一年ぶりの初老
ミュウ・コルケット。
ジンの瞳と同じ、エメラルドの髪色をした女の子。小顔で髪型はショートボブ。瞳は大きく、アヒル口をした可愛らしい顔立ちをしており、貴族の催しでも華のような彼女の可憐さは、見る者を惹きつける魅力があるという。
そして、生来より持っている人懐っこさは絶大な力を発揮しており、人脈の広さは王族であるジンと比較にならないという。美女であるにも関わらず決してそのことを自慢せず、鼻にかけず、相手のことを褒めたり心配したりと気配りの上手さも凄いのだ。
また、博識でどんな老若男女であろうとも話を合わせられる話術を持つ。自分の方から積極的に話しかけて輪を広げ、自分にできることならば些細なことでも力になってくれる。
献身的で、されど無理強いはしない。踏み込む領域を見定められる勘の良さもあり、いてほしいと思う時にそっと現れる。まさに、天使のような女の子。
「そんな子、本当にいるの?」
「いるじゃん、目の前に」
「イヴがそこまで言うんだから間違いないか」
「まぁね、ありゃ本物だよ。ただ、えっと、その、思うところはあるよ?」
言葉を選びながら遠い方を見る妹。成長したなぁ、二年前はこんな言い方は絶対にしなかった。思ったことをズバズバ言う性格をしていたのだが、留学していろいろ学んだのかもしれない。妹の成長に内心喜びを感じつつ、助け舟を出す。
「他人の幸せに固執し過ぎてるところ……だろ?」
「うん」
「ジンとは正反対ということか」
「自分の幸せなんて二の次どころじゃないよ。万の次だね」
「集団至上主義者」
「お! いい表現だぜ兄貴。そんな感じだよ、周りの幸せこそ至高って感じ」
ユミ姉と築嬢ことミュウ・コルケットが談笑しているのを、少し離れた場所でイヴと傍観する。
執事科二年と騎士科二年の二人にはお礼を言って丁重にお帰り願った。これ以上彼らを巻き込むのは酷というものだ。癒法師の方々曰く、ジンの回復までしばしの時間を頂戴したいとのこと。あの状態から現世に戻ってくるのだろうか。ユミ姉とミュウさんの会話が淡々と続いていく。
「ジン王子の回復は、時間にしてどれくらいですか?」
「三十分ぐらいじゃないかな」
「まぁ、随分と長いのですね」
「やっぱり一年ぶりだから癒法師の方々、腕が落ちてるみたい。前は結構拷問してたから彼らの腕も日に日に上がってたの。でも、久しぶりだから長くなるかも……」
「心配なのですね、ジン王子のこと」
「うん、もう少し股関節を痛めつけとけばよかった。あそこだけ弱めにしちゃってさ」
深く後悔している築嬢がいて。
「イヴ」
「何?」
「僕にはあの人がめっちゃ怖く見えるんだけど」
「安心しなよ。ミュウが拷問魔法を使う相手はジン王子がほとんどって断言してたから」
「そういう問題じゃないんだけど……」
「ミュゥウウウウウ!」
イヴとのんびり話をしていると、怒号を喚き散らしながら扉を蹴り飛ばし、まだ頭から血を流しつつ親涙の間へ入ってきた次期アズール王。そんな彼をまるで十年ぶりに再会した恋人のような表情で出迎える公爵家の令嬢。
「あぁジン! 生きてたんだね!」
「はぁあああああああ!?」
「良かったぁ。ジンのこと、私心配で……!」
「ちょ、待て。いろいろ待て。本当待て」
「“箱庭”」
ジンの立っていた床から、縦長な長方形の箱が出現。箱は地より生え出ながらジンをすっぽりと覆い、顔だけが出る状態とした。
何の魔法だろうと僕とイヴ、ユミ姉は首を傾げる。対し、顔がどんどんと真っ青に変わっていく銀髪王子。
「さっき、股関節の部分を弱めにしちゃって。ずっと後悔してたの」
「どこから突っ込んでいいかわかんねーぐらいお前頭おかしいだろぉおおおおお!」
「おやおや、これはジン王子。楽しそうですな」
「ユンゲル!」
後ろから声がして、慌てて振り返る。もう一つの扉が開いた音などまったく聞こえなかった。いったい、いつから彼はそこにいたのだろうか。
痩せ型の男性で、歳は四十後半。白髪の量が多く、眼の下に隈がある。最初は執事だと思っていたけれど、彼の右腕に光る剣を八方より差し込んだ独特のエンブレム……。噂でだけ聞いたことのある、アズール王国・特例級国政専門官「右大臣」の証だ!
