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食の天井



 貴族。

 貴族についての定義は国によって異なる。アズール王国において貴族とは「王国が認めた領地の主、または軍事的・政治的功績があった者、または社会的上級立場の者」とされている。

 僕の家が該当するのは最初のやつだ。王国が認めた領地の主。原則として貴族は世襲制であり、よほどのことがない限り貴族から庶民へと降格することはない。歴史を振り返れば悪政を揮った暴君、残虐非道な領主が降格になったことはあるが。

 アシュラン家は、代々チェンネルを統治してきた貴族であり、長男である僕もゆくゆくは領主になると思ってきた。そういうものなんだと何度も言われ、領主であるべき教育や、歴代の領主がしてきた偉功を体の芯まで刻み込まされた。けれど、物心がつく頃に、ふとあることを思うようになる。


 本が好き。


 それは、とても自然なことだった。別段、身体が弱いとか友達がいなかったという理由ではない。本当に、小さい頃より本を読むことが好きだった。最初は絵本に始まり、徐々に家にある本を全て読破。必然的に次の目先は図書館となる。そのまま、十五歳になるまで次期領主という現実と平行して本を読み漁る毎日となっていた。 

 周りに本があることが当たり前となっていった。

 本がさらに好きになった。本に関係する仕事に興味を持つようになった。そして……司書という職業にいきついた。けれどそれは無理なことだ。僕は貴族なのだから。どんな夢を抱こうと実現することはできない。

 それに、本を強制的に剥奪されるということでもない。ただ単に、本に関係する仕事には就けず、領主としての人生を終えるだけのこと。読みたければ暇なときに読める。司書になりたいだなんて所詮は夢。夢は夢だからこそ、美しい。



 十五の誕生日。前世との邂逅。



 前世での僕は、可笑しいかな、十五の誕生日に死んだ。この世界で十五の誕生日に前世と邂逅し、前世では十五の誕生日に死んだ。まるで、繋がっているみたいだった。魂としての繋がりか、別の何かか。意味はあるのだろうが、その答えを導き出す方法はない。ただ……死んだ場所が意外だった──図書館だったからだ。

 偶然の事故。不運な落下。

 家にいるより図書館にいる時間の方が長いのではと思うぐらい本好きだった僕は、平日も休日も学校が終わり次第すぐに家の近くの図書館に行っていた。読書好きの男の子は、将来絶対に司書になると決めていた。目指していたのはアメリカ議会図書館。世界最大の図書館とも呼ばれ、ありとあらゆる本が集められる。そこで働くことをささやかな夢としていた。


 しかし、そんな小さな夢も。現実的に極めて不可能だと悟る前に僕は死んだ。本棚の一番上に置いてあった本を、梯子を登って取ろうとして、情けないことにバランスを崩し落下。そして打ち所が悪く死亡。あっけない、何とも無様な死に方だった。ただ、死んだことには何の未練もない。人間は必ず死ぬものだから、今さら嘆いても意味はない。問題は別にあった。僕が目指していたものだ。


 ──司書。



 ※ ※ ※



「らっしゃいらっしゃい! おおっとそこの少年。どうだい、アズール名物プラリエ焼きだよ!」

「プラリエ焼き? ジョングラス産の小麦粉の生地で焼いて、中はモルタン肉が入っているっていう……」

「そうそう! っておい、大丈夫か? 結構疲れているように見えるけど」

「アハハ、そう見えます?」


 おじさんから買ったプラリエ焼きを片手で持って頬張る。おお、このサクサクの中にモルタンの肉が絶妙だ。美味い。モルタンはほとんど見た目前世でいう豚だ。味もこってりしてて食べごたえがあり、一度は食べてみたいと思っていたから嬉しい。……さて、これからのことについて考えないと。


「夜になっちゃったなぁ」


 色鮮やかな星々が空を埋め尽くしている。何度見ても夜空って綺麗だよな、青空とは違う美しさがあるし、ずっと見ていると安心する。ただ、今はそんな気持ちにはならなかった。今日の宿が、まだ取れていないのだ……。

