本湖
今日まで、僕のアズール生活は凄かった。
いろいろ有りすぎて今更説明するのが億劫になってしまうほどに。前向きに考えれば貴重な体験をしてきたといえるけど、後ろ向きに考えれば混沌と振り回された毎日だったのかもしれない。それでも、伝えたい。
ここに来て良かったと。
辛いことは多かった。特にここ一、二ヶ月は最たるもので。一年生の学園生活において一度しかない試験に挑んだ。挑んだのは試験だけでなく、貴族科トップの桃髪麗女にも。試験が終われば息もつかせぬコンボでアズール図書館の司書における現状及び、現状からの進展を付け加えたい。
今回新たに判明した、この図書館にはどこかに隔離・管理、もしくは保管部屋があるという事実。
シャルロッティアさんと一緒に協議しながら見えてきたことは、大きく二つ。
一つはアズール王立図書館についての秘匿事項が「王律厳守」であること。以前ジンも言っていたことだけど、王律厳守とは王様以外にその情報開示が許されないことをいう。
貴族には一般市民とは違い厳守とされる事項について調査することを許されている。貴族の階級が上になればなるほど許可される範囲も広がる。だが、上流貴族でも指折りとされるシャルロッティア家でさえ、アズール図書館についての情報は王律厳守とされてしまった。けれど、これはアズール図書館には相応にして規格外なものがあるということを意味するはずだ。
二つ目が、一つ目とは違い実際に肉眼として視認でき、わかったこと。
夕方になると、本湖にある本全てが空に浮かび、上空から見下ろせばおそらく花火のように、図書館を核とした本の展開が見られるのは既に話した通りだ。だが、この時「本湖の中」はどうなっているか。
当然、すっからかんである。
分かりやすく例えると、お風呂場にある桶を本湖だとしよう。桶の中にあるお湯を本とし、中心には重りのある空き缶を置いて、その上にちょこんと図書館がある。ついでに図書館に向けて四方より橋が架けられている。
お湯という名の本はグルグルと空き缶を軸に時計回りに流れている。夕方になれば、桶の中にあったお湯が宙に浮き、図書館の点検を終えると、再び桶の中へと戻っていく。
空き缶は桶の底面としっかり結合していて、乗せている図書館をどっしりと支えている。……実際にあるのは空き缶ではなく、黒く険しい巨大な岩の柱だけど。
その標高は260メートルにも及び、自然魔法を使って作られたものだと思われる。そして岩壁頂上には図書館が。おおよそ本湖の概要を説明するとこのようになる。
そして、わかったことの二つ目だが、夕方に本が宙に浮き本湖が空っぽになる際……本湖へ侵入することが可能なことだ。
侵入といっても、二人で夕方の点検にして絢爛なあれを見ていたら、シャルロッティアさんがいきなり軽めの本を本湖へと放り投げたのがきっかけだ。
「何事も試しよ」
かなり度胸のある方だと思う。
そのまま本は落下していき、十秒たった頃だろうか。宙に浮いていた本らが勢いよく本湖へ滑走していったのだ。そして落ちていった本を彼らが抱きかかえるようにシャルロッティアさんへ持ってきた。仕事熱心な本たちだと思う。
「シルドくん、どう思う?」
「仕事熱心な」
「本だね、とか言ったら私帰るから」
「……あー、彼らが本を取りに行くのに、十秒はかかったね」
「ええ、普段は本湖としてプカプカ浮いているだけだから、そこに異物を投げ込まれても本が即反応し、すぐに戻ってくる。けれどカラになっている本湖だと、上空で検査している最中だから反応が遅れるのね。あと、普段は本湖にある本、魔法で構成されている半透明な存在なのでしょ?」
「うん。となれば、本湖に異物が入ったときのみ実体化しているみたいだね」
「何故?」
「何故って、異物を出さないといけないからじゃないのかな」
