彼女との再会
「アズール図書館の司書」
呟いたのは、直感だった。
螺旋階段の形態をとっていた本らが、瞬時に形態を正方形へと変化。中から金色の門が生まれ、僕を呑み込んだ……と思う。
一瞬の出来事であったのと、黄金の門がまるで天国の入り口のような、幻想世界の扉のような感覚だったから。だから、今僕が見ている光景もまた……幻想かもしれない。
「ここは?」
そこは、広い洞窟内にいるような場所であった。
天井の高さは二十メートルを超えていると思われる。周りには本棚が所狭しと並べられ、人が通れるような間隔はない。とにもかくにも本棚がびっしりとある。そんな中、唯一本棚と本棚の間がゼロではなく、二メートル程度ある通路に僕は座っていた。
右を見れば本棚。本がぎっしり詰まっている。
左を見ても本棚。同じく詰まり具合は右と同じ。
前と後ろは通路……だと思われるが、所々道の途中に本が無造作に落ちている。
「移動……したんだよね。たぶん陣形魔法かな」
しばらくはポカンとして、ようやく落ち着きを取り戻し、今の現状を理解し始めた。本棚と本棚の僅かな隙間から奥を覗く。やはりその先も本棚しかなかった。一体どれだけ乱立しているのか検討もつかない。辺りをしばらく探索していると、あることに気付いた。
左右には本棚。後ろを振り向けば数メートル先に壁があって行き止まり。だが、前はというと山のようなものが見える。山といっても五メートル程度の山なのだが、周りが本棚しかないこの場ではとても目立つものであった。
「……とりあえず、行ってみるか」
ここがどこなのか、まだわかっていない状況。それでもずっと留まるわけにもいかない。周りを警戒しながら、慎重に山へ向かった。五分程度だろうか、怪しく聳え立っていた山が徐々に鮮明に見え始め、何なのかわかると……。歩く速度がドンドン速くなる。
山は、本だった。
本によって積み重なった、本山だった。
心に余裕が出始め、周りにも目がいくようになり、空中に所々明かりがあることに気付く。オレンジ色の光玉が宙に浮いたまま本山や周辺を照らしていた。光色も相まって、何とも壮観なものであった。本が積み重なるだけで、ここまで威圧感があるのか……!
「たかが五メートル前後の本山に、随分と感動しているじゃないか。青少年」
「……いえ。僕にしてみれば充分に感動できる代物ですよ」
「中の中。素直すぎるねぇ」
音がする。声がする。
周りに無数に配置されていた本棚が鈍い音をたてながら彼女に道を譲っていて、何とも奇妙な光景なれど、もうこの不思議全開の状況にいる僕からすれば、どんなことが起こっても受け入れる覚悟はできていた。
現れるは……約半年ぶりの再会。
忘れるはずもない、独特の言い回しに、やっぱり半纏を着たその人は。優しい笑顔を向けたまま……
「よくここまで辿り着いたね、青少年。上の上だ。最上だ」
颯爽と登場した。
※ ※ ※
「驚かないんだね。ちょっと残念」
「もう充分驚きましたから。これ以上驚かされても困りますよ」
「半年ぶりの再会だというのに! シクシク」
「……」
「冗談さ。こういうフリに対する耐性もつけた方がこれからは大事だよ?」
「ご高説、ありがとうございます」
「もっと大事なことも教えてあげようか?」
「結構です」
厳しいね、と苦笑混じりに彼女は歩き出す。初対面の際に感じた印象とは違い、結構、茶目っ気のある人みたいだ。そんなことを考えながらつられて後を追った。
彼女が歩くと本棚が道を開けるように移動するのは、まるでここの主かのようで、いろいろと思うところがある。実際、この場所は人の生活感がまるでない。あるのは本棚と本のみだ。
二人で本棚に囲まれた道を歩く。……今更だけど、当たり前の疑問が浮かんできた。
「僕に対して、何とも思わないんですか?」
「どういう意味かな」
「え、と。いきなりこんな場所にやって来た僕に、警戒心がまるでないみたいなので……」
「ハハ、実を言うとね。私が『ここ』を任せられて以来、訪問してきたのは青少年が初めてだったりするんだよ。だから青少年がどのような手段を用いて、そして何の目的で来たかなんてのは、もうわかっているのも同然だったりするんだ」
「じゃあ、貴方は」
「おっと、ここでその質問は止めてもらおうか。中の下だ。そろそろ着くからもう少しだけ我慢してくれるかい」
「はい」
緊張感と焦燥感が入り混じり、不安と期待が天秤の上でグラグラ揺れる。僕の心情はそんな感じだった。頭の中をこれまでの半年が映画を早送りするみたいに流れゆく。ただ、ここが本当に求めていた場所なのかはまだわからない。また、求めていた場所だったとしても。
司書が存在する……ということにはならない。
ただ単純に、彼女がここを任せられているだけなのかもしれない。むしろそちらの方が有力だ。だがそれでも、もし、もしだ。目の前で鼻歌混じりに歩いている女性が……それだったら。
「着いたよ」
扉。
周囲には当然のように本棚があって。背伸びをしても本棚以外に何があるのかわからない。来た道を振り返ると、既に本棚が道を閉ざしていた。あるのは、目の前にある一つの扉と半纏を着た女性。心音が、ドクンと、確かに聞こえた。