 完全にやらかした。僕のミスだ。明日は世界でも有数のアズール王立学校の試験日である。世界中から受験生が来るに決まっている。僕が王都へ来て最初にやるべきことは、図書館に行くのではなく宿の手配だった。わかっていたはずなのに、頭がもう図書館のことで埋め尽くされていた。後悔先に立たず。

 

「おじさん。宿を探してるんだけど、いいところないかな?」

「あぁ、宿探しか。うーん、ちょっと酷なこと言うけどさ。この時間帯になると受験生を含め旅行者で宿の取り合いになるんだよ。だから、結構厳しいと思うぜ」

「そう、ですか」

「うちに泊めてやりたいが、生憎俺は空船に家があるんだわ。明日には別の都市行くんで……スマンな」

「いえいえ、そんな」


 会釈をし、おじさんと別れて先を行く。

 さて、どうしたものか。やや小走りで宿を手当たり次第に探す、探す、探す。足を使い数分、数十分、数時間かけて歩き回り、宿を探す。次第に深夜の時間帯に差し掛かっていき、心にも余裕がなくなっていく……。そんな自分をなんとか励まし、とにかく宿を探し回った。そして……、現在ベンチに腰掛け、ぐったりとしながら空を見上げている。足が痛い。


「全滅か。さすがにこのベンチで一晩はきつい」


 いくつかの宿は、明日になれば部屋が空くよ、と言ってくれた。今日を凌げれば明日の宿はなんとなる。問題は今日の宿泊先だ。まだ夜は寒い季節……、どうしようかなぁ。野宿は姉さんや妹と一緒に小さい頃よくやってたけどここは王都だ。しかも一応僕貴族だし。変に警備の人に保護されたらアシュラン家のいい恥さらしになるだろう。

 でも、何かいい案がない。もっと歩く範囲を広げれば空いている宿を探すことはできるだろう。けれど、体力、精神的に疲労が酷い。このまま目を瞑ればぐっすり寝てしまいそうな状況だ。


「ん、やばい」


 目が、重くなってきた。見えない力がまぶたを強制的に閉じさせようとする。うぉ、負けるな僕。

 ここで寝てしまってスリにあったらどうするんだ。お金取られたら洒落にならない。何とか宿を探さないと……! 

 ……あー、眠い。やばい。これは、本格的、に…………


「あぁもうじれったい。さっさと眠りなさいな」


 不意に、後ろから声がした。優しい声色をした女性の声だ。

 けれど、声の主を見る力がなかった。そっと後ろから相手の手で目を閉じられる。本来ならおっかなびっくりで逃げるところ、その元気すらなかった。もはや眠りにつく二秒前。意識が消える半歩手前。そしてそのまま、睡魔に抱かれて目を瞑ったのだった。



 ※ ※ ※



 夢を見る。

 また、この夢だ。川辺で遊ぶ僕と少女。故郷チェンネルを出て、八船都市の一つである海と空の憩い場「ジョングラス」から空船に乗りアズールに向かう際、本部屋で寝てしまった時から見ている夢だ。何を意味しているのか、まったくわからないけど……いつか、この疑問を解決できる時がくるのだろうか。少女と遊ぶ不思議な夢。

 ああ、そうだったっけ。

 夢を見ながら改めて思い出す。そうだ、この夢に出てくる少女は傷を負っていたのだった。左目にはっきりとある、刃物か何かで斬られたのだろう傷跡。縦一直線に二本。何故なのか。誰がこんな可愛らしい女の子に傷をつけたのか。わからない……。


「う、ん」

「あ、やっと起きた?」


 眼をこすりながら起き上がると、目の前に一人の女性が腕を組みながら立っていた。え、と……あれ?


