精密宮道
朝は嫌い。
人間の祖先は元来、睡眠を取る必要がなかった生物とされている。それが進化していくにつれ、一日中行動するよりも休む時間と動く時間の二つを切り替えた方が効率的と判断し、睡眠という概念を生み出した。この説が正か否か確かめる術はない。ただ、生きとし生けるものの大部分が睡眠を当たり前のように享受していることだけは事実だ。
朝は嫌い。
僕は朝が嫌いだ。厳密には睡眠を妨害する「朝」が嫌いだ。先述を用いれば人間は睡眠を不必要としていたはず。なのに何故今の人間は寝るという方法をとっているのか。
人間の祖先を嫌悪する。睡眠という、気持ち良すぎるあれを生み出した祖先を心の底から嫌悪する。だから嫌いな祖先に一矢報いるため、睡眠をすれば必ず訪れる起床という概念と戦うのだ。決して起床に屈したりはしない。起きたら負けなのだ。
「いい加減、起きてもらませんか。シルド様」
「はい」
起きたくない理由を必死で考えていたものの、ルルカさんの一喝で素直に起床した。
昨日、僕はアズール図書館の司書であるステラさんと再会して第一試練の合格を言い渡された。続いて「他国の図書館の謎を解明せよ」という抽象的すぎる第二試練も頂戴した。そしてモモ・シャルロッティアと再会し、二人で紺色の絨毯に乗り帰ったのだ。
……回想すればこんな感じだろうか。他は特にない。待ってくれていた彼女に男らしく一言礼を言い、颯爽と去った記憶しかない。
『モモ』
『もう一回』
……顔が茹でタコのように赤くなっていくのを感じる。外は段々と肌寒く感じる季節になってきたが、体感温度は夏を吹き飛ばせる勢いだ。
昨日の僕は……変だった。変人か変態のどちらかだった。頭のネジが五、六本抜けていたのだ。どこがどう捻じ曲がればあのような行動に移せたのか。もう一度再現できたら第二試練合格だよと言われても絶対にしないだろう。恥ずかしすぎる。穴があったら入るどころか掘りたいレベルだ。
駄目だ。本を読んでも一向に消えない。
昨晩の「あれ」が未だに脳内で再生される。互いにじっと見つめ合い、ひたすら眼前にいる女性の名前を連呼する男。冷静に考えれば不審者すぎる。悶々と自分の恥ずかしい一ページに苦悩していると、後ろから僕を起こしてくれたルルカさんが微笑みかけてきた。
「今朝のシルド様の寝顔はとても可愛らしいものでしたよ。何か素敵な夢を見ていたのですか」
「別にそんなんじゃないですよ。あー……そう! 難しい問題を鮮やかに解いてしまった夢でした。我ながら自分の頭脳には感心しますよ。ハハハ、参ったな」
「一人の女性の名前を何度も言い続ける。はぁ。たとえ寝言であったとしても、自分の名前を殿方から優しい声色で幾重にも言っていただけるなら、本当に嬉しいでしょうね」
「……」
「いいなぁ、私もいつかそんな殿方と巡り会えれば」
絶叫しながら寮を出た。
※ ※ ※
馬ぁぁぁ鹿な。現実世界では飽き足らず夢の世界にまで侵食されていただと。どう考えても重症じゃないか! ……止めよう。何度考えても行き着く先は悶絶しかない。
自分の心内を語るのは結構だが、アズール王都には僕の心境なんぞより価値あるものが多く眠っている。今日はせっかくの休日だ。外にも出たし、ぶらりと王都を観光するのもいいだろう。
やって来たのはソール街。
空船で運ばれてきた輸入品・特産品が豊富に出回る観光街としても有名だ。僕としては珍しい本を求めて行きつけの本屋に訪れることが多い。店の主人とも、この半年で交流を深め随分と仲良くなった。本好きに悪い人はいないのだ。
捻くれた人は多いけど。
ソール街の特徴として老舗が多いのも興味深い。先述の本屋であるが、四百年以上前から営んでいるそうだ。他にも文具に生活雑貨、飲食店や骨董品店などありとあらゆる店々がところ狭しと軒を連ねる。毎日が活気に溢れ、一攫千金を目指した商人が訪れる場所でもある。──と、概要を説明すればこんなところである。ただ、ここからが「魔法王国アズール」の本領発揮だ。
ソール街を上空から見下ろすと五角形を模している。五つの角がソール街の入り口となっており、観光目的又は何かしらの購入目的で来た人々には初級・陣形魔法“天使の演奏”が発動される。陣が街の入り口に敷かれていて、踏むことにより一定時間少しだけ楽しい気持ちにさせてくれる魔法だ。
