誕生日
「あれからモモお嬢様とはどうですか」
「け、健全な関係ですけど」
「絵の具を買ってから一ヶ月と数日、お嬢様は休日のほとんどを絵画に費やしておられます」
「うん。この前リリィと買い物に行ったって聞いた。あとはひたすら絵画らしいね」
「二週間後には完成すると思われます」
「そうなんだ! うわぁ楽しみだな」
「ちなみに、二週間後はモモ様のお誕生日です」
「……」
「それでは」
「え! ちょ、リュネさん!?」
※ ※ ※
誕生日。
この世界においても誕生日は祝日とされる。チェンネルにいた頃は誕生日がくれば家族皆でお祝いしていた。それぞれ誕生日に色が出ており、妹は甘いものに目がないから遠くの菓子店に買いに行くのが恒例だった。姉さんは服が好きなので八船都市の一つであり洋服と裁縫の都「ポポラリーノ」に家族で遊びに行くのが恒例だった。
母さんは父さんとの旅行を誕生日の楽しみにしていて、一年かけて旅先を選んでいる。父さんはその日のんびり海で釣りをする。せっかくの誕生日をそんなんでいいのかと家族から何度も指摘されるけど、本人はとても嬉しそうなのでいいことにしよう。僕は、言わずもがな珍しい本を皆から贈られていた。それがアシュラン家の誕生日だ。
モモ・シャルロッティア。
彼女の好きなもの。絵。しかし絵に関係するものは一ヶ月前に買ってしまった。となるとそれ以外となるが、僕はモモの好きなものを他に知らない。いつもクールな雰囲気を漂わせ、滅多に心中を吐露することがない女性。
「今更欲しいものは何かって聞くか?」
駄目だ。そんなの、あからさまに「モモの誕生日を今頃になって知ったよ」と言うようなものだ。
やはり紙か筆あたりだろうか。でも、「絵に関係するものなら何でも喜ぶと思ってるんでしょ」とか思われたらどうしよう……。最悪、器の小さい男と思われるかもしれない。
誕生日は大切な日だ。僕とモモの関係が現在どれくらいの距離なのかわからない。ただ、今より半歩でいいから近づけるようになるのがベストだ。遠ざかってはいけない。そもそも、相手の誕生日を今まで知らなかったこと事態が問題なのだ。何をやってるんだ僕は。
「どうしよう……」
「本の整理をしながら独り言は怖いよ」
「す、すみません」
「ところで、青少年は運命というものを信じるかい?」
「運命ですか。信じる時は信じますし、信じない時は信じません。占いと一緒ですね。ステラさんはどうですか」
「信じるね。前はこれっぽっちも信じなかったが、今は信じるようになったかな」
「へぇ、ちょっと意外です」
「乙女なのだよ」
「はいはい」
現在、僕はステラさんと一緒にあの本棚がびっしりと立ち並んでいた空間にいる。正確にはアズール図書館の真下にある全四十九階層の十階層目にいる。
運命……か。最近読んだ本にもこんなことが書かれていた。「人が心の壁にぶつかった時、それを運命と捉えるか試練と捉えるかで道は別れる。そこに善悪などない。あるのは、決断した結果だけである」と。
運命か試練か、アズール図書館の第一試練で苦悩している際、これを運命と捉えて諦めていれば今僕はここにいない。あれを試練と捉え、精一杯頑張った先がここである。そして今も試練は続いていて、来年の夏、第二試練に合格するため他国に行く。これ以上、難しいことを考えても意味はない。がむしゃらに進む他ないだろう。
「あ、これ拷問や殺戮の魔法書ですよ。怖っ」
「読んでおくといいよ」
「嫌ですよ、こんな魔法使う機会なんてありませんし」
「まぁそう言わず。人生とは面白いものでね、何てことはないと思っていたものが、意外な形で役に立つことがあるものさ。勉強でもそうだろう? 騙されたと思って読んでおきなさい。今日読んだこともまた……運命かもしれないからね」
手元には六、七冊のそれらしき魔法書がある。一つだけ紹介すると、子供が欲しいのに病気で産めなくなってしまった女性が妊婦だけを狙って連続殺人を犯す。殺害方法が子供を授かった女性に対して恨み・妬みを書き綴って作り出した恐怖の魔法を使用。
名を、“産女狂苦の血染め子宮”。
彼女オリジナルの魔法だ。それを記した魔法書なのだが、理解はできても誰も共感することができず、結果として禁術の特級・癒呪魔法としてお蔵入りになってしまった。血沼に引きずり込み、相手の子宮を抉り出す魔法とは……怖すぎる。
「絶対使いませんからね。犯罪者になりたくありません」
「全部読むんだよ」
「えぇ……」
そうして、ステラさんと共同で行っていた「本の整理」が終わった。
アズール図書館の司書の第一試練に合格してからニヶ月が経過して。
