反省と祝辞
「これは面白い。何の魔法だい、青少年」
「……」
「初めてそんな顔を見たよ。青少年も男の子というわけだね」
現在、半纏の女性は机の上で足を組んで座っている。
対し、僕は彼女から見下ろされるようにして寝ている。厳密には、拘束されている。
「どういうことですか?」
「下の下。自分で考えることも大事だと、言ったはずだよ?」
「敵だったんですか」
「否。不正解だ。もっとよく考えるんだ」
僕の“ビブリオテカ”はどんな魔法かと説明すると一見凄い魔法だと思われるが、実際は大したものではない。確かに詠唱なしで七大魔法全てを発動させるこの力は驚異だ。が、それも……発動させる前に捕まってしまえば意味がない。
この魔法は、手を広げ“ビブリオテカ”を左手に持たないと発動できない。
今、腕や足、手に至るまで哀れにも首から下は全てグルグル巻きにされている僕は、かの魔法を発動することができない状況にある。
ほんの一瞬だった。
魔法を発動させた直後……というよりも発動させ“ビブリオテカ”が左手に出現する途中ぐらいの間隔に。僕はもう眼前の女性が発動させた魔法に拘束されていた。
「一瞬だったけど、あれは本だったよね。本を出現させる魔法なんて聞いたことがないよ。是非そこんところ、教えてほしいな。ああ、いや。まずはこの状況を冷静に分析して、何故こうなったのか、青少年が正解しないと駄目かな」
「創造魔法の使い手ですか」
「そうだね。創造魔法に分類される枝葉の一つ、『繊維』系統に関する魔法を私は得意とする。結構珍しいから私としても気に入っているんだよ。包帯にグルグル巻きにされるなんて、何かに目覚めてしまいそうな気がしないかい、青少年?」
「正直、迂闊でした。もっと貴方に対する警戒心を強くしておくべきでした」
「だからそれが既に間違っているんだよ青少年。冷静に考えなさい。さっきから下の下だよ? 私ばかりを考えてくれるのは女として嬉しいけどさ、大事なところはそこじゃないんだよ。まったく」
そう言い、彼女は指を鳴らし、僕の拘束を解いた。
「私が今、魔法を発動させたのは護身用だからだ。もちろん私の言い方がかなり悪どかったのは認めるが、青少年もそれは同様だよ。落ち着いて考えなさい。何か大事なことを忘れていないか?」
「大事な、こと?」
「……はぁ、仕方ない。今日だけは特別だ。青少年はアズール図書館の司書について、どう思っている? 具体的には、認知度についてだ」
「存在するかどうかも定かではない、未知なる職であると思います」
「正解だ。では、その未知なる職は何故そうまで隠そうとしているのかな」
「アズール図書館の司書だからこそ、司書でなければできないものがあるから」
「大正解だ。ゆえに青少年が司書になるために、なりたいがために一生懸命今日まで調べてきたんだ。それは重々承知さ。しかし、そこまで調べておいて考えなかったのかい」
淡々と言葉を並べるステラさんを前に、言葉が上手く出ない。
「……何を、ですか」
「アズール図書館の司書になるということは、司書だけしかできないことをやるということ。何かを守るということ。守るということはつまり、近づいてくる者を排除することだ」
「!?」
「近づいてくる者は排除。消す。だからこそこの仕事が世間に知られることはない。知ろうとする者は例外なく消される決まりであった場合、青少年は素直に消されるのかい? こういう仕事ならば、どこかの機関で選ばれた、アズールに絶対忠誠の者だけが秘密裏に任されているものだとは仮定しなかったのかい? ただ単に場所を、司書がいるということだけを突き止めれば、青少年は司書になれると思ったのかい? そんなもので、この仕事が存在できていると本当に思ったのかい? 青少年」
「……」
「夢を追うだけで、哀れにも惑わされ、堕ちるかもしれないことを……考えなかったのかい?」
その言葉に、僕は何も言い返せず、ただ項垂れるしかなかった。
※ ※ ※
「シャルロッティアさんは助かるのでしょうか」
「それよりも。画麗姫を案じるよりも、自分の行いを反省するんだ」
「……」
「こら、私の話を聞きなさい。ちゃんとこっちを向きなさい」
まるで親が子を叱るように、ステラさんは僕の頬を両手でがっちり掴み、顔を上げさせ、二人の顔が向かい合うようにした。……今、頭で考えていることは、自分の行いの浅はかさだ。
