真反対
カランカラン……
「──ッ!」
「やぁ、よかったよ。来てくれるのか正直微妙だったからさ」
「別に。朝早くに来てしまったから、特に行くところがなかっただけよ。それより何か用かしら? 私はもう貴方に用はない。そもそも貴方自身には最初から用もなかったのだけれど」
「それは失礼したね。でも僕自身としては、キミにとても大事な用があるんだ」
朝。昨日と同じ時間帯で、昨日と同じ場所で、昨日と同じ二人で。僕と、彼女は言葉を交わす。
「いくつか疑問点があってさ。それを解消するためにここに来たんだ」
「あらそう。随分と試験中だというのに暇をしていたのね。ちなみに言っておくけれど、昨日私がここに来た理由は単純に『貴方の夢を無駄だと言う』ため。貴方の夢に興味があるとは言ったけれど、あれは語弊ね。僅かばかりの関心があったけど、本人に聞いてやはり無駄だと思っただけのことよ。これで終わり。それ以上はないわ。わかったらさっさと」
「嘘だ」
彼女の返答は、僕が昨日の晩、最初に考えたことだ。もしあのまま就寝していれば、ここで終わっていた。僕と彼女の会話劇は、今この時に幕を閉じていたのだ。
感謝したい。あの時あそこで終わらせないよう踏み留めてくれたゴードさんの言葉と、協力してくれたルルカさんに。
「キミは、夢に対してとても想い入れのある女性だ」
「駄弁ね、愚弁と言うべきかしら。どちらにせよ愚か。勘違いも甚だしいわ。私本人が答えを提示したというのに、私でもない貴方が否と告げるなんて。どういう神経をしているのかしら」
「ならどうしてキミは僕が考えていたこと、問題として悩んでいたことを知っていたんだい? どうしてキミは今、真っ先に答えを自ら提示したんだい? まるで僕が昨晩悩み、一応の答えを持ってきたことを前提とした発言だった」
「それは」
「そう、キミはわかっていたんだ。僕がそれについて考えていることを。答えを出そうとしていたことを。だからここに来たんだろ? 答えを持ってきた僕が店に来てキミを待っているのを確かめるために。だから先に言ったんだろ? 『キミが予想する僕が持ってきた回答』が間違いであると伝えるために。わざと誤りの回答を即座に告げて」
「……」
問答の応酬。言葉と言葉の、相手の考えの読み合い。立ったまま、向かい合ったままの二人。
視線はずっと交差している。ここで逸らしてはいけない。それは自分の考えに迷いが、不安があると相手に知らせてしまう。正直言えば僕の答えは今でも合っているかわからない。不安は大きい。
けれど、ゴードさんとルルカさんの協力で出せたこの答えに間違いがあるとは、絶対に……思えない! だから攻める。
「キミは優しいね。最初から僕が間違いの答えを持ってくることを予想して。出来る限りキミなりに僕が傷つかないよう考えて言ってくれた」
「本当に呆れた人。いえ、失礼な人。私の話を聞いていたのかしら」
「もちろんだよ。キミが言った言葉は何一つ忘れずに憶えているよ。しっかりと、胸に刻んであるよ」
「……」
「そして、だからこそ答えを出したんだ。採点を始めよう。キミが提示した問題が、僕の持ってきた答えと合っているのかどうか。キミにとっては、今日の朝、僕が間違いの回答を持ってきて、それは間違いと突っぱねる予定だったのかもしれないけれど。わるいが飛び越えさせてもらう。一気に、いかせてもらう」
自分でも死ぬほど恥ずかしいセリフだと思いながらそっと彼女へ椅子を引いた。
場所は、昨日と同じ円卓にある、同じ椅子。その横で、ゴードさんが優しげな微笑みを浮かべながら朝食を持ってこようとしている。僕も彼と同様、精一杯の笑顔をモモ・シャルロッティアに向けた。ほんの数秒、目を大きく見開いた彼女は、すぐさま元の大きさに戻して。
黙って座る。
彼女は、応じるとした。
心の中でここまでは正解であると、ほっとする。彼女の反対の椅子に座りゴードさんからの朝食を受け取る。彼はウィンクしてその場を離れた。
呼吸を整えろ、いよいよ本番だ。前座は終わり。ここからが先ほども言ったとおり──
「それじゃ、始めようか」
答え合わせの採点だ。
※ ※ ※
向かいあった僕らの前には、ロギリアのマスターが作ってくれた朝食がある。
まだ湯気が立ってり、ほんの数秒前に出来上がった証拠は言うまでもなく。対し、朝食を見上げる二人の間には何とも言えぬ、冷たくもあり熱くもある空気が支配していた。なんて表現してみたものの、実際は黙って食べているだけなのだが。