季節は冬到来であり、厚着をして出かけないと凍死してしまいそうな気温である。女性たちが冬のコーディネートを華麗に着こなして王都を歩いている。
貴族科でも変わらず、女子の服が毎日のように変わっている様を見ると「女の子って大変だなぁ、男で良かった」と心底思った。ただ、それは男子の考えであって、本人らはいたって楽しそうにしている。休日は仲良くショッピングに出かけているし、モモとリリィもこの前二人で出かけたそうだ。
ちなみに、まだ司書でない僕がステラさんの仕事を手伝ってもいいのかという指摘があろう。
が、これは仕事でもなんでもなく、単に整理するだけなので仕事には入らないのだそうだ。専ら彼女の仕事は管理部屋を守り、侵入者を排除すること。放っておいても本は毎日のように増えていくし、仕事としていたら身がもたないという。
「この後はどうするのさね。図書館かい?」
「いいえ。ロジア・モロッコの新巻を買いに行こうかなと」
ステラさんは、先のように僕に普遍的な質問をすることがある。これからの用事を聞く時もあれば、運命を信じるかといった哲学チックな質問をする時も。どこか僕を知ろうとしているのか、はたまた別の何かか。ただ、時々であるが妙に鋭いこともあって。まるで……前世と現世を比べてどうか、と間接的に聞いてくるような。考えすぎだろうか。
「ロジア・モロッコ? あぁ、今は五十代半ばの男性を主人公にした家庭小説を書いていたね」
「はい。子供も親離れして、妻と改めて二人っきりになった自分を見つめ直す物語です」
「しかし、前巻は確か本の終わりに主人公が妻に向かって『全裸待機に、俺はなる』と言って終わりじゃなかったかな」
「そうです。どうも作者のロジアさんが最近全裸の開放感に目覚めたそうで」
「下の中。あの作者はいい小説を書くが自分の感性をすぐ主人公にぶつける癖があるから好きじゃない。読者に伝えたいことがあるのなら、味のある魅せ方をすることが一流だよ」
「うーん、でもわかりやすくて僕は好きですけどね」
「全裸待機が?」
「ハハハ」
「それと、何か悩み事でもあるのかな」
「ッ!?」
「下の下。……女をあまり舐めないほうがいいぞ、青少年。年齢問わずね」
半纏を着崩し、胸元を開け、悩ましいポーズをとりながらこちらを見てくる女性を前に、自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
いつも羽織っている半纏をドレスに変えたらさぞ栄えることだろう。大人の色気が彼女にはある。少し迷ったが、素直に相談してみることにした。
「ふむ、誕生日ね」
「はい。ステラさんは誕生日に贈られたら嬉しいものはありますか」
「本」
「ですよね」
「私が言うのも何だが、女は祝い事を大切にする。特に誕生日となれば尚更だろうね」
「うう、苛めないで下さいよ」
「青春だよ青少年、そうやって大人になっていくのだ。ひたすら悩んで苦しんで答えを出すといいさ」
「はぁ」
「そして散るといい」
「散りません」
※ ※ ※
『一つだけ助言をすると、女に共通常識論はない。これを渡せば大丈夫という贈り物はないということだ。画麗姫さんが喜ぶものを青少年なりに一生懸命考えて探すのが一番だよ。高価なものを喜ぶのか、想いのあるものを喜ぶのか、質のあるものを喜ぶのか、はたまたそれ以外か。頑張れ若人ー』
ステラさんと別れ、いきつけの本屋がある場所へ向かう。本が置いてある店には積極的に入ってしまうのは本好きの性か。特に古本屋となると絶対に入ってしまう。前世の古本屋と比べて、各店で扱っている本の種類が全く違うのだ。
店主が独自に好きなジャンルを中心に取り扱うところが多く、この世界での古本屋巡りはとても楽しいものとなっている。
それゆえ、店によって特定のファンがつくことも多く、僕のようにジャンル問わずの人間は少ない。本が読めるだけで幸せな身なので特にこれといったお気に入りのジャンルはないのだが、強いて言えば魔法書だ。“ビブリオテカ”を手に入れて尚更その傾向が強くなった気がする。以前は魔法の才能が皆無だったので本当に嬉しかった。
読んで理解すれば自分の魔法になる。
これは、魔法の常識を覆したという点と、魔法から逸脱した非業なものであるという点がある。長い修練を積んで初めて会得するのが魔法であるのに、そういった概念を根本から否定しているからだ。このことを以前モモに話すと、彼女も難しい事柄だとした。
『世間一般の人からすれば、とても受け入れられないことだと思う。でも、だからといってどうこうできるものでもない。一度“ビブリオテカ”を手に入れてしまった以上、一生背負うものなのでしょう? だったら、シルドくんがやれることは会得した魔法を充分に理解して真正面から付き合っていくことだと思うわ』