「僕、何でこ」

「おっと、面倒だからそこまででいいわ。私が教えてあげる」


 まだ思考がまとまらない自分を冷静に分析する……ことなど当然無理で、辺りを見回す。

 個室の部屋だ。鏡やカーテンの色、メイクセットやクローゼットにかけてある大量の服を見る限り、女性の部屋ということは一目瞭然だった。ただ、何故自分がこの部屋にいるのかがわからない。落ち着け。

 昨日は宿を探して夕方から夜までずっと歩き回ったはずだ。それで結局見つけることができずにベンチに腰掛けて……そこからどうしたんだっけ。


「ま、簡単に言っちゃうとね。あなた、ベンチで寝てたのよ」

「ええ! 本当ですか!」

「うんうん。で、私が運んだわけ。寝かせたわけ。起きたわけ。終わり」

「……」


 終わりって。

 笑顔全開で言われても。


「と、とりあえず。一晩泊めていただいて本当にありがとうございます」

「いいわよ別に。あ、ご飯食べる? お腹すいてるでしょ。食べたら頭もすっきりするわ」


 朝食を頂いて、ひと段落。改めて彼女から自己紹介があった。

 ピュアーラ・マルケットさん。

 酒場「食の天井」を経営している人で、僕を拾ったのは料理のゴミを外に出そうとした時だったらしい。偶然僕が店の裏口のベンチで半死状態だったところを発見してくれたそうだ。

 それで、店のお客さんらに手伝ってもらい二階の自室に……。そのまま朝になって僕が起床。今に至る。

 王都初日にこの失態。恥ずかしいなんてものじゃない。どうしよう。何がどうしよう。どうしようの主語がわからない。主語って何だっけ。


「あ、ぅ……ぇお……」

「ちょっと落ち着きなさいな。別に何も取りゃしないわよ」

「そ、そういう意味ではなくてですね、えと」

「何かしら?」


 ぐっと顔を近づけてくる彼女に思わず仰け反ってしまう。

 クセ毛のある髪が腰まであり、ややたれ眼の表情が直できたのだ。しかも自分より五、六歳ほど年上で、何だか大人な感じがする……。香水も強烈なものでなくほんのり甘い。瞳と髪の栗色。身長も高くスタイルもいい。とても酒場のオーナーをしている人には見えない。


「ピュアーラさんは一人でこの酒場を経営しているんですか」

「そうよ。ま、実家は遠くにあるんだけどね。王都で暮らしたかったから二年前からこの店を開いたの。結構繁盛してるのよ?」

「そうなんですか……。僕、昨日初めて王都に来たのでちょっと気疲れしちゃって」

「あら、あなた受験生か何か?」

「はい。今年アズール王立学校を受験しに来た者です」


 あらまぁ、とちょっと笑いながら椅子に座るピュアーラさん。可笑しなこと言ったかな。


「受験生が野宿ねぇ」

「!?」

「さぞかし大変だったのねぇ。ベンチを宿場所に選ぶぐらいだから」

「そう、ですね。前衛的な試みでした」


 死にたい。


「ま、いいわ。受験生ってことは今日が試験でしょ? 早く行ったほうがいいわよ」

「でも、お礼の一つもできていない状態で」

「なら、今日も宿はうちにしてくれる? それとお手伝いも。それでチャラにしてあげる」

「……ありがとうございます……!」


 こんなに良い人がいるのだろうかと思わずにはいられない。本来なら山のように感謝を述べて直ぐにでも店のお手伝いをする所、試験の時間まであまり余裕もなかった。なので、必ず恩返しをすることを誓い、再三お礼を言った後に、今やるべきことをやるため食の天井を後にした。

 本当に申し訳ない気持ちだ。

 必ず、お礼をしなければ……!



 ※ ※ ※



「……さて、と。ステラから聞いていた通り、良い子ね。私にできることなんてこれぐらいだけど、本当に大丈夫なのかしら。本当にあの子が貴族なら、貴族科の筆記試験は……結構難しいって聞いてるけど」



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