“導き銀河”
エレガルド宝石店。
外観はこじんまりとした一軒家であった。道に面している側はガラス張りとなっており、外から店内がくまなく見れる。指輪、ブレスレット、イヤリング、ペンダントなど装飾品が綺麗に並べられていて。模型の大きな宝石があり、見る角度によって多種多様な色彩を放つ。唾を飲み込み、やや緊張しつつ店内へ入った。
「いらっしゃい、見ない顔だね。ん、蒼髪?」
店にいたのは、一本残らず白髪の、波のような髪型をした初老だった。六十代前半あたりで、丸い眼鏡の奥から僕をジッと見ている。体格はよく、仕事用と思われる服がパンパンに張っていて、彼が動くたびに膨らんでいるような感じがした。
「もしかして、シルドくんか」
「はい、そうですけど」
「おぉやっぱり! リリィちゃんから話は聞いているよ。キミともう一人の女の子……モモ・シャルロッティア嬢がウチに押し入った盗人を捕まえてくれたんだってね。ありがとうよ!」
「いえ、そんな」
「立ち話もなんだ、こっちに来なさい。紅茶ぐらい出すよ」
達磨のように右へ左へ揺れ動きながら進む白髪の初老に連れられて、客席へと座る。まだこういった都会らしい店に入ったことがないから、田舎丸出しで周囲を何度も見渡した。光に反応して輝く宝石は、自分が場違いなところへ来ていることを実感させてくれるのに充分だった。変な汗が背中を伝う。
「そんなに緊張しなさんな。ソリー茶は飲めるかね」
「もも、もちろんです。お気遣いありがとうございます」
「リリィちゃんからは貴族だって聞いたけど、えらく礼儀正しいね。私の聞き間違いだったかな」
「い、一応貴族なんですけど、田舎者ですので」
「ハッハッハ! なるほどなるほど!」
豪快に笑う初老と、目線を下に向けたままの僕。慣れない場所は最初いつもこうだ。何を話せばいいのかわからない。本が関係すると途端に図々しくなれるのに、自分でも変わった性格をしていると思う。
「リリィちゃんにはシルドくんともう一人の子に伝言を頼んでいてね。今日はそれでかな? 来てくれて嬉しいよ。ラジル・エレガルドだ。よろしく」
「シルディッド・アシュランです。僕も喜んでいただけて嬉しいです。ただ、今回はちょっと個人的な用事でして」
「ほぉ」
「シャルロッティアさんの誕生日に贈り物を渡したいと思っているのですが……中々決められてなくて。何にするか悩んでいたところ、知人からこちらを紹介されました」
「よかったら、その知人を聞いても?」
「えぇ大丈夫ですよ。カリダ・イングランドさんです」
カリダさんの名前を出すと、白髪の店主は満面の笑みとなり何度も頷いた。
「納得だ。彼ならウチを紹介したのも頷ける。うむ、うむ!」
「お知り合いと伺いました」
「もちろんだとも。何せ、彼が嫁さんへの結婚指輪を選んだ店もここだからね」
結婚指輪は前世とこの世界でも同じ意味を示している。結婚した夫婦がはめる指輪だ。ただ、この世界での結婚指輪は贈る時が前世と若干違い、「結婚した後」に贈るものとなっている。
結婚の意志を示す際は「シャンデリーゼ」……通称「婚姻花」を贈るのが通例となっている。
つまり、前世ではプロポーズとして結婚指輪を渡すのが普通だったけど、この世界では婚姻花を渡すのが普通なのだ。シャンデリーゼは種類がいくつかあって、相手に一番合う花を選ぶのが、結婚を前にした男の一番の見せ所でもあったりする。地味に恐ろしい試練である。
「指輪はカリダさんの奥さんに喜ばれたのですか」
「大成功だったそうだよ。奥さんの故郷であるルーバルでしか採掘できないリュジュの指輪だったからね。ま、選ばれたのは奥さんだけども」
「選ばれた? 選ばれたのは宝石じゃ……」
「そうだね。選ばれたのは宝石で、選んだのはカリダくんさ。だが、彼は選んだ宝石の付き添いにすぎない。真に選んだのは、やはり宝石なのだよ」
