大事なもの
凍る。熱を帯びていた頬が瞬間冷凍され、血の気は一気に引き、余韻さえも吹き飛ばすほどの衝撃。
「おや? 偶然だなぁ」
僕とモモ、二人で声がした方へ顔を向ける。もちろん箱を持ったまま。
店の前は道が左右に別れていて、そいつは右からやって来た。どうして人生は「こうあって欲しい」と望むことが起こらずに、「こうはならないでくれ」と思うことが平然と起こってしまうのだろう。一生懸命頑張ったことが実を結ばず、手を抜いてやったことがすんなり結果として出る。そんな無慈悲な社会を笑えるほど、まだ僕は精神的に成長していない。
ヒャッハー。
数秒前に聞いた言葉。
偶然だなぁ。
今さっき聞いた言葉。
今日ほどこいつと会いたくないと思ったことはないが、当の本人は今日ほど嬉しいことはないという顔をしていた。銀髪をなびかせ、襟を立てた黒のコートを着たそいつは颯爽と歩いてくる。口は愉悦を抑えきれないのかニンマリとしていて。両手を大きく広げ、少しスキップしながら…………ジン・フォン・ティック・アズールは登場した。
「“束縛の紫”」
「“影なる薔薇縫い”」
捕獲した。
※ ※ ※
“影なる薔薇縫い”
中級・陣形魔法の一つ。直径五メートルの陣を作り出し、陣の内にある影を一時的に薔薇の枝として使役する魔法。僕とモモ、ジンの地面にあった影は一瞬で薔薇の枝に変化。ジンの影がまず彼の足を絡め取り身動きを封じる。何事かと銀髪王子が足下を見た瞬間に僕とモモの影が薔薇枝となって強襲。
さすがのジンも動こうとするが彼の後ろには紫色をした縄と鎖がのっそりと出現し、結果として目と口以外をグルグル巻きにされた我らがアズールの次期王様が完成した。最近ジンやモモの活躍で僕の影が存在的に薄くなってきている気もするがそんなことは決してない。ご覧の通り、元気もりもりである。
「さ、行こうかモモ」
「えぇ。でも『これ』をどこかに捨てないとゴンゾさんに悪いわ。気味悪いし」
「お前らがやったんだろうがぁぁぁ!」
怒り狂っているジンの前で会話する。
突発的に魔法を発動させてしまったけど、どうしよう。ノリと勢いでやってしまったとはいえ、こんなところを誰かに見られでもしたら一大事だ。あ、でもジンのこと知っている人って少ないんだったか。それはそれで可哀そうだ……。モモが冷たい微笑を浮かべながら前に出る。
「ジン王子、今日私の前に来たということはそういうことだと受け取ります。つまりは尾行上等だぜヒャッハーということでよろしいのですね? 昨日『リュネを通して渡した手紙は無視』ということですね?」
「違う! 今日俺がお前らと会ったのは偶然だ! あとこの拘束解け。尻の肉にくい込む」
偶然とはまた随分な確率もあったものだ。
この広すぎる王都の中からたまたまソール街に来て僕とモモを見つけたことが偶然とな。……もう少しマシな理由を言えよ。半目で彼を見ている僕とモモの視線に気付いたのか、慌ててジンは語り始めた。
「きょ、今日の夜は謝礼会が開かれるから朝から逃げてきたんだよ」
「謝礼会って貴族の?」
「あぁ。もちろん俺はそんなイカれた会に出る気はない。だが、右大臣が俺を是が非でも出させようと躍起になっててよ。親父とお袋は『出張』だからいねぇし面倒ったらねぇぜ」
「相変わらず行動派なお二方ね」
謝礼会とは、いつもアズールを支えてくれている貴族の方々を招待して交流を広げようという宴の会だ。実際はただ単に貴族が集まって飲んだり食ったりの社交会だが。また、ジンの両親である現在のアズール王とお后様は行動派な王族としても有名で、各問題や衝突がある地には直接出向いて公務を行うという凄い方々だ。危険極まりないが何だかんだで解決してくるアズールでは有名な話の一つ。ジンはこのことを「出張」と言っている。
話を戻すと、珍しく言い訳をしているジンがいる。
本来の彼なら「尾行しようが俺の勝手だろ」と言うところを、話を聞いた限りではそこそこちゃんとした理由で返してきた。彼のいつもの言動から貴族との交流は拒否しているだろうし、逃亡も頷ける。珍しく真顔で言い訳もしていることから、これは本当ではないだろうか。
「確かに謝礼会があるのは事実ね。少し前、私のところにもお姉様から招待状が届いたもの」