話ながら食べようとも思ったけれど、せっかく出来立てを出して頂いたのだから、それを蔑ろにするというのも失礼な気がして。そんなことを思っていたら、真正面にいる女性もジッと自分の前にある美味しそうなご馳走を見つめていた。
「とりあえず、食べてからにする?」
「そうね」
そのまま、黙々と食べる二人。厨房の奥でゴードさんの笑いを押し殺す声が微かに聞こえなくもないが無視することにする。二人とも、食欲の方が勝ってしまったことに、どうにももどかしい感じがした。
そうして、一通りの食事を終えて現在はゆったりと紅茶を飲みあう。
さっきからずっと僕のことを見ているような気もするのだが。生憎ずっと窓際の風景を眺めているので確認することはできない。……ヘタレではない。呼吸を整えているんだ。
「そろそろ始めてもらってもいいのだけれど」
「!? あ、うん。そうだね」
全然整えられなかったが、始めよう。
「それじゃ、早速、いきなり答えを言っていいかな」
「何の答えなのかしら。特にこれといって問題なんてないと思うのだけれど」
「何故キミがここに来たのかだよ。さっきキミが提示してくれた偽りの答えじゃない、本当のね」
「あらそう。教えてもらえるかしら、貴方の愚かな妄想を」
あくまでさっき言った答えを曲げないつもりか。
となると、僕が言う答えが途中で合っているのか合っていないのか確認することもできない。わかるには、相手側の顔色で判断するしかない。難しいな。そんな上級テクニックできるだろうか。やるしかないのだが。
「ここに来た理由を言うには、肝心の核となる部分が必須なんだ。それに基づいてキミはここに来たのだから。……核となる部分は、キミの夢に対する考えのことだ」
「……」
無表情。さて。
「キミは『人には興味がない』けれど、『人の夢には興味がある』と言った。しかし、『夢とは愚かで無駄なこと』だとも言った。最初、この発言に対して矛盾だと思っていたんだ。無駄だと思っているものに、興味なんて抱くはずがないって。だから、この考えは大きく矛盾していると」
「それについては先ほど言った通りよ。語弊だと。人の夢に興味なんて、最初からなかったの」
「いや、違うね。だったら無駄だと言いにわざわざここに来たのかい? たったそれだけを言いに? 僕はキミと会って一日しか経っていないけど、そんな無意味に近いことをキミがするとは到底思えない」
「貴方が思えないだけで、私は思ったのよ。そういう女もいるってこと」
「僕はそう思っていない。キミはそんな女性じゃない。優しい人だ。自分の核が原因でここに『来てしまった』……女性なだけだ」
ふぅ、と画麗姫は息を吐く。
「あくまで私の意見は無視というわけね」
「それはそうだ。だってキミの意見は最初から真意ではないのだから」
「女に『キミは優しい人だ』なんて言う男って、絶対女慣れしていないのよね。そう言えば女が喜んでくれると勘違いしている証拠だわ」
「話を逸らさないでくれるかな……」
「事実を言っただけよ」
一息。
見つめ合う……というよりも、半分睨み合う二人。残りの半分は、互いの考えを読み取ろうとする動き。双方、意見は平行線ながらも、会話の流れは成立している。普通に考えたらおかしなことだ。平行線でありながら成立するって。そうだ。成立するにはどこかで合致している部分があるのだ。僕が合っていて彼女も合っている。けれど、隠してる。
平行線なんかじゃない。同じ線だ。一緒なんだ。僕と彼女は。
だから重言を告げる。自信と不安を合わせながらはっきりと彼女の目を見て──伝える。
「キミにとって、夢とは」
「無駄なことよ」
「違う」
「違わないわ」
「違う。いいかい、聞いてくれ。キミにとって、夢とは」
その時だ。
座っていた二人の一人が、動いた。考えられないほど機敏に、瞬発的に。同時に彼女は告げた。小さな言葉で、短く、微かに。僕は見逃さなかった。見逃すはずもなかった。彼女の口が僅かに……震えていた。
「失礼するわ」
「逃げるな!」
立ち上がり、早々と去ろうとする彼女に叫ぶ。
逃げるなと。
『シルドくんにとっての夢と、彼女にとっての夢は意味合いが違うのかもしれないね』
『私は、あの時、夢は無駄だと思うのと同時に……心の奥底で、叶って欲しいと思っていたのだと。認めたくないけれど、やっぱりどこかで、思っていたのだと』
夢。
興味。……違う。彼女にとって、興味ではなく憧れと羨望だった。
無駄。……違う。彼女にとって、無駄ではなく諦めと後悔だった。
