プレゼント
外観はこじんまりとした店なれど、店内は随分と印象が違った。
中に入ると満遍なく部屋全体を見渡せる。けれど、中に入らなければ店の高さが「外観とはかけ離れたもの」であることはまずわからなかったであろう。しかも階層建てではなく、ぽっかり空洞化された建物だ。部屋の端に階段があり、壁伝いに取り付けられていて螺旋状にグルグルと昇っていく。
一階はスケッチブックや有名だと思われる絵にデッサン道具など、絵画に必要とされる品が揃えられている。見上げれば結構な高さに天井が見えて、壁にはびっしりと絵の具や筆が並んでいた。空洞化された塔をお店にしたような、息を呑む内観だった。
「客か?」
上から声がして、再度顔を上げると階段にもたれかかったままこちらを見下ろす男性がいて。
モモが軽く会釈し慌てて僕も一礼する。怪訝そうにこちらを見ていた男は手すりを掴み階段から飛び降りる。落下するかと思いきや着地する前に静かに停止し、ふわりと降り立った。
よくよく見ると、右手に薄ら光る糸を持っていて。糸を辿れば微かながら天井へと続いており、確認する間もなく消えてしまった。創造魔法の一種だと思われる。今度アズール図書館で調べてみよう。
「見ない顔だな」
五十代前半。
身体つきは逞しく横幅が僕の三倍はあるのではと思うほど肉体派な初老だ。髪は白と黒が入り混じっていて、髭も同じだ。顔も大きく、黒い眼鏡が随分と小さく見えた。ラフな格好をしていて服のいたる所に絵の具が付着しており、画家のようにも思える。
付き添いである自分は場違いなところに来てしまったのでは、と思っていた横でモモが先ほどの会釈とは違い、深々と一礼した。
「お久しぶりです、ゴンゾさん。モモ・シャルロッティアです」
「ほほぉ、こいつはまた久しいな」
「十年ぶりでしょうか」
「本当にお前さんか? 姉が二人いたはずだが」
「正真正銘、モモ・シャルロッティアですよ。十年あれば変わります」
「確かに。ただまぁ、変わったのは見た目だけじゃないようだが? 性格とかな」
「……」
モモの心を見透かすような一言。親しみのある言葉でありながら、どこか距離を置いているような大人特有の言い回し。十年ぶりということは、彼女が幼少の頃にお世話になっていた店のはずだ。僕の知らない、十年前のモモを知っている。
また、上流貴族である彼女に対してここまで強気な対応で接することができていることから、何かしらの上下関係であるとも思える。例えば……絵の師匠とか。
「あ、あの」
「お前は黙ってろ」
「はい」
「モモ。俺としちゃお前がここに来なくなったのは必然だったと思ってる。お前は貴族だ。貴族としての仕事と、画家としての活動。そこらの貴族ならまだしも、経済界を常に最前線で走り続けるシャルロッティア家なら兼業するのは無理な話だろうよ」
彼の言葉に、モモの身体は小さく震えた。
横にいるため、視界の端で微かに動いた気配がしただけだ。それでも、彼女の体が眼前にいる男性の言葉に対し反応したことは事実。ゴンゾさんはシャルロッティア家三女の過去に、今、切り込んだ。
僕はここにいていいのだろうか。
本来なら、これはゴンゾさんとモモの問題。僕は部外者だ。モモの過去を知るにしても、彼女の口から語られなければ意味がない。なら、店の外で待っていることこそ最善ではないだろうか。店を出ようと踵を返す──はずだった。
「……」
僕はモモの横にいる。正確には彼女の右斜め前にいる。だからゴンゾさんにはモモの右手が動いているかどうかは見えない。蒼髪の男が壁になっているからだ。
そっと……彼女が服の裾を掴んできた感触がした。
微妙な違和感が皮膚を通して伝わる。驚きと疑念が瞬時に脳内を駆け巡った。けれど、それ以上にモモの思いを理解した。振り返ってしまうとゴンゾさんにバレるので、掴まれていると思われる場所へ右手を後ろに回す。
彼女の右手と僕の右手が触れる。指先だけ、僅かに触れた。……優しく掴んだ。
「あれから十年が経ちました」
先に見せていた弱々しい声ではなく、覇気のある声で告げるモモ。
「私は、当時、自分に負けたのです」
「負けるのは逃げじゃねえよ。お前の身分では仕方なかったことだ」
「それでも私は一旦筆を置きました」
掴んでいた右手を離す。呼応するように彼女は一歩前へ出た。
