試験
「ここで合ってるよね?」
ポツリと呟く。ピュアーラさんが営んでいる食の天井を出て、なんとか目的地まで到着した。現在僕のいる場所は、今まで通ってきた一般的な道とは違い、横幅の大きさが格段に広がった大通りである。皆でぞろぞろと進んでいて、僕もその中にいる。おおよそ、皆の年齢は僕と同じぐらいだ。
数分後、視界に映りこんでくるのは二つの巨大な時計塔だった。左右対称の見事なシンメトリーを構築していて、塔の間を受験者が進んでいく。そう、ここは試験会場の入り口なのだ。この先を行けばいよいよ僕の入学を賭けた舞台が現れる。時計塔を建築したのはアズール二大公爵家の一つ、コルケット家だという。僕には一生縁のない相手だ。
何百人いるのだろうと小さな疑問を携えながら一緒に歩いていく。
ガヤガヤと、賑やかでありながらもどこか緊張感のある雰囲気が辺りを漂わせる。時計塔の前には試験係員の方々が、止まらずに歩いて行くよう大声で先導していた。左右前後、受験生徒が歩み行く。数は膨大で、時計塔の間にある道に入る時はやや窮屈な思いもした。さらに、意外なことに道の明かりがほとんどなかった。暗い通路が続いていく……。
先ほどまで賑やかだった受験生徒らの話し声も静かになっていった。あるのは、ただただ前を行く皆の足音。服がすれる音。咳払い。
緊張してきた。やばい。ここ数日はまともな勉強していないんだった。横の男の子が緊張のあまり吐きそうになっている。大丈夫だろうか。
……他人の心配する暇あったら自分の心配しろよ、と己に喝をいれ前を向いた。もうほとんど無言に近い状況で皆が歩いていく。唯一の明かりは定期的に左右にある光玉ぐらいだ。魔法で作られた球体であろう。それでも周囲は暗い。不安になる。そんなことを思っていたら上空から声がして。見上げると、スケボーに乗っている青年が宙に浮きながら僕たちに叫んでいた。
「自分が受験する『学科』を連想してください!」
学科。
アズール王立学校には、受験するのにそれぞれ学科が存在する。当たり前だけど、これが結構大事で学科によって試験内容も大きく異なってくるのだ。たとえば、魔法科はおおよそ筆記試験が一割で実技が九割を占めていると聞いている。
医術科は十割筆記らしい。さらに専門として医学入門という試験もあるそうだ。他にも騎士科、魔法研究科、経済商融科、芸術科、心理科、天文科、文学科、貿易科、執事科など、全部で二十八の学科が存在している。試験内容は毎年受験を担当する各試験官が決めているそうだ。
ただ、僕が受ける貴族科は医術科と同じだ。つまり、十割筆記である。勉強することのみで合否が決まるのだ。魔法を使用することはない。年齢も十六歳以上なら誰でも受けることが可能だ。ただし、貴族科は貴族出身でないと駄目という特殊な決まりもある。そこは建前の問題だろう。
「僕が受けるのは、貴族科」
宙に浮いている試験官の指示通り、自分の受ける学科を連想し小さく呟いた。先ほど吐きそうな顔をしていた横の男が僕を見て「お前、貴族なの!?」と信じられないという顔をしている。悪かったな、平々凡々な見た目で。
貴族である以上、特殊な理由がない限りこの学科を受けさせることになる。司書科なんてものがあったならば喜んでそこを受験するのだが、生憎そんな素敵極まりない学科はなかった。それに、貴族科であれば普通の生徒が入れない特殊事由領域もある程度は踏み込めるそうだ。
利用といえば聞こえが悪いけど、使える手段は多いに越したことはないと思う。ましてや、アズール図書館だ。貴族科になれば本来入れない場所も入れるかもしれない。
……でも、何で連想する必要があるのだろう。
そう思った。たぶん、周りの人も思ったはずだ。何でだろうと。