ある種の呪いか、代償か。
そもそも、何故古代魔法というものが存在するのかもわかっていないのに、僕は受け入れてしまった。正確にはチェンネルの地下三階にある場所に置かれていた本を読んだ瞬間に“ビブリオテカ”と契約させられてしまったから、強制的なのが正しいけれど。
言い換えれば、読んだ者には「絶対に契約させるよう仕組まれたもの」でもある。結果には原因がある。少なくとも、あそこに古代魔法の書物を置いた人物には何かしらの意図があったはずだ。ではそれは何か。
「……」
あまりにも欠片が少なすぎる。これ以上の推測は無理だろう。
今歩いている道はアズール図書館から北東に位置するガイヴォン道。ガイヴォンという商人が開拓した道として知られていて、主にマイナーな店が並ぶエリアとして知られている。ちょっと変わったものや趣味趣向が人と違う方々が集まる場所で、このガイヴォン道はそんな人たちからすれば一つの名所でもあるのだ。
「聞いたか、トナルゴ近辺で『大鷲』が壊滅させられたらしい」
「大鷲って反アズール組織でも序列三位のとこじゃねーか」
「噂では“三傑”が動いたそうだ」
「マジか。運がなかったな」
“三傑”。世界最強の三人。
三大王国は、それぞれに一人の兵を選び、世界的な問題に対し彼らを召集できる権限がある。今まで召集させられたことはなく、存在しているのかどうかも疑われているが、大きな事件があると裏で彼らが関わっていると噂されることが多い。といっても、三人全員が動いているわけではなく、“三傑”のアズール代表が一人で壊滅させたらしいというのが常だ。
「あった」
ガイヴォン道の横に立ち並ぶ店の一つに、目当ての本屋を発見した。
アズール王都ではお気に入りの本屋が数多くあって、今僕の目の前にある店もその一つだ。店名は「水晶の菜」といって、本を扱う店の名前にしては少々変わっている。
「おや、シルドくん」
「どうもです、カリダさん。この前予約していた本なんですけど」
「もちろん用意してあるよ。ロジア・モロッコの新巻だね」
「あーシルドだー!」
「元気にしてた? パティ」
海と空の憩い場ことジョングラスから空船でアズールに来た際、お世話になった船乗りドナールさんの従兄弟が経営している古本屋、それが水晶の菜だ。有名どころの新巻も取り扱いながら、店長であるカリダ・イングランドさんがオススメする古本も取り揃えている。彼の好みと僕の好みが似ていて、この店では好きな本がよく見つかる。
娘のパティは六才で、やんちゃ盛りの元気な女の子は今日も可愛らしい。この子目当てで近所のご老人が訪れることもあるそうで。加えて、奥さんはアズール十四師団の隊長の一人でもあるから驚きだ。
「シルドー」
「うん? どうしたのパティ」
「何か悩んでる?」
「……」
少し前にステラさんから言われた言葉を思い出す。
『女をあまり舐めないほうがいいぞ、青少年。年齢問わずね』
思わず言葉が上ずってしまう自分がいた。
「ど、どうしてそう思ったの?」
「えとね、お悩み顔って感じがしたの」
「そそ、そうなんだ」
「当たった?」
「……うん」
お悩み顔って。女の子は凄いな。まだ六才の女の子に見抜かれるとは。パティの頭を撫でながらカルダさんは本を持ってこちらへやって来た。
「悩み事かい」
「はい。その、女性の誕生日の贈り物で迷ってまして」
「本じゃ駄目なのかい。シルドくんらしい贈り物だよ」
「そうですね」
本は最初に考えたものだ。画家が主人公の恋愛小説なんか良さそうだし。ただ……
「本だけの男じゃないってところ、見せたくて」
「「おぉー」」
「自分で言ってて死にたくなってきました」
「シルドかっこいいー」
「うんうん、かっこいいよシルドくん。だったら、あの店はどうだい?」
※ ※ ※
そこに来るのは、一ヶ月ぶりであった。
でも、不思議と昨日来たような感覚でもあった。まだ宝石強盗犯を捕まえた記憶が鮮明にあるからだと思う。道なりに目を向けるとあの絵画店が見える。思えば、あそこでモモに絵の具を渡したんだよな……。
そして再度、前を向く。
看板には「エレガルド宝石店」とあった。リリィからこうも言われていた。
『一度シルドに挨拶がしたいって宝石店の親父さんが言ってたよ。私の名前を出せばすんなり通ると思うから、行ってみてね!』
まさかこの歳で行くことになるとは思いもしなかった。けれど、これも縁かな。
大きく息を吸い、ゆっくり深呼吸。これまでの人生で一度も入ったことがない類の店へ、足を踏み入れた。