実際踏んでみるとわかる。どこか心がウキウキしてきて、自然と笑顔になってしまうのだ。ソール街を歩けばパフォーマンスや演奏を奏でる人も結構いたりして、より一層楽しい気持ちを増大させてくれる。“天使の演奏”を踏みたくない人や、商人側として来られた人には入り口付近で自由に配られている魔除符を持てば魔法効果から対象外となる。
これにより、ついつい財布の紐が緩んでしまうというデメリットが生じるものの、皆嬉しそうに陣を踏んでいく。実際購入目的で来られた方が大半であるし、楽しい気持ちにさせてくれるのならそれに越したことはないだろう。いくつかエリアごとに特徴があって、一つ例を挙げよう。
南東のエリアは「商談盤恋」と呼ばれていて、商人同士の取引が主な場所だ。実際、商談場所としてはソール街以外にも多くある。だが活気溢れ、自然と笑みがこぼれるこの場所には昔、商談ついでに結婚までしてしまった逸話が残されている。商人が談義をし一盤の上で恋をした、そんな恋話まである不思議なエリア。商談盤恋。
だからなのか、南東エリアには商人らにとって居心地がいいよう、創造魔法の枝葉の一つでもある建築魔法で築された建物がずらりとある。法律上、ソール街の建物は四階以上の建築が禁じられているためそこまで高い建物はない。
が、法律は四階以上は禁じていても、高さの制限は設けていなかった。それゆえ、少しでも目立つ建物を造りたいと意気込んだ建築魔法の使い手たちがこぞってオリジナルの建築物を建造した。
一階と二階の間が丸々ぽっかり開いていて、外から見れば二階が宙に浮いている。でも中に入って階段を上がると問題なく昇れる建物。どこからどう見ても立派な樹木なのだが、入ってみれば専用の商談部屋が三十用意されている建物。厳格な屋敷であるのに、中は商人の親交を深める細工が随所に散りばめられた建物など。挙げればきりがない。こういった魔法を随所に張り巡らしているのもまた、アズール王国ならではと言える。
僕が向かう場所は北西にある「精密宮道」と呼ばれるエリアだ。
精密に施された雑貨や文具を扱う店が軒き並ぶ場所で、昔は宮殿があったとも言われている。最近インクの出が悪いペンがあって、そろそろ買い換えようと思っていた。また、たまには日用生活で便利なものはないか探してみようかなとも思ったから来たけれど……。
「迷子になった」
またか。たまに来る程度のエリアなため、見事に迷子になってしまった。
緩やかな坂道を登りつつ、左右にあるレンガ風の建物を見物する。遠くから落ち着きのあるジョングラス発祥の音楽が聞こえてきて、迷子になっているけどそんなに悲しくはない。実際よくあることだし、治安部隊の方々がパトロールしている姿をよく見かけるため、次見つけた時に道を聞けばいい。
上空を見れば大きな雲が薄らと天を覆うように動いている。
のんびりまったりな光景だ。
後ろから笑い声がして子供たちが元気に足下を通過していった。精密宮道の特徴として、子供でも来やすい安全な場所でもある。僕は迷子ですけども。
せっかくだからどこかの店に入ってみようかな。
貴族科の学生には毎月充分な学生金が無償で送られる。正直アズール図書館のことばかり考えていたため、お金には余裕があった。たまにはルルカさん含め、寮の執事の方々に贈り物を買って帰るのも良いだろう。
時間があれば中央エリアに行って、掘り出し物の本か魔法書をチェックするのもいい。第一試練に合格した喜びが、心の余裕となって視野を広げている気がする。今の僕に必要なのは、案外落ち着きなのかもしれない。苦笑しながら、坂道を登ってすぐ左にあったオシャレな店に入った。
「あら」
「え?」
僕が扉を開け、丁度本人も店から出ようとしたのだろうか、目の前にいた。
一気に昨晩の出来事がフラッシュバックして自分の顔色が紅となる。
それもそのはず、朝から散々悶絶しまくった原因の張本人が──
「ふふ、おはようシルドくん」
「お、おはよう…………モモ」
笑顔で迎えてくれたのだから。