奥から光が見えてくる。どうやら考える暇はないようだ。やっと試験会場かと思うと、緊張感が一気に高まる。心臓の鼓動の速さがやけに力強い。うん、失敗しないようにせねば。名前書き忘れとか。っと、いよいよ試験会場に到着だ──ぁ
「え?」
その言葉は、当然の言葉だった。
今まで大人数で軍隊よろしく行進して来た受験生徒ならば、当たり前の言葉だと思う。
右を見る。誰もいない。左を見る。誰もいない。……前を見る。人が数人、ちらほらいる。それだけだ。しかし表情は、僕と同じ。
「何、これ」
※ ※ ※
「ここは、いったい……」
最初、視界に飛び込んできたのは噴水だった。辺りを見渡すと、眼前の噴水を囲むように色とりどりの花が囲んでいる。噴水の先には道が続いていて、奥には大きなドーム状に形成された建物が見えた。おそらく、あそこが試験会場だろう。ちらほら見える受験生徒たちは、やや戸惑いながらも先にある建物へ向かって行く。皆、悟ったのだ。
『自分が受験する「学科」を連想してください!』
あれは、このために言われたものだったのだと。
地面を見れば、直径三十メートル級の巨大な陣が描かれている。複雑に描かれた陣は薄く光り、今もなおその役目を継続していた。おそらく、上級の陣形魔法だ。
「受験する学科を連想させることで、その学科の受験会場に送り届ける魔法か」
何という壮大な魔法だ。
何百、何千という受験者数を効率よく確実に送るために仕込まれた魔法だろう。とてもじゃないが、他の二国にはマネできない仕様だ。驚嘆恐れ入る。
加えて、この王国の実力を存分に魅せている、ともとれる。受験会場など最初から受験生に教えていればいいのだから。わざわざこのような魔法で送り届けることは、魔法王国であることのアピールになるだろう。
それは口先だけ、形式的なだけにあらず、実力的結果として体験させられた。魔法を研究し、洗練させ、常時万進していく我が国の宣伝になっただろう。受験した生徒たちが証明してくれることは間違いない。
「相変わらず、やることが派手だなぁ」
呆れるほど、この国は凄いと思った。会場に入れば、中は七つの部屋に分かれており、四つが試験部屋に。二つが試験官らの部屋に。最後の一つが余裕をもって置かれた部屋だった。
貴族科の募集人数は八十。
四十人のクラスを二つに分けるのが貴族科の伝統らしく、この数は毎年変わっていない。受験する生徒数はさすがに知らないけれど、今、僕の座っている席から見える景色と、他の四つの試験部屋を考慮すれば単純計算だが今年は三百人ぐらいだと思う。ただ、受験者数なんて気にするだけ無駄でもある。数に踊らされる人は大抵失敗する。
世界最高の司書になるということは、相応の結果を出す必要があると思う。
まだ全然司書になるための方法は知らないけれど、もし学校の成績も考慮されるものであった場合を考えれば、この試験もただの試験ではない。可能な限り良い成績を修める必要がある。そのためには、目指すは主席……は恐れ多いので上位だ。
数十分後、部屋に用意されていた席に受験生が全員着席すると、前に立っていた試験官が話し始めた。
「受験時間は三時間です。今年の受験範囲は、王権政治とクローデリア大陸における歴史と地理、加えて論文系の問題を出題させて頂きました。なお、この受験範囲が発表されたのは今この時であるため、外部に漏れていることは絶対にありません。事実、作ったのは一時間前ですので」
試験管が指を鳴らすと、彼の前にあった試験用紙が鮮やかに宙を舞い、僕らのもとへ。
「貴族であるならば、治める民のため如何なる問題にも迅速に対応せねばなりません。それは、このような受験範囲を今発表されるのと同じことであります。どんな問題にも、落ち着き最善とされる決断をすることが、貴族である者として最良の行いであるのです。それでは。皆様にとって、素晴らしい結果になることを願っております。──試験、始め」