最初。僕が初めて彼女と出会ったあの日。一番最初に体全体で直感したことがあったはずだ。それを僕は横に置いて、考えふけっていた。違ったのだ。それこそが彼女の真実であったのに。それは……
『単純に、僕は、彼女を──直感でわかっていたのだ。この子は、僕の真反対の人間であると』
反対だ。反対なのだ。
夢を「幼少の頃諦めて」、「青年になって信じた」僕の、真反対なのだ。そう。彼女は──
「モモ・シャルロッティア。キミは『幼少の頃夢を信じていた』はずなのに、それを『諦めてしまった』女性だ。僕と逆なんだ。だから来たんだろ? 夢を諦めた者として。夢を信じ追い駆ける僕のもとへ。夢とは諦めるものであるという自分の軸を曲げないために」
夢を興味がありながら無駄と称す。矛盾に思えながら、実は矛盾でもなんでもなかった。
今の彼女が夢を無駄であると九割方考えていることは事実だ。だがしかし、残りの一割が、頭の片隅に残っている幼少の頃より思い続けてきた興味という名の憧れが、まだ彼女にはある。
だから夢と興味と無駄、それら三つのイコールが成立する。人は生きるものだから。人それぞれに、歴史があって考え方も変わる。A→Bだけの、矢印だけの人間なんて、そういるものではないのだから。
頭の中では無駄と思っていても、身体そのものが無駄でないと拒否する。彼女の中には確かにあるのだ。残っているのだ。夢とは、無駄でありながら信じるものだと。何故なら……
「キミは、僕の真反対の人間なのだから」
…………フ。
「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」
朝日の光が照らす店内の中で、笑い声が木霊した。
主は、光り輝く桃髪の麗女。画麗姫。シャルロッティア家の三女。そして僕の真逆の人。笑いながら彼女は振り返り、冷たる微笑をこちらに向ける。
「夢とは、諦めるもの。それはね、自分が決めるものではないの。周りが決めるのよ」
「違う。それは諦めた者がいう弁に過ぎない。夢とは信じ抜いたものの先にある」
金切り声に近い笑いが店内に響き渡る。
「それすらも、いえ、それごとを、周りが打ち砕くのよ。私は証明しに来たの。証明させてあげに来たの。愚かにも、愚かにも。夢を追う貴方のために。人生の先輩として、答えを教えてあげるために。
手始めに貴方の前にある試験を例としてね。
知ってるわよ? 貴方、何も情報が得られないアズール図書館の司書になるために、万が一にも学力の結果が必要になった時のために、この試験にかけているのでしょ? だから現実を教えてあげる。貴方の夢に杭を打ち込んであげる。
私がいる限り、貴方は試験において絶対に上は取れない。
他にもこれから多々ある夢の弊害に貴方は苦悩することになる。そして周りがそんな貴方を畳み掛けるように潰す。必ず潰す。だから私は今のうちに終わらせてあげるの。苦悩させないように、もがかせないように。
学校の試験でさえ、貴方は夢へ一歩踏み出せないと、教えてあげる。
夢とは、儚く、虚ろで。どう努力しようとも、どう想いが強かろうとも『周りが終わらせるもの』であると刻んであげる」
頷きながら、僕は返答した。
「なら、乗り越えるよ」
「……は?」
「乗り越えるよ、キミのために」
「……ふざ、けてる……の」
「ふざけてなんかないさ、画麗姫」
「ふ、ふふふ。今まで生きてきた中で、これほど虫唾が走る言葉はないわ」
「僕はそうは思えないよ」
ようやくキミの声が聴こえたんだ。ずっと奥底にあったはずの、キミの本音が聴こえたんだ。
この子は、僕と真逆の存在であると同時に、僕と同じ存在だ。一歩間違えれば立場が逆転していたのかもしれない存在なんだ。だから僕は乗り越えてみせる。自分のために、そして、キミのために。だってそれが、キミを救えるかもしれない、唯一の方法だと思うから。
「この一年試験、僕はキミに勝つ」
「フフフフフフフ……。──愚か」
トチ狂ったような笑みを浮かべる眼前の少女は、それでも大変美しかった。
その笑顔が、嘘であることに、彼女は気付いていない。どうしようもないことであることに、気付いていない。もはや彼女は決めてしまっているのだから。
夢とは、諦めるものであると。周りが諦めさせるものであると。それを折られてしまったら、もう自分を支えてくれるものはなくなる。だから笑うしかない。そんなキミを、愛おしく思う。
「僕は、必ず、キミに勝つ」
一年試験、二日目。
最終日。
運命の一日が幕を開ける。