そうだった。
不明確と認知されているのは、僕のような、秘密を知らない人間に対してだ。何故そのようなことをするかというと、秘密にする理由があるから。当たり前だ。そして秘密は、外部の者に決して知られてはいけない。
近づこうとする者は、知っている者からすれば邪魔者であり、排除の対象でしかない。僕の実家の金庫を盗もうとする輩が現れれば、そいつらから守るために撃退するのと同じように。アズールにはアズールの……秘密にしておかねばならないことがある。
うろちょろとアズール図書館のことを嗅ぎ回り、調べ、近づこうとする僕。
司書であるステラさんにしてみれば、排除の対象となるのは当然のことだ。加担しているシャルロッティアさんも同様だろう。僕は、知らずのうちに……いや、知っておかねばならないのにそれに考えを向けずに今日まで来てしまった。最初から、こうなるものであったのに。
「反省したかい?」
「反省、というよりも後悔です」
「下の下。後悔はよくない。後悔は過去を悔やむだけのものだ。人生においてまったく意味がない。だが反省は過去を活かし未来に繋げるものだ。違うかい?」
……確かに。反省は「自分がした・言った・やった『反』対の意味を『省』みる」と書く。前世で習った漢字だ。反省しよう。反省するんだ。
僕はここに来ればアズール図書館の司書に近づけると願っていた。しかし、それは周りの人が危険にさらされるという可能性をまったく考慮していなかった。結果、現実のものとなった。ならばその反対の意味を、省みろ。
「危険性について、考えていなかった」
「上の上。大正解だ。青少年はアズール図書館の司書というものがまるで夢の世界の職業であるかのように思っていた。善のことばかりにしか目を向けていなかった。悪の、負の面には全然向けなかった。否、向けようとするのを絶対にしないよう頭の中で決めていたのだ」
「……はい」
「青少年。シルディッド・アシュラン。いいかい? 何かをやる際、そこには必ず、必ずだ。正と負の両面があることを知りなさい。これからの人生おいて、これは絶対だ。付き纏い判断を鈍らせ、しかし材料にもなるということを知りなさい」
「……はい。でも、もう僕の人生は」
「私が青少年や画麗姫を殺すと、一言でも言ったかい?」
……。
顔を掴まれながらも、自然と下に向けていた自分の視線を、上げる。ニッコリと笑う司書がいて。
「成長とは生きているからこそ可能なことだ。さて、それでは、本題に入ろうか」
「え、え?」
「反省はしっかりとするんだよ。じゃないと下の下の烙印を一生押すことになる。が、もうそれは先ほど終わったこと。私はここで最初に青少年に会った際、ちゃんと言ったじゃないか。よくここまで辿り着いたね、と」
「あの、まだはっきりと趣旨が見えないんですが」
「だから、こういうことだよ」
再度、ステラさんは顔を近づけてきた。
先ほどのこともあってか、僕はちょっと恐怖を覚えてしまい後ろへ下がろうとした。が、先読みされてこれまたガッツリと両手で掴まれ、顔を至近距離まで近づけられて。
「第一試練、合格おめでとう。司書になるには全部で『三つの試練に合格』しなければならない。『第一試練は自力でここまで来る』ということだ。そして来たものは全員、青少年と同じようにここへ来れば司書になれると思っている。だから過去の私も含めて、先ほどの『洗礼』を受ける。反省と祝辞を」
「反省と、祝辞……」
「そして過去の自分を学び一つ前進した青少年へ、次の試練を伝えよう。と、その前に」
両手を離し、目の前で立ち上がる。へたりこんでいる僕に優しい微笑みを浮かべながら右手を差し出した。
グルングルンと二転三転する今の状況を一つ、閉めるように。
そして始めるように。
彼女は言った。
「ようこそ、アズール図書館の司書へ」
後からわかることなのだが、彼女はとても気まぐれで、思ったことを適当に言い相手を疲れさせる人物であるのだ。そんな人が僕の担当であるのはこれまた一つの運命で。そしてその運命の糸を手繰り寄せたのもまた、僕なわけで。
喜んで泣いて怒られて沈んで泣いて説教されて祝福されて呆然とした僕は。
とにもかくにも、ようやく。
夢の舞台の壇上へ、上がることができた。