交麗姫
サーニャ・シャルロッティア。
この寒い季節の中、外を歩けばかなり目立つであろうショートパンツから覗くスラリと伸びた白い脚は、男性ならつい見てしまうほどの美脚だった。襟が尖ったシャツに、茶色のコートを羽織り、黒と青色の斑点模様が織り成すハット帽を被っている。髪型はベリーショートで、帽子からチラリと見えた。モモと同じ、綺麗な桃髪。
長いまつげに、シャープな顔立ち。年齢は見た目二十代前半。相当の美人だということは言うまでもないだろう。本当、シャルロッティア家の姉妹は美人過ぎる。長女の方もさぞ綺麗なんだろうなぁ。……と、暢気に考えている僕を他所に、画麗姫と交麗姫の問答が始まった。
「私が、サーニャ姉さんに隠し事? するわけないじゃない」
「んー、駄目だねモモ」
首を少しだけ左右に振って、サーニャさんがにっこり笑う。
「今、目が両目とも左を向いたね。突然の質問に対して、人はつい嘘をついてしまう時、目線を左に向ける傾向が多いことを知っているかい?」
「……」
「あと、一瞬脚を内股にしたよね。不安を表す際に思わずやってしまう典型的な行動だ。つまり、モモは私の質問に対し『隠し事をするわけない』と嘘をついて、おまけに自分は不安であるということを教えてくれたというわけさ。駄目だよモモ、いつも言ってるでしょ。人というものは動きだけで心を表現しているって」
「……えぇ、そうだったわ。サーニャ姉さんの座右の銘だったかしら」
ハット帽を軽く摘み宙に投げ、再度掴んで元に戻す。
「さて、次はどうする?」
「どうするも何も、隠していることを言うしかないじゃない」
「……」
「バレてしまっては仕方がないわ。今日はね、友達と外出をする予定だったの。だからサーニャ姉さんとは一緒にいられないから、嘘をついてしまったのよ」
「なるほど、それがモモが用意していた嘘かー」
……。
「嘘って? もう嘘については終わったはずだけど?」
「いやいや、私の可愛いモモが、目線を左に向けちゃったり、思わず内股にしちゃうなんて素人丸出しの行動をするわけないもんね」
「あら、信じてないのね」
「私がモモの行動を見て、嘘をついていると言及し、あたかもバレてしまったかのような素振りをして打ち明かす『友達と外出をする予定』。うん、いかにも全てを見抜いた私にとって気持ちがよく、真実を隠すモモにとっても気持ちがいいものだ」
「あらあら、まぁまぁ」
互いにニッコリと笑い合う二人。
「そうして私がここまで見抜くのも、計算の内かな」
「そんなことするわけないじゃない。私たち、姉妹なのよ」
「うんうん、姉妹だよねー」
「えぇ、とっても仲がいい、姉妹」
「裏の裏の裏を読ませてほしいかなー、お姉ちゃんとしては」
「裏の裏の裏は、案外表なのかもしれないわよ?」
「ヘヘヘ」
「フフフ」
……怖い。あれ、女の子同士の話って、もっとキャッキャッウフフするんじゃなかったけ。もしくはここにいない誰かの悪口でひたすら盛り上がったり。ウチのアシュラン姉妹は一人の悪口だけで一時間は余裕ですけど。
「随分と足掻くねー、モモ」
「足掻く? 私は淡々と答えてるだけよ。サーニャ姉さんが一人で勝手に盛り上がってるだけ」
「そうなんだー。ならどうして髪型を今日変えてるの? それ、モモが本気で気合入れてる時の髪型だよね」
「サーニャ姉さんが来てくれるともなれば、気合を入れるのも当然でしょ」
「いや、それは厳しいよ」
「事実だから仕方ないわ」
「ぐへへ」
「そこは照れるのね」
一息。
「んー、なら方向を変えようか。随分と屋敷の使用人らが慌しかったね。あれは何?」
「今日は一日中、外出する予定だったから使用人たちに休みを与えることにしたの。でもあの人たち、せめて朝だけでもって気合入っちゃって」
「……」
「どうしたの? この部屋に来る直前、こっそり使用人らに『事前に聞き取りしていたこと』と、私が言ったこと、間違っていたかしら?」
「やるじゃん」
「何のことかわからないわ。私は事実を言っただけだから。そうでしょ……優しい優しい、サーニャ姉さん?」
……怖い。あれ、姉妹の会話ってこんな殺伐としたものだったっけ。ウチの姉妹はいつも意気投合で元気に父さんに命令していたよ。どこの家庭もあんなもんだと母さんに言われてたけど、絶対違うだろと心底思ってたけど、もしかして他所のご家庭の姉妹って、こんな感じなのかな。
「モモ、お姉ちゃんはモモのことが大好きだよ」
「私もよ」
「大好きな人に隠し事されるなんて、とても悲しいなぁ」
「私も、隠し事なんてしていないのに決め付けられて、とても悲しいわ」
「虚偽は愚行の先手とも言うよ」
「真実は妄想の足枷とも言うわ」
「……」
「……」
「ところで、先からそこに隠れている人は誰かな?」
ッ!?