まったく意味がわからない言葉を淡々と言いながら、彼は椅子から立ち上がって店内の中央に移動した。言葉の意味を自分なりに理解しようと奮闘するも、結局はわからなかった。それもそのはず、所詮はラジルさんの言葉を、大人特有の言い回しのようなものとしてしか考えていなかったからだ。
ここはアズール王国。魔法の国。あらゆる事柄に、魔法が関係する国。
「“導き銀河”」
宝石店の主が言を放つ。
同時、店内の床一面が真っ暗となり、そして鮮やかに輝いた。まるで銀河の上にいるかのような錯覚に陥る。まだ昼頃でありながら店内は星空を絨毯にしたような、幻想的な世界へと変貌した。幾つもの煌きが優しく光って視界を通過する。この場に女性がいたのなら、間違いなく見惚れてしまうだろう。男でもそうなのだから。
店の前を歩いていく人は、一度こちらを見るもニッコリと笑って通っていく。ちょっとニヤついている人もいた。
「ラジルさん、あの、通行人の方々が笑っているのは何故でしょう」
「あぁ、これは新郎が覚悟を決めて宝石を選ぶ時にだけ私が使う魔法だからね。若いのにもう結婚とは立派だなぁとでも思われたのだろう」
「何恐ろしい魔法使ってるんですか!」
「いいじゃないか、遅かれ早かれだ」
「過程ぶっ飛ばしすぎですよ! 僕まだ手しか握ってないんですよ!」
「と、いうことはいつかは渡すつもりなのかな?」
「……ッ、わかりません! まだそういう間柄でもないし。というか僕は、その」
「若いっていいねぇ」
全部読まれた瞬間であった。なんということだ。まだ会って数分しかたっていないのに見透かされてしまった。
「大丈夫大丈夫。今回は贈り物用だろ? ちゃんと宝石たちもわかってるさ」
「宝石たち?」
のんびりとした話し方ながらもやることは激しい初老は手を大きく広げた。床は黒く、辺りは煌びやかな景色が変化する。先ほどから店内をキラキラと星のように光っていた結晶が消え、今度は店内に置いてあった「宝石」が光り始めたのだ。
「中級・陣形魔法“導き銀河”。五百年前、発掘屋にして宝石の申し子と呼ばれたソルジャー・ミゼットが生み出した魔法さ。シルドくんは『霊魂』というものを知っているかい?」
「確か、全ての万物には魂が宿るという考え方だったような」
「そうそう。魔具を作るカイゼン王国では古くからある考え方さ。彼らは自分らが作る魔具にも一つ一つに魂が宿ると考えている。文化ともいっていい。だからこそ仮にものであっても大事に扱うべきとしている。ソルジャー・ミゼットはこの考え方にとても感動してね。何とか魔法で宝石に意思が宿せないか研究したのだ」
「宝石に……意思を……」
「うむ。そして四十年の時をかけて完成したのがこの魔法だ。一時的ではあるが、宝石を思念体に変えることができる。ま、といっても話したりはできず動くだけだがね」
ものには魂が宿る。前世の世界で、僕がいた国にもそれと同じ考えがあった。まさかこの世界でもあるとは、ちょっと意外だったけど少し面白くもある。
「思念体の定義は曖昧だが、“導き銀河”を作ったソルジャーは『宝石に元来あったであろう鉱物としての意思を、人間の魔力によって拡張し、一つの形にすること』とした」
「でもそれって、鉱物に意思があると前提しての話ですよね」
「そうだ。本当に鉱物に意思があるのか。実際のところ、この魔法を使う私にもわからん」
「……」
「だが、魔法書を作り“導き銀河”を前にして安らかに眠ったとされるソルジャーと、実際に発動させれば宝石らに一時的ながら意思が宿るという真実は変わらない。もしかしたら意思が宿っているかのように振舞うだけの魔法かもしれない。けれど、そうだとすれば魔法によって組み込まれた規則的な行動しか宝石らはとれないはずだ。実際は違う。私もこの店をして長いが、幾万の彼らの行動を見てきた」
「証人、ですね」
「そうさ。宝石含め、ものには意思があると私は信じている。だから“導き銀河”を自信をもって使うのだ。言ったろ? 選んだのはカリダくん。だが、彼は選んだ宝石の付き添いにすぎない。真に選んだのは、やはり宝石なのだ……と」