※ ※ ※
試験開始から、二時間半が経過した。一通り解き終わり、見直しも済んだ。解けない問題は数問あれど、他は問題ないだろう。幼少の頃より呼んでいた本の数は誰にも負けない自負がある。少なくとも、同じ年頃の皆に知識に関して負けるわけにはいかない。合格は問題ないと思う。うん、良かった。
ふぅと小さく息を吐いてから、ぼんやりと窓から外を眺めて。幸い僕の席は窓際なので先程見た噴水を見ることができる。今も綺麗なアーチを描いていて、眺めているだけで穏やかな気持ちになる。残り時間はどうしようか。念のためもう一度見直しをしてから、解けている問題にケアレスミスはないかのチェックを──しようとした、その時だった。
空が赤くなった。
最初は何かわからなかった。遠くから聞こえた爆音に思わず視線をそちらへ向けると、天を昇っていく赤き龍が視界に映って。そのまま視線を会場に移すと、試験官を含め受験者全員がその光景を呆然と眺めていた。口を開け、なんじゃありゃぁという顔をしている。
改めて外を見れば、一体いた龍の数はいつの間にか三十となっている。一体誰が何のために龍を召喚したのか知らないが、今も群れをなして天空を楽しそうに泳いでいた。
不運なことに、たまたま龍たちのすぐ近くに空船がいる。今頃船内の人たちはパニックになっていることだろう。幸い、龍は空船にぶつからないよう最新の注意を払っているようだ。
「皆様。まだ試験中です」
試験官の落ち着きのある声で現実に戻される。皆がハッとして、直ぐに目の前の問題に取り掛かる。残り時間は十分程度か。僕も最後のチェックをし、やれることを全て終わらせた。
そして試験は終了し、特に問題は起こらず試験会場の外に出る。皆が転送されてきた陣形魔法の描かれている場所に行けば帰れるという。せっかくなので、噴水の横にあるベンチに座り、休憩することにした。
……あの龍は本当に何だったのだろうか。どこの受験会場か不明だけど、たぶん魔法科だと思う。一割筆記で九割実技、才能豊かな魔法師が現れたのだろうか。そう思っていると、興奮気味に走ってきた試験官がいて、同僚に報告していた。
「さっきの龍、やはり魔法科受験生の魔法らしい! 」
「本当か! だとしてもあの規模の自然魔法なんて規格外もいいところだぞ」
「“朱龍”と言う魔法だそうだ。魔法機関も知らない未登録の魔法だってよ。あと、まだ正式な発表はされていないが、歴代上位の結果で通過することが決まっている」
「そりゃ凄い、今年は面白くなりそうだ。で、どんな子なんだ? 名のある魔法師の子どもか?」
「誰も知らないってさ。ただ聞いた話じゃ……燃えるような紅蓮の髪をした女の子だそうだ」
「名は?」
えーと、何だったかなぁと試験官は頭をボリボリ掻きながら唸る。
そして思い出したように、興奮気味に言った。
「リリィ・サランティス! ……間違いなくアズールの歴史に名を残す子だ。今日は王都中で大騒ぎになるぞ!」
試験官らはそのまま会場へと戻っていった。なるほど、やはりあれは魔法科受験生のものだったのか。だとすると王都どころかクローデリア大陸中に彼女の名が轟くかもしれない。何せ「魔法」に関してはアズール人にとって必要不可欠な存在だ。その魔法の超上位者が現れたとなれば、皆が興味津々になるのも頷ける。僕みたいな存在感のない男には、無縁の話である。
ベンチから立ち上がり、食の天井へ戻るため陣形魔法陣の場所へ。盗み聞きしたみたいで悪いけど、気になっていた手前これは許してほしい。
「そうか、あの自然魔法……“朱龍”というのか」
見れて良かったと、心から思う。
左手に魔法の本を出して、確認する。
……うん。
ありがたい。
習得した。