青少年
僕の故郷はクローデリア大陸の南端にある小さな町だ。名をチェンネルと呼び、古語で始まりを意味する。チェンネルを領地とし、長年領主として町の皆と一緒に住んできた一族。それが、僕の家系……アシュラン家だ。目立った観光地もないので年に数人旅人が訪れる程度の平和な町だ。
僕は、その家の長男。名をシルディッド・アシュラン。
愛称はシルド。上と下に姉妹がいて、父さんと母さんを含め五人家族。
僕らがいるクローデリア大陸は、他の二つの大陸より大きい。だから、比例して独立組織なども多く、アズール王国も全てを把握できているわけではない。日夜それら組織の討伐、把握に勤しんでいるのが現状なようだ。他の二つの大国も同様なれど、ことクローデリア大陸においては独立組織の数が顕著なのだ。
そのため、チェンネルもアズール王国の管轄下であるためか、たまにではあるが襲撃を受けることもある。けれど、彼らの襲撃が一度たりとも成功したことはない。
理由は、町で唯一のシンボルにして無二の図書館が守護陣を形成していることにある。
観光名所とはとても言い難い、見た目は古ぼけたボロボロの建物で、二階建てに地下二階の質素な図書館だ。よほどの物好きでない限りこれ目当てで訪れる人はいないだろう。
ただ、図書館の地下深くより形成されている、七大魔法が一つ「陣形魔法」によって他の部外者が村人を襲おうとしても町に入ることすらできない防壁が生まれる。
仮に中にいたとしてもいざ危害を加えようとするものならば即座に発動、放たれた魔法を十二倍にして相手に返すという反則的ともいえる強力な魔法だ。しかも町民の喧嘩などで魔法を使う時は全く発動しない。これのおかげで兄妹喧嘩ではいつも僕が負けていた。酷い。
何故、こんな古びた図書館にそんな大それた魔法があるのか。長年、謎とされてきた。そして、これからもきっと解明されないだろう……僕を除いては。
図書館の地下三階。
隠された秘密の地下通路の最奥にある部屋でその本はあった。
七大魔法において、最も難解にして未解明の領域……「古代魔法」を記した本だった。
見つけたのは一年前。魔法書によると、探究心と叡智を求める心、そして「前世の自分と邂逅した者」でない限り、この部屋を見つけることはできないと記されていた。
十五の誕生日。場所は図書館の地下二階。時刻は早朝、まだ日の光も出ていない時間帯。早朝から図書館に行って本を読んでいた僕は、いつものようにそこに行って。
前世の記憶と邂逅した。
最初は、いつものように本を取るため本棚に触れただけだった。しかし、触った瞬間、まるで意志をもっているかのように本棚が移動し、眼前に高さ五メートル級の扉が出現したのだ。中心には光る球体があり、やや恐怖もあったが好奇心が勝って、そろそろと光を触った。
地球と呼ばれた世界。
とてもじゃないが信じられない超機械的な世界。あっちでは「科学」と称されるものは、こちらではきっと「魔法」に近いのだろう。ただ、その威力や無限性は遥かに魔法が凌駕する。
驚きを通り越して、しばし呆けていた。価値観の違いや人生論はやや似ているところもあるが、一般常識や知恵に関する部分が大いに違った。というか、全然違った。別世界だった。けれど、そんな呆ける時間すら目の前の扉は与えてくれず……ゆっくりと、確かに開いて。中の部屋には、ある古代魔法が記された魔法書があった。
※ ※ ※
ヴゥン……と。
今まで聞いたこともない音に辺りを見渡す。ただ、特段これといって何も起こらない。気のせいだろうか。そう思っていると、図書館から子供が父親の手を握りながら走って来る。急ぐと怪我するぞ、と笑う父親。
さらに複数の足音がした。今の親子を始め、図書館からちらほらと出てくる人たちがいる。皆、何かを期待しているような、興奮した表情をしている。何なのだろう。
「お父さん、まだー?」
「もうすぐだよ、ほら」
やや愚図る子供を抱っこして、父親は優しく言う。そして彼の言葉に応えるように、子供が言った事象が発現した。
浮く。
浮いた。
浮遊した。
ゆっくりと、しかし確実に。次第に速くなり、そして一斉に。湖全体にあった「本全て」が、一気に宙に浮かび上がったのだ。上空で本の絢爛が展開される。視界いっぱいに飛び込んでくる光景は、まさに、圧巻の一言だった。