宝石たちの光が強くなっていく。店内はもはや光一色で、目を細めなければ難しい状況になってきた。
そして、輝きが限界まで達した時、蝋燭の火を消したかのように、光がなくなった。
「今、宝石らに意志が宿った」
「ぼ、僕は何をすればいいのですか」
「何もしなくて大丈夫だよ。これから宝石らが宙に浮き、誰がモモ・シャルロッティア嬢の宝石として相応しいか決める」
「宝石にも会議があるんですね」
「うむ。浮くのは我こそはと名乗り出る宝石たちさ。今回は自分じゃないと思う子らはもう動かない。あとは浮いた宝石らで話し合う。ちょっと動いたり、揺れたりして彼らなりの意思疎通をするから、見てて面白いと思うよ。そして決まったら、自然とシルドくんの前にやってくるだろう」
「その、普通はどれくらいの数が浮くんですか」
「そうだねぇ。十個ぐらいかな。ウチには二百以上の宝石があるが、だいたいはそんな感じかな。多い時は二十個だ。宝石らもこの時ばかりはやる気全開で動くからいつ見ても楽しいものさ」
「何だか、ちょっと興奮しちゃいますね」
「興奮どころじゃない。発狂ものだよ、ハッハッハ。さて、シルドくんが贈ろうと考えるシャルロッティア嬢への宝石として名乗り出る子らは、何個かな?」
全部浮いた。
※ ※ ※
「……ラジルさん」
「……何だね」
「普通は十個って聞きましたけど」
「そうだねぇ。全部浮いてるね」
「あちこちで輝いたりグルグル回ったりしてますけど」
「そうだねぇ。喧嘩してるっぽいね」
予定としては、名乗り出た十個程度の宝石が宙に浮き、動いたりして彼らなりの意思疎通を行う。そして候補の中から一個が決まり、僕の下へやって来る……はずだった。
現在、店内において宝石たちのプチ戦争が勃発している。
あちこちで光り輝き、旋回し回転し、彼らだけにわかる主張を二百を超える鉱物の結晶体が繰り広げる。そんな想定外すぎる光景を、体格のいい初老と蒼髪の僕は呆然と見つめていた。口を開け、世にも不思議な世界を傍観するほかなかった。
「あぁ、なるほど」
しばし二人で眺めていると、納得したようにバジルさんが立ち上がる。
「そうかそうか。そういうことか」
「ラジルさん?」
「宝石らにとっては、シルドくんとシャルロッティア嬢は命の恩人だからね。当然といえば当然だ」
「……あ」
「強盗から救ってくれた人の宝石になれるなら、皆喜んで名乗り出るだろう。ハッハ!」
もし、彼らに意思があるのなら。
いや、彼らに意思はあるのだ。でなければ目の前の光景が起こるわけがない。僕が彼らの立場でも、迷わず名乗り出ただろう。強盗から救いだされ、感謝の意思があったが何もできず。けれど意思を表明する機会はごく僅かにあった。
救ってくれた人が店を訪れ、店主が“導き銀河”を発動する時、彼らにとって唯一無二のチャンスなのだ。
「感謝してくれてたんですね」
「そのようだ。やはり宝石にも意思はある! 嬉しいことだ」
「何だか、モモが羨ましいです」
「何を言う。きっとシルドくんにも多大な感謝をしているはずだよ。だからこそ、是が非でも自分だと彼らは喧嘩しているのさ」
「……アハハ」
少しこそばゆい、もぞもぞしたくなる感覚。顔を下に向けて、照れ笑いしかやることがなかった。
宝石らによる「我こそシャルロッティア嬢の輝きなり戦争」は十数分経過しても収まらず。次第に二百を超える輝石は大きなリングとなって、店内を旋回し始めた。時々、数個がはじき出されたりするものの、「なにくそ」というようにすぐにリングの中へ入っていく。本当、モモのために一生懸命な彼らであった。だが……
「これ、いつ決まるんですかね」
「わからん。普通ならとっくに決まっているはずだ。こんなでかい輪になってまで争うのは初めてだよ」
「できれば穏便に決まってほしいなぁ。モモだってそう思うはずなんですが」
その時であった。
僕の言葉を聞いていたのか、彼女の名前が出た途端、ピタリと宝石リングの旋回が止まる。
……え?
