一年試験
「それでは午前の試験は終了です。お昼休憩の後、午後の試験を開始します」
マリー先生がそう言うと、机の上にあった問題用紙が一瞬で消え、教室内にいた学生全員の用紙が彼女の手の平に集合した。陣形魔法“集散の和”を使ったのだろう。下級魔法でありながら用紙を配る時や集める時、この魔法は大変便利である。
ガヤガヤと騒がしくなる教室。
あちこちで試験の手ごたえを話し合う学生たち。こういうところは前世と何ら変わらないから好きだ。学生という身分を体現しているような気分にもなる。雑談しながら皆は貴族科専用の食堂へ向かう。……一人、席についたままの学生を残して。
教室の後ろ側で友達と少し談笑した後、チラリと彼女を見ると……。後ろから見ている僕が彼女からは見えるはずもないのに、まるで僕から見えるようにそっとロギリアで出された拭き物を横に出し、席を外した。
「……」
昼休憩は一時間半だったかな。まぁ、向こうで食事しても、試験前には戻ってこれるか。
※ ※ ※
昼。のどかな小鳥の囀りを訊きながら、昼食を静かにとる二人の貴族。黙って見つめる元商人の初老。
「まさか初対面の人間に愚かと断言されるなんて思いもしなかったよ」
「そうかしら。世界は広いのよ、貴方のこれまでの経験で考えるなら、別段私が言った言葉なんて些細なものだと思うけど。王子直々に問答されたこともあるのでしょ?」
「……随分と調べているんだね」
「風の噂で聞いただけ。他意はないわ」
「人に興味がないのに噂は信じるんだ? 暇なんだね」
「興味はないけど、聞いてしまったものは仕方ないでしょ? 避けようがないもの」
現状、やや怒気を含んだ視線を向ける僕に対し、涼し気な表情で無視する彼女。
試験一日目の午前が終わったというのに、心の内は曇り模様でかつ雨天が現在進行形で進んでいる。相も変わらず朝と同じ円卓の椅子に彼女は座り、僕も正面に座る。
相対する。もはや食堂で優雅に昼食をとるつもりはなかった。ここでも充分に美味しい食事をとれる。彼女を避けようとするつもりもなかった。思えば避ける理由など皆無だからだ。
今はただ、画麗姫との会話に興じてみようと思っただけ。それだけだ。ゴードさんが食欲をそそるスープとサラダ、ミトレー(前世でいうスパゲティ)を運んでくれた。お礼を言う僕に対し、彼女は何も言わないが会釈をして受け取る。画麗姫なりの感謝の表現らしい。
「それで? 人に興味はないが『人の夢には興味がある』キミが、僕に何の用かな」
「誤解があるわね。貴方に用はないわ。貴方の夢に用があるの」
「……さようで」
「話に、噂で、人伝で聞いた限りだと、貴方の夢は司書になることらしいわね。しかもアズール図書館の」
「そうだよ。それが僕の夢だ」
「愚かね」
間髪いれず、再度桃髪の少女は言った。愚かだと。二度も。
夢を笑われることはあっても、愚かだと言われたのはただ一人、父さんにだけだった。彼女で二人目となる。しかし父さんの場合、領主となる予定だった僕がいきなり司書になりたいと言った背景があった。対し彼女は、そのような背景はなく、噂で聞いたというものだ。たったそれだけの理由で画麗姫は断言した。
愚かだと。ここで何故だと聞いてもはぐらかされるんだろうな、朝がそうだったし。少し話を変えるか。
「午前の試験、手ごたえはどう?」
「愚問。あんなもの名前を書くのと同義じゃない」
「ハハハ……」
言ってくれる! どちくしょう!