「なっ……!」
「いつ見ても綺麗なもんだ」
「あ、あの、すみません」
「ん? なんだい?」
「突然で申し訳ないのですが、これは」
「あぁ、アズール王立図書館の名物みたいなものさ」
先ほど子供に見せていた優しい微笑みを僕にも向けて、にこやかにお父さんは笑う。見ててごらん、と連れている子供と一緒に空を見上げて。つられて僕も、再度空を見る。
展開する。並ぶ。
浮く。
高く、高く、高く────どこまでも。
湖にあった本という本が全て宙に浮き、垂直の向きをしながら綺麗に並んでいく。等間隔に何段も何段もそれはあって、中央の図書館を中心にして並んでいく。子供の頃、体育の時間に「整列ー!」とか言って並んだものだが、まさにそれと同じようなものだった。今並んでいるのは本だけど……。
一列に何百という本が連なり、その上に又は左右に同じぐらいの列が、さらにその上又は左右に……と、つい見上げてしまうほどにどんどんと本が並んでいく。辺りを見渡せばどこも同じで、さながら上空から見れば図書館を中心にした花火のような形をしているだろう。地上から見れば空一面を自由に浮く本の軍勢だ。
「──信じられない」
思わず、呟いてしまう自分がいた。
そしてよく見れば、本の全てが……うっすらと、半透明なことに気付く。
「この本って、本当に本……なんですか」
「中の上。本当の本ではないよ、青少年」
子供連れの親子は子供が駆けだしてしまい、父親が慌てて追いかけて行ってしまったため、彼は僕の質問に答えることができなかった。ただ、そのことに気付いていなかった僕はつい父親が横にいると思って質問してしまった。
そのため、本来ならば答えなど帰ってこないはずの僕の質問を……返してくれた人がいた。立っていたのは、一人の女性。
「青少年の予想通り、これらの本は全て魔法で作られたものだ」
「そ、創造魔法ですか?」
「中の中。半分正解ってところかね。創造魔法と陣形魔法の融合式と言われている」
「言われているって……」
ふふ、と目を弧にして相手は微笑む。焦げ茶色の髪をした女性だった。腰まであるロングに、着ている服はブカブカの民族衣装。見る人によっては……というか、前世の知識がある僕から見れば、まんま半纏だった。冬にお婆ちゃんが好んで着てそうなあれ。とても美人なこともあって、似合っているような似合っていないような。そんな感じである。
「真実は定かではないが、この王国を築き上げた初代アズール王が建てた図書館と言われているかな。王都の図書館に相応しいものを用意するため、国中から本を集めたのはいいが、いざ保管となると結構大変だった。また、集めた本を子孫のために守る必要もあってこの魔法を考え付いた、という噂だ」
「具体的には?」
「下の上。自分で考えることも大事だよ、青少年」
欠伸をしながら、ガサゴソと煙管を取り出して一服し始める。
ちょっと気になっていたが、どうやらこの人は「○の○」という評価を会話に取り入れる人のようだ。結構変わっている。それぞれ○に上・中・下を当てはめ、九段階の評価方式のようなものにしている……と思う。
となれば、下の上は、下から三番目の評価だ。めっちゃ低い。さすがに一番下の評価は嫌だ。出会って数回しか会話していないけど、不思議とそう思ってしまった。
「うっすら半透明な本も、魔法の一部ですね?」
「中の上」
「陣形魔法もあるってことは、湖の下に陣が書き込まれているということですね?」
「下の中」
「……」
まずい。最下位評価まで王手だ。
「うーん……」
陣形魔法というやつは、七大魔法の一つで「表三法」と呼ばれる魔法の一つでもある。
主に陣を形成して発動させる魔法だ。僕の故郷の図書館の地下深くに刻まれたやつもそれである。となれば、普通は湖の下に仰天陣形が刻まれると考えるのが普通だけど……それだと下の中か。と、なれば!
「図書館の地下に刻まれているんですね!?」
「下の下。おめでとう」
「……ぅ、ぬぬ」
「まぁ、その発想はある意味上の下だが、ここでは違う。何故本があるのかを考えるといいさ」
「何故、本があるのか」
本。湖にたくさんの本。うっすら消える。つまり本ではない。
魔法で作られたもの。……作られたもの? 動く本。常に動いている本。動き続ける本?