「なるほど。どうりで全部上手くいき過ぎてるわけだ。全部お前の仕業かゴラァ!」
「ほほ。何を仰っているのか皆目見当つきませんな。私は右大臣としての役職を全うしたまで」
「お前の隠してるエロ本、全部バラすわ」
「ッ!?」
「ハッ、死なば諸共……ってやつさ」
「やや、止めなさい! そんことをすれば私の地位が失墜してしまいます!」
「知るかぁ! 私利私欲のために動いたお前が悪いんだよ!」
それ、いつものお前じゃねーか。
「ま、待ってくださいジン王子。私は少しでも貴方の行いが良い方向に動くと思って!」
「嘘つけ! 日頃の鬱憤を晴らしたいだけに俺を売ったんだお前は! 相応の報いを受けやがれ」
「ジ、ジン王子ぃいいいいい!」
「ハハッ! 馬鹿め、ちょっとは周りのこと考えろよな! 自分勝手にやってるからだ!」
「鏡見ろぉおおおおお!」
「じゃ、せっかくだからユンゲル右大臣も併せて、全力拷問、始めるよー」
「「えっ」」
* * *
さすがにずっとあの場に留まるのはアズール城の内部機密的によくないと考え、城を後にした。ミュウ・コルケットについては明日改めてジンに聞けばいいだろうし、僕としても姉妹二人がアズール王都を観光したいと身体をピョンピョンさせていたため、一緒になって外に出た。
帰り際、後ろから銀髪の悲痛な叫び声が轟いてちょっと可哀そうな気もしたけど、彼には強く生きてほしいので勇退させてもらおう。
どこに行きたいの、と尋ねると。
不思議なことに、どこでもいいと返された。僕が案内してくれるなら、どこでもいいと。
「兄貴って本当単純だよな」
「うるさい」
どこでもいいと言われれば、案内する場所は決まっている。
アズール図書館。世界最大にして最高たる最超の図書館。夢咲かす、舞台。
「夕方にはまだ時間があるね」
「何かあんの?」
「ふふん、イヴ。あまりの驚きに腰抜かすなよ」
「言い方がいちいち爺臭いんだけど」
「お前も少しは貴女らしい服装しろ」
「ところで、シルドの寮はどこにあるのかしら?」
「マジで泊まる気なんだ……」
二人は、終始ご機嫌の様子だった。道を歩いていると辺りをキョロキョロ見渡したり、時折抱き着いてきたり、笑顔で欲しいものを指さしたり。
僕も最初アズールに来た際はこんなだったと懐かしく思う。見るもの全てが新鮮で、眩しくて、面白い。初めての場所というのは緊張と同時に興奮も味わわせてくれる。楽しくて仕方がないのだ。
そういえば、せっかく二人はクロネアに留学しているのだ。
ここらあたりで、クロネアに関する情報を彼女らから聞くのもいいだろう。……というのも、実はクロネア王国とカイゼン王国に対する情報収集を、何故か「人の口」からのみに限定されている。つまり、図書館や新聞といった媒体による調べものは禁じられ、人伝のみにされているのだ。
アズール図書館の司書、ステラさんから第二試練への条件事項にそれがあり、何とも苦しい状況に立っている。加えて、クロネアはアズールと仲が悪く、あちらからの商人や旅人と知り合う機会はほぼなかったりするのだ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「何だよ兄貴」
「クロネアってさ、魔術の国と言うよね」
「そうだね。でも、私らからすれば魔術の国っていうより『共存の国』だね」
「はぁ? 共存って、まさか自然と共存してますっていうつもりじゃないよな」
「そうだよ」
……前世の世界でも、よく共存なんて言葉が使われていた。自然と共存しよう、動物たちと共存しよう、という謳い文句を頻繁に耳にしていた。
しかし、実際は人間による一方的な伐採や搾取であり、とても共存とはいえないものだ。まだ幼かった僕は、共存というより傾存とか思っていた。
「共存ね。だいたい予想できるけど大したことないだろ」
「うん、私らも行くまではそう考えてた。でも全然違った」
「どう違うんだ? 一方的なものだろどうせ」
「いや、言葉通りのものだよ」
「偽りなく、共存していたわ」
「……」
いやに、意味深な言葉を返されて。姉妹はすぐにいつもの二人に戻ってキャアキャア言い始める。
話がここで終わってしまったのが少し残念だった。いったい今の言葉には、どういう意味があるのだろうか。
昼頃、どこか美味しい所を探そうと思っていたら、近くにピュアーラさんがやっている店があるのを思い出した。僕が初めてアズールに来た時、入学試験後にベンチで寝ていたのを助けてくれた女性だ。酒場「食の天井」を経営しており、腰まであるくせ毛の栗色の髪はいつ見ても綺麗で彼女のファンは多い。
「あれ?」
「お休みになってるじゃん兄貴」
「いつも開店とはいかないからなぁ」
ピュアーラさんにも休日は必要だ。美人だし、彼氏がいたとしても不思議じゃない。
しかし、閉店しているとなるとどうしようかな。ここ近辺で知っている店は食の天井以外ないのだ。ぶらぶらと歩きまわるのもいいけど、あまり時間をかけるのも二人に悪い。
「ねぇシルド」
「ん、何ユミ姉」
「お店、開いてるわよ」
最初、言葉の意味がわからなかった。店前にある扉の前には「閉店」の小さな看板がかかっている。毎日営業な酒場もそうはないだろうから今日は運が悪かったのだ。それで引き返して他の店を探そうと思案していた。
ユミ姉が指さしたのは、店の中であった。
イヴが僕の右腕に自分の両腕を絡ませてきてウザいことこの上ないのだが、動きづらい体勢を維持しながら店の窓から中を見る。一人の初老が座っていて……。
「おや、蒼くんじゃないか。待っていたよ」
待っていた?
僕を知っている言い方をした彼は、紳士帽子を被った、とてもかっこいい男性だった。
また、僕も、何故か彼を知っているような……不思議な感覚に襲われる。心の奥底を突付かれたような、そんな気がしたから。
「では、一年ぶりの問答をやろうかな?」
思い出すのは、一年前、初めてアズールに来た日。ユミ姉とイヴと一緒に歩いていて、懐かしくその日を思い出していたから奇跡的に繋がった。僕はこの人と、一年前のあの日……会っていた。
「夢は叶いそうかな?」
あの時とまったく同じ質問から、彼の問答は再開した。