そう言ってモモは一枚の紙を取り出す。見れば、「謝礼会・招待状のご案内」と書かれていた。なるほど、どうやらジンの言ったことは本当だったようだ。ますます彼に申し訳ないと思ってしまう。
「その、ゴメンな、ジン」
「いいってことよ。俺も突然現れたことには悪いと思ってたところだ。人間、誰だって間違いはある。肉がくい込む痛い。あと隣でウネウネしてる黒薔薇を消せ。とにかくだ、俺は今回のお前らの魔法についてはなんとも思ってねぇよ。俺たち、友達だろ」
「ジン」
「シルド」
視線が交差して。
「これ、『明日』の夜にある予定なのよね」
断ち切った。
「行こうか」
「えぇ」
「待て待て待て! えと、あれだ、今日は俺の誕生日で」
「危なかった。もし今日が謝礼会だったらわからなかったよ」
「本当ね。さも真面目そうな顔で言ってくるから騙される半歩手前だったわ。王族が詐欺を行うなんて非道極まりない。愚か直行便ね」
「こっち向いて!」
「広い王都から偶然僕たちを発見できる確率なんて、それこそ天文学的数値に等しい」
ふと思い出したように、モモは微笑む。
「そういえば天文学に詳しい学者が星と魔法の因果関係を今度論文に出すって聞いたわ」
「へぇ、今度読んでみようかな」
「画麗姫! これには海よりも深い理由がよ! だからあれだ! て、手紙については」
「今回だけは手紙に関しては保留にしときましょう。で、いいかしら?」
「お、おぉ。ついでに、この紫の拘束を」
「は?」
「よ、横でウネウネしてる黒い薔薇を」
「あ?」
何言ってんの、と怒気を混ぜた声にさすがのジンも縮こまった。
そういえば、さっきから「手紙」という言葉がジンとモモの間で行ったり来たりしているが何なのだろう。ジンの様子から手紙に関してとっても怖がっているようにも見える。あのジンがだ。興味本位からモモに聞こうとした……その時だった。平和な精密宮道に無縁とも思える──爆音が木霊した。
※ ※ ※
グルグル巻きにされているジンの後方にある店から、爆音と大きな煙が立ち昇る。反射的に振り返り、突如として発生した事件を視界に捉えた。
「あそこは確か、宝石店だったはずよ」
「爆発とは無縁の店だ」
「クッ! み、見えん! おいこの拘束まだ解けねぇのか!」
ジタバタしているジンを他所に、煙の中から一人の男が飛び出した。人外のような脚力で跳び、宝石店の真反対に位置する建物の壁を蹴ってさらに跳躍する。右手には袋があり、一目で彼が何をしたのかわかった。
しかもだ。奴は僕ら目掛けて突撃してきた。青色に光る本を左手に“影なる薔薇縫い”に命令する。
「対象を変更! モモ、下がって!」
三十を超える“影なる薔薇縫い”がフードを被った男目掛けて一気にいく──
数があるため一直線に襲う枝を十本。上、左右から襲う枝を十本。残りを無作為な動きをさせながら男を襲わせる。撹乱も含めた枝があればきっと奴の動きが鈍くなるはずだ。
予想通り、男は宙に飛んだ。掻い潜りながらの接近は無理だと悟ったのだろう。
結果、空中での身動きは不可能となり“影なる薔薇縫い”を上空へと方向転換させれば……終わりだ。
「脚繋」
今まで聞いたことがない言葉を奴が言った。
生まれて初めて「魔法なし」で空中を蹴る人間を見た。右足の靴が濃く光り、まるで足下に地面があるかのように奴は空中を蹴り上げ移動して。予想を大きく覆した敵の行動に思考が一瞬……停止してしまった。
「シルド!」
ジンの一喝で我に返る。
が、気付いた時には既に遅く、眼前に男の足があった。空中で移動し、勢いを足に乗せて斜めに振り下ろされた脚撃が──僕を襲う。
「“絶壁の黒”」
派手な衝撃音と共に、敵の足と黒い壁がぶつかり合った。ただ、僕は敵の攻撃を食らうことはなかった。奴と僕の間に差し込まれた、薄く黒い壁に守られたからだ。敵の攻撃力も結構なものであっただろうが、黒い壁は動じることなく相手の威力を消していた。壁には傷一つない。もしあのまま振り下ろされていたら、確実に頭をえぐられていただろう。それほど奴の足は脅威に感じた。まるで刃物だ。同時にこの黒壁も凄いと思う。モモの継承魔法である。
男は“絶壁の黒”に蹴りを入れた後、態勢を空中で立て直しながら半回転して……彼女へ。
狙いはモモか!