そのまま、リングが僕の前に下りてきて、今度は眼前で旋回し始めたのだ。
「ラ、ラジルさん!?」
「どうやら、彼らはシルドくんに託したようだね」
「託すって?」
「このままでは永遠に決まらないと判断し、『選ぶ権利』をシルドくんに委譲したということさ」
「えええええ!?」
前には、光り輝く二百の宝石。集まり列となりリングとなって、クルクルと旋回している。時計回りに旋回し、あとは僕がその中から掴むだけとなった。
とんとん拍子に事が運んでいるが、大丈夫なのだろうか。
ラジルさんを見れば、手を差し出して「どうぞ」としてくる。
宝石らを見れば、美しい光を放ちながらも静かに目の前を通っていく。
対し、さっきまで宝石任せにしていた僕は、背中から冷や汗が止まらない。
「不安になることはない、これも運命さ」
「……運命」
「彼女に贈るんだろ? 方法は少し違うけど、最後はシルドくんが選びなさい。ね?」
……大きく深呼吸して、目を閉じる。今更何を選ぼうかと吟味しても意味がない。結局はこれもまた、運命というやつだ。なるようにしかならん。だったら、流れに身を任せる時もあっていいじゃないか。
思い浮かべるは、一人の女性。
一年試験で出会い、論争し、勝負し、実質的に負け、だけどその後も僕を助けてくれた桃髪の麗女。彼女がいてくれなければ、僕はアズール図書館の第一試練に合格できなかったかもしれない。彼女がいなければ、僕はこの店を訪れる機会なんてなかったかもしれない。
僕もまた、感謝していた。
モモに出会えた、自分の運命に。
「これだ」
旋回するリングの下に右手をもってきて。掴む。
何かの物体が手の中にある感触がして。目を開けば、花が開いたように残りの宝石らがあちこちに飛散した。そして雪のようにゆっくりと元あった場所へ戻っていく。黒一色であった床もまた、元の状態へと戻っていく。
静まりかえる店内で、ラジルさんがやってきて。
右手にあるのが何になったのか、二人で確認した。
「ほぉ」
「これは」
「私も随分長く生きているけど、こういうのは本当に面白いね。偶然か必然か、悩むものだ」
「喜んでくれるでしょうか」
「それはシルドくん次第だ。何のために彼女に贈るのか。贈る時機はいつか。その時の空気は。世界は。全ての条件が成立した時、贈り物は最大の効力を発揮する。流れに身を任せ、されど掴むべき時は決して離さず。こればっかりは、歳をとっても変わらず難しい。しかし、だからこそ面白い!」
人生と一緒さ、とラジルさんは一笑する。
改めて宝石を見る。どこか幻想的で、深く、洗練な輝き。
この後、これがどういう宝石なのかバジルさんに聞いて、自分なりに渡すタイミングを模索しなければならない。実際のところ、これからが大変なのだが、今は一息つこう。もう一度右手にある輝石を掴み、決意を新たにして……。
二週間が過ぎ。
モモの絵が、完成した。