陣形魔法。創造魔法。創造、つまり本を創造した。それに陣形……。陣形、陣を形成して発動させる魔法。陣。練成。連ねる。書く。繋げる? 本を? ──まさか。
「本を繋げて、一つの陣形にしているんですか!?」
「上の上。大正解だ、青少年。素晴らしい」
「いや、でもそれって!? 本という本を繋げてって、ある意味わかるけど全然わかりません! そもそも陣形魔法は『陣を書いて』発動させる魔法のはずです」
「かなり変わった、特殊な魔法だと思われるよ。実際、この仕組みを解明することは現代の我々では不可能とされているからね。元来、陣形魔法は書いて発動させるもの。それを本を並べ、繋げて陣とし、魔法として確立させるという発想は……普通なら出来ないものさ」
「けど、実際に──」
「うん、出来ている。何百年というアズールの歴史の中で成っている。素晴らしいことだ。上の上だ。さらに普通なら考えられない複雑にして複合な融合魔法を、ずっと発動させているのさ。大国と呼ばれるに相応しい」
とても楽しそうに、彼女は口から煙を吐いた。形はハートマーク。お洒落だ。
「この光景は……何かの催しですか?」
「催しって言うよりは点検と考えられている。一応、アズール王立図書館を守るために作られた魔法だ。一日必ず魔法自体が図書館に問題はないか、検査をしているみたいなものだとされている。また、検査や守護以外のこともしているという噂もあるぐらいさね」
「他にもどんな噂が……って聞いても野暮ですね。この図書館は謎が多すぎるから」
「上の中、そういうこと。青少年、アズールの図書館に興味があるのかい?」
「はい。正確に言えば司書に」
「へぇ」
ポンッと煙管を消し、颯爽と彼女は図書館に戻って行く。あれ、失礼なこと言ったかな?
「ところで、青少年。初めてアズール図書館に来て感じたことは?」
「素晴らしい図書館だと思います。本当に」
「上の上。何よりだ」
「ただ」
「ん?」
一息。
「『司書がいない』ということも、素晴らしいと思いました。とても」
「……ハハッ。上の下」
図書館へと戻っていく最中、確かに彼女は笑った。皮肉めいた笑いではなく、優しい笑みで。笑う前の少し驚いたような顔をしていたのは何故だろう。
彼女はいったい何者なのだろう。一般の人か。いや、もっと僕に近い不思議な感じがした。縁があればまた会えるだろうか。図書館へ戻る彼女を黙って見送っていると、思い出したように相手は振り返って
「最後にもう一つだけ、青少年」
「何ですか」
「開口にして邂逅の言葉は……“アズール図書館の司書”だ」
「……? それは、どういう」
突如、猛風が吹き荒れる。思わぬ横風に目を瞑って数秒耐えて、再度前を見れば……彼女はいなくなっていた。さらに、横を何かが空洞になっている本湖へ落下していった。上空に浮いていた、幾万と群がる多数の本のうちの十数冊だった。思わず本の向かった下を見るも、何もない。微かに光が見えた気がしたが、気のせいだろう。
「え、な、何?」
いきなり突風が吹いたり、幾つかの本が落下していったのにはやや驚きもしたが、しばらくしても、それ以上は何も起きなかった……。
さっきの本は何だったのだろう。落下したから再度上がってくるかと思ったけど全然上がってこない。もう一度下を見ても落ちていったはずの本は見当たらない。また、半纏の彼女はいつのまに消えてしまったのか。いろいろと考えたりもしたが、ここは魔法大国。不思議な現象は数えればきりがない。切り替えよう。
……司書がいない。
図書館に入った瞬間に思った。同時にとても驚いた。
司書とは、図書館において必ず一人はいるはずだ。もちろん、僕は外からしか見れなかったから見つけることができなかったとも言える。けれど、普通受付にはいるものだ。あれだけの大規模な図書館には必ずいるはずである。
が、いなかった。
否、そうではない。多少飛躍しているものだが、こうも考えられる────そもそも、アズール図書館において司書は、受付の場所には不要なのだ。入った直後からそう感じていた。職員数や内部事項がほぼ不明なこの図書館において、堂々とその一部分である司書が公にいるのはおかしいのだ。ゆえにいない。
だから僕は彼女にそのことを言った。対して、彼女の返答は「上の下」であった。上の上、ではない。完璧な正解だったなら、きっと彼女は上の上と言っただろう。「司書がいない」とする僕の発言は完璧な正解ではないのだ。つまり……司書はいる可能性が……僅かにある。
「さぁ、明日は試験だ」
夕日に照らされながら帰る。足取りは軽い。見上げれば綺麗な等間隔の列を作っている魔法の本たち。
頑張れ、と言ってくれている気がした。うん、頑張るよ。見ててくれよ。あの女性の正体も知りたい。きっと何かあると思う。そんな気がする。
「来て良かった。最高の図書館だったよ」
宙に浮かぶ本を頭上に、悠々と聳え立つ最高峰の図書館を背に、僕は……。
「……あ」
そうだ、忘れていた。
まずい、宿屋を探さねば。