「ゴンゾさん。私に絵の描き方を教えてくれた貴方にとても感謝しています。そして同じぐらい、十年前に突如として描くのを止めたこと、本当に申し訳なく思っています」
「また描けば苦しみが待っているぞ」
「苦しみだけではありません」
「……俺はあの時お前に教えたこと、後悔している。結果として多くの苦しみを与えることになっちまった。だからもうあの時みたいな間違いは、犯したくない」
この時、ようやくゴンゾさんがモモに対し厳しめの言葉を投げかけている原因がわかった。
彼もまた、苦しんでいるのだ。あの頃教えた子供が、結果として不幸に見舞われたことを自分の責任であると思っているのだろう。僕は断片的な部分しか知らないから、二人の会話から表面上の事実しかわからない。当時起こったモモの不幸については、何一つ知らない。
ただ、今の二人が対照的な立ち位置にいることはわかる。
過去を悔やみ後ろを向く男性と、過去と決別し前を見る女性。言葉の色は黒と白。ならば、双方が対峙した時、強いのは決まっている。年齢の差がどんなに広くても、想いの強さは世代を超える。いつの世も、世界や常識を変えた人間は……前を向き続けた者たちだ。
「確かに、私は十年前深い悲しみを経験し一ヶ月前まで続いていました」
「あぁ」
「ですがそれは愚かなことでした」
クスリと笑って、モモは指を鳴らし右手を仰向けにした。
十二色の球体が優しい光を輝かせながら出現する。
「“ファベリア ── 色帝の命”。私が創始者となって生まれた、継承魔法です」
「発現したのか!?」
「はい。また、苦しみを経験したと言いましたが、所詮は一ヶ月前までのことです。今は違います」
「……」
「人は生きるものです。なら、悔やんで生きるより、楽しく生きた方が素敵ではありませんか?」
「過去を乗り切ったであろうお前がここに来たのはわかった。だが!」
声を荒げてゴンゾさんが叫ぶ。
「俺がここで再びお前に絵を提供すれば、回りまわってまた悲しみが生まれる可能性も否定できんだろう! そうなった時、俺はもう自分を許せんのだ!」
「私は笑顔でここにいますよ」
「ッ!」
「長々と言いましたが、今日はゴンゾさんに伝えたいことがあって来たのです。それは」
ゴンゾさんにとって、十年前の出来事は悔やんでも悔やみきれないものだったのだろう。自分のせいだと思って今日まで暮らしてきたのかもしれない。モモ本人が貴方のせいではないと言っても、ゴンゾさんは考えを改めないに違いない。僕が彼の立場なら同じだったかもしれない。
そんな相手に何を言えばいいのか。
自分の倍以上歳が離れた相手に、どんな言葉を投げかければいいのか。モモが選択した言葉は……
「私は逃げません。愚かだった自分とは一ヶ月前に決別しました。だから後はゴンゾさんに任せます。どうぞご自由に決めちゃってください。これからは、全て私の責任ですので」
突き放すことだった。ここから先は彼女の問題だから、貴方は自分で自己完結してくださいという、厳しいものだった。優しい言葉を投げかけるより、一人で勝手に乗り越えてくれという、きっぱりとしたもの。普通ならありえない選択。対し──
「……」
椅子に深く腰掛け目を瞑り、鼻から息を出す。
僕とモモは立ったまま。しばらくの間三人とも動かず、ただただ沈黙だけが続いた。そして、大きく息を吐いて立ち上がった初老はモモをじっと見て。
「一度決めたら融通が利かんところ、変わっとらんな阿呆が」
やれやれとしながら眼鏡を取り……苦笑いで返す。
「俺だけ悔やんでちゃ、馬鹿みたいだろうが」
「えぇ、愚かなことです」
「言ってろ。おい、そこの冴えない男」
「は、はい」
「俺はお前とモモの関係は知らん、どうでもいい。これから先こいつがどうなろうと知ったことではない。だがな」
本心でない言葉を言っているなこの爺さん。
……と思っていたら、胸倉を掴まれ顔を近づけられて。
「支えてやれ」
小さく……僕にしか聴こえない音量で言われた。
横にいたモモが首を傾けながら何を言ったの、と聞いてくるが初老の男はお前が気にすることじゃないわと嫌味ったらしく返した。
そして右手を上げると、先に見た薄く光る糸が現れる。それを掴んだ直後、ゴンゾさんは上に昇っていった。残された二人。顔が真っ赤になっているであろう僕を怪訝そうにモモは見てくる。