「ッ!」
モモが人差し指と中指を立て横に引く。現れるは黒い壁が三つ、けれど敵は迷いなく突撃した。
“影たる薔薇縫い”が真後ろから襲ってきているのは敵もわかっているはずだ。が、何も問題はないかのようにモモに突っ込む。それがどうしようもなく腹立たしく、加えて敵に好きなように動かせて自分にも心底苛立った。
敵はモモの前に立ち塞がる“絶壁の黒”に跳び蹴りを見舞わす。再び衝撃音が鳴り響き、打った反動で一瞬止まった男を薔薇の枝が絡め取ろうと襲うが男は再び濃く光った靴に照らされて宙で大きく一回転。男とモモを隔てていた壁を難なく飛び越えて、奴はモモの眼前に降り立った。
「クソ!」
僅か五秒程度の時間だった。“影なる薔薇縫い”が“絶壁の黒”を超えて奴を捕らえるも、やはりそこには男はおらず。いつのまにか宙を蹴って建物の屋上に走っていた。……左手には、一つの箱を持っていた。見覚えのある、十分ほど前に僕が彼女へプレゼント用に包装された箱を持っていた。
自分の不甲斐なさに対する苛立ちと、何もできなかった後悔を心に、モモへ駆け寄る。
「モモ、大丈夫か!? ごめん! 危険な目にあわせてしまって……!」
「……」
「モモ?」
見た限り彼女に怪我はない。外傷と思える箇所もない。ただ、両手を震わせ口を半開きにしていた。振り絞るように、声を漏らす。
「箱が」
「うん、奴の狙いは最初からモモの持っていた箱だったみたいだ」
恐らく、宝石店を襲ったことと同様、大事そうにモモが持っていた箱を高級品か何かだと勘違いしたのだろう。あの野郎……!
けど、今はモモの精神的なフォローが最優先だ。知らない男に襲われた、女の子なら相当怖かったに違いない。こういう時、何て言えばいいのだろうか。
「……フ」
ふ?
「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」
怖かった……はずだが、当の本人は笑っていた。
一ヶ月前に見た、あの笑い方。止めた方がいいよと指摘して以来、モモはこの笑い方を極力抑えていたのだが、感情が高ぶったりするとやっぱりフフフ笑いが再発した。最近ではこれも彼女の個性として受け入れようかなと思っていたところだが、改めて目の前で見て思う。やっぱり怖い。
「“絨布の紺”」
紺色の絨毯が出現する。
「って何する気!?」
「大事なものなの」
「いや、それはわかるけど……治安部隊が動いているよきっと。彼らに任せよう」
「大事なものなの」
「でもさ、これ以上は」
「初めてシルドくんに貰った、贈り物なの!!」
「……」
これまで聞いた中で一番大きい、モモの声。
顔を真っ赤にしながらも、目力ある眼差しで僕を見るキミは……自分がどれだけ馬鹿だったのか悟れるのに、充分すぎるものだった。
「ごめん。僕が間違ってた」
「ううん」
「それに、あの強盗野郎には一発お見舞いしてやらないと気がすまない」
「そうね、仕置きが必要よ」
「こういう時にしか使えないしね、攻撃魔法ってのはさ」
二人で頷き、同じ方向を見る。おそらく奴はソール街から抜け出して雲隠れするつもりだ。
その前に何としてでも捕まえる。容赦はしない。人の道から外れた奴に優しくできるほど、モモを危険な目にあわせた奴に優しくできるほど……僕は人間できちゃいない。それに、今のところ僕は最低評価だ。ステラさん風に言えば、下の下。
だから、目に物見せてやろう。リリィとの戦いから半年が経過して、魔法のストックがほぼ無くなったのはもう随分前。アズール図書館までの道のりに四苦八苦しながらも、変わらず読書は続けてきた。純粋に本が好きなのと、我が糧にするためだ。つまるところは……掌握せし我が魔法の大盤振る舞い、とくと味わえってことだ。
「いこう」
「えぇ」
アズール図書館の司書の第一試練に合格してから翌日。
モモが新しい絵の具を手に入れて十数分後。
人と精密なる物が織り成す一つの街中にて────容赦無用の、追撃戦が始まった。
「……俺の拘束」
ジンを残して。