「さぁ、入りたまえ」
微笑んで、持っていた煙管を消し彼女は扉を開けた。自然と、一歩前へ。
待っていたのは、先ほどの空間とは違い、こじんまりとした部屋であった。書斎だろうか。
本棚が部屋をぐるりと囲み、奥には多少痛んでいるものの上質な木材で作られたとわかる机が一つあった。ランプと山積みになっている書類や本。薄らと見える程度の湯気が立ち昇っている紅茶。
普通と違うのは、本棚の高さが先ほど歩いてきた時に見てきたそれとは違い、今いる小部屋の天井ギリギリにまであることだ。高低差を調節できる梯子が取り付けられている。
半纏女性は、机の引き出しから綺麗なコップを取り出して、紅茶を注いで渡してくれた。落ち着く、優しい味だ。
「まずは自己紹介だよ」
二人で、紅茶を片手で持ちながら視線を交差させる。
「私はステラ・マーカーソン。ステラと呼んでもらって構わない」
「僕はシルディッド・アシュランと言います。皆からはシルドと呼ばれています」
「シルド青少年か」
「あの。青少年は省いてもらって大丈夫ですよ」
「んん、どうにも最初に会った際に呼んだ『青少年』という言葉が私にはしっくりきてね。シルドくんもいいが青少年も好きだなぁ。合体させてシル少年はどうだろう」
「青少年で」
「申し訳ない。名前はしっかりと覚えたよ、青少年」
やっぱり変わった人だと思う。
「それではステラさん。貴方は何者ですか?」
「おおっと、いきなり直球だね。さて、おおよそは青少年の予想通りだと思うが。というよりも、ここがどういう場所かはわかっているかい?」
「アズール図書館には入りきらない本の、保管場所……かと」
「正解だ。では現在幾つの本があると思う?」
「おそらくですが、二億弱と思います」
「中の下。正解は四億五千万だ」
四、億……!?
六百年前に一億六千万。それから今日までに三倍近く増えているのか!?
「そんなに驚くことじゃない。当時はクローデリア大陸中から短時間で集めてやっと一億六千万だったんだ。それから徐々に時間をかけて集めていき、また比較的友好関係を築いているカイゼン王国からも輸入したりして増やしていった。これぐらいの書数は当然だよ」
「先ほどあった空間には一体どれくらいあるのですか?」
「全部で四十九階層に分かれているよ。青少年が来たのは十階層目だ。というのも、あの方法で来る人は必ず十階層に送られるよう魔法で細工されているからね」
「……」
「次の質問は?」
「貴方は、何者ですか」
「司書だ」
当たり前のように。
呼吸するように。
当然のように。
ステラさんは答えた。
直後、僕の頬を静かに雫が流れ、止まらなくなって。
「う、うう。ううう!」
「おお、大丈夫か青少年? あっさり答え過ぎたかな。私も初めてここに来た時は思わず感涙したものだが青少年ほどではなかったよ。ハハハ、気持ちはわかるけどね」
「本当に、本当に司書がいたんだ……!」
「うん。そうだ。アズール図書館の司書は、存在するよ」
呻き声にも似た、僕の泣き声が小部屋で反響する。
僕の頭に手を置き、優しく撫でるステラさん。それが余計に涙を強くした。子供の頃から夢見ていた仕事が、ついに、ついに……!
幼少時に本を知り、読み、感動し、次なる本を求め、読み、また次の本へ。それを続けてもっともっとと読書に対する意識が強くなり次第に意識が本だけでなく、関わっている仕事の方へ向かっていった。でもそれは無理で。不可能なことで。僕は貴族。
小さい時に、諦めた夢。
けれど十五の時に邂逅した、前世の記憶。
諦めたはずの夢を、もう一度掘り返した。叶えるため、実現するために僕はここへ来た。
夢の舞台。何回したかわからないほど感動して、夕方の本舞絢爛を堪能し、半纏を着た女性と出会った。問答を繰り返し、最後の最後に当時はわからなかったヒントをもらった。
学校に入ればグヴォング家に絡まられるもジンに助けられ、友達になった。征服少女と殺し合いもした。年間密度の濃い学生生活を送った。
一年試験を迎え、彼女と出会った。
アズール図書館の司書に行き詰っていたところを皆に助けられ、そこからまた頑張って、二人で保管場所があることを仮定して。空洞と化した本湖へ飛び込み……ここに。
「落ち着いたかい?」
「はい。ありがとうございます」
「それでは一つ、青少年に司書として言っておかねばならないことがあるんだよ」
「何でしょうか」
恥ずかしくも号泣して濡れてしまった頬を拭きながら、ステラさんに顔を向ける。
彼女はちょっと照れくさそうにしながら紅茶を机に置き、僕の前に立った。身体を少しジャンプさせて、首を左右に揺らしてリラックスしている。えへへと照れ笑いを続けながら自分の頭を軽く触り、頬をやや赤くして。
なんだか、ちょっと僕もドキドキして。
ステラさんは、顔を僕の耳に近づけてきた。
ドキドキが、さらに強くなったりして。
彼女の声色が変わった。
「画麗姫の命は、『おいくら』なんだろうね?」
“ビブリオテカ”を発動した。