一応僕も今のところはミスなしだ。だがそれは見直しを数回に渡り行って、手に汗握る緊張感の中行われたものだ。何せ横には入学試験満点者であり、かつ物凄く暇そうに廊下側を眺めている才女がいたのだから。
一科目試験時間が一時間に対し、モモ・シャルロッティアは十五分で終わらせていた。悔しいが彼女に隙はない。このままいけば、僕のケアレスミスか、わからない問題に当たって失点するのは免れない。いくら死ぬ気で頑張ったからといって、全科目満点をとれるほど甘くはないからだ。
「僕にとっては名前を書く程度じゃないんだけどね」
「それが普通だと思うけど。貴方の夢と一緒で、諦めてはいかがかしら」
「一言たりとも夢を諦めるなんて言ってないんだが?」
「あらそう」
平行線だ。噛み合っているようで噛み合ってない。
正直、いつまでもこの状態を維持するのは厳しいし、かといって夢を愚かだと断言されたまま引き下がるほど僕も人間できていない。どこかで切り上げる必要があるのだが……。ん? よくよく考えてみると……ふと思ったことだったのだが、つい言葉に出てしまった。
「人に興味がないって言ってるのに、キミ、普通に僕と話してるよね。ここに来るよう合図したのもキミだったはずじゃ」
「…………」
無言で睨まれた。こえー。
「違うわ。たまたま私がここのお店の織物を机の横に出して、それをたまたま貴方が見て、そしてたまたま二人の行き先が一緒になった……だけのことよ」
「ふぅん、随分と偶然が続いたんだ」
「えぇ。こういうこともあるのね。不思議」
無理があるのでは、と思わないでもないが彼女がそう言ったのだから今さら蒸し返しもできない。だがあえて言ってみる。
「でも、だからと言って興味がない人と話す必要はないんじゃない?」
「そうね。ならもう話さないわ」
そっぽを向いて、画麗姫は窓の方へ視線を移す。拗ねてしまった。さっきまでの勢いはどうしたのだろう。思わずクックックと笑ってしまう僕に、ジト目で横見してくる彼女。
何だ、意外と可愛らしい部分もあるんじゃないか。それに自分で言ってて何だが今日の僕は意地が悪い。変な感じだ。普通、女の子に対してこういう態度をすることはないんだけど。何故だろう。
「話を戻しましょう。いえ、本題に入ると言ってもいいわね」
「……漸く、キミの言わんとしていることが訊けるんだね」
「本来なら貴方が自分でここまで辿りついて欲しかったのだけど。生憎貴方の頭がそこまで回らないようなので、こちらから提供することにしたの。私は今日と明日しか学校に来ないから」
「それは大変だ」
今までの流れを断ち切るような、先ほど見せた戯言を捨て去るような言い方だった。
こちらとしても、何故他人の夢を愚かなどと一蹴するのか気になっていたし、こうも僕に対して棘がある言い方をするのか理解できなかった。彼女にとって、夢とは何か。愚かとする対象とは何なのか。
落ち着いて考えれば、別段、自分の夢を貶された程度のことだ。無視すればいいだけの話。
何故、僕もこうまでして彼女から真意を聞こうとしているのかわからなかった。一人の女の子に意地悪なことも言ったし、今日の自分は妙に変だ。まるで、彼女は僕がこれまで接してきた異性とは何か違う、そんな感覚が心のどこかに……。これは一体、何なのだろう。
「私にとって、夢は」
ハッと我に返る。
正面にいる女の子に目がいく。奪われる。
彼女は人に興味がないと言って、それ以外には月並みの関心があるとした。そして今回は「僕の夢が興味対象」であるとした。愚かなものと付け加えられたが。そんな「彼女にとって夢」とは何なのか、告げられる。
「どうにも救いようがないほど、無駄なことよ」
無駄。漸く彼女の言葉から真意が聞けた。欠片が少しずつ揃ってきた。実際のところ、把握できていない部分がまだ圧倒的に多いけども。
加えて、さっきからざわめくこの邪念は何だ。僕は、彼女を、どうみているんだ。今まで会ってきた誰とも違う、違和感があり、どこか共感する、けれど距離があって、近い気もする。言いようのないパズルが……頭を巡る。
その答えが出るまで、これから少しばかり時間がかかることになる。けれど決して嫌なものではないだろうと、それだけはこの時からわかっていた。
彼女は、夢を無駄と称した。
何故か。聞く暇もなく、画麗姫は立ち上がり教室に向かう。試験日でありながら、もう一つ心に新しい問題が生まれたこの日。一年試験一日目、午後の試験が始まる──