「変なこと言われたの?」
「べ、べつに!」
「明らかに変よ」
首が千切れるんじゃないかと思うぐらい横に振っていると、あっという間にゴンゾさんが降ってきた、もとい戻ってきた。手には少し大きめの箱があって「特」というラベルが貼ってある。
「昨日仕入れたばかりの特級品だ。滅多に市場に出回らん絵の具でな、遠くから見ても色合いのきめ細かさがわかる上質のもので、数十年経っても色が落ちることもない。ついでに一般用の絵の具も入れておいたが、おまけだと思え」
「ありがとうございます」
「ふん、受け取ったならさっさと帰れ。俺は忙しい身だ」
ふてぶてしく椅子に座る男性に一礼して、モモは店の玄関へ行く。こんなあっさりでいいのかと若干慌てて僕も続こうとしたら、服をむんずと掴まれた。
見れば、手相が見えるぐらいに大きく右手を開いてこちらに差し出しているゴンゾさんがいて。
「金」
「お金取るんですか!?」
「当たり前だ、慈善活動じゃねーんだよ。モモが言っただろ、俺に任せるって」
「全然意味が違うじゃないですか!」
「困ったわ、私のお金はリュネが持ってるから」
「ほほぉ、なら絵の具は返してもらおうか。困ったなオイ、これじゃ来た意味がまるでないわ」
わざとらしくドタバタしながらモモのところへ行って絵の具を奪い、僕がいる場所にそそくさとやって来た。含み笑いをして見てくる絵の具まみれのおっさん。最初からわかってて持ってきたな。
「僕が払っていいかな」
「それは駄目よ、お金の貸し借りをする関係にはなりたくないわ」
「なら……」
間違えんなよ、と目を細めながら脅してくる店の主を背に。
精一杯の勇気を振り絞って、彼女に微笑む。
「僕からの贈り物」
「──え?」
「久しぶりに絵を描くんでしょ。ならお祝いしなきゃ。モモが描いた絵、見たいしさ。出来たら……一番早く」
目を大きくして、すぐさま元に戻す桃髪の麗女。ほんのり顔が赤くなっているように見えるけど、僕は彼女の数倍赤くなっていると断言できる。正直、全力疾走で店を出たい気分だ。
恥ずかしさを隠すため、モモに顔が見られないよう彼女から背を向けてゴンゾさんにお金を渡す。今日は何故か暑いなとぼやくおっさんを無視しておつりを貰い、早歩きで扉へ急ぐと。
「おい」
「お金足りませんでしたか?」
「つりを渡したのに足りないって変だろうが。まぁいい、モモ」
「はい」
再度、二人は向かい合う。ただ、店に入った直後とは随分と意味合いが違って……
「また来い」
「もちろんです」
互いに笑顔な二人だった。店を出れば、変わらず日の光が僕らを迎えてくれる。寒い季節が近づいてきているものの、包み込んでくれるような温かい光だった。桃髪が宝石のように薄らと輝く女性を横に、いつの間にかプレゼント用に包装された絵の具を……渡す。
「おめでとう」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「とても、とても大事にするわ」
「うん」
たどたどしくも受け取るモモを見て、出来る限り平常心を保つよう尽力する。変な顔になっていないだろうか。
「ん?」
そんなことを思っていると、手に違和感があった。見ると、僕が箱を両手で下から支えて渡したのに対し、彼女もまた同じように両手で受け取った……のだが。
僕の手を包むように、手を重ねている。
つまりは、箱の下にある僕の手のさらに下にモモの手がある状態。
「「……」」
固まる。
モモの顔は下を向いて動く気配がない。目や鼻は髪で隠れてしまい、僅かに見える唇は一文字に結んでいる。僕が箱から手を離そうとしてもギュッと下から押してきて離すことができない。双方固まったまま、時間だけが過ぎていく。
この時ほど、女心がわかりたいと思ったことはない。
わかるなら魂の半分を無料でプレゼントすると誓う。
どうしてもっと女の子について姉さんから教わらなかったんだと死ぬほど後悔した。
そして恥ずかしいことに、ずっとこのままでいたいとも……思ってしまって。
「「……」」
互いに顔が真っ赤なまま、これからどうしようと試行錯誤している自分。
あぁ、こんなところをどこぞの銀髪王子に目撃されなくて本当に良かったと心底思いながら、空を見上げてほっとした。
※ ※ ※
「ヒャッハー」