さんが断固として反対してるんだ。別に結婚する必要はないって」
「いろいろと酷ね」
「貴族だからいつかは結婚すると思う。縁談も多いし、母さんからもそろそろって言われてる。本人も自覚してるからそう遠くない未来じゃないかな」
「イヴは?」
イヴは友達になった相手に対し、自分のことを必ず呼び捨てで言わせる。見た目通りの、グイグイいくタイプである。
「あいつは見た目があれだから縁談は少ないよ。奇抜な服しか好まないし、清楚と無縁な感じ」
「優しくて、思いやりのある子なのに」
「素直過ぎるんだよ。いい意味でも、悪い意味でもさ」
「……」
「な、何?」
「心配なんだ」
「はぁ? するわけないだろ。あんなじゃじゃ馬娘」
「フフ、ちょっと羨ましい」
「だから違うって」
妹について必死に弁解しても、モモはニコニコするだけだった。何か悔しい。
ゴードさんは旅行中で店内は二人以外いない。夏休みまで残り数週間を切った。予定では夏休みの一か月を丸々他国への滞在期間にするつもりだ。既に学校には申請済みで、あとは滞在期間先の国名を書くのみである。
「そろそろ、決まった?」
ここ最近はモモも絵画に忙しいのか、学校が終わると屋敷に戻ることが多くなっていった。夏休みが始まる前に一つ絵を完成させると自分に課しているらしく、そろそろ期限なので大変そうだ。苦しくもあるけど、楽しそうでもあって、充実してるなぁと思う。
「いや、まだ」
「クロネアとカイゼン。どちらも行ったことないから楽しみね」
「そうだね……って、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「モモも一緒に来るの?」
「当然でしょ。だからリュネのことが心配なのよ。行く前に治ればいいなって」
「旅行じゃないんだよ? その、楽しくないかもしれないよ」
「愚かね、ありえないわ」
「何で」
「シルドくんといけるなら、どこでも楽しいでしょうから」
「…………」
「顔、赤いけど?」
「気のせいだ」
「そう」
……気のせいだ。赤くなんてなってない。本当だよ。ちょっと熱っぽいだけだ。
半年前と比べて、ド直球な発言をするようになってきたモモ。変わったのは僕だけじゃないようだ。
このまま負けてたまるか。彼女の中で僕を男性として意識してくれていることは多少なりとも自覚している。ただ、『恋愛対象』としてみてくれているのかどうかまでは、半年経過した今でも明確にはわかっていない。先の言葉も、僕をからかっての発言だ。
その証拠に、今のモモは歴戦の勇者のような誇らしげな顔をしている。精神的に成長した自分をこれ見よがしにアピールしている。すごく楽しそうだ。やっぱり悔しい。
ならば、ここでかっこよく返そう。男らしく、はっきりと。成長したのは、キミだけじゃない。
「うふん、恋にモネモネよぉん!」
横にジンがいた。
「“束縛の紫”」
「“天井乖離”」
捕獲した。
* * *
「お前ついにオカマになったのか」
「なってねぇよ。ちょっと二人をからかってやろうと思っただけだ。なのに何よこの仕打ち、芋虫か俺は」
「モモ、久しぶりー!」
「元気そうね、ミュウ」
男女四人の店内で、それぞれ挨拶を交わす。
中級・陣形魔法“天井乖離”。天井と床に陣を出現させ、床にある陣を踏んでいる者の重力を反対にする魔法。ようは重力のベクトルを真逆にさせて、相手を天井へ落っことす魔法である。突如として上下逆さまになった現象に加え間髪入れずにモモの“束縛の紫”がくれば、捕獲するのは容易であった。
芋虫のように、天井から吊るされた状態のジン。
その下で、モモとミュウが久しぶりの再会に喜んでいた。相変わらずジンは不満気な様子。昨日、あれからどうなったのかと冷や冷やしていたけど、身体はすこぶる元気なようで。……大したものだ。
「ところで、ジン」
「あん?」
「あの後、一緒に拷問される感じだったユンゲル右大臣はどうなったんだ」
「シルド、雑巾って知ってるか」
「うん」
「薄い雑巾があったとして、それを水に濡らし、力いっぱい絞ったらどうなる?」
「細いヒモみたいになるかな」
「以上だ」
「……」
「異常だ」
「そうだね」
たぶん、彼は生きていると信じて、この話は終わりにしよう。
モモの手を嬉々としながら掴み、踊るように回っている碧髪の少女。エメラルドな髪色に燦々と輝く彼女の笑顔は、まるで森の精霊みたいだ。モモが屋敷に閉じこもっていた際、数少ない友達だったとも聞く。そして、今日彼女を呼んだのは、改めて僕から自己紹介をするためだった。
本当は昨日話す予定だったのだけど、いろいろと立て込んでしまった。
だから、ジンとモモを踏まえての集まりになった。
彼女にはまず、僕の簡単な自己紹介から始めよう。ジンとは一年生の頃から友達で、モモとは半年前から知るようになったと。
そして肝心なのは、彼女には僕が古代魔法の使い手とは言わないようにすることだ。
ジンのお嫁さんである以上、いつかはバレる可能性は充分ある。けれど、可能な限り古代魔法は控えるべきなのだ。どこから情報が洩れて、魔法研究機関の耳に入るかわからない。一度入れば、実験体になることは間違いない。
アズール図書館の司書を目指しているという部分を中心に、上手くやり過ごすことが大切だ。
加えて、クロネアの情報も収集することが今日の目標であった。ただ、クロネアに関してはユミ姉とイヴから聞いても大丈夫なので、絶対聞こうというものではない。最重要項目を忘れずに、上手にやろう。……よし!
「改めまして、シル」
「古代魔法の使い手なんだって!? ジンから聞いたよ!」
「……ジン」
「おう」
「言い残すことはあるか」
「優しくしてね」
築嬢、ミュウ・コルケットと再会して。
残念ながら、既に彼女には僕の魔法を知られていた。どうやり過ごすか、いろいろと考えてきたのだが開始一秒で終わってしまった。ジンを折檻した後、ひとつ切り替えて対面する。どこまで話したんだとジンに尋ねると、おおよそ全部だそうだ。
「いつかはバレる。早いか遅いかの違いだろ?」
「その通りだが、ちったぁこっちの気持ちも考えなさい」
「へーへー。んで、ミュウ、昨日話したからわかってると思うが」
「うん。私からクロネアの情報を聞きたいってことでいいかな」
「お願いしてもいい?」
「任せて。でも、正直、私もよくわからない部分が多くて上手くは説明できないよ。それでも大丈夫?」
「もちろん」
やや照れながらも笑顔の築嬢。可愛らしい、花のような可憐さがある。
とても昨日ジンを元気ハツラツと拷問していたとは思えないが、彼女の一面なのだろう。
“束縛の紫”から解放されたジンに抱き着き、嫌がる彼から押しのけられて、やや不満気な表情をして……口を開いた。
「クロネアは、魔術の国だよ」
其が国、一千四百年の歴史をもつ、共存の国であった。