「確かにそうだけど、私は違うと思う」
「……排除?」
「不審なものは、どんなものであろうとも本湖へ近づけさせないようにしているとも考えられるわ」
一息。二人で視線を合わす。
「この図書館には本の保管部屋に準じた部屋がない」
「と、なればどこかに必ず場所があるはずね」
「しかもそれは、極力近くにあった方がいい。保管部屋から本を出し入れすることはよくあるし、夕方の本らが点検をする際にも近くにあった方が手間が省ける」
「さらに、あれだけの創造と陣形の複合魔法を毎日のように展開しているのならば、保管部屋と本湖は事実上繋がっている必要があるわ」
「加えて、僕らには見えないどこかにある」
「総合すると、保管部屋はこの本湖のどこかにあり、点検の際にも付近にあり、図書館と本湖を繋いだ場所にあると考えるのが最良ね」
「そして、重要価値が極めて高いだろうから、その場所には極力他を寄せ付けるわけにはいかない。この仮説が正しいのなら……」
「自ずと、答えは一つになるわ」
僕とシャルロッティアさん二人で「それ」に目を向ける。
場所は、本湖にありながら人目に一番つかず、かつ図書館と繋がっていて、本の点検魔法の恩恵を深く受けられる場。
「隠し階段なんて絶対見つけられないようになってるだろうな」
「というよりも、ないでしょう。きっと陣形魔法で移動できるものと思うわ」
「ならその手順で行くのは不可能か。他に考えられるのは……一つしかない」
「でも、それがあるかというと可能性は低いと思う」
「うん。ありがとうシャルロッティアさん」
「……動くの?」
「当然。派手にいきたいね」
「捕まる可能性も高いわ。下手したら治安部隊も出てくる」
「その時はその時だよ。怒られるぐらいかな」
「楽観してるわ」
苦笑する僕を横に、涼し気な表情で彼女は「それ」を見る。つられて再度、僕も見る。
岩壁。
図書館の下にあり、本湖の底面とを繋ぐ巨大な縦長の岩壁。
260メートルを超える本湖の標高は、当然岩壁の高さも同じとなる。加えてあの広大な図書館を支える面積と、何かを入れるとすればどれだけ入るか想像もつかない膨大な体積は、保管部屋として申し分ない。あくまで、部屋があると仮定すればの話だが……僕と彼女の答えはこれしかない。問題は、どうやっていくかだ。
「もしあそこにあるのなら、きっと外部から入れる仕掛けがどこかにあるはずだ」
「あると仮定しての話だからなかったら赤っ恥どころじゃないわね」
「そうだね。でもさ、これは僕一人の答えじゃないから。不安は少ないよ」
「……シルドくん」
「ん、何?」
「無茶は、しない方がいいと思う」
「あぁ、もちろんだよ。ありがとう」
こくりと頷いて。彼女は僕からは表情が読みとれない方へ顔を向ける。
さて。大きくわかっていることの二つを消化した。この仮定が合っている可能性は定かじゃないが、やるしかない。
ないと思ったことをやらねば、現状は先がないと思う。それぐらいのものであると確信している。だからこそ、アズール図書館の謎は不明確だらけなのだ。
ここまで辿り着くのに、半年と一ヶ月、三週間もかかった。だけどその時間全てが、仮定に行き着くのに必要だったものだ。
時刻は夕方に近づき、僕とシャルロッティアさんは館外へ出る。人目につかない場所へ移動して、本湖へ降りる際に誰にも見られないようにして。本湖による絢爛を待つ。
「今更だけど、一ついいかしら」
「どうぞ」
「貴方にとって、アズール図書館の司書とは……何?」
本が浮き、上空へと飛翔する。
外に出ていた人々が歓声に似た声をあげる中、皆が目線を上に向けている中、僕と彼女は、視線を互いに結び合わせ……。
「夢だ。それ以外にない」
「そう。いってらっしゃい、シルドくん」
「あぁ、いってきます」
信じる想いを力に変えて。
暗闇が支配する本湖へ飛び降りた。