「あら、誰も隠れてはいないし、そもそも誰もいないというのに。どうしたのサーニャ姉さん」
「……」
「不意の言葉に、私が隠している先を咄嗟に見るとでも思ったのかしら? そんなもの、どこにもないのに。嫌よサーニャ姉さん、そんなにじっと見つめられては。情熱的に見つめられては。さすがの私も恥ずかしい」
「……んんー」
大きな溜息をつく交麗姫。直後、悔しそうにジタバタしながら、頬を膨らませて近くのソファに飛び込んだ。それが、今まで目まぐるしく続いていた問答を終わらせる合図でもあって。
「あーあ! 参ったよ。最後のやつは効果有りと思ったんだけどなー」
「フフ」
「まぁリュネがわざわざ本家に来ることから、モモが何かをしているのは充分わかってたけどさ」
「残念だけど、教えられないの」
「ちぇー、いつもはこれぐらいの攻めでボロを出すか降参するのに、今日は随分と上手くかわしたね」
「ちょっといろいろあって、ね」
「そっか。ならいいよ。んじゃ、ムギュー」
ギュッと抱きしめ、モモの頭をスリスリするサーニャさん。先までとは打って変わって、二人の間に柔らかいものが生まれた。モモもじゃれてくる姉に対し、少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうな表情をしていて。
「変わったね、モモ」
「何が?」
「うんにゃ、何も。あれがモモの描いた絵かい?」
「そうよ。見る?」
「いや、まだ見ない。姉ちゃんと母さんと……父さんと来た時に、ゆっくり見るよ」
「……うん」
本家では、別荘に住んでいるといっても大事な娘であるモモのことは定期的に情報を仕入れていることだろう。だから、モモが絵を描き始めたということも、既に周知の事実だと思われる。
ただ、サーニャさんの今の言葉に、モモがほんの少しだけ表情を曇らせた。いつも聞いている彼女の声と、若干ニュアンスが違う。家族と何かあったのか……。余計な詮索はやめておこう。
「よし、そんじゃ帰ろうかな」
「え?」
「どったのモモ」
「今来たばかりじゃない」
「あぁ、実は今日仕事があってね。カイゼン王国との貿易交渉があってさ。面倒くさいなぁ」
「寄り道ってわけね」
「いやいや、純粋にモモと会いたかっただけだよ!」
「フフ、そういうことにしておきましょう」
本当だよと言いながら、サーニャさんは笑う。
そして──不意に。
僕を見た。目があった。
「ではでは、王城に行くとしますか」
「見送るわ」
「本当? 嬉しいなー」
終始会話をしながら部屋を出て行った二人を黙って見送る。しばらくは服入れの中に篭っていたけど、もうサーニャさんが部屋に戻ってこないと結論付け、外に出た。……はぁ。
「どうにも」
「サーニャ姉さんにはバレていたようね」
「あぁ、お帰り」
「ただいま」
クスクスと嬉しそうに戻ってきたモモは、近くにあったソファに座る。僕も彼女が座っている場所の反対にあるソファに行き、向かい合うようにして座った。
「優しい人だね、サーニャさん」
「でしょう? 自慢の姉なの」
「それに癖のある人だった」
「相手の心を見透かす力に関しては天才的だと思うわ。でも、それが災いして彼氏がいないというのが……ちょっとね。婚約者はいたのだけれど、逃げられちゃって」
「なるほど」
「寄ってくる男は未だ多いの。ただ、淡々と相手が思っていることを言い当てたり、まるで全てを知っているかのような素振りをしたりと、長く付き合える人は現れないのよね」
「本人は気にしてないの?」
「全然。あまりにも人心掌握が長けてしまうと、自分が嫌でありながら、けれどそこそこ楽しんでもいるって。いつかこんな自分とも渡り合える人が現れるって断言してる」
「うわぁ、大変そうだ」
「本当よ。でも、世界は広いのだから可能性はあると思う。いえ、サーニャ姉さんのことだから、絶対に見つけてくるでしょう」
それは、家族だからこそ言えるモモの優しさだった。心から信頼していて、尊敬していて、愛している。だからこそ姉に対してモモは驚くほど饒舌だった。まるで、自分の武勇伝を語るかのように終始笑顔で話すのだ。僕も何だかんだで喧嘩もするが、姉妹のことを話す際、こんな感じなのだろうか……。
「それじゃ、いろいろと問題も片付いたし」
「お姉さんを問題って!」
「いいのよ。私はいいの」
「暴論だ……」
「それじゃ、シルドくん。今度こそ絵画鑑賞といきましょう?」
立ち上がり、にっこりと笑うモモ。ほんのり甘い香りがして、嫌でもドキドキしてしまう自分がいた。改めなくても、今僕の目の前にいるのはあのモモ・シャルロッテイアその人なのだ。本当に綺麗で、強く、けれど脆い。他とは一線を画す要素がいくつもあるけど、女の子らしい部分もたくさんあって。
薄らと光る桃髪。ほんの少しだけ垂れ目の眼差しを向けられて。自然と、彼女の手をとった。ちょっと驚いているモモに微笑んで……
「せめて紳士らしく、かな」
「あら、でも絵画までたった四歩よ」
「大切なのは歩数じゃないさ」
「じゃあ何かしら」
「……えーっと」
「愚かねぇ」
あぁ、大事なところで決められなかった。恥ずかしい。
天井を仰ぎながらあれこれ考えていると、手を握っていた彼女に握り返され、何故か僕がエスコートされる形になって。
滅茶苦茶死にたかったが、モモが本当に楽しそうにしていたので、次こそは決めると、ポケットに入っているプレゼントを渡す時に絶対に決めると固く誓って。ようやく、僕は……
「どうぞ」
「それじゃ、遠慮なく」
モモの絵にかかっていた布を、そっと外した。
